ラグナロク・港にて出港を待つ③
3こめ。最後!
これでラグナログの話は一旦終わります。
朝の澄みきった青空から、果物を直接絞ったオレンジジュースみたいな夕焼け空に変わっている。
私たちは魚の頭が持ってきてくれたサンドイッチを摘まみつつ、時間を潰していた。
私は手のひらに収まらない大きさの果物を抱えて、一緒に渡された小さな刃物で果物を切ろうとした。
「アヤナ、ちょっと待て」
するとスノウに刃物を取り上げられ、代わりに別の刃物を渡される。持った感覚は彫刻刀みたいで、その刃物でスノウに言われるまま、果物のヘタの部分に押し当てる。ほんの少し切っただけで、そこから果汁が溢れでた。
「わっ」
服が濡れる前にレオに果物を奪われて、スノウがどこからか取り出したタオルを握らされる。
「気を付けろよ。これで支えな」
「アヤナ、これも」
レオからヤシの実みたいな果物を受け取って、今度は葉っぱを丸めて筒状にしたものを切口に押し込んだ。
ぶちゅり。
変形することなく刺さった葉っぱを見下していると、「飲まないのか」と声がかかる。
「ううん、なんでもない」
葉っぱのストローを吸うと、甘酸っぱい果汁が口のなかに広がった。
「おいしい……」
自然と頬が緩んで、何度も果汁を飲み込んだ。思ったよりも喉通りがよくて、すっきりとした後味がある。
今度はサンドイッチを手に取った。
具はレタスにキュウリとトマトと一緒にマヨネーズ。シャキシャキとした瑞々しい感触を楽しんだあと、別のサンドイッチに手をつける。
これは先ほどのサンドイッチと違ってパンに黒い粒子が練り込んである。平べったい揚げ物を挟んだそのパンにわずかに白いソースがついている。たまごのような独特の匂いがする。
私は思いきってそれにかぶりつくと、じゅわりと油が口に溢れた。舌触りがよくて滑らかな感触。どうやら魚のすり身のようだ。白いのはタルタルソースだったようで、馴染み深い味に思わず頬が緩んだ。
「これ美味しいね。油もくどくないし」
「ん、これはシーラーだな。シーラーってのは大きな目玉の魚でな。身は淡白なんだが、シーラーは刺激を与えると油を出すんだ。その油がすげー上手くてな。ま、その分高脂肪だ」
「そっかー。でもなんとなく分かるよ」
ついついもう一切れほしくて手を伸ばすと、またグラが魚の頭と一緒にやってきた。
「レオ様、スノウ様、アヤナ様。そろそろ出港のお時間ですので、特別室のほうにご案内しますが」
「うーん、でもなあ」
スノウがこっちを見て、考える仕草をする。
「もうちょい待ってるわ。特別室つったっていつものところだろ」
「そうですよ」
「ならギリギリになったらまた声をかけてくれ」
「わかりました」
グラがスノウの無茶ぶりにもにこりと受け答えをする。
私はそちらから視線を外して、魚の頭を見た。船長であるグラの横でずっと動かないと思ったら、三人に断りを入れてからこっちに近づいた。
「こんにちは。お客様は人間だと船長から聞いたんですが」
「そう、です」
それにグラがハキハキとしたテレビショッビングの司会者のようなしゃべり方なのに、魚の頭は思ったよりもゆったりとしていて眠くなる調子で話しかけてきた。
「あたしはフィリポス・ヴィッセルといいます。お名前を伺ってもよろしいですか?」
《あたし》という一人称だが、女っぽさはなくてどちらかというと職人のような色がある。
天を仰ぐ魚の口はパクパクと動いている様子がなくて、本当に人間なのかと半ば納得しつつ私は魚の頭に返答する。
「私はアヤナです。あの、それでその、貴女も人間だと伺ったんですけど、ここって魔素も濃いですし……ラグナログの住人はあまり人間をよく思っていないですよね……?」
「そうですね……確かに体に魔素が侵食してきて辛くはありますが、ここは海に面しているのでなんとか耐えられるんですよ。まあ、人間ということでお客様に警戒しますがね。客商売となると少し辛い面もあります」
「そ、そうなんですね」
おっとりとした口調でもテンションがグラと一緒だ。じりじりと寄ってくる魚の頭を手で制止を促しつつ、気になる言葉を聞き返した。
「あれ?海に面しているから魔素が耐えられるってどういうことですか?」
「さあ?それはあたしにも分かりません。あたしの家は船長の血筋なんですよ。とはいっても遠い親戚の子孫って入っているか危うい血ではありますが。それでも海神の名のつく船長の血を受け継いでいるので耐えられるとあたしは睨んでおります」
「じゃあその頭が特殊な術を刻んであるとか。魔素を耐えきれる素材とかじゃないんですね?」
ピタリと魚の頭は止まった。別のことに目を向けられて、彼は軽く魚の頭部を触る。
「まさか。これは少しばかり通気性があるものを使用していますが、あたしが作ったものですよ。ほらラグナログって人間をよく思わない者が多いじゃないですか。その街の住人たちを刺激しないようにと思ってね。そのかいあって彼らにも変わった人間がいるな、と認識されておりますので。--もしかして、お客様も興味がおありですか?」
「え?いえ、あの」
「これはシーサーの子供をモチーフにしておりまして。子供は親よりも目が小さいんですよ。ですが、パッと見て分かるような代物ではないのでそれはもう苦労に苦労を重ねて……あ、よければ他のも見ますか?どれもこれもあたしの自信作なんですよ!」
「いえ、大丈夫です……」
思わず口がひきつる。
まさか世界が変わっても、変わった趣味の人と巡り会うことになろうとは思わなかった。神様は同僚だけじゃなくて異世界にも変な縁を結んだのだろうと勝手に思っていると、スノウに少し離れた位置から呼び掛けられた。
「アヤナ!ちょっとこっちに来い!」
「なあに?……――わうっ」
ちょうどいいタイミングに感謝してスノウにてくてくと近づくと、突然くるりと視界が半回転した。
スノウが膝をついて私の肩を抱く。
「スノウ、どうしたの。ねぇ、スノウ」
何度も問うが、スノウは大丈夫だ、心配するなと告げるだけで理由を答えてくれない。
すると雑多な異形の群れのなかを抜け出し、小さな茶色い塊がこちらに走ってきていた。
周りの面々は珍しそうにそれを見ており、ぽっかりと空いた空間にぴょんとやって来た。ぴこんと耳が立ち、くりくりとした目は琥珀色に輝いている。色は違うが、さながら不思議の国のアリスに登場する時計うさぎのようだ。
「アヤナ」
スノウは優しげに笑み、小さな塊を示した。
「え、スノウ。どうしたの?」
「アヤナが会いたがってたからスノウは待ってたんだ」
「んん?どういうこと、レオ。待ってたって何が?」
レオが代わりに質問に答えてくれたけど、意味がわからず、スノウの顔を見上げる。けれど、その彼に頭を動かされ、小さな生き物に向けさせられた。
小さな塊がぴょんぴょんと四足を使って飛び走る。 もふりとした短い前足と後ろ足を動かして、人の間を縫い、木箱をジャンプして、とうとう私の前に躍り込んできた。
「――――っ」
反射的に背中を反ると、スノウが支えてくれて衝撃は少なくてすんだ。
目の前で小さな塊がまんまるとした目で私を仰いでいる。茶色く短い毛の生き物は、こちらを訴えかけるように宝石のような目で見つめてきた。
突然その子の前にぽんっと一本の花が現れて、そのまま地面に落ちる。青い花弁に金色のベールがかかっているように見えた。どうやら祈りの花とは違うようだ。
その小さな塊は私が花を受けとるのを見守るようにじっとこちらを見てくる。
花を拾い上げるとその子はまたぴょんぴょんと人混みに消えてしまった。
「今の子ってなんか、ミラに似てるね」
「何言ってるんだ。あれはアヤナの友達だろ?それにしてもカーバンクルが獣化するなんて珍しいな」
「え?うえ、えっ。ちょっとどういうこと!」
スノウの服を掴んで問いただすと、彼は首をかしげて当たり前のように言った。
「気づいてて言ったんじゃないのか?あの娘はカーバンクルだぞ」
「はい?」
「物珍しさから乱獲されてて、今はラグナログやイリアナにしかないからなあ。そりゃあアヤナも気づかないのは不思議じゃないか」
「えっとつまり?あの子がミラで普段は人間の姿で……うーん、まあ異世界だもんなあ--でもなんで直接会ってくれなかったんだろ……」
「多分恥ずかしかったんじゃないか?アヤナとあの娘に何があったか知らないが、顔を合わせても何を言ったらいいか分からなかったんだろう」
「そっか……でも私は会いに来てくれただけでも嬉しいよ!ミラのこと教えてくれてありがとう、スノウ!」
「アヤナが喜ぶ顔を見ただけで俺も嬉しいしな。ついでだからその花のことも教えてやろうか?」
「花?」
私はミラから受け取った花を見下ろした。手のひらで風にあおられたギザギザの葉っぱが揺れていた。
「そ。その花はベーゼって名前なんだが、意味は約束、途絶えぬ愛……あと一つあったと思うんだが、思い出せんな……んー、レオは分かるか」
「花言葉は分からない」
「まああれだ。そんな意味があるんだよ。----それにだ。これは祈りの花を受け取ったヤツがこの花は確かに受けとりました、って返事の変わりみたいに思ってくれたらいい」
「返事の代わり……」
じっとベーゼを見下ろすと、その花が愛しく見えて胸の中がほっこり暖かなる。
ミラと気まづいまま別れて悲しかったけど、今は弛んだ頬を戻すことができない。
そうしてふと冷静に考えてみるとずっとスノウが船に乗るのを待っていたのはこのためだと気づいた。
でも改めてお礼を言うのも恥ずかしくて、私は二人の手を引いた。
「スノウ、レオ、船に間に合わなくなるよ!」
「ああ分かってるって……そんなに忙しくてもいいだろ」
「待てアヤナ。あそこの菓子を買っていこう」
「おいレオ。別に船内でも食うんだから食べ過ぎんなよ」
「だが……」
「そうそうグラがデザートにお前の好物の木の実を入れたケーキを持ってきてくれるらしいが」
「船に行こう」
「あははっ」
何気ない会話が嬉しくて、握り返してくれる手が暖かくて、その幸せを噛み締めていた。
----それって本当の幸せなの?
「え?」
頭に声が流込んできた。女性の声が何度も同じことを繰り返す。私に現実を突きつけているようで苦しくて目が回りそうになる。
「アヤナ、どうした」
「アヤナ、どこか悪いところでもあるのか?」
「……ううん、少し考え事をしてただけ」
笑顔を作って二人に答えた。
さっきの声は誰か分からないけど、私は深く考えないようにした。逃避に近いかもしれないけど、 このままじゃ私自身が壊れるかもしれないと反射的に頭をシャットダウンした。
こうして私はラグナロクを離れた。目的地はアリシアの大国フィリオ。しばらくは船旅だけど、スノウとレオと一緒なら楽しいに決まってる。
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