連れ去られた先は
旧・目が覚めたら、イケメンが寝ていました。
平成31年3月10日(日) 改編完了。
平成31年3月14日(木) 読みやすいように多めに行間を開けました。
しばらく心地よい上下運動を堪能していたが、到着したことを知らされて反射的に目を見開く。どうやら眠ってしまったらしい。
そして相変わらず顔が地面に近い。この場所の木々は伐採されて芝生も綺麗に整っている。ホタルみたいに光る小さな虫が辺りを飛び交っている。
私は男性に担がれたまま石畳に移動し、2、3段の階段を登って玄関をあがる。床板で一続きになっている通路に進んだ。徐々に床が流動するような錯覚を覚えて酔いそうになる。
「はあっ?」
男性が何かに気づいたように足を止めた。こちらからは見えないが、さっき聞こえたのは私を担ぐ男性よりも幾分か声が高い。
「おい、これはどういうことだ、レオ」
「スノウ……」
もう一人の男性、スノウさんが傍に来ているのだろう。先ほどよりも声がはっきりと聞こえる。私はぶらぶらと足を揺らした。するとすぐに尖ったような叱責が飛んでくる。
「レオ、それをどうして連れてきた? それをアリシアに置いてこい。ここは俺達の居場所だ。決して穢れた人間が来るような場所じゃないんだぞ」
「安心しろ、スノウ。確かにこれは人間だが、ただの人間じゃない。”祈りの森”の魔素に耐えきれたんだ。それに俺はこの人間を手放したくない」
「はあ? 本当に何を言っているんだ。――いい、それを貸せ。俺が外に放り込んでくる」
私はぐいっと強い力で足を引っ張られて、そのまま床に顔面を叩きつけられそうになった。すぐ近くで息を呑むように声が漏れた。直後に私は柔らかな風に抱きかかえられて床に降り立った。
「あれ……?」
ほどよく冷えた床板に手をつき、呆然と辺りを見回すと、ぐるりと風が渦を巻いた。室内で吹くには不自然なその風が私を守ってくれたように感じて、思わず手を伸ばして触ろうとした。
「それに触るな」
私は力強い腕に抱かれて阻まれてしまう。また私を担いだ男性かと思って、顔を仰ぐと激しく燃えさかる炎と目が合う。想像していた月光と違っていて、私は惚けたままスノウさんを見上げた。首筋に流れるように黒髪が伸びて、その前髪の左側だけが赤く染まっている。髪の間から覗く形のいい両耳に黒いピアスを付けているようだ。つり上がった目は赤みを帯びたオレンジ色で、鼻はすっと伸びて唇に愛情を乗せている。体勢のせいで上の服しか見えないが、学ランに似た服装だと感じた。
ふいに強風が私の顔の横を通り抜けてスノウさんに向かっていった。
「スノウ」
「文句を言うなよな、レオ。俺も予想外だったんだ。それに守るのはいいが、一歩間違えると傷つけてしまうぞ」
男性がふんっと鼻を鳴らした。吹いていた風がいつの間にか収っている。
私は自らを抱き込むスノウさんに声をかけた。
「あの、スノウさん」
「ん? ――スノウって呼び捨てでいいぞ。愛称みたいなもんだしな。それにお嬢ちゃんにはそう呼んで欲しいし」
「は、はあ……」
最初に聞いたときの厳つい印象から変わり、その声に甘さとアニキさが孕んでいる。あまりの変わりように思わず彼から離れようとした。だけど強くも繊細なものを触るような手で肩を掴まれて、容易に抜け出せない。
「そろそろ離せ」
すると前から別の手が伸びて、私は男性のもとに移った。二人の子どもが取り合うおもちゃのような気分になりながら、大きく声を張り上げて主張した。
「お二人とも私の話を聞いてくれませんか!」
「おう、いいぜ」
「構わない」
あまりにも単調に会話する二人に拍子抜けしつつ、私たちは一室へと移動した。木目調の壁紙が貼られた部屋で、広々としているもののいささか家具が少ない印象を受ける。大きな窓は嵌め殺しのようで、外は木々が生い茂って、暗いなかでカラフルな鳥がこちらを覗きこんでいた。
きょろきょろと周りに夢中になっていると、スノウさんが盆にカップと小さな茶菓子を乗せてやって来た。彼は、でんと部屋の中心に設置された赤いソファに寄り、そこに座る男性に話しかけながら長机に盆を置くと、私にもこちらに来るよう促してくる。
それに従うと、スノウさんは何が面白かったのか小さく笑った。
「いいや、すまんな。こっちに来る様子が可愛らしくて笑ってしまったんだ。……おいおい、そんな頬を膨らませたら割れてしまうぞ」
「そんなことないです」
そう言いながら無意識の行動に驚いた。
もともと子どもっぽい性格と言われはしたけど、体にまで出るなんて子どもに戻った影響が出ているようだ。違和感がある。
私は男性に誘われて彼の隣に腰を下ろした。そのまま出されたカップに口をつけると、適温に暖められた紅茶にほっと息が漏れた。
「それで」向かいの席に座ったスノウさんが問いかけてきた。
「はい」
彼は鋭い眼差しをこちらに向けてきた。
それはそうだ。今は子どもの姿でも、人間に嫌悪感を抱いているらしい彼と向き合ってただで済むはずなかったのだ。
想像できる尋問の数々を頭に漂わせて、ぎゅっと拳を握りこんだ。
覚悟はできている。怖くて閉じそうな瞼を限界まで開けて彼を見つめると、思いのほか予想外の返答が返ってきた。
「取りあえず自己紹介からはじめるか」
「…………はい?」
「ん、どうしたんだ、お嬢ちゃん」
「いえ、その……尋問とか……ごう、もんとかするのかなあって……えっと」
「ははっ、お嬢ちゃんにそんなことしないって」
「そうですか……」
それって私じゃなかったら実行していたってことかな。子どもだから助かったのか。子どもでよかった。本当に縮んでよかった。
心のなかで歓喜の舞いを踊っていると、どうやらそれが不思議だったようで彼に聞かれた。
「どうした? そんなにやけた顔をして。変わったところはないはずなんだがなあ」
「いいえ、なんでもないです」
平静を装って話題を変えようと自ら名前を名乗った。
「間中。間中文那です」
「マナカね」
「マナカ。それが名前か」
突然横から降ってきた声に反射的に肩をすくめて、こちらをじっと見る男性に答えた。
「いえ、間中は姓です」
「それじゃあアヤナが名前か? ずいぶんと変わった響きだな。ま、不思議なもんだが、一応アリシアのほうにも似たようなものがあるし、アヤナはそこの出身だろうな」
「アヤナ……」
「うん? お嬢ちゃんのほうがよかったか」
「大丈夫です。それでスノウさんは」
「呼び捨てでいい。言っただろ、愛称だって」
「あの名前を教えてくれれば……」
「名前は今いいだろう。あとあとになって分かるだろうしな」
「はあ」
押し切られてスノウと呼ぶことになった。そして私は隣から来る期待の眼差しに応えるか否かで悩んでいた。
「あー、えっと。お名前はなんですか?」
「忘れた」
「はい?」
「俺はレオと呼ばれることが多い。本来の名前は忘れた。だからそのままレオと呼べ。呼び捨てでいい」
こっちもか!?
愕然として彼を凝視すると、首を傾げてじぃっと視線を返してくる。その無言の攻防に止めることができずにいると、スノウが割って入った。
助かったと思い、スノウを見つめるが、彼はレオさんを擁護する。期待しても意味なかった。結局私はレオも呼び捨てにすることになり、ようやく事情を説明した。
私の話を聞き終えた彼らは静かに息を吐いた。
「もともと変わった人間だったが、まさか神の愛し子とはなあ……」
「その神の愛し子っていうのは?」
「神の愛し子はこの世界とは違う、異なる世界から雪崩れ込んできたモノのことだ。何かの道具だったり、変な鉄の塊だったりと様々なモノがここにやって来る。人間の例は聞いたことないんだが、まあそういうこともあるんだろ」
「異なる世界? ここが……?」
信じられない用語に声が震えた。違う、予想はついていた。けど信じたくなかったんだ。世界を越えるなんてファンタジーみたいなことに自らが合っているという事実に背きたかった。
「流石に信じられないか。まあ世界が二つもあるなんてそうそう知る機会もないしな」
「二つもある世界……。あの、スノウはどうして知っているんですか」
私はドッドッと鼓膜にまで浸透しそうな心臓の音を抑えようと深呼吸する。
もしかしたら私は自分の世界に戻れるかもしれない。ほんのちょっと希望に縋るが、呆気なくそれも崩れ去った。
「俺らみたいな先祖からの直系ってのは産まれたときから記憶に刷り込まれているんだよ。俺やレオは俗に言う特別な血筋ってやつでな。――だからといって、異なる世界を行く方法は知らない」
こちらの心情を見透かすように期待するなよ、と鋭い視線を送ってくる。やはり縋りたい気持ちがまだ残っている。
「でも先祖が知っているならその可能性だって!」
「ないな。――言っただろう、特別な血筋だって。俺らみたいなヤツは世界との繋がりが強く、人間よりも多くの記憶や知識を世界から授かる。だから繋がりが絶たれた異世界への行きかたはほぼ存在しないんだ」
「そんなことない。だったらどうやって戻るの――」
私は横を向いてレオを見つめた。けど彼も同じように首を横に振るだけ。二人は私を心配そうにしながらも目は真っ直ぐこちらを向いていた。
彼らの気持ちは分かるから私もいたたまれなくなって二人の顔を見ないように大きな窓に目を移す。
足を太い枝に食い込ませたカラフルな鳥が大きく翼を広げた。光沢を帯びるさまは虹のようだ。その瞬間、記憶が逆再生された。ワンボックスカーに追突された。それが私の呆気ない死亡理由だ。
最初にここに来たときの混乱はもうない。むしろ清々しい気持ちで受け入れられた。
「ああそうか。私はいなくなっちゃったのか。もう戻れないんだ……うん、だったら子どもでいいや。ねえスノウ、レオ。私はアヤナ。人間で、子どもで、住むところも働くところもないけど、この世界で生きていくための知識と方法をください」
彼らは呆気にとられた様子だったが、ついにはスノウが吹き出して緊張感も吹っ飛んだ。
「ははっ、んだよそれ。……そうだな。俺はスノウ。愛称だが、こっちが馴染み深いんでな。それで呼んでくれ。種族はフェニックス。成人して間もないが、そこの長をしている。――おら、レオの番だぞ」
「俺はレオ。唯一無二のフェンリルだ。魔族と魔物の大陸・シオルツェリで魔王に就いている。特技は木の実探しだ」
「木の実って……それを言う必要あったのか? あ、魔王ってのは代々フェンリルがやっていてな。ネームバリューが強いし、フェンリル自体が、先代が亡くなると新たな世代がその屍のそばで産まれるから、血筋を作らなくて済むし楽なんだよ」
レオの説明にスノウが捕捉する。つまりは大奥みたいに女の戦いや、権力争いをしなくて済むと。よく分かったよ。
私は気になっていたことを質問した。
「ねえシオルツェリって言うのが、土地の名前なの? ずいぶんと変わってるね」
「神々から名を戴いているからな」
「どういうことなの」
私がレオに聞こうとしたら、スノウが大きく手を叩いて話を中断した。批難するようにそちらを見ると、スノウは私たちに机上を指し示した。そこにはすっかり冷めてしまったお茶と茶菓子が物悲しげに置かれていた。