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『あ ほの荘』  作者: 白桔梗
第一章  あけぼの荘の人々
1/9

第一話  

 数多くの作品からお目をとめて頂きありがとうございます。

 4月18日、改稿作業終了しました。結果――大して変わりませんでした。スミマセン。


 

これは今から十年ほど前のお話。


 築三十年はゆうに越えた黒ずんだバニラ色の壁、モルタル作りで横長な二階建てアパート。

 窓は二重で透明ガラスの内側にあちこち破れた障子窓。

 日暮れるとポツポツと灯りが点り、数少ない住人が存在を主張する。

 壁に黒地で書かれた『あけぼの荘』という表記。

 長年の風雨に晒され、『け』の字と『ぼ』の濁点がなくなって『あ ほの荘』になっていた。



「ちょいとそこの、お若い兄さん」


 正信がアパートの外階段二段目に右足をかけた時、皺枯れた声がした。思わず後ろを振り返り、周囲を見回して……空耳か? と、頭を振り振り、正信は左足を三段目へかけた。そこに再び皺枯れ声が。


「お待ちって! 無視するんじゃないよ。こっちへおいでよ」


 皺枯れ声は階段裏から響いてきた。


「だれ?っていうか、なに?」


 誰? と聞いた二瞬後に声の主に当たりがつき、聞くんじゃなかった……と思いつつ律儀にも聞いていた。


「頼みは一つに決まってるじゃないか」

「や、今、両手塞がってっから、ちょっと無理」


 現在、正信は右肩にギターケースを背負い、左手は大判の布袋を抱えている。


「全く今時の若いもんは労わりって言葉も知らないのかい?」


 労わりっていうのは、自発的に生じるねぎらい、思いやりなど、こちらの誠意が前提で――されて当然と相手から求められる労働力提供は、無理強いっていうんじゃなかったか? と正信は思う。 

 だが、それを口に出せば一に対して十の言葉が返ってくることも知っている正信だった。


「……ああ、んじゃ、ちょっと待ってろ。荷物置いて来るよ」


 ボンベは二つの小さな車輪付きの台車に乗っていた。全体の大きさは三輪車の半分くらい。

 老婆は取っ手を持ち自分で押して歩くことは出来、午後に仕事を終え帰るヘルパーと一緒に外に出る。

 台車を持ち上げながら階段を昇るのは辛く、アパートの住人が通るのを待ち伏せ呼び止める。

 そして、その相手が正信になるのは五回に三~四回という高確率だった。


 正信は片手で手すりを探りながら、一足一足階段を上がる老婆の後をついていく。

 携帯酸素ボンベの入った台車を持ち、老婆の顔から伸びる(カニューレ)が張りすぎないよう気を使い……黙って歩を進めるも、それはそれで癪に障る正信。


「なんで二階なんだよ。下にも空き部屋があるだろう?!」

「ふん、一階は湿気が溜まるんだよ! あたしゃかび臭い部屋で暮らしたくないんだよ」


 老婆は常に酸素を手放せない。部屋で酸素を使用するには加湿器が必須だった。

だが、あいにく正信は、そういった知識を持っていない。老婆の言い分は単なるご託にしか聞こえない。


「たく、それで毎日他人様の手を煩わせてりゃ、世話ねえ~ぞ」


 正信の襲撃はあっさりとかわされた。


「夜中までジャガジャガ騒音立ててる兄さんに、言われたくはないってもんさ」

「なっ、七時が夜中かよ。年寄りの早寝にも早すぎだろう?!」


 習い始めて日の浅いギター練習を騒音と言われ、正信は苦虫を噛んだような顔で老婆を見る。

 ここは防音効果ゼロの安新付なボロアパート。

 一階には小学生と母親二人で住む部屋もある。ギャーギャーいうわめき声と、叱りつける母親との応酬は一語残らず筒抜けだ。


 ――あの小学生(ガキ)が撒き散らす騒音に比べれば早仕舞いだろうが! 

 そう考える正信の表情筋が強張っていく。


 老婆の部屋は正信が住む部屋の隣だ。

 鍵の掛かっていないドアノブを引き、老婆はサンダルを脱いで壁伝いに進んでいく。

正信も廊下に台車を置いて、踵を潰し履いていたスニーカーを脱ぎ中に入る。

やがて部屋の窓際に置かれた足つき安楽椅子に、老婆は深く腰を下ろし、肩を大きく動かし息を吐いた。


「ねえ、兄さん、あたしゃね……」

「俺はまさのぶだってば。いいかげんやめてくんね? その呼び方」


 ――全くどういうつもりだよ? いっつもいっつも『兄さん』呼ばわりって……とっくに墓に入った俺のばあちゃんだって、俺の友だちは名前呼びしていたぞ! 

 正信は部屋にある四角い機械についた管を、老婆へと差し伸べる。当然と受け取った老婆は、徐に自分で管を交換し、フッと目を細めながら正信を見た。


「あたしだって兄さんのばあちゃんじゃないけどねぇ。これでも節子っていう名前があるんだよ? 」


 正信の心の声は口に出ていたらしい。


 ――ほんとに口の減らねえ酸素ばあさんめ!

 正信が老婆の発っした、飄々とした言葉に呆れかえった時、突然一階から聞きなれた小学生の叫び声が聞こえてきた。


「 だあ―! だいか来てえ――! かあーちゃんがあ――!!」


 正信と老婆は表情を硬くし目を合わせる。

老婆が顎をしゃくって行けっ、と合図するより早く、正信はスワッとスニーカーを突っかけ階段を駆け下りていた。

 向かうは一階二号室、七歳のマリノとその母親佐波の部屋。

 ドアは開いたままで、マリノの野獣じみたわめき声は続いている。躊躇うことなく玄関の中へ突き進む正信。片方ひっくり返った、脱ぎっ放しの小さなサンダルが目に入った。


「マリノ! どした!」


 正信がスニーカーを放り脱ぎ、狭い廊下をずんずんと進みながら叫ぶ。開け放たれたガラス戸の先に、うつ伏せた佐波の背中を、縋るように揺するマリノがいた。


「まさのぶ、かあちゃんが――! かあちゃ―ん!」


 佐波は厚く重ねて広げられた新聞紙の上に、突っ伏していた。

 指先に触れる物体を新聞の束で覆い、指先にあたるだろう感触を避け、上半身で押さえつけ……佐波にとっては、とてつもない勇気を要する捕り物だったのだろう。そのまま気を失うくらいには。

 正信はその有様を見て一気に脱力したようだ。

 そして、佐波を静かに仰向かせ、慎重に新聞紙で下にある物体を覆い、ガジャ、ジャワっと丸めて外の青いポリバケツへと放り込む。

 再びマリノの部屋へ戻りようやく上半身を起こした佐波を、安心させるかのようにニカッと白い歯を見せた。


 真っ青だった顔に赤が戻った佐波が、ふつりふつりと礼の言葉を正信に向かって並べだす。


「や、別にこれぐらい……」

「まさのぶ~、帰ってて良かったあー!」


 涙と鼻水で濡れた顔を土で汚れた手のひらでゴシゴシこすり、正信を見上げるマリノ。数匹のミミズを捕まえて床の上で遊ばせ、佐波を卒倒させた張本人だ。


「おっま……手と顔洗え……」


 こうして今日もあけぼの荘は、初秋のみかん色に焼けた空の下、間もなく夜を迎えるのであった。


 

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