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第59話 天和は天然腹黒?

帰り道でも、一緒についてきたがった人々を吸収しながら一路、下邳を目指した。襲われる危険性は格段に減ったが、ゼロではない。気が抜けるものではなかった。救いは、桃香たちもうまくやっている、という確信だけだ。


ついに、出陣のときに通過した関所までたどり着いた。


「ここまで来ると安心しますね……。」


「ああ。領土に入ってしまえば心配は殆どない。」


「すごい……。」


「驚いた?」


「はい……。民衆が皆、こんなに熱烈な歓迎をするなんて……。心から嬉しそうです。」


確かにそれはそうかもしれない。俺たちに声援を送り、頭を下げる民衆からわかるのは、喜びや感謝といった感情だ。おそらく、黄巾賊のときにあったのは、狂信、あるいは盲信といった“煽動された”感情であり、素直なものではなかったのだろう。


「おかえりなさい。ひとまず安心しました。」


「鴻鵠! わざわざありがとう。ということは桃香たちのほうにも?」


「はい。風さんが迎えに行っています。日数計算も風さんですが、こちらも完璧です。下邳城到着は桃香様たちのほうが少し早いか同じくらいだと思います。」


「俺たちのほうはこれ以上望めないくらいの出来だった。向こうも上手くやっているだろうから、報告を聞くのが楽しみだよ。勿論、下邳に帰るまでが遠征だからまだ気を抜くつもりはない。」


それでも、戦争である以上戦死者は出る。0にはできない。“全員無事に”そう言えないことにやはり悔しさはある。全員救うことなどできないと最初からわかっているけれど、それでも。


「何よりですね。これまで治安の悪化はありません。私の報告を聞くよりも民衆の声でわかるとは思いますが、領内はとても安定しています。」


「形式的なものと言ってしまえばそれで終わりではあるけど、報告は聞いておかないとね。助かる。」


「いえ……。帰りましょう。」


帰路はずっと同じ調子の歓迎を受けながら無事、下邳へ戻った。改めて賊だった者と民衆を分け、俺たち首脳は居城へ向かった。


「一刀!」


「桃香、ただいま。」


久しぶりとはいえいきなり抱きついてくるとは……。周りの視線が痛い。


「おかえりなさい! こっちは完璧だったよ! 玉鬘ちゃんが朱儁の相手をするのに少し苦労したけど、それだけ。ね、地和ちゃん。大丈夫だって言ったでしょ?」


「お姉ちゃん……!」


それ以上は言葉にならないのか、三人はただひたすら泣いていた。平穏な地で3人また再会できるとは思っていなかったのだろう。少なくとも天和と人和に関しては犯されかけていた節もあるわけだし、当然なのかもしれない。あの場のやりとりを道中で聞くのはさすがに無理だと思ったからしていない。


「やりきれないところはありますが、助けた甲斐はある、と言えるかもしれませんね……。」


ため息交じりに呟いたのは水晶だった。“カラクリ”の大半を理解していれば確かにそういう言葉が出てくる。


「こういう人をなくすこと、それが最終目的と言っても間違いではないからね。ここまでは珍しいにしても、住む場所を追われた人なんて数え切れないほどいる。こういうのを見ていると、本当に“普通”の尊さを感じる。


基本的には同じ土地で一生を暮らし、家があって食糧があって、働き口があって、生活に困らないだけのお金がもらえる。もちろん戦争はない。それが“普通”の暮らし。」


「そこまで実現するのはとても大変です。我々でさえ、まだ戦争まではなくせません。」


「それでも、最終目標としてはそれを掲げるべきでしょう。そうすれば、皆が安心して暮らせます。それに、いつ戦が始まるかわからない状況、あるいは戦の真っ最中という状況が続けば、“ゆとり”がなくなります。常にそういう“ゆとり”あるいは“余裕”は持っておきたいものですから。」



俺の言葉に応じたのは福莱と藍里。戦乱渦巻く世で唱えることとしては無茶苦茶だけれど、ここにいる者のことを考えると決して不可能とは思えないから不思議だ。


「ええ。先にお互いの経過をまとめましょうか。こちらは私から。」


そう言って椿が概要を話し、次は朱里。こちらと殆ど同じだった。朱儁に関してだけ玉鬘から補足があるという。


「少々面倒ではありましたが、ここにいる者と比べれば赤子でしたから問題はありませんでした。あれでも朝廷では有力者なのですからその程度が知れます。100人いて愛紗さんの足下にも及ばないでしょう。及ぶものがたくさんいる状況がありがたいのかありがたくないのかはわかりませんが。」


「確かに愛紗並みの武人がたくさんいたら大変ではあるよね。引き抜けるとは限らないし。ちなみにそういう人物の報告って上がってきてたりする?」


「曹操陣営、孫堅陣営のごく一部を除けば、3人でしょう。西涼の馬超。無敵の騎馬兵を率いる飛将軍“人中の呂布 馬中の赤兎”呂布。そして呂布と同格の武人とも言われる張遼。呂布と張遼は存在と噂以外謎に包まれているので目下調査中です。」


まあそうなるよなあ……。武には武でしか対抗のしようがない。仮にこの3人がまとめて突っ込んできたとすれば俺たちでも甚大な被害を被りかねない猛将だ。油断せずとも愛紗、星、悠煌でさえ危ない。むしろ動物的勘で戦う鈴々や焔耶のほうが良いのか。いずれにせよこのレベルの将だと“戦術”をその“力”で吹き飛ばしてしまうために策があまり通じない。とにかく将を止めるしかないのだ。味方としてずっと戦っているからよくわかる。理不尽な、暴力的とさえ言えるその“力”を止めることなど“力”にしかできない。


これまで俺たちがそのレベルとまともにぶつかったことは、ない。強いて上げれば鄴での悠煌だが、あのときは向こうに将が悠煌一人で無能な主を守りながら、だったから対処できたのだ。もし、主も兵も同格で、軍師がまともな戦術を編み出していたらどうだったのか。


それからの戦いは全て、格下の相手と言っていい。兵の数と質に差があるか、あるいは率いる将に差があるか、もしくは両方かだった。


ましてやあのとき、トドメを刺したのは女媧だけれど、その前に官軍以上の連携をした2000の兵を愛紗は季衣と2人だけで4割前後殺している。同格の将が居なければ止めることなど到底不可能なのだ。


「油断も慢心もせず、冷静に勝つ方策を探る、それだけですよ。これまでと何一つ変わることはありません。」


「水晶、その通りだね。さて、ようやく泣き止んでくれたし、本題にいこうか。」


「本題……?」


「ああ。君たち3人から黄巾賊の実態を聞き、処遇を決めなければいけない。もちろん想像がついている者もいるだろうけど、当事者から聞くことでより正確な実態を知ることができる。」


「処遇、ですか……?」


「殺すつもりは今のところありませんからそれほど心配しなくても大丈夫です。ただ、おそらく“危機管理”能力が欠如していますし、四六時中監視をつけるか外出時はここの中の誰かと一緒、といった制約は必要だろうと思います。ともかく正直に話してください。そこからです。」


福莱は言葉の選択が本当に上手い。完全に否定してしまえばそれは悪い意味での緩みに繋がるし良いことではない。しかし肯定してしまえば安息の地はなくなってしまう。その中間に落とすのは簡単なようで難しい。


「はい。まず何から話せば良いですか?」


「どのようにして医療技術を身につけたのか、まずはそこからですね。先天的に医療技術を習得している人はいませんから、何らかの過程があるはずです。」


「始まりは両親を病気で失ったことです。それに対して何もできず、衰弱していく様を見ているだけの無力な自分が本当に嫌でした。2人がまだ小さかったので生きていく手段に乏しかったこともあると思います。それに、その頃は両親だけでなく住んでいた村も、周囲の村も、とにかく病気が流行っていました。肉親を失って一人で生きていくことになった人はたくさんいたんです。そんなとき、ある“お告げ”を聞きました。


不世出の達人が残した医学の書が眠る場所に関するものです。


2人は反対しましたけど、私は何が何でもその力が欲しかった。だからそこへ行きました。嵩山すうざんの頂上です。」


「嵩山ですか。なるほど……。」


「いつものこととはいえ、朱里たちだけわかられては困るので説明してもらえますかな?」


「すみません。“五岳”という聖なる山が5つあることは皆さんご存じですよね。その中では東に位置する泰山が最も尊いとされています。しかしこれは一刀さんの言葉を借りれば“政権の正統性”を担保するための儀式の山として重要だったからです。それが封禅ほうぜんという儀式です。


一方の嵩山は中央にある山です。つまり“この世の中心にある山”でした。嵩山は神々と交信する場だったのです。そこには限りない“不老不死伝説”もありますし、なるほどなあ、と。」


悠煌が皆を代表して朱里にそう言ったので説明をしてくれた。毎度毎度文官と武官で分かれるのはいいことなのか悪いことなのか……。


俺もこっちに来てから地図の上で覚えた程度だからなあ……。詳しい人に説明してもらえるのは本当にありがたい。嵩山が後の北魏の時代にあの有名な“嵩山少林寺”ができた場所で、その聖地だということ程度しかわからない。


「続けますね。そこには“青嚢書せいのうしょ”と書かれた一冊の本がありました。その本には医療技術の全て、鍼灸から手術、薬の調合にいたるまで全てが書かれていました。私はとにかくそれを全て覚えることにしました。この本が正しいのか、間違っているのか、それすらわかりませんでしたが、とにかく全てを。


全て覚えた、そう思ったある日、書は突然燃えてなくなってしまいましたが、本に書かれていたことは全て私の中にありました。


まずは村の孤児という、最も劣悪な環境で生きる子たちの治療にかかりました。全て、上手くいきました。当時は薬を買うお金などなく、環境が良いとは言えませんでしたが、それでも充分に治すことができました。まずはここまでです。」


なるほど……。青嚢書。言わずと知れた医学者、華佗が書き記した医学書だ。いずれにせよ燃えて残っていないのだけれど、演義では上手な脚色がされていて上手いと思った話だった。


曰く、華佗の牢番だった男が本を手に入れて明日から医者になれると小躍りしていたら妻によって本が燃やされるという話で「いくら素晴らしい本でも、それを使えばあなたも投獄されるのでしょう? それではいけません。だから燃やしました。」という、俺からは良妻なのか愚妻なのかイマイチ判断のつかない話をねじ込んでいた。


もう大元が残っていないとはいえ、華佗の医学書を手に入れたのなら確かに医学そのものの知識は別次元になれるのかもしれない。


しかしこのやり方。天和は天然腹黒なのだろうか……?


「燃えた、というのが気になりますね。普通の本は突然燃えることなどあり得ません。甄姫様、そのような仙術は存在するのですか?」


「中身を全て覚えたと判断されたときに自ら燃える本は確かに存在する。あるいはそういう働きをする術をかけることはできる。ただ、本を書いた者がやったのか、それとも別の者がやったのか、それは私にはわからない。ただ、天和、あるいはこの3人が操られているということは私の見る限りない。私が見て分からないのならばわかる奴もそのような術をかける奴もいないことは明らかだ。その点は心配しなくていい。」


藍里の問いには女媧が答えた。問題は、書いた華佗がやったのか、それとも于吉らがあやったのか、だ。夢に出てきたことから考えても、于吉らがやった可能性は高いけれど、そうすると華佗はどこへ行ったのだろうか。


「それは安心しました。しかし巧妙ですね……。本人は気づいていないのでしょうが、最適解を選んでいる。」


「ええ。天和はなかなか恐ろしい人物なのかもしれません。」


「福莱、水晶。それはどういうことだ?」


「失敗してもさほど問題がないということですよ。」


星の問いに答えたのは椿だった。


「え?」


「失敗して死んでも、孤児なら誰も文句言わないからね。最初にやることなんて、言い方を変えれば“実験”だ。それに“孤児”は最適な人選だった、ということだよ。」


「一刀さん、その言い方はいくらなんでも天和たちのことを何も考えていない発言ではありませんか?」


その本が正しい医療の術を書いているかすらわからないのだから、と俺が補足したら、鴻鵠からそう言われてしまった。なんと説明したらいいものか。


「鴻鵠。一刀さんは何も間違っていませんよ。ただ、第三者の視点から冷静に見ればそうなるというだけです。そして、そういう見方ができなければ“支配者”にはなれません。“被支配者”で終わります。


一方で、天和さんが死を待つだけの孤児を救おうとしたその思いは素晴らしいと思います。」

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