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数千文字の物語

ゆうれい少女と夜の旅

 今日は暑かったから、夜までベランダの窓を開けていた。

 ……んーいや、今日だけじゃなくてもう最近ずっと暑い。夏だから当たり前と言えば当たり前なんだけど、もう少し気温が下がってくれればいいのにと毎日思っている。絶対昔はこんなに暑くなかった。

 なんて、缶ビール片手にそろそろ窓を閉めようかと見にいった。もう二時を過ぎている。


 白いレースのカーテンが風になびいた。吹き込む夜の風が涼しい。

 そのまま窓に手を掛けたら……


「あれ……?」


 窓の(さん)のところに誰かが座っていた。

 くるりとこっちを振り返ったのは白いワンピースをゆらめかせる、真っ白な柔らかい髪をした少女のゆうれい。


「わたしもう寝るのよ、そこをどいて」


 少女は、じっとわたしを見る。


「海に溶けに行こう」


 掴まれた手首がひんやりと冷たくなった。


「海ってどこよ?」

「夜の海。大きなくじらさんが泳いでくるの。それに乗って旅に出よう」


 ぐいと引っ張られベランダに出たわたしの耳に、汽笛のようなくじらの鳴き声が響いた。

 街は青く、深海に見える。

 いつの間にか、わたしのパジャマが波の中のようにゆらめいている。

 彼女の髪も同じようにゆらいだ。


「朝までには帰してよ」

「うん。今夜だけ」


 少女に連れられて、わたしの体が浮き上がった。

 待っていたかのように、やってきたくじらがわたし達を夜にさらう。


「本当に海の中みたいだわ」

「そうでしょ? あたしこれ好きなの」


 少女は言う。

 街はとっぷりと海に浸かり、いつもよりずっと暗くて静かだ。

 どこか一枚分何かを隔てたような、とろとろした空気の中くじらは進む。時々、半透明の魚の群れが横を通り過ぎた。ふと上を見ると、黄色い月が水面の先にあるかのようにぼやけている。


「どこへ向かってるの?」

「くじらさんの気まぐれ。でも、お姉さんはちゃんと言ったから朝には帰してくれるよ」

「……もし『朝までには』って言ってなかったら、どうなってたの?」

「わかんない。くじらさんの気まぐれ。お姉さんも、ゆうれいになってたかもしれないね」

「それはごめんだわ……」


 少しだけ冷たくなった気がして、わたしは腕をさすった。

 柔らかい表情で波の感触を味わっている少女に、過去のことを聞こうとは思えない。

 わたしも倣って、目を閉じて優しさを感じてみた。

 なんだか、ゆっくり眠れそうな……。


「――お姉さん、朝だよ」

「……んん?」


 気が付くと、マンションのベランダにわたしは寝ていた。

 起き上がると、朝日が昇ってきて思わず目を細める。


「きのう、いっしょにいてくれてありがとう」


 少女の声に、わたしは眩しいながらも目を開けてそっちを見る。

 柵の上に座った真っ白な少女は、朝日の中に溶けそうだ。


「いいのよ。それで、あなたはどこへ行くの?」

「わかんない。気まぐれに」

「そう。気を付けて」

「お姉さんも。知らない人の言うこと聞いたり付いていったりしちゃ、だめだからね」

「分かってるわよ」


 笑って返す。


「じゃあね」

「うん。ばいばいお姉さん」


 そう言った少女に手を振ると、彼女はパッとそこから飛び降りてしまい、後はもうどこに行ったか分からなかった。


 あれから少女は来ていない。ただ時々、二時過ぎまで起きていると鯨の鳴き声が聞こえる。

 そういう時は、また少女と小さな旅に出られないかと思ってみるけど、あの子は多分もう来ないんだろう。そういえば「今夜だけ」なんてあの日言ってたな。

 あの子も……わたしが断ってなかったらずっとあの世界に置いておくつもりだったんだろうか。……分からない。


 変なものが入ってきても困るから窓は閉めておくけれど、あの日はどんな夢よりも幻想的な夜だった。

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