第26話「義務の孤独」
第26話「義務の孤独」
■蒼木 蒼 視点
午前3時。
動画の最終エンコードが終わるのを待ちながら、私は手帳に一言書いた。
《義務は、孤独を食べる》
カチ、とエンコード完了の音が鳴る。画面には「#報道責任と再発防止:事例67」の文字。
今回のターゲットは、地元紙のコラムニスト。小学生のいじめ自殺に関するセンセーショナルな記事を書き、保護者たちを吊るし上げた。
その裏付けのない報道で、担任教師が心中未遂を起こした。
「でも、この記者は“社会の空気を読んだだけ”で、今も賞をもらってる」
報道の“空気”で人が死ぬのに、記者は空気の中で呼吸し続けている。
「それが、“仕事”なら、私も“義務”としてやる」
■報道被害者の会・定例会 (数日後)
■橘 美咲 視点
「私は、蒼木蒼さんと完全に距離を置くことを、ここで正式に宣言します」
会の中心に立ち、私は言い切った。
ざわめきが広がる。
かつて蒼を「顔」として持ち上げたこの会で、私の発言は明確な分断を生んだ。
「彼女が最初にしたことは、勇気でした。でも、今は違う。
死者を“商材”に変え、罪人を“素材”に変えるだけの冷徹な処理です」
後方に座っていた男性が手を挙げた。
「でも橘さん、彼女がいたから世間がようやく目を向けたんです。
あなたまで手を引いたら──」
「その視線の先が、“また一人を殺すこと”なら、私はその注目など要りません!」
言い終えると、私は席に戻り、机に拳を置いた。
その震えが止まらなかったのは、自分が裏切ったという罪悪感ではない。
彼女をここまでにしてしまった自分自身への怒りだった。
■井上 美和 視点
「よし、反応は上々」
美和は一人、マンションの室内で複数のSNSアカウントを操っていた。
橘美咲の声明動画が投稿されてから、意図的な“切り抜き”が拡散され、コメント欄は蒼への非難一色に染まっていた。
「“元味方が裏切った”って見えれば、あの女の支持者も混乱する」
自ら手を下さなくても、群衆の怒りを誘導することはできる。
「義務? 冷徹? それが武器になるなら、“感情”は刃になる」
彼女はそう呟きながら、次なるターゲット──蒼木蒼の支援団体の情報へと手を伸ばす。
「どうせ孤立していくなら、せめて道を崩してやる」
■蒼木 蒼 視点
「再襲撃事件、発生」
ニュース速報の見出しを見た瞬間、私はディスプレイを閉じた。
記者の家への放火。犯人は蒼の支持者を名乗っていた。
報道被害者を支援してきた一人として、私のSNSアカウントにも大量の非難が押し寄せてきた。
《お前が殺させた》《責任取れ》《これでも“義務”か?》
私は深呼吸を一度だけしてから、返信動画を回した。
「私は命令していません。
でも、“影響した”と言われるなら、それを否定するつもりはありません」
「社会が“個人の義務”を見捨てた結果、私は行動しているだけです」
「正義じゃない。“裁き”でもない。これは記録と収支、因果の再計算です」
投稿後、視聴数は爆発的に伸びたが、それ以上に通報数が増え、コメント欄は封鎖された。
■山本 佳奈 視点
「再襲撃。死人が出た……」
自宅のテレビを見ながら、私は無言で蒼の動画を再生していた。
「あなたが直接やってなくても、あなたが原因なのよ」
私は静かに刃物を取り出した。何度も使うべきか躊躇いながら、それでも手放すことができなかった。
「止めるって、こういうことじゃなかった。
でももう、誰も止めない。止められない。
なら……私がやるしかない」
■蒼木 蒼 視点(終盤)
静寂な部屋に、一通のメッセージが届いた。
《報道被害者の会より:名簿から正式に除名されました》
私はその通知を見つめるだけだった。
「孤独は問題じゃない。“目的”が残っているなら、私は動き続ける」
机に置かれた家族の写真──母の遺影、父の若い頃の写真。
「あなたたちは“声”を失った。
だから、私が“代わりに吠える”。それが“義務”なら、私は最後まで吠え続ける」
その声に、感情はなかった。
ただ、焼け焦げた夜の風の中で、画面だけが淡く光っていた。
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