第1話「母は金で殺された」
第1話「母は金で殺された」
■蒼木 蒼 視点
母が亡くなった朝、私は名も知らぬ花が咲く墓前に座っていた。
けれど、涙は出なかった。焼き切れた感情の代わりに、心の中で何度も繰り返していた言葉がある。
「母は金で殺された」
言葉の意味を理解できる人間がどれだけいるだろう。いや、そんなことはどうでもいい。理解される必要など、最初からなかった。
母は、蒼木玲子。中小企業「アオキ・インダストリーズ」の社長だった。
年商十億円。社員は五十名。社員食堂にはいつも湯気が立ち、誰もが「社長、また新しいプロジェクト考えたんですか?」と笑っていた。
その日常は、一本の記事で終わった。
『女性経営者、補助金詐欺か?』
週刊誌「週刊新報」に掲載された、たった三千字の誤報。
匿名の“関係者”からの証言、加工された会計データ、恣意的に切り取られた母のインタビュー。
社会は疑いを確信に変えた。
金融機関は融資を引き上げ、取引先は契約を解除し、社員は次々と離職した。
それでも母は最後まで、「裁判で事実は明らかになる」と言い続けた。
だが、倒産は防げなかった。判決が出たとき、母はすでに、この世にいなかった。
そして──慰謝料、たったの百万円。
「命の値段、安すぎないか?」
私はSNSで初めてそう呟いた。
それが、すべての始まりだった。
あの日、私は記者会見の映像を繰り返し見た。
冤罪報道が拡散されていた頃の「週刊新報」の編集部は、勝ち誇ったような空気に包まれていた。
「いやあ、PVすごいですね」「こりゃ来月のボーナス期待できるな」
会見後の記者たちが、都内の高級レストランで寿司をつまみ、笑いながらワインを飲んでいる映像を、私は偶然ネットで見つけた。
それを編集し、SNSにアップロードした。
タイトルはこうだ。
《母を殺した報道記者たちの“勝利の食事会”》
サムネイルには、満面の笑みでグラスを掲げる中年男性の姿。
字幕で私はこう書いた。
「人の命で得た金で食べる寿司は、さぞかし美味しいのでしょうね?」
動画は、数時間で拡散された。
ハッシュタグ「#報道加害」「#メディアリンチ」がトレンドに上がり、コメント欄には怒号と罵倒、涙と怒りが混在した。
「これが正義なのか?」
「人を殺して金を稼ぐ時代なのか?」
動画の再生数は一日で300万を超え、広告収入は200万円を突破した。
──その瞬間、私は確信した。
この国では、怒りすら通貨になる──私はその市場で、母の死を“投資”する。
母の部屋にあったスケジュール帳を開いた。そこにはびっしりと会議の予定、資金繰りのメモ、社員へのメッセージが記されていた。
最終ページには、震える字でこう書かれていた。
「蒼には、正しい未来を」
笑わせるな。
正しい未来なんて、誰が保証してくれる?
私がこの社会で得たものは、冤罪、倒産、自殺、百万円、そして記者たちの乾杯。
私は、母の死を消費した者たちに問いかけることにした。
「母は金で殺された」──それが、あなたたちが“報道”と呼ぶものの、成果ですか?
■佐藤 俊 視点(ユーチューバーB)
「……これ、やばくないですか?」
蒼さんから送られてきた動画の生素材を見た瞬間、俺の脳裏に浮かんだのはその言葉だった。
記者たちが食事を楽しむ姿、乾杯、笑い声。画面の端にぼやけて映る“週刊新報”の社章。
これは……これは、炎上する。
いや、もっと正確に言えば「燃やせる」。
蒼さんは俺に言った。
「あなたがやってることと、私がやることに差はない。ただ、私は“怒り”という資本を正しく運用してるだけ」
確かにそうだ。俺も、これまで“炎上系”で登録者を稼いできた。
過激な発言、芸能人のゴシップ、時事ネタの煽り──やってきた。
けど、蒼さんは一味違う。
彼女は本当に「怒ってる」。ただのネタじゃない。本気で社会を敵視してる。冷静に、そして狂気のように。
編集を終えて動画をアップした後、再生数は瞬く間に100万を超えた。
コメント欄には、「これが本物の告発だ」「蒼さんを応援する」といった声が並ぶ。
俺は、蒼さんの目を思い出す。
あの、光のない黒い瞳。
「母は金で殺された」
その言葉が、動画の冒頭で流れるたびに、背筋が凍る。
でも──金になる。とんでもなく。
■蒼木 蒼 視点
SNSの通知が止まらない。
「共感します」「メディアを潰してください」「もっとやれ」
私はスマホを机に置き、PCを開く。
動画広告の収益、関連投稿のインプレッション、拡散マップ。数字は、怒りの証明だ。
再生数:340万
広告収入:320万円
フォロワー数:+12万人
思わず口元がゆるむ。
金になる怒りは正義だ。
社会がこの論理で回っているなら、私もそのルールで戦う。
誰も私を止められない。なぜなら、私の正義には“市場”がある。
それが、メディアが作り上げた社会の答えなのだから。
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