第一話 赤毛の傭兵と魔剣(前編)
――王宮から魔技師が追放されて10年後。
「──へぇ、そんなことがあったのか」
赤毛の傭兵がデッキチェアを揺らしながらつぶやいたのは、そんな簡単な感想だった。
「そう。それ以来、魔技師は王宮に入る資格を失って、国の一番外側の下町で生活しなくちゃいけなくなった。今でも当時のことを恨みがましく言ってくる人もいるわ。魔技師が惨めな生活を送らなくちゃいけなくなったのは、全部お前の親父のせいだってね。私はそうは思わないけど。あの失敗は誰かがオルゴールに変なしかけをして……」
続きを話そうとしたところで、チラリと振り返ってみると、彼は椅子を揺らしながら口元を抑えていた。多分、欠伸を堪えているのだ。
「ねぇ。ひょっとして、『つまんねー話だなぁ』とか思ってる? キミがどうしても聞きたいって言うから話したのに」
私の不満を代弁するかのように、真鍮の部品がたくさんついたビーカーが、プシューと蒸気を吐き出した。工具だらけの狭い部屋が、白いもやに包まれる。
「悪い悪い。興味があったのは本当なんだが、この国の事情を知らないせいか、肝心なところがピンとこなくてさ。気づいたらウトウト……なーんて、ワッハッハ!」
豪快な笑いがもやを吹き飛ばす。悪びれる気配など微塵もなく、逆に清々しいほどだった。
雑に切られた赤毛。鍛えられた体躯。
生地の厚いグレーの服を着ていて、その上にポケットだらけのベルトをいくつも巻いている。一番目立つのは目元だ。彼は両目を金色の包帯で完全に覆ってしまっていた。
彼の名はメッシュ・ブライユ。
傭兵稼業で日銭を稼ぎながら世界を旅している男らしい。
私たちが暮らす国……エスカリエ王国に来たのは初めてだそうだ。
今朝、彼は私の工房に突然やってきて、
「頼みたい仕事があるんだ。やってくれるか!?」
と、挨拶も省いていきなり頭を下げてきた。
彼の風貌は正直不気味だったし、断ろうかと思ったけれど、新規のお客さんが来ることなんて滅多にない、リスクよりもリターンが大きい、そう思って引き受けることにした。
「それで? オレの剣は直ったか?」
メッシュは立ち上がり、床に転がった木箱やガラクタを器用に避けて作業台に近づいた。不思議だけど、彼は目を覆っていても周りの様子がわかるらしい。
今朝も私の髪を見て『獅子みたいな金髪だ』と言ってきた。
「気が早いわよ。まだ動かなくなった原因がわかっただけ。修理できるかどうかは、これから検討するところ」
メッシュの依頼は、突然動かなくなってしまった彼の剣の修理だった。
普通の剣じゃない。魔法の力が組み込まれてる。そういう武器や道具のことを、私たちは『魔導具』と呼ぶ。
「キミの剣は構造こそ、その辺で売ってる魔導具と変わりないけど、使われている素材がとびっきり変。見た目からして普通じゃないわ」
作業台に寝かせた大剣を、メッシュにも見える位置にずらす。
2枚の鋼を重ねた刃には赤い紋様が刻まれ、柄と刃の間には丸い容器が埋め込まれている。容器には不気味な肉の塊が入っていた。
「赤い紋様は竜の血で描かれているし、埋め込まれているのは竜の心臓の欠片。まるで竜をそのまま剣に作り替えたような魔導具ね。しかも、心臓にいたっては、あろうことか生きてる状態で容器に詰められてる。ほら、今もドクンってはねた!」
生物の骨や牙を部品として使った魔導具は珍しくない。とりわけ、魔法を駆使する生物……魔獣の素材は魔導具の部品に適していて、多くの職人や技師が積極的に使っている。
けれど、生きた素材を使った魔導具は私も初めて見た。
「普通なら心臓って、身体から切り離されたらすぐに止まっちゃうでしょ? でも、この心臓は違う。容器の中の温度や湿度、魔力の量が完璧に調整されているから、死ぬことがない」
「ほーう。不死身の剣ってことか」
「ううん。ちゃんと弱点はあるわ。容器の中の魔力が完全になくなったら心臓は死ぬ。まさに今そうなりそうなのよ。ほんのわずか残った魔力でなんとか心臓を生かし続けているけど、その代わり、それ以外の機能が全部止まってる。人間で言えば栄養不足の状態で、なんとか心臓だけ動かしてるって感じ」
「……ってことは、魔力を足せば元通り動くよな?」
「それだけじゃダメ。ここを見て」
私は指の腹で赤い紋様の一部をなぞった。
「なんだこりゃ? 模様がところどころ途切れてやがる」
「そう。この紋様は魔力の通り道になってるんだけど、数カ所焼き切れちゃってる。この状態で魔力を流したら、模様がグズグズに溶けるわ」
専門的な言葉でまとめれば、魔力の枯渇と回路の断絶。それが、この剣の動かなくなった理由だった。
「竜の心臓が作り出す魔力を、模様を辿って刃の内部に運ぶ仕組み。素材が一級品な上に、作りが単純だから、壊れにくいし魔力も枯れにくい……はずなんだけどね。キミ、普段この剣をどんな風に使ってるの?」
じろりとメッシュの顔を見上げると、彼はばつが悪そうに赤毛をガリガリひっかいた。
「数年前くらいから、剣の威力が物足りなくなってさ。心臓で作る魔力だけじゃなくて、オレの身体の魔力も流し込むようにしてた」
「呆れた。そりゃ壊れるわよ。細い管に無理やり大きな玉をねじ込んでたようなものよ、それ」
とは言ったものの、彼がこの剣を常に乱暴に扱っているとは思えなかった。
回路の焼き切れ以外、状態は良好。錆も歪みもない。定期的に油を差し、磨いていた形跡もある。道具を大切にしない人間の武器はもっと汚れているものだ。
「……この剣に使われてる竜の素材は、どうやって手に入れたの?」
「駆け出しだったころにひとりで竜と戦ったことがあってな。倒した記念に剣の材料にしてもらったんだよ」
メッシュは懐かしそうに微笑みながら、剣に触れた。
傷だらけの指と傷だらけの刃が触れる様子は、幾多の戦場を歩んだ戦友同士が握手を交わすかのようだった。
――ひとりで竜と戦った。
彼は簡単にそう言ったけれど、それはきっと、とてつもない偉業だったはずだ。
竜と一口で言っても、この世界には様々な強さ、様々な能力を持った竜がいる。倒した竜がどれくらいの強さだったかは、素材を見ればなんとなくわかる。この剣に使われている心臓や血の模様を見る限り、彼が戦った竜は相当の力を持っていた。
そんな相手を倒して作った剣なのだ。思い入れが浅いはずがない。
自分の魔力を足して使っていたのも、そうしなければ生き残れない状況だったのだと思う。
「けどまぁ、ここらが潮時かな。この剣を元通りにしてもらったとしても、同じ使い方をすれば、また模様が焼き切れるんだろ?」
「元通りに直せば……ね」
彼の問いに答えながら、私は道具の支度をする。作業台脇の工具箱を寄せ、壁の棚から数本のビンを取り出す。
「何か方法があるのか?」
「簡単な話よ。この剣をキミの要望に合わせて改良すればいい」
「改良って……そんなこと本当にできるのか? だいぶ古い剣だぜ? まず、素材がないだろ」
「そりゃそうよ。竜の血や心臓なんて貴重品、下町の工房にポンポン置いてあるわけないじゃない。けど、素材がなくてもやりようはある」
汗や髪の毛が邪魔にならないように、金髪を持ち上げ、黒いタオルで縛る。その上に拡大鏡付きのゴーグルを着けたら準備は万端。だけど、メッシュはこちらのペースに追いついていないのか、まだ眉の間に皺を寄せている。
「修理だけならともかく改良ってなると、手間も費用もかかるだろ? 悪いけど、あんまり金は持ってないぞ」
ベルトに挟んだ麻袋を軽く振ってチャリチャリと音を鳴らす。たしかに大金が入っている気配はしない。
「その話はあとでいいわ。もちろん赤字は困るけど、大儲けしたいなんて考えてないから」
「儲けたくない!? じゃあ、お前はなんでそんなにやる気満々なんだ?」
準備に忙しくしていた手が止まる。『なぜ』とまっすぐ聞かれると説明するのは難しい。
「……キミとこの剣の絆が途切れるのが、すごくもったいないって思ったの」
使い込まれた道具には人の思いが宿る。
新しいものに買い換えるのは、お金さえあれば簡単にできるけど、その代わり、積み重ねてきた思いは失われる。
10年という時の中で、この国がゆっくりと忘れてしまったことだ。
私は忘れたくない。手を動かし続ける理由はそれだけだ。
「まぁ、やるかやらないかはキミ次第だけどどうする?」
作業台を挟んで、メッシュの顔を見つめる。
彼は一瞬驚いたように口を開いたあと、両手を合わせて深く頭を下げた。
「頼む。オレはまだ、こいつと一緒に戦いたい」
作業台に置かれた工具箱を開く。
中から取りだしたのは、たくさんの歯車と白い枝が取り付けられたペンだ。
「まかせて。キミの相棒に、もう一度、戦う力を取り戻してあげるから」
久々の大仕事。腕が鳴るに決まってる。
私は軽く自分の胸を叩いてから、ペンの軸に備わったスイッチを押し込んだ――