表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

血塗れのごんぎつね

作者: さば缶

 村は、すっかり秋の気配に包まれていました。

もうすぐ稲刈りも終わる頃で、田んぼには黄金色の穂が名残惜しそうに揺れています。

夕暮れになると、ひんやりした風が吹きはじめ、森からは不思議な鳴き声がかすかに聞こえてきます。

その森の奥には、小さなお墓の集まりがありました。

そこは、村人の間で「ペットセメタリー」と呼ばれる、動物たちを葬る場所でした。


 兵十は、あの小狐のごんのことを、今でも思い出すことがあります。

かつてごんを撃ってしまった日のことを思うと、心のどこかがちくりと痛むのです。

でも、それはずいぶん昔の話。

兵十は毎日田畑で働きながら、ごく普通の暮らしを送っていました。

ところが最近、そのペットセメタリーに、奇妙な噂が広がりはじめたのです。


 ある晩、兵十の隣に住む老人が言いました。「夜中にあそこから赤い光がさしてな。まるで何かが這い出てくるようだった。」

その言葉に兵十は胸騒ぎを覚えましたが、「疲れて幻でも見たんだろう」と自分を納得させようとしました。

ところが、次の日から村の家畜が何匹も姿を消す事件が相次いだのです。

鶏や山羊が血痕だけを残して消えているという話を、あちこちで聞くようになりました。


 兵十は、不安に駆られながらも、亡くなった飼い犬をペットセメタリーに埋めた村人に話を聞きました。

すると、その犬がなぜか翌日、以前と変わらぬ姿で家の前に座っていたというのです。

しかし、目は爛々と血走り、唸る声がどこかおかしかったそうです。

そして、その夜遅くに犬は再び姿を消し、代わりに村外れの納屋で、家畜の骨ばかりが転がっているのが見つかりました。


 「もしかして、ごんもあそこに……」

兵十は嫌な予感がしました。

あの小狐は本当に成仏していただろうか。

確かに撃たれたあと、兵十に抱かれながら息を引き取ったはずです。

でも、その体はどうなったのか。

あの頃は戦もあって村も混乱していたため、慌ただしく埋葬されたという話を、小耳にはさんだことがあります。


 兵十はいても立ってもいられず、その夜、ランタンを手にペットセメタリーへ向かいました。

暗い森を抜けて小さなお墓が並ぶ場所へたどり着くと、しんとした空気の中に、どこか生臭い匂いが漂っています。

足元に目をやると、土が新しく掘り返された跡がありました。

兵十はぎょっとして跡をたどってみます。

すると、一つの小さな石碑の前で、何かが闇の中で動いた気がしました。


 ランタンの明かりを向けると、そこには血塗れの毛がちらりと映りました。

ごんでした。

だらりと垂れた尻尾、ところどころ毛が抜け落ちた体。

でも、あの愛らしかった瞳はありません。

牙はまるで獣そのものになっており、唸る声がゴロゴロと響きました。


 兵十は声にならない叫びを上げそうになりましたが、ごんはこちらをじっと見つめるだけです。

どこか懐かしい、それでも底知れぬ怨念のようなものが混じり合った視線でした。

そのまま動かずにいると、ごんは舌なめずりをして、森の闇に溶けるように走り去っていきました。

兵十は全身が震え、ランタンを落としそうになりながら、その場を後にしました。


 次の日、村は大騒ぎになっていました。

今度は、夜中に納屋で作業していた若い男が襲われたのです。

現場はあまりにもむごい姿でした。

周囲には壁や床に散らばった血の跡があり、男の衣服や体の一部までもが荒々しく引き裂かれていました。

村人たちは恐怖にかられ、「化け物だ」「あの森には近づくな」と言い合いました。


 兵十はかつてのごんとの思い出を胸に、その夜、もう一度ペットセメタリーへ行くことにしました。

満月が薄ら明るい道を照らしていますが、森の奥は相変わらず薄暗く、心臓の鼓動が自分でもはっきり感じられました。

森の入口では、何人かの男たちが弓や槍を持って待ち構えています。

どうやら人々は、恐ろしい化け物を仕留めようと動きはじめていました。


 兵十は男たちを引きとめようとしました。「待ってくれ。あの狐は……ごんなんだ。きっと苦しんでるんだよ。」

しかし男たちは聞く耳を持たず、「それでも俺たちの仲間を襲ったんだ。もう元には戻れやしねえ」と言い放ち、森の奥へ突き進みます。

兵十は、どうしてもごんを放っておけず、男たちの後を追いました。


 夜の森をかきわけ、何度も倒れそうになりながら進むと、開けた場所に出ました。

そこにはごんがうずくまり、苦しそうに息をしていました。

毛並みはさらに乱れ、体には赤黒い汚れがこびりついています。

たくさんの傷から血がにじみ、ところどころ骨が見えるほど深い裂け目がありました。

それでもごんは、兵十に気づくと、かすかに尻尾を振ったように見えました。


 すると、後から追ってきた男たちが、弓を引き絞りました。

「やめてくれ。」

兵十は必死に叫びますが、男たちは振り向きもしません。

矢は音を立てて、ごんの体に突き刺さりました。

ごんは苦しげにのたうち回りながらも、兵十の方へ必死で歩み寄ろうとします。


 「ごん……」

兵十は無意識に、ごんの前にかがみこんでいました。

唸り声ではなく、かすれた声で何かを訴えるような音が聞こえます。

その声は、昔のあの小狐の鳴き声に、ほんの少しだけ似ていました。

兵十は静かにごんの頭を抱きしめると、柔らかな毛の感触を思い出し、涙がこぼれそうになりました。


 ごんの体は熱を失いかけていました。

再び蘇ったはずなのに、今度はもう助かりそうにありません。

兵十は震える手でごんの背をそっと撫でました。

すると、ごんは弱々しく目を細め、ふっと短い息を漏らしました。

その瞬間、真夜中の森に、しんとした静寂が戻ってきました。


 兵十の目からは、止めどなく涙が落ちました。

それを見た男たちも、弓を構える手を下ろしました。

ついさっきまで怪物を追っていた彼らの目にも、わずかながら哀しみが浮かんでいます。

ごんの周りには、月の光が淡く差し、かすかな風がその毛を揺らしました。

いつかの記憶のままに、ごんは兵十の腕の中で眠りについたのです。


 翌朝、兵十と村人たちは、もう一度ごんを森の外れにある静かな場所へ埋めました。

今度こそ、ゆっくりと眠れるようにと願いをこめて、小さな花束を添えました。

誰も言葉をかけませんでしたが、その場にいた全員が、胸の奥にあたたかなものを感じていました。

あれほど恐ろしい姿になってしまったごんも、本当は孤独のまま蘇ってしまっただけだったのだろう。


 兵十は新しい墓標の前で目を閉じました。

かつて食べ物を届けてくれたごんの優しさを思い出します。

もう二度と血に染まることのないように。

もう二度と、誰かを傷つけることのないように。

兵十はそっと手を合わせると、深い祈りを捧げました。


 秋の空は高く澄みわたり、陽ざしが穏やかに降り注いでいます。

どこか遠くで、小さな狐の鳴き声が聞こえたような気がしましたが、それは風の音にかき消されていきました。

兵十は最後にもう一度だけ、墓標に触れました。

「ありがとう、ごん。おまえのこと、忘れないよ。」

そうつぶやくと、兵十は空を仰ぎ見て、ゆっくりと村へ歩き出しました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ