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忘却のカグラヴィーダ  作者: 結月てでぃ
一章/炎の巨神、現る
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花澄

 二人を乗せたバスは、夕暮れに染まりかけている町まで連れて行く。市内で最も大きな病院の前に止まったバスから二人は降り、病院に入った。


 受付の前を頭を下げてから通り抜け、エレベーターの中に乗り込む。当夜が六階のボタンを押すと、エレベーターは機械音を立てながら昇っていく。そのまま誰が入ってくることもなく、目的の階に軽やかな音をさせて止まり、二人は出た。


 リノリウムの床を進んで、奥の角部屋の前で当夜は足を止める。個室らしいその部屋のネームプレートには渋木(しぶき)花澄かすみと名前が書かれていた。


 当夜はドアを揺らさないように、音を立てないように細心の注意を払いながら手と額を触れさせる。

 まつ毛を伏せ、静かに息を吸い、吐く。それから体を離して場に不釣合いな程に明るい笑みを作る。ぐっとドアの凹んだ部分に指をかけて、左に押す。


「かっすみー。お兄ちゃんが来たぞー」


 当夜は、病院で出すにはふさわしくないのではないか、看護師が怒りに来るのではと徹が心配してしまう程に明るい声を出しながら病室に入っていった。その後を追った徹は一瞬息を呑む。


「おにいちゃん。来てくれたの……?」


 掠れに掠れて聞き取り辛い、小さな声。真っ白な病室にいたのは、カリンと痩せた少女だった。

 当夜と同じ黒髪を背の真ん中まで伸ばしており、大きなピンク色の目をした美少女。

 だが、近くに寄って見ると、髪に全くといっていい程にツヤがなく、痩せこけているために目が印象に残るのだということが分かった。


 頬の辺りに青い血管が薄らと見える血の気のない白い肌に、それよりも薄い色をしている爪。ひび割れた唇が笑みの形を取った。地が白で、ピンクの水玉が描かれた可愛らしいパジャマから出ている骨ばった手がゆっくりと当夜に向かって差し出される。


「花澄のためならいつだって来るって!」


 あまりにも細い身体を、満面の笑みを浮かべている当夜は包み込むように抱いた。


「花澄ー、お兄ちゃんがいなくて寂しくなかったか? お兄ちゃんはめちゃくちゃ寂しかったぞ!」


 すりすりと頬ずりまでしている当夜に、花澄も笑い声を上げる。徹も花澄に話し掛けようとしたが、完全にタイミングを失ってしまい、苦笑した。


「当花さん、お久しぶりです」


 その代わり、兄妹の様子を自分と同じように苦笑しながら見ている、当夜の母親である渋木しぶき当花とうかに話しかける。


「徹くん久しぶり。ごめんなさいね、いつも当夜の面倒見てもらって」


 看護疲れか、こちらも以前見た時よりも頬がこけていた。細く長い手を当夜によく似た顔の頬に当てて、当花は苦笑した。


「いえ、朝や家事に関しては僕の方が面倒見てもらっていますから」


「あら、そう?」


「はい」


 徹はしっかりと頷いてから、当夜と花澄の方を向く。まだ当夜が花澄にじゃれついていた。


「お兄ちゃん、だっこして」


 死体のようだった花澄の頬に、わずかに朱が差している。手を上げてねだる三歳年下の妹の姿に当夜は目元を和ませて、いいぞと言った。


 ふんわりと柔らかい素材のパジャマに当夜の手が触れる。サイズが合っていない、と徹は思った。温かな布に包まれている足は木の棒のように細い。首にかけられた腕も、手を当てている背も、どこもかしこも肉ではなく骨の感触を強く感じられる。


「花澄は天使みたいだなー」


「えーっ、なにそれぇ」


「それくらい可愛いってこと」


 うちゅーっと頬にキスをしようとする当夜に、花澄がきゃーっと空気のような声を発した。


「世界一可愛いよ。愛してる」


 背を撫でながら当夜はベッドの上に座る。それから、徹に顔を向けて手招きをする。


「花澄、今日は徹も来てるんだ」


「えっ、徹ちゃん?」


「ああ」


 当夜の膝の上にのっている花澄の前にしゃがんだ徹が、王子様然とした笑みを浮かべた。


「久しぶり」


「うんっ」


 花澄は頬を染めて、恥ずかしげに当夜の胸元に顔をうずめる。


「なんだよ、花澄。徹がイケメンだから照れてんのか?」


「当夜、茶化さないの」


 うりうりと花澄の頬を当夜が突いていると、当花から注意がとんだ。当夜は首をすくめた後、花澄にごめんなーと謝る。


「そうだ、花澄。本借りてきたぞ」


 本当? と目を輝かせる花澄にうん、と笑った当夜は徹に、「ごめん。鞄取ってくんない?」と言った。

 徹はベッドの足元に落ちている当夜のスクールバッグを持ち上げて渡す。当夜は徹にありがとうと言ってから、スクールバッグのジッパーを開けて、中から二冊の本を取り出した。


「言ってたのと、もう一つ。こっちの絵本は今度兄ちゃんが読んだげるからな」


 花澄はわあいと嬉しそうな声を出す。当夜は花澄の頭を撫で、本をベッドに備え付けられているテーブルの上に置いた。それから、スクールバッグの中に手を入れてプレゼントの袋を取り出す。


「それと、これも」


「なあに? これ」


「開けてみてのお楽しみだ」


 手を伸ばす花澄を見て、当夜は袋を先程の本の上に置いて、チッチッと言いながら指を左右に振った。


「明日の薬と検査を頑張ってからのお楽しみ」


「えーっ」


「これがあるって思えば頑張れるだろ?」


 花澄は小さい手をぎゅっと握って当夜を見つめる。

「お兄ちゃん、花澄が喜んでくれるかもって物を頑張って探したから。花澄もちょびっとだけ。な?」

 と当夜が言うと、花澄は首を縦に動かした。


「よーし、いい子だ! 流石花澄!」


 当夜がそう言うと、花澄は少し誇らしげな表情になり、当夜の膝からベッドに戻る。当夜もそれを機にベッドから立ち上がった。


「んじゃ、お兄ちゃん帰るな」


「うん、また来てね。……徹ちゃんも」


「ああ」


 徹に微笑まれた花澄は、また顔を赤くさせてシーツを引き上げる。


「じゃーな。また絶対来るから!」


「うんっ」


 花澄には小さく手を振られ、当花には早く行けという風に手の甲を見せた状態で上下に動かされた。当夜が病室のドアを開け、二人は外に出る。当夜は最後まで笑顔のままで、部屋のドアを閉じた。

 二人は無言でエレベーターまで行き、下りのスイッチを押す。無人のエレベーターに乗り、扉が閉じた時、当夜が徹にぶつかるように抱き着いた。予測していた徹は当夜の体を抱きしめる。


「うっ、うう……うわああああっ」


 徹の胸元に顔を押し付けた当夜が声を上げて泣き出した。


「花澄、長くないのか?」


「せっ、先生が……! 先生が、後もって一年か二年だって」


 声を上げて泣く当夜を包むように抱く徹は、当夜の頭にそわせるようにして、髪を撫でる。


「花澄、骨と皮しかっ、なかったんだ。髪だって、あれ、カツラで」


 徹のブレザーに皺が寄る程強く握りしめた当夜がしゃくりあげた。


「死んじゃう。花澄がっ、花澄がいなくなるんだ!」


 チンッといやに軽い音を立ててエレベーターのドアが開く。徹は当夜の肩を抱き、庇うようにして病院から出る。近くにある公園まで歩いて行き、ベンチに並んで座った。

 まだ泣きやむ気配のない当夜の背を、徹は撫でる。


「ごめんな、徹。俺、甘えてばっかで」


「いや、いい。気にするな」


 当夜の目の端に溜まった涙を徹は払い、微笑んだ。


「僕もお前と花澄を愛しているから」

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