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忘却のカグラヴィーダ  作者: 結月てでぃ
三章/夏歌えど、冬踊らず

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58/69

背中に書いた文字

「ほな、おやすみぃ」


 明日も来てええでと小さく手を振る涯に、当夜は「おやすみ」と手を振り返す。


 両手を振っている豪や、その傍らに立っている敬哉の見送りに、当夜は思わず笑みを零した。

 幼い彼らを見ていると、溺愛している妹の姿が脳裏を過るのだ。


 舷梯を降りていくと、そこには黒馬しかいなかった。

「あれ……二人は?」

「遅い時間帯なので帰しました」

 と言われ、本当に置いて行かれちゃったんだと俯く。


 行きますよと声を掛けられ、慌てて追いかけながらも、まだいるかもしれないと戦艦の方を振り向き見る。当夜は、三人の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 その手を下ろした時、無性に胸が寒くなる。


 鉄神に乗ると、その搭乗者は大切なものを失う。当夜にとってのそれは記憶だ。

 たとえ、ここで戦うことがなくとも、東京に帰ればいずれ必ず戦うことになる。


 ――次に彼らと出会うまで、自分の中に記憶が残っているのだろうか?


 必ず覚えている、また今度という言葉を伝えるのは自分勝手でしかない。

 これっきり、顔も見かけたことがない他人になってしまう可能性は0ではないのだから。


「どうしました」


「……えっ? あ、なんでもないよ」


 だからこそ今を大切にしたいと思うのはエゴだろうか? ふらふらと当てもなく惑う思考を打ち切るには、こんな大人でもいないよりはマシだ。少なくとも今は。


「あのさ、黒馬はなんでアマテラス機関に入ったの?」


「高校の時に雅臣と会いまして。素材としてのアクガミに魅せられたんですよ」


 面白い研究物体だと思ったんですと言われ、当夜はこの人も変な人だったんだ……と黒馬の顔を見つめ返す。


「高校が一緒なら、鏡子ちゃんとも一緒だったんじゃないの?」


「由川とは小学校からの知り合いなんですよ。同じ学区内に住んでいたので、それなりに付き合いはありました。私に雅臣を紹介したのも由川ですし」


 へえ、と気のない返事をすると、「興味がないのに訊かないでください」と言われてしまう。


「興味なくないよ。今ので分かったから」


 黒馬が立ち止まり、こちらを振り返り見る。蛇のように鋭い目をいっそう細めて、「なにがです」と低く凄んでくるのに笑ってしまう。


「……まったく、薄気味悪い子どもですね」


「言っとくけど、俺が悲鳴上げたら捕まるのはアンタの方じゃない」


 叫んでやろうかと口の周りに手を当てると、黒馬は「お好きになさい」とため息をついて、足を進める。

「なんだよ、余裕ぶって」

 と言った当夜は、唇を尖らせて黒馬の後ろをついて行く。


 街灯の少ない夜道は暗く、数歩先さえ見えなくなりそうだった。学校帰りに、徹と歩いた裏道を思い出させる。


 徹がいれば、彼の腕に縋って歩けただろう。

 星空を見上げて、どれが一番星か、あの星とこっちの星をくっつけて何座になるか――……なんて会話もできたに違いない。


 それなのに、一緒にいるのが黒馬だなんて。こんな素っ気ない人じゃあ話相手にもならないよという気持ちをこめて、当夜は道端に落ちている小石を爪先で蹴っ飛ばした。


「膨れっ面にならないでください。次はちゃんと彼らも待たせますから。私だって良かれと思ってやったんですよ」


「うるさい」


 余計なお世話だ。

 空は馬鹿みたいにピカピカ光ってるのに、当夜の心ときたら雨模様。雨なんか大嫌いだ。


「徹と一緒がよかった」


「すみませんでしたね」


 もうすぐですからとグランピング場の入り口を手で差し示す黒馬から、首を動かして背ける。


「それでは、私はここで。よく休息を取るように」


「はあい、おやすみなさい」


 頭を下げた黒馬の横を通り過ぎた。

 宿泊所になっているキャンピングカーに向かいながら振り向くと、黒馬が坂に向かっていくのが見えた。上にあるホテルに部屋を取っているのだろう。


 起こさないよう、静かにキャンピングカーのドアを開けて中に入る。

 狭い通路を進んでいくと上から赤木のいびきが聞こえてきて、(これ、加護は寝られるのか?)と苦笑いを浮かべる。


「遅かったな」


「あ……うん。あ、でも風呂行ってくる」


 やはり寝ていられなかったのか、下段にいる加護が上半身を少し上げてこちらを見てきた。


「徹は……もう戻ってきてんの?」


「アイツはもう寝てるよ。風呂は朝に入るって言ってた」


「ええ~……じゃあ俺ももう寝よっかなあ」


 そうしろと言われた当夜が「おやすみ」と言うと、加護は手だけ振り返してきた。


 奥のダブルサイズのベッドまで行くと、こちらに背を向けて寝ている徹がいた。通路を歩いていた時から足だけ見えていたから分かっていたが、完全に熟睡している。

 尻からベッドに飛び込むと、徹の体が跳ねる。それでも徹は起きなかった。一度寝ると起こすまで爆睡しているので予測通りだ。


 横になって転がると徹の背中にぶつかる。当夜は、いつもは堂々と上を向いて寝るくせにと頬を膨らませた。


 向けられた背中に、指で文字を描く。


 馬鹿、独善者、都合良すぎ、寂しい、好き。

 くるりくるりと次々と描いていって、指を離す。浮いた手を宙で掴んで、握り締める。


 小さな背中が丸まっていく。足が縮こまり、膝を抱いた。


 こんなに近くにいるのに、まるで一人きりのようだ。虚しさをぶつける相手さえいない。


 確かに、自分の青春はここにあったのだと信じていたいのに。

 未来でなにもかもを失った後も、きっと自分ならその時その時を楽しんでいたのだと思えるように――

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