表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
忘却のカグラヴィーダ  作者: 結月てでぃ
三章/夏歌えど、冬踊らず

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/69

夏、足音

 薄藤色の半袖シャツのボタンを留め、まだ朝は肌寒いので上に紺色のベストを重ねる。黒のズボンに足を通し、当夜は唸った。


 昨日、ネクタイをつけなかったら徹に「不良になるつもりか」と眉を顰められたのだ。学校行事以外では自由着用なのだし、もう少し暑くなったら許してくれるだろうかと面倒臭がりながらもネクタイを巻く。

 鏡を見ながら位置や形を調整し、「うんっ」と出来栄えに納得がいってから部屋を出る。


 階段を下り、洗面所で身支度を整えてから台所へ行く。今日は徹がこちらの家へ来る予定になっているので、先に朝食を作ろう。それから起こしに行けばいい。


「サッパリした物がいいよなあ。徹、夏前にバテやすいし」


 なにがあったかなと冷蔵庫の中を覗いて食材を取り出す。

 とりあえず、長芋と卵を調理台まで持っていき、カウンター下の収納から乾燥ワカメを出してたっぷりの水を張ったボウルに浸けておく。


 長芋を千切りにして、こちらは酢水に。それから鍋に水を入れてコンロにかける。

 炊飯器の蓋を開けると、ぶわりと蒸気が立つ。それを吸い込んだ当夜はうっとりと目を閉じた。


「はあぁ~……この匂いだよなあ」


 目を閉じて匂いを堪能する当夜の腹が、くうぅと鳴る。手で押さえ、早く作ってしまおうと小口ネギを入れ、しゃもじでご飯を掻き混ぜていく。

 昨晩仕込んでおいたのだ。砂糖と味噌を混ぜて炊飯器の底に敷き、米とひき肉を重ねて炊く。久しぶりにタイマー式の炊飯器を使ったので不安だったが、ちゃんと炊けていてよかった。


 これで昼と、おやつ用におにぎりを作る。焼きのりをコンロの火で炙ってからアルミホイルの上へ。ラップで握ったおにぎりをのせて、包んでいく。

 自分のなら衛生面もそこまで気にしなくてもいい。けど、これは徹の分だから、形よりも優先すべきだ。


 一個握ったところでお湯が沸いたので火から下ろし、卵をそうっと入れる。


「あ、味噌汁」


 タイマーを設置したところで、はたと気が付いた当夜がどうしようと口に手を当てた。


 昔、徹に毎日味噌汁が飲みたいと言われたことがあるのだ。

 てっきり冗談だと思っていたのに、真夏でも律儀に文句を言わずに飲んでいるから本当にそれが理想なのかもしれない。


「つ、作るか」


 毎日作っていると流石にレパートリーがなくなってくる。どうしようかと腰に手を当てて唸った当夜は、「そうだ」と目を開いた。

 戸棚と冷蔵庫から探し出した缶詰と半玉のキャベツをぽんと上に投げる。立ち上がって受け止めると、調子はずれの鼻歌を口ずさみながら歩いていく。


 洗ったキャベツを手で千切り、鯖の水煮缶を汁ごと水に投入する。そのまま火にかけ、まな板の前へと戻る。

 まだまだ残っているキャベツを半分ざく切りにし、一緒に取ってきたピーマンや人参、豚肉も切ってしまう。フライパンを持っていき、サラダ油を熱す。


 まずは豚肉だ。色が変われば野菜を加えてさらに炒める。しんなりしてきたら合わせておいた調味料を加えて、仕上げに醤油を回し入れて完成。

 隣の味噌汁ももういいと判断して、一旦火を止めておく。


 冷蔵庫から作り置きのさつまいもとベーコンのサラダや、いんげんとまいたけの炒め物を出してきて、弁当箱にもりもり詰める。徹のだけ菜花のからし醤油も入れておこう。好きだから。


 弁当もできたし、そろそろ起こしてこよう。そう思った時だった。

 玄関からなにやら物音がして、「おはよう」という徹の声が聞こえてきたのは。菜箸を手にしたまま駆けていき、「なんで自分で起きてきちゃうんだよ!」と言うと、眠たげな目が向けられる。


「おはようと言ってくれないのか」


 起きてきたんだぞと靴を脱いで上がってきた徹に抱きしめられ、当夜は目を閉じて背中に手を回す。へへ、と笑い声が漏れ出る。


「今日もおはよう、徹」


 幸せだな、なんて思って。

 けれど、胸の奥からざわざわとなにかが騒ぎ立てている気もする。


 もっと強く抱きしめられたい――「いい匂いだな」そう感じたのに、情緒も甘さもない言葉に思考を切られて、ふっと息を吐き出した。


「うん、朝ごはんにしよっか」


 できてるからと言いながら徹から離れていき、キッチンへと戻る。カウンターに手を突き、もう片方の手を胸に押し付けていると後ろから足音が近づいてきた。


「当夜? なにか気に障ることがあったか」


 体調が良くないのかと訊かれ、首を振る。


「気にしないでいいよ」と言った声は出そうと思っていたよりも冷たく、気にするだろこれじゃ! と当夜は叫びたくなった。


「ま、ってて……いや、先食べてて」


 これ、と昼も同じものを入れているのに焼きおにぎりを差し出してしまう。完全に失態だが、今更手を引っ込められないし他に主食もない。


「分かった」


 すんなりと当夜の手の平から受け取った徹だったが「ありがとう」と言って当夜の横髪を撫で上げる。こめかみの辺りになにかが触れ、驚きで振り返った。


「寂しい時は言えと約束しただろう」


 ぐっと親指で顎を押し上げられ、キスをされる。


「ここで待っているから、一緒に食べよう」


 そう言われると、わがままで寂しがり屋な自分が居座ってしまいそうになる。


「わかったから、先に座ってて」


 着席をしてもらうように指で差すと徹は眉を寄せた。


「難しいな……」


 むうと顎に手を当てながらダイニングテーブルへと行く徹の後姿を見て、当夜はぐうっと喉を鳴らす。火照った頬に手を当てて頭を振ってから、調理に集中しよう! と頭を振った。


 酢水に晒しておいた長芋と、戻ったワカメを混ぜ合わせて器に入れ、その上にお湯から出しておいた卵を割る。とろんと黄身の色が透けた温泉卵にごくりと喉が鳴った。

 最後にプチトマトとキュウリの漬物を器に盛る。これで完成だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ