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忘却のカグラヴィーダ  作者: 結月てでぃ
二章/少年よ、明日に向かって走れ!!

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稀なる眼

 分厚いレンズに、奇妙な光が籠った目が隠れていく。


「スペアを持ってきて良かったわ……大丈夫?」


 機械弄りと書類仕事ばかりをしているせいで皮膚が硬く黒ずんでいるものの、ほっそりとした鏡子の手が離れていく。

 訊ねられた雅臣は眼鏡のツルを手で抑えながらも周りを見渡す。それから、心配そうに眉を下げて自分を見上げる鏡子の頬を手で包むと、口角を上げて笑った。


「……うん、大丈夫。正常に見えるよ」


「良かった」


 安堵するように息を吐きだした鏡子は、雅臣の胸に手を当てて離れるように諭す。雅臣も躊躇いはしたものの素直に身を離して僅かに距離を作った。


「ねえ、雅臣。あなたは当夜くんが言っていたものを見たの?」


「見たよ。だけど、僕のこの目じゃ、どれか判断がつかなかった」


「そう……徹くんでも、雅臣でも分からないのね」


 それとも、もう逃げていたのかしらと顎に手を当てて難しい顔になってしまっている鏡子に向かって、雅臣は手を延ばす。


「ありがとう、鏡子ちゃん」


 いつも助けられっぱなしだね、と自分の手を握って笑う雅臣に、鏡子は目をぱちりと瞬きさせる。


「……お礼を、言われることじゃないわ……。私は、職務を全うしただけ」


 驚きからぽつりぽつりと言葉を零す鏡子の頭に手を当てて、雅臣は優しくぽんぽんと弾むように軽く叩いた。


「それが、僕にとっては嬉しいんだよ」


「あなたはズルいわ」


「え~、鏡子ちゃんはもっとズルいよ」


 あははと笑う雅臣に、鏡子はなによと眉を吊り上げる。東京支部で働く人は多く、あまり二人きりの時間は取り辛い。だから、油断をしてしまったのだ。


「眼鏡を割るとは災難じゃったな、雅坊」


 突然話しかけられた二人はビクリと体を震わせ、勢いよく離れる。声の主を確かめると、忙しなく体を折りたたむかの如く、深く頭を下げた。


桜鶴(おうがく)さん、本当にありがとうございました!」


「なあに、構わん。こういう時の春雷組じゃて」


 煙管を燻らせるのは身丈の小さい初老の男だ。


 春雷組――京都支部が誇る、戦場に贄を届けるために自ら装甲列車を駆る集団。

 その親方であり、京都支部の司令官がこの朗らかに笑う、万屋(よろずや)桜鶴だ。黒く染まりゴツゴツとした大きな手で白髪を撫でつける桜鶴は、司令官である白を纏う代わりに黒の羽織を身に纏っている。


「ですが……涯くんとちこちゃんが一緒にいたということは、どこかへ向かう最中だったのでは」


「いんや、逆だ。明日大阪に帰るとこじゃった」


 背後にそびえる細身の灰色の機体は、大阪支部に所属している仲上涯の鉄神だ。だが、それ以外には自分たちが乗りつけてきたアマツメイラ――タタリヒメしかいない。


「ちこ嬢なら、岩草と気になる物があると言って出ていきおった」


「では、待たせてもらってもいいでしょうか?」


「おればいい。アンタも岩草も儂が送っていくから安心せえ」


 なにも遠慮することはないと言う桜鶴に、鏡子は強張っていた肩の力をほんの少し抜く。桜鶴がいれば、なにがあっても安心だ。彼は必ず自分たちを守り抜いてくれるだろう。


「鏡子ちゃん、僕はここに泊まっていった方がいいだろうから……そうするね」


「お前さんが泊まるなら、うちの孫も喜ぶ」


 桜鶴が鋭い目をさらに細め、年の割に生えそろった白い歯を見せて笑う。


「えんくんが来てるんですか!?」


「お孫さんが乗っているのに、申し訳御座いません!」


 構わないと言っているのに気を遣う鏡子に桜鶴はまったくと煙を吐く。


「これくらい、春雷組にはよくあることじゃ。あれも慣れとる」


「ですが……あっ、なにかお礼でも」


 いらん、ですがを繰り返している鏡子と桜鶴を横目に、雅臣は眉を寄せて困ったと口を尖らせる。


「じゃあ、僕は涯くんたちに会ってきますね~」


「あっ、待ちなさい! 一人で歩くんじゃありませんっ」


「僕は何回も乗ってて慣れてるから」


 平気平気~と言って歩いていく雅臣にこらと叫んでから、鏡子はまた桜鶴に謝りながら頭を下げた。慌てて雅臣の後を追いかけていく。


「私はあまり慣れてないんだから、置いて行かれたら困るわ」


「これ列車だから一方通行でしょ」


 鏡子ちゃんったら面白いなあと笑う雅臣の二の腕を抓ると、いたたと声を出す。


「お孫さんって、京都支部の虎の子と言われてる子でしょ? 私が言ったらいけないけど、こんな危ない所に連れてきてもいいのかしら」


「経験を詰ませてるんだと思うよ。特にえんくんは”覚える”に特化した能力を持ってる分、自分で自分の扱いを間違えると大変なことになっちゃうだろうから」


「覚えるに……?」


 桜鶴の拾い孫である少年、万屋(よろずや)(えん)。若くして梅の紋を背負う証と、組員一人一人に渡される専用の装甲列車を自力で得たという噂は鏡子の耳にも入ってきていた。


「そう。あの子はね、瞬間映像記憶能力者――カメラのように、見た物を全て記憶することが出来る、稀有な力を持っているんだ」


「だから京都支部の機密庫と呼ばれているのね」


 納得がいったわと鏡子は首に手を当てて息を吐く。化け物じみた子どもばかりが集まる組織なので、ある程度は鏡子も想定しているが、ここまでくると想定外の範疇になってくる。


「うちの徹くんの目や当夜くんの身体能力も稀有なものだけど、よくもまあこれだけ見つかることね」


 神様って本当に強欲だわと呆れた風に吐き捨て、手首を回して掌を上向けた鏡子を見て雅臣はあははと笑う。


「えんくんを神様に捧げたりなんかしなくていいように、頑張らないとね」


「そうね。あの子はパイロットではないのだから……協力者のままでいてもらわないと」


 燕が乗るのは鉄神ではなく、人が作り与えた装甲列車だ。まだ十歳にも満たない彼に、これ以上の苦を背負わせるわけにはいかないだろう。


「とはいえ、関西ではすでにもう十歳未満のパイロットは出現している。余裕がないのよね」


「うん。あっちはここよりももっと激戦地だから……」


 雅臣が口元まで親指を運び、口を開けて伸びた爪を噛もうとし――鏡子の手に阻まれた。


「噛みたいなら私の爪をして。止めなさい」


「……駄目だよ、綺麗にしてるのに」


 言っている内に着いた、二号車の扉前に立った雅臣は、僅かに低い位置にある鏡子を見下ろす。


「なら、大人しく止めることね」


 行くわよ、と促されて雅臣は眉を下げる。


 中に入ると、クロスシート上に並んだ座席が目に入ってきた。この列車は持ち主である桜鶴の好みで、和の洋式になっているため、座席は桐で作られている。

 目を楽しませてくれる精巧な透かし彫りを横に進んでいくと、ようやく求めていた人物に出会うことができた。


「おばんです~」


 雅臣が緊張感なく話しかけると、色素の薄い金髪を揺らして狐に似た悪戯っぽい目を細めて、軽薄そうな男が笑う。


 仲上(なかがみ)(がい)

 大阪支部に所属している、ベテランのパイロットだ。肩程に伸ばした茶色がかった金髪と、狐のような目が特徴的な青年だった。


「鏡子ちゃん、久しぶりやなあ。今日もめっちゃ可愛えわ」


「ありがとう、涯くん」


 肘掛けについた腕の肘を曲げて枕がわりにしている涯の膝の上に、子ども特有の艶のある黒髪の少年が座っていた。

 癖のない髪がサラリと零れ落ち、丸い頬が露になる。俯きがちになっている顔の、瞼は伏せられており、眠っているようだった。


 眉間に皺を作りながらも文句を言わずにもう片方の腕で支え、胸にもたれかけさせているらしい涯が、雅臣の視線に気付くと口に指を当てる。しー、と合わせた歯の間から漏れ出た息。


「コイツ地図代わりにせなアカン所まで行ったから、疲れとんねん。話あんなら明日にしたって」


「あなたも疲れているのにごめんなさいね。雅臣も一緒にお願いできるかしら?」


「男だらけで寝るとかホンマ勘弁してくれって感じやけど」


 まあしゃあないなと髪を乱暴に掻き乱す涯は、女性以外には素っ気ないようでいて、案外世話見が良い青年だった。

 子どもから好かれる性質らしく、大阪支部に行くとよく小さなパイロットたちからまとわりつかれている姿が見かけられる。


「合宿だとでも思って頂戴。これには気を遣わなくてもいいから……きゃっ!?」


 大きく揺れ、突然のことに踏ん張りが効かずに足が宙に浮いた鏡子の肩と背に手を回した雅臣が自身の方に引き寄せた。


「なっ、なに!?」


 雅臣の腕に抱えられながらも状況判断を進めようとする鏡子に、涯がひらりと手を振る。


「心配あらへん。アホがっ、雑やねん!」


 この場にはいない誰かを罵った涯の耳を、キーーーーンというハウリングの音がつんざく。


『司令っ、雅臣さん!! 大至急、後部に来てくれえッ。今すぐだ、今すぐっ! 大変なことになってしまうぞっ!!』


 聞こえてきた太い男の声は懐かしい音を含んでいて思わず頬が緩みかけたが、緊張を持っている強張った声でしかなくて二人は顔を見合わせた。


『新しいパイロットが出現したけどな、はよ処置したらんと死んでまうで! 頭から落ちよったから、鉄神も大破や』


 こんなぐっちゃぐちゃの鉄神見たことないで、という高い女の子の声に、涯も立ち上がる。


「寝かしとりたかったけど、こらアカンな。起きぃ、燕。仕事やで」


 立ち上がって抱えたままの子どもを揺すると、随分と大人しい様子で目を開けた。大人びた目をくるりと涯に合わせ、それから雅臣に向ける。


「……記録だけにはさせないから、安心して」


 パイロットの初戦死亡。ありえない事態ではなく、度々起こりかけてしまうものだ。そうなれば、鉄神だけでも記録を取るようにしている。


「生きましょう、雅臣!」


 鉄神は私が修復する、と意気込む鏡子に雅臣は頷いて見せる。


「奇跡に殺されるなんて、そんな馬鹿な話あっていいものじゃないわ」

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