戦いに赴く者たち
「あっ!?」
急に揺れ始めた足元に、後ろを走っている四葉が叫び声を上げた。当夜は足を止めずに振り向き、大丈夫!? と声をかける。瞬時に体勢を整えた四葉は大丈夫だと返し、当夜に微笑んだ。当夜も頷き、前を向く。
「これはなに?」
「おっ、恐らく戦闘準備をしているんだ」
ふうんと当夜は呟きながら、走る速度を次第に上げていく。
「四葉ちゃん、俺どうせまだ服できてないだろうし、先に行ってるね!」
「あ、ああ……」
片手を上げてそう宣言した当夜の底なし沼のような体力に、自分はついていけないことに気づいていた四葉はエレベーターホールの前で止まった。
近づいていくごとに、胸の息苦しさがなくなっていく。
まるで羽が生えたかのように、みるみる内に四葉を置いていき、走っていく。吸い込んだ息が体内にわだかまっていた不調を取り除いてくれる気がする。足を強く踏み込んで、大きく腕を振るって、もっと、もっと早く傍に行きたい。
廊下の先にある階段を飛ぶように下った先に見える一条の光に当夜は口角を上げた。
「カグラヴィーダ!!」
叫びながら駆けてきた当夜に、格納庫にいたスタッフは皆顔を上げて当夜を注視する。畏怖と畏敬、好意が小さな体に突き刺さった。
「ただいま!」
そう言って手を振る当夜を見た海前が周囲のスタッフに指示を出す。それに合わせて動き出した皆の間を当夜は走り抜け、一直線にカグラヴィーダの元へと向かって行った。
「坊主、乗れ!!」
手の平を上に向け、こいこいと指を動かす海前に一つ返事で、動き始めたリフトに飛び乗る。Tシャツの袖を捩じってまくり上げた海前は、歯を見せて笑った。当夜は小首を傾げてそれを正面から受けると、わずかに口の端を上げる。
「また倒れたら今度は俺が運んでやるよ、坊主」
「あははっ。じゃあ、お願いしよっかな」
カグラヴィーダの開いたコックピットの縁に手を当てて振り返った当夜に、海前は親指を立てながら下りていった。シートに腰かけると自動的にカグラヴィーダが起動し、発進準備を整えていく。
「戻ったか、渋木当夜――我が希望よ」
「うんっ。おはよう、カグラヴィーダ」
しわがれた老人のような声が頭上から下りてきて、当夜は目を細めて微笑む。起動プログラムを手伝うために周囲のスイッチを入れ、シートの位置も調節する。
「さあ、参ろう」
丁度良い感じになったなと当夜が思った途端、例の如く座席から無数の鋭い歯を持った球体が出てきて、当夜の皮膚を突き刺した。
「――ぐあッ!」
ブチブチと皮膚を突き破って歯が食い込んでいく。ひじ掛けを強く握っても軽減することのない痛みに、当夜は呻いた。この痛みにだけは慣れない。
「くっそ、早く服出来ねえかなあ……」
頭を振るうと、色の落ちた髪が眼前に揺れる。伸びた髪を指に巻き付けた当夜は、光沢のある白を見つめながら唇を尖らせた。
「これ、早く禿げるようにならないよな?」
「……私の力を受けとめるために起こるだけだ。そうはならない」
「本当かあ?」
多感な時期で気にすることは山ほどある当夜は胡乱げにコックピットの天井を睨み付けたが、カグラヴィーダはそれ以上話すことはない。仕方なくため息をついた当夜は、シートベルトをつけた。
外部マイクのスイッチを点けて、「カグラヴィーダの準備完了。出撃するからハッチ開けて!」端的に用件を伝えるとすぐに了承のサインが海前から返ってくる。
それに礼を言ってから当夜はシートに身を預けた。
床が開き、機体が下りていくのを感じながら目を閉じる。深く息を吸って整える当夜とカグラヴィーダは地下を通って、徐々にスピードを上げていく。もうすぐ地上の光が見える頃になって当夜は目を開き、スラスターを奥に押した。
『こら、当夜!! 僕を置いてどこに行くんだ!』
急加速していくカグラヴィーダのモニターにいきなり徹の顔が映って、当夜はえっと声を出す。まだ制服のままの徹は一体どこでなにをしているのか、と当夜は不思議に思いながらもアクガミのところと答えた。
『だから、なぜ一人で出ていくんだ……』
「四葉ちゃんも来るはずだから大丈夫。徹はそこで待ってる? いいよ、俺一人でも全部殺すし」
『よくない、帰ってくるんだ!! お前まで、あの人のようなことを言うな!』
そう言われてももう出発してしまったし、全て破壊するまでは戻りたくはない。ようやくカグラヴィーダの傍にいられるのに、なぜ徹が反対するのか当夜には分からなかった。
『怪我をしたらどうするんだ! お前になにかあったら、僕は……っ』
けれど、徹の顔が泣きそうに歪むのを見るのは嫌だった。郷愁に似た気持ちが当夜の胸に浮き上がってくる。
『その心配はないわ』
けれど、それを沈めたのは冷静な女性の声だった。
***** ***** *****
「なっ、なにを……っ?」
横から話に割り込んできた鏡子の姿を見て、徹は目を見開く。しかし、驚いてばかりもいられないと判断をし、唇を噛んで走り出す。呼び出された時には必ず通る作戦会議室の前まで来ると、そこには見慣れない人物の姿があった。
「どうして、あなたたちがここに……」
「あら、徹くん」
そこには一階で受付嬢をしているはずの牧瀬と早川が立っていた。
二人は普段着ている揃えのブラウスと黒のベストにタイトスカートという服装ではなく、アマテラス機関の制服を身に付けている。前身頃のボタンが二列ある紺色のジャケットに、同色のタイトスカートとショートブーツ。それに白のタイツと手袋を合わせている。
女性的なデザインで押さえてはいるが、厚手の生地で出来たそれは、とても受付嬢に似つかわしくない格好だ。
「どうしてって、徹くん知らなかったの?」
「対アクガミ警報αが放送で流れたら、すべてのスタッフは通常業務は終了させてSシフトへ。私たちだって、作戦本部の一員なのよ」
「……なんだって?」
大勢のスタッフに紛れていて、彼女たちが見極められなかっただけなのか、いつもとは格好が違うからなのか。徹には違いが分からないが、確かに異変がある。
「安心してね。何度も経験しているから、しっかりオペレートするわ」
「普段は見ているだけしかできないけれど、今日はあなたたちと一緒に戦える」
「戦うとは、どういうことですか」
牧瀬と早川は顔を見合わせてから、眉を上げて勝ち気な笑みを作ってみせた。
「見れば分かるわ」
「詳しいことは戦闘後、司令に聞いてちょうだい。あの人、指揮は苦手だけど、戦うのは得意だから」
頑張ろうねっと笑い、両腕でガッツポーズをとる二人に、徹は曖昧な返事をして頷く。
「なにをしているの」
その後ろから冷ややかな女性の声が響いてくる。徹は肩を揺らして、恐る恐る首を背後に向けた。
「作戦をもうすぐ開始します。早く位置につきなさい」
髪を一結びにし、白を纏った鏡子がそこにはいた。会議などに行く際にしか着用をしないのだと勝手に思っていた、司令官服。牧瀬たちと同じデザインだが、色だけが紺ではなく白で、ふくらはぎまでの長い上着を肩にかけている。
「はい、由川司令!」
そう言いながら敬礼をした早川たちは勇み立って作戦本部の中へ入っていく。躊躇した徹の横を鏡子が通り過ぎ、視界を白で奪っていった。
「どうしても戦えないのなら、ここで見ていなさい」
扉を手で押さえながら、鏡子はそう囁きかけた。徹は顔を上げて鏡子の背を見つめる。徹がここに来るようになったのは、そう前のことではない。たったの三ヶ月前だ。
「……由川司令は、始先輩の死を悼んでくれますか」
「ええ。どの子も私にとっては素晴らしい部下であり、守るべき子どもよ」
徹は両手の平を太股の横に当て、頭を深々と下げる。
「申し訳、ございませんでした」
「それは黒馬に言ってあげて。あの人はあの人なりに、始を可愛がっていたし、本気だったのよ」
「……はい」
そうするつもりだった。けれど、あの男は自分の言葉を受け取らないのではないかと徹は感じた。じんわりと瞼の下に熱がこもる。
「昨日、ようやく修理を終えられたのよ。あなたには初めて見せることになるけれど、驚いたり、怖がらせるつもりはないことだけは覚えておいてくれると嬉しいわ」
「はい」
鏡子の声がいつものように震えている。しかし、今日は恐れからではなくて、武者震いだろう。
「だから、私にとってはこれが弔い合戦」
行くわよと強く告げる司令官に頷きで返し、その背を追った。




