市ノ瀬 雅臣
「う……っ」
呻いた当夜は目を開けた。白い天井と薄ピンクのカーテンが目に入った当夜は体を起こして周りを見る。服装は制服ではなく、水色のシンプルな上下に変わっていた。肘の裏に輸血の管が通されている。
「病院? なんで……」
ベッドから降りた当夜は、点滴スタンドを握った。それを押して、カーテンを開いて外に出る。何人かで集まって寝かされている部屋か、花澄のように個室なのかと思っていたが、出てみると病室ではなさそうだということが判明した。
他にもいくつかカーテンで仕切られたベッドが三台あり、膨大な量の薬が詰められている棚とテーブルが設置されていて、どちらかというと学校の保健室のようだった。
「おや、起きたのかい?」
横開きのドアがカラリと音を立てて聞くと、丸眼鏡をつけたボサボサの黒髪を無理矢理後ろで結っている男性が入ってくる。白衣を着ているところを見ると、この人物が医者のようだった。
「あ、あの……っ、俺、は?」
点滴スタンドを握った手をそのままに、当夜はじりっと後退する。もう片方の手を胸の前で握り、困惑した面持ちで男を見つめると、男が駆け寄ってきた。
「かっわいいですねえー!」
「うっ」
物凄い勢いで駆け寄ってきた男は当夜を抱きしめて頬ずりをする。
「ア、アンタ誰!? こ、ここどこ!?」
暴れる当夜に大笑いをしながら、男は当夜の着ている服をめくった。
「おっ、やっぱりもう消えてますねえー」
「なっ、なに!?」
べろんと大きくめくられて腹を見られた当夜は目を丸くさせるが、男は気にした様子もなく、背中やシャツから出た腕、ズボンを引っ張って下半身を覗く。最初こそ動揺した当夜だったが、相手が男だということもあってじょじょに落ち着いてきた。医者なのだとしたら、患者の様子を見るのは当たり前のことだ。
「んー、流石ですねえ」
と言って当夜の前から去ろうとした男の白衣を当夜はつかんだ。
「な、なあ!」
「なんですかあ?」
細い目を閉じて笑む男に、当夜は教えろよと訴える。
「ここはどこで、カグラヴィーダは一体なんなんだ」
「カグラヴィーダ?」
「おっ、俺の……白い鳥」
面白そうに笑う男に、当夜はだんだん恥ずかしくなってきて、赤くなって口ごもる。
「ああ、あの機体の名前ですかあ。そう、カグラヴィーダというんですね」
「そーだよ」
ぎゅっと白衣を握った。あんなに寂しそうな目をしたカグラヴィーダを一体どこに行ってしまったのだろう。
「寂しがってる。きっと」
そういうと、男は腹を抱えて笑いだした。当夜は耳まで赤くしてわっ笑うなよ! と叫ぶ。
「あー、いやそんなパイロット初めて会いました」
滲んだ涙を指の先で拭った男は、当夜の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「優しい子ですねえ」
当夜は照れるのも怒るのも止めて、男を赤い目でじっと見つめる。
「徹くんが大事にするのも分かります」
「とっ?」
幼馴染の名前を出された当夜はぎょっと目を開いた。問おうとした時、横開きのドアを開けて水色の髪が入ってくる。内巻き気味の髪を揺らして入ってきた青年と、当夜は目が合った。
「徹」
知らない場所で、知らない人と話していた当夜は、緊張していたが、徹の顔を見た途端、上がっていた肩の力も抜け、強張っていた表情も緩む。
「勝手なことをするなと、あれ程言っただろう!」
だが、靴の踵を鳴らして近寄った徹は手を振り上げ、当夜の頬を叩いた。
「どれだけ僕を心配させるんだ!」
「ご、」
「謝って済むことじゃない!」
再度同じ頬を叩かれた当夜は、ギッと徹を睨み付ける。その様子に、徹はなんだ、と言う。
「朝にあれ程言っておいただろう」
「言っておいたってなんだよ! 俺は犬か!?」
「約束も守れないのなら犬以下だ!」
片方を赤くさせた当夜は、口をぽっかり開けて徹を見上げた。徹が口を開こうとした時、「はーいはい、徹くん落ち着いて」と医者らしき人物が間に入り込んできた。
「ダメじゃないかー、患者を興奮させちゃあ。困るよお」
「は、はあ……ですが」
「ですがじゃないよ!」
腰に手を当てて怒る男に、徹は眉を下げる。
「あのっ」
「ん?」
当夜が男の腕にしがみついて話しかけると、男はなんですかねえ? と当夜の方を向いた。どうしたんです? と言いながら背を屈める。
「これっ、外してもらいたいんだけど、いい?」
当夜が輸血の針を差している腕を見せると、男は瞬きをした。
「えっ、ダメに決まってるじゃないかあ。血が足りなくて危ない状態だったんだから」
「じゃあ、このまま歩きたい」
一応医者の許可が必要なのだろうと思ったため、当夜は男に訊いたが、男は仕方ないねえーと頭を掻く。
「んじゃ、僕と一緒に歩こっか」
と言って男は当夜の腰に手を滑らせた。当夜はん、と頷く。
「と、当夜!?」
慌てた徹が当夜の手を握って止めようとしたが、当夜はその手を避けた。徹、と不機嫌そうな声を出す。
「俺が犬だとか言うんなら、お前の手ェ噛んでやる」
「かっ、噛む!?」
徹が自分の手を握り、医者がぷっと吹き出した。当夜はフンッと鼻息荒く扉を開けて廊下に出ていく。
医者はガラガラと点滴スタンドを押して廊下を歩いていく当夜の横にピッタリ並んだ。
「よかったの?」
「俺の気が治まったら迎えに行くよ。アイツ、絶対に折れてくんないから」
笑って言う当夜に、男はそっか、と言う。
「さて、君はどこに行くのかな~?」
「んー……カグラヴィーダんトコだけど、その前にここの責任者んトコに案内してくんない?」
「どうして?」
「ここがなにする所で、カグラヴィーダがなにか、俺がどうなんのか知りたい」
カラカラと音を立てつつあるく当夜に、医者は苦笑した。
「そこの曲がり角を右だよ」
「はい」
長い黒髪を揺らして歩く当夜を見ながら男は微笑む。当夜は右に曲がり、大きな吹き抜けのあるホールまで入った。細い廊下を通って、階段を下り、真ん中で指示を与えている女性の傍まで歩いていく。
「すいません」
後ろ手に手を握った当夜が話しかけると女性はその方に顔を向けた。
「今、時間いいですか?」
「えっ、あなた……は」
「キョーコちゃん、この子あの白い機体のパイロット」
「ああ! ええ、勿論よ!」
当夜の後ろから医者が言うと、その女性は一つ返事でデスクの上の書類をまとめ、部下に伝えてから当夜を別室に誘う。
「僕も一緒に行ってもいいよね、キョーコちゃん」
笑顔で当夜の両肩に手を置く男を見て、女性は渋い表情になったが、背を向けた。
「あなたは……その、勝手にしてください」
それでいいのか、男はわーいと子どものように言って、はしゃいだ様子でスキップをする。当夜は二人を後ろから見ながら、くすっと笑った。
「さ、ここよ」
女性がスイッチを押して部屋のドアを開け、中に入る。電気を点けた部屋は、大きな長テーブルとイスが五脚程置いてあり、規模は小さいものの会議室のようだった。
「失礼します」
と言いながら当夜は入り、女性がどうぞと手で差した椅子を引いて座る。さてと、と微笑する女性の赤い唇が見慣れず、当夜は顔を俯けた。
「そうね、まずはお名前とか教えてくれないかしら? それからこちらの事情について説明をするわ」
そう言われた当夜ははあと言って、俯いていた顔を上げる。
「えっと、じゃあまあ。その、名前は……渋木当夜っていいます。年は十五で、美里ヶ原高校に通ってる」
「……美里ヶ原高校の、渋木当夜くん、ね」
テーブルに広げた手帳にメモを取っていた女性がペンの先を顎に当てた。
「この間の模試で一番だった?」
「え? あ、うん」
「日曜の陸上大会で五千メートルで優勝してなかったかい?」
「う、うん……代理で出た、から」
なんで知っているんだろう? と当夜は首を傾げると、大人二人は顔を見合わせて難しい表情をする。
「剣道、柔道、空手、ボクシング」
「全部やってたけど……?」
二人は顔を再度見合わせてから、はーっと大きく息を吐いた。
「これはやられたわね」
「徹くんが隠していたのか、ご両親が隠していたのか、どっちだろうねえ」
「きっとどっちもよ。大体、最初からおかしかったもの」
「なにかあるかなあとは思ってたんだよねえー」
もう一度大きくはーっと息を吐いた二人に、当夜は不審だという顔を隠せなくなってくる。
「あの、なんですか?」
眉を寄せながら訊ねると、二人はごめんごめんと言いつつ、こそこそと話すのを止めた。
「ごめんね」
「ううん。とにかく、わかんないことだらけなんで、説明してほしいんだけど……」
「そうね。あ、その前に。私は由川鏡子。ここ、東京支部の司令官をしています」
「僕は市ノ瀬雅臣。君たちパイロットのメディカルチェックとかの担当をしてるよー」
手を振りながら言う雅臣を冷たい目で見た鏡子は、ごほんとわざとらしい咳をしてから話し始める。
「まずはここの説明からするわね」
「うん、お願い」
足の間に手を差し込んで頷く当夜に、鏡子はにっこりと笑った。