第23話、戦場の余熱、日常の予兆。
日曜日の朝。
カーテンの隙間から差し込む日差しが、俺、目黒碧の瞼を容赦なく叩いた。
意識が覚醒へと向かう中、最初に脳裏を過ったのは、昨夜の興奮だった。
「……夢じゃ、なかったよな」
俺はベッドの上で身じろぎし、サイドテーブルに置いたスマートフォンを手に取った。 画面をタップし、SNSアプリ「Twitter」を開く。通知タブには『99+』の赤いバッジ。 タイムラインを更新すると、そこにはまだ昨日の熱狂が燻っていた。
『昨日の椎崎たちのマッチ、マジで神回だった』
『アーカイブ何回見ても鳥肌立つ』
『四天王揃い踏み、また見たいなぁ』
俺は小さく息を吐き、口角が自然と上がるのを止められなかった。
俺、伝説のストリーマー「椎崎」が、偶然にも「神志名鈴香」「神楽坂遥」「雲雀川美桜」というトップ配信者たちとチームを組み、圧倒的な勝利を収めたあの一戦。
その連携は、言葉にするのが野暮なほど完璧だった。呼吸、判断、カバーのタイミング。全てが噛み合っていた。まるで、一つの巨大な生き物になったかのような全能感。
「あぁ……また、あいつらと出来たら楽しいのにな」
天井を見上げ、独り言ちる。
普段はソロプレイを好む俺だが、昨日のあの感覚は中毒性があった。背中を預けられる安心感。自分の思考が即座に実行される快感。
あんな体験をしてしまっては、もう元の孤独な野良ランクには戻れないかもしれない。
「……よし」
俺は半身を起こし、スマホを握り直した。
待っているだけじゃ何も始まらない。向こうもプロだ。一介のストリーマーである俺からアクションを起こすのは勇気がいるが、昨日の今日だ。挨拶くらいは許されるだろう。
「試しにフォローしてみるか。そこからまた、考えればいい」
俺は検索窓に『神志名鈴香』と打ち込んだ。
ピンク髪の可憐なアイコンが表示される。フォロワー数は俺と拮抗しているが、そのアイドル性ゆえに熱狂的なファンが多い。
最新の投稿を見ると、昨日のゲームの感想が綴られていた。
『昨日は本当にすごい夜でしたっ! 椎崎さん、神楽坂さん、雲雀川さんとの夢のマッチング、まだドキドキしてます! またいつか遊べたらいいなーなんて! #奇跡のカルテット』
眩しい。文章からにじみ出る陽のオーラが眩しすぎる。
だが、ここで怯むわけにはいかない。俺は「椎崎」としての仮面を被り、慎重にリプライを作成し始めた。
「えーっと……『昨日はありがとうございました。最高に楽しかったです!』……これじゃ普通すぎるか? いや、変に気取るよりストレートな方がいいな」
指先を動かし、文章を推敲する。
『@Suzuka_Kamishina 昨日はありがとうございました。最高に楽しかったです! あの連携は、自分にとっても特別な体験でした。また機会があれば、ぜひプレイできると嬉しいです。一応、フォロー失礼します』
送信ボタンを押す指が少し震えた。
『送信しました』の文字が表示されると同時に、フォローボタンも押す。
ふぅ、と息を吐く間もなく、次は『神楽坂遥』だ。
彼女のタイムラインは、優雅で知的な雰囲気に包まれていた。
『昨晩の舞踏会、素晴らしいひとときでしたわ。皆様との共闘、わたくしの誇りです。特にラストの展開、美しゅうございました。 #APEX #神楽坂遥』
完璧なお嬢様ムーブだ。
俺は背筋を正し、礼儀正しくリプライを送る。
『@Haruka_Kagurazaka 昨夜はありがとうございました。神楽坂さんのスモークのおかげで、自由に動くことができました。最高のチームでした。また戦場でご一緒できることを願っています。フォローさせていただきます』
そして最後、『雲雀川美桜』。
彼女の投稿は短く、シンプルだった。
『……強かった。……楽しかった。……また、撃ちたい』
添付されているのは、リザルト画面のスクリーンショットだけ。
だが、その飾らない言葉にこそ、スナイパーとしての矜持を感じる。
俺は彼女にもリプライを送る。
『@Mio_Hibarigawa 昨日はありがとうございました。あの狙撃の援護があったからこそ、前に出られました。心強かったです。また背中を預けさせてください。フォローしておきます』
「よし……完了だ」
三者三様のリプライを送り終え、俺はベッドから降りた。
スマホを置くと、急激に現実が戻ってくる。
ここは戦場ではない。日曜日の朝の、平和な我が家だ。
「ぐぐぐっ……」
大きく伸びをして、凝り固まった筋肉をほぐす。
関節がパキパキと鳴る。
さて、ネットの中の「仲間」への挨拶は済んだ。次は、リアルな「居候」たちを起こさなければならない。
リビングへ降りると、そこには異様な光景が広がっていた。
散乱した布団、絡まり合う毛布。
まるで小動物の巣窟のように、三つの膨らみが床を占拠している。
「……よく寝るなぁ、あいつら」
昨夜、俺の布団の周りで夜更かしして騒いでいた彼女たちは、結局そのままリビングで雑魚寝を決め込んだらしい。
時計の針は既に9時を回っている。
俺は仁王立ちになり、腹から声を出した。
「おーい! 起きろー! 朝だぞー!!」
返事はなかった。
いや、正確には、毛布の塊が微かに蠢いただけだった。
一番手前のピンク色の毛布――七瀬の塊から、くぐもった声が漏れる。
「……んんぅ……あと少し……あと5分……いや、永遠に寝させて……むにゃ……」
完全に夢の中で、寝起きは最悪だ。 続いて、中央の整った形の布団――椎名の塊がモゾモゾと動く。
「……あと少しだけ……あと少しだけ、論理的に考えて睡眠時間が不足していますわ……」
寝言まで理屈っぽい。普段の委員長キャラが崩壊している。
そして、一番奥、俺の脱ぎ捨てたジャージを枕にしている美波の塊。
「……碧にぃ……碧にぃと永遠に寝ていたい……おやすみ……」
「どんな願望だよ」
俺は呆れてため息をついた。
このままでは昼になってしまう。日曜日の貴重な時間を、睡眠で潰すわけにはいかない。
俺は最終手段に出ることにした。
椅子を引き、わざとらしく大きな音を立てて座る。
「あーあ、仕方ないなぁ。じゃあ、俺一人で朝ごはん食べるか。フレンチトースト作ろうと思ったけど、一人分でいいや」
ピクリ、と三つの塊が反応した。
「あと、今日の予定は俺が勝手に決めるからなー。せっかくの天気だし、一人でお出かけでも行って、美味いもん食べてくるわー」
その瞬間だった。
バッッッ!!!
効果音がつきそうな勢いで、三つの布団が同時に跳ね除けられた。
「おはよおおおおおおっ!! 碧っ! おはよおおおっ!」
ボサボサの髪の七瀬が、充血した目で飛び起きた。
「お、おはようございますわ、碧。……奇遇ね、わたくしも今、ちょうど起きようと思っていたところよ」
椎名が必死に手櫛で髪を整えながら、すました顔を作る(パジャマのボタンが掛け違っているが)。
「……碧にぃ。……おはよう。……お出かけ、行く。……絶対、行く」 美波が幽霊のような足取りで、しかし確固たる意志を持って俺の袖を掴んだ。
その目には、「碧と出かけたい!」という強烈な執念が燃えていた。
昨夜のゲームの話で盛り上がった一体感が、まだ彼女たちの中に残っているのだろうか。それとも単に、俺の作る飯と、俺との外出が目的なのか。
おそらく後者だろうが、悪い気はしない。
「……はいはい。わかったから、顔洗ってこい。手伝うから、さっさと準備するぞ」
「「「はーい!!」」」
そこからの彼女たちの動きは、軍隊のように迅速だった。
七瀬が冷蔵庫から卵と牛乳を取り出し、椎名がパンを切り、美波がフライパンを温める。
俺が指示を出す前に、完璧な連携でフレンチトーストの準備が進んでいく。
(……なんか、こいつら手際良くなってないか?)
昨日のゲームでの連携が、現実の家事にもフィードバックされているような錯覚を覚えた。
ジュワッというバターの溶ける音と共に、甘い香りが部屋に充満する。
10分後。
こんがりと黄金色に焼けたフレンチトーストと、熱々のコーヒー、そして彩り豊かなサラダがテーブルに並んだ。
「「「「いただきます!」」」」
4人の声が重なる。
サクッ、フワッ。
口の中に広がる甘みと幸福感。
「ん〜っ! 碧のフレンチトースト、世界一!」
七瀬が頬を膨らませて叫ぶ。
「ええ、この焼き加減……絶妙ね。外はカリッと、中はプリンのようにトロトロ……」
椎名が目を閉じて味わう。
「……ん。……美味しい。……幸せ」
美波が無言で次々と口に運ぶ。
あっという間に皿が空になった。
食後のコーヒーを啜りながら、七瀬が身を乗り出した。
「それで! どこ行く? さっきお出かけって言ってたけど!」 椎名と美波も、期待に満ちた瞳で俺を見つめる。
俺はカップを置き、もったいぶって言った。
「じゃあ……久しぶりに、葛西臨海公園にでも行くか」
「「「おーっ!」」」
「水族館もあるし、観覧車もあるしな。で、そのあと豊洲に移動して海鮮丼食べて……」
「海鮮丼!?」
七瀬の目が輝く。
「そのあと、秋葉原でも行って、ゲーミングデバイスを見たり、アニメのグッズやVTuberのグッズを見たりして帰るか!」
その提案をした瞬間、3人の表情が一変した。
ただの「遊び」の顔から、一瞬だけ鋭い「プロ」の顔が覗いた気がした。
「……ゲーミングデバイス。……いいわね。今のキーボード、少し反応速度に不満があったの」 椎名が小声で呟く。 「……新しいモニター。……リフレッシュレート、もっと高いやつ……」 美波がボソボソと言う。 「新作のマウス……! 七瀬、性能のいいやつ欲しい!」
「お、おう……。なんか皆、気合入ってんな」
「当たり前でしょ! 賛成! 今すぐ行きましょ!」
「支度! 支度する!」
「はいはい、わかったよ。30分で出るぞ」
俺の号令と共に、再び嵐のような準備タイムが始まった。
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