第19話、静かなリビングと、騒がしい戦域。
土曜日の朝。
目覚めた俺、目黒碧を包んでいたのは、昨日の朝と同じ、しかし決定的に質の異なる静寂だった。
平日ならば、この時間は戦場だ。七瀬がドタバタと走り回り、椎名がコーヒーミルの音を響かせ、美波がソファを占拠する。そんな「騒音」がないリビングは、やけに広く、そして少しだけ寒々しく感じられた。
「……ま、あいつらも休みなんだ。ゆっくり寝てるだろ」
俺は伸びをして、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
食器棚に収まっている。あいつらの痕跡はあるのに、姿だけがない。
一抹の寂しさを振り払うように、俺は水を一気に飲み干した。
「よし! 今日は土日だ。誰にも邪魔されず、思う存分配信ができる!」
俺は気合を入れると、聖域である自室の防音室へと向かった。
分厚い防音ドアを閉め、鍵をかける。この瞬間、俺は「目黒碧」という平凡な高校生から、伝説のストリーマー「椎崎」へと変貌する。
高精細なモニターが3枚、同時に起動する。ゲーミングPCのファンの音が、離陸前のジェット機のように低く唸りを上げた。
『配信開始』ボタンをクリックする。
「――おはよう。椎崎だ。……土曜の朝から集まってくるなんて、お前らも好きだねえ」
低く、気怠げで、しかし芯のある声を作る。
コメント欄が瞬く間に『おはよう!』『待ってました!』『朝椎崎助かる』の文字で埋め尽くされていく。同接は開始5分で既に3万人を超えていた。
「今日は長丁場になる。……ランクマ、回していくぞ」
俺がマウスを握りしめたその時。
壁を隔てた隣の家、向かいの家でも、全く同じことが起きていた。
左隣の家では、習志野七瀬がピンク色のゲーミングチェアに深々と座り、可憐なアバターを纏ってマイクに向かっていた。
「おっはよー! 神志名鈴香だよっ! 今日は朝からガンガンランク上げてくから、みんなついてきてねーっ!」
その声は、普段のガサツな七瀬とは似ても似つかない、銀鈴を転がすようなアイドルボイス。
右隣の家では、幕張椎名が紅茶の入ったカップを優雅に置き、凛としたアバターを画面に映し出していた。
「ごきげんよう。神楽坂遥ですわ。……皆様、朝のお支度は済みまして? わたくしと共に、戦場という名の舞踏会へ参りましょう」
その口調は、完璧な令嬢そのもの。普段の委員長キャラをさらに高貴に昇華させている。
そして、向かいの家。検見川浜美波は、部屋のカーテンを閉め切り、暗闇の中でモニターの光だけを浴びていた。
「……ん。雲雀川美桜、配信開始。……今日も、抜く。……見てて」
短く、ボソボソと、しかし絶対的な自信を孕んだ声。普段の眠たげな美波とは違う、研ぎ澄まされたナイフのような冷徹さがあった。
示し合わせたわけではない。
ただ、4人の「ゲーム馬鹿」が、休日の朝に考えることは一つだったのだ。
配信開始から2時間。
俺は順調にランクポイントを稼ぎ、最上位ランク帯である「プレデター」目前のマッチに挑んでいた。
『Crisis Sector』のマッチングシステムが、対戦相手と味方を検索して回転する。
「さて、今の野良環境はどうなってるかな。……連携が取れる味方だといいんだが」
俺が独り言ちたその時、マッチング完了の音がヘッドセットに響いた。
画面に表示される、味方分隊のメンバーリスト。
そこに並んだ名前を見た瞬間、俺は息を止めた。
Player 1: 椎崎
Player 2: 神志名鈴香
Player 3: 神楽坂遥
Player 4: 雲雀川美桜
時が止まったかのようだった。
コメント欄が、爆発的な勢いで流れ始める。
『は????』
『え、これマジ??』
『四天王揃い踏みじゃねーか!』
『運営のドッキリか?』
『奇跡のマッチングきたあああああ!』
俺は動揺を悟られないよう、必死に声を抑えた。
「……おいおい。なんてこった。……どうやら今日は、神様が俺にエンタメを提供してくれてるらしい」
恐る恐る、ボイスチャット(VC)のキーを押す。
このメンバーで無言はありえない。誰かが口火を切らなければならない。
だが、その前に、スピーカーから鈴のような声が飛び込んできた。
『あー、あー! マイクテスト! ……えっと、これ、本物ですか!? もしかして、椎崎さんと、神楽坂遥さんと、雲雀川美桜さんですか!? わたくし、いつも見てますっ!』
神志名鈴香(七瀬)だった。
その声は、完全に「ファン」のそれであり、かつプロのアイドルとしての「神志名鈴香」の声だった。俺の知っている、朝に「起きろー!」と叫ぶ七瀬の声ではない。
俺は咳払いを一つして、椎崎としての声を出す。
「……ああ、本物だ。はじめまして、神志名さん。……まさかこんなところで会うとはな。よろしく頼む」
『きゃーっ! 椎崎さんの生ボイスだーっ! よろしくお願いしますっ!』
続いて、優雅で落ち着いた声が響く。
『……ふふ。驚きましたわ。まさか、わたくしが敬愛する皆様と同じ部隊になれるなんて。……神楽坂遥です。いつも神志名様の可憐な動きと、椎崎様の統率力、そして雲雀川様の狙撃を楽しく拝見しておりますわ』
神楽坂遥(椎名)だ。
「敬愛する」なんて言葉、あいつの口から聞いたことがない。だが、その声色には微塵の揺らぎもない。完全に「神楽坂遥」に入り込んでいる。
そして最後に、静寂を破るように、短く、低い声が落ちた。
『……ん。雲雀川美桜。……3人とも、強い。知ってる。……今後とも、良かったら仲良くしてくれると、嬉しい』
雲雀川美桜(美波)。
普段の「碧にぃ……」という甘えた声はどこにもない。そこにあるのは、歴戦の傭兵のような静かな威圧感と、不器用な敬意だけだ。
「……こちらこそ。雲雀川さんの狙撃には、いつも肝を冷やしているよ。味方でよかった」
俺は心からの本音を漏らした。
画面の向こうの彼女たちが、まさか毎晩俺の家で飯を食っている幼馴染たちだとは、この時の俺は想像すらしていない。ただ、「トップ配信者たちが集結した」という事実と、奇妙な高揚感だけがそこにあった。
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