番外編 この手の攻撃には強いのですよ
社交界、とかく夜会においては酒類が提供されるのが常である。
ほどよく気分をよくし、会場の空気と合わせて心も浮く。夜の社交という華やかな場に欠かせない必需品であるが、一歩間違えれば自分を破滅させる品である。
酒は飲んでも呑まれるな。
衆目で酒に酔って醜態を晒せば笑い者。酒で意識を朦朧とさせればありもしないことを吹き込まれ、奪われ、失う。勧められるままに口にすれば口が軽くなってしまう。
故に、社交界に出る者は自分がどの程度酒に強いのかを知っていなければいけない。下戸ならばきっぱりと断れることも重要である。
ギ―ヴァント公爵子息であるシャルベルも自分がどれほど酒を飲めるのかを理解している。
父である公爵は時折晩酌に嗜むほどに飲み、その父が王都にいるときにはシャルベルも同席することもある。
己がそれほど酒に弱いと思ったことはない。
だからこそ、酒に弱い者もおり、その加減は見極めが必要であるということも理解していた。
とある屋敷での夜会。シャルベルはいつもどおりに酒を嗜みつつ他貴族と談笑を重ねる。
他貴族から問われる話として多いのはもっぱら婚約についてやラウノアについて。回数を重ねれば辟易とするがそれを表に出すことはなくシャルベルはこなす。
そうしながら、ちらりと視線を動かした。
今夜の夜会はラウノアも同伴している。ラウノアも同様に招待状を、しかもご丁寧に互いに「パートナーを同伴して是非」と書かれていたので、苦笑しながら参加を決めた。
そんなラウノアとは主賓への挨拶を終えてから少し離れている。
見ればラウノアは他貴族の令嬢たちと話をしたり、どこかの子息に声をかけられたりしている。どの相手にもそつなく、令嬢たちの中には気の合う人もいるのか時折笑顔も見られる。
そういった相手ならばシャルベルも安心できる。が、そんなよい相手ばかりではない。
(ああ。またか……)
ラウノアがどこかの令嬢に声をかけられた。
ラウノアは声をかけてきた相手にいやな顔を見せることなどしない。今回の相手にも微笑みを浮かべて挨拶に応じている。
そんなどこかの令嬢が、両手に持っていた酒の入ったグラスの片方をラウノアに勧める。
(喉が渇いていませんか、と問うならともかく、最初からああして持ってこられたものを拒むのはしづらいという精神的な狙いか)
ラウノアが令嬢からグラスを受け取った。それから何かを言われて口許でグラスを傾ける。
(あれで何杯目だ)
すでに同じ光景を十回は見ている気がする。多すぎて、ラウノアに声をかける令嬢を睨んでしまう自覚はシャルベルにはない。
見る限りラウノアの様子に異変はない。足元がおぼつかないような様子も、話すために動く口もしっかりしているように見受けられる。
しかしそれらはこうして遠くから見ているもので、実際は違うかもしれない。
早くラウノアのもとへ戻りたい。しかし立場があるとなさねばならないことも多い。
ざっと見ただけだが、今夜の夜会ではワインを始めとする果実酒、麦芽を使用する洋酒など細かな種類があり中には強い酒もあった。
ラウノアが渡されているのはワイングラスだ。しかし、赤や白のワインではないように見受けられることから、別の果実酒だろうと思われる。それほどに強い酒ではないだろうがちょっと回数が気になる。
(せめて、ラウノアがどれほど酒を飲めるのかと聞いておけば……。いや。ラウノアも解っているだろうが……)
ラウノアは自分で積極的に酒を手に取らない。好んでいないのか強くないのか。シャルベルは後者ではないかとにらんでいる。
となると、あまり飲ませるわけにはいかない。
ラウノアに酒を勧める令嬢たちに見覚えがないわけではない。ラウノアと婚約する以前の社交界でよく近づいてきた者たちだ。関わりたくなくて愛想笑いでやり過ごしていた。
そんな者たちがラウノアに酒を勧める目的など想像に易い。シャルベルは内心でため息を吐いた。
(ラウノアに謝らなければ)
そのためには一刻も早くこの挨拶を抜けなければいけない。
社交界における談笑というものはただのお喋りではない。情報の交換や収集、相手を観察するという貴族社会を生き抜く大切で重要な場でもある。疎かにすればそれはわが身に返る。
ある程度をこなしたシャルベルはすぐにその場を離れ、ラウノアのもとへ向かう。
自分が急ごうとする合間もラウノアは何度か酒を受け取っていた。ラウノアは変わらぬ様子とはいえさすがに心配になってくる。
(バルコニーへ向かったな。さすがに限界か)
シャルベルも急いでラウノアが向かったバルコニーへ向かう。途中で視界の端に映った令嬢たちは思う手応えがなかったせいかつまらなさそうな顔をしていた。
怒りが湧く。しかしそれよりも急ぐことがある。
ラウノアがいるバルコニーへシャルベルもすぐに踏み出した。
夜会の喧騒から夜の静けさに包まれる。酒のせいか火照った肌にも夏の夜風が冷えて感じられる。
「シャルベル様」
そこに、ラウノアがいた。
夜会用のドレスを身にまとうラウノアはやはり普段よりは華やかだ。しかし、そのドレスの控えめな装飾は彼女らしくて少し安心する。
やってきたシャルベルにラウノアは数歩歩み寄り、そっとシャルベルを見上げた。
しっかりとした足取り。普段通りの血色のいいきめ細やかな肌。潤むこともなくはっきり自分を見上げる白銀の瞳。
見つめて、思わずほっとした。
(よかった。酔ってはいないようだ。酔いの回った姿など晒すわけにはいかないからな)
しかし、ラウノアのその手にまだ酒の入った例のグラスが握られているのは不愉快である。
思わずそのグラスを睨むと、ラウノアの視線も手に持つグラスに向いた。
「これは、さきほどいただいたものです。美味しいお酒なのですがもう何度も飲んでしまっていて……」
「……」
ずっと見てました、なんて言えるわけもなく。
令嬢たちのことが頭をよぎって、ラウノアの手からそのグラスをやんわりと受け取った。
「あ……」
「俺がもらってもいいだろうか?」
「……わたしに勧められたものは、お口に合わないと思いますが」
「構わない。……それに、俺がまいてしまった種だ」
ラウノアも解っている。互いに解っているから、だから困ったように、申し訳なさそうに眉を下げる。
諦めたのかラウノアは小さく頷いた。それを受け取りシャルベルはグラスに口をつけて傾け――むせた。
「げほっ。こっ、これはかなり強い酒じゃないか」
「はい」
「いや、はい、ではなく。こんなものを飲まされたのか」
「よほどに皆さまのお気に入りのようで」
そうではないだろう。
そう言いたくなってしまうが、ラウノアも意図は気づいている。それでいて責めることもなく、無闇な軋轢にならないよう受け取って、口にする。それが何度訪れようとも。
「……ラウノア。これを何杯飲まされた?」
「それほどではありません」
「ラウノア」
「……。二十近く、でしょうか……?」
シャルベルの眼光がいつもと違う。圧を感じたラウノアは視線を逸らしつつ大雑把な数を答えた。
その答えにシャルベルの眼光がさらに冷える。そしてすぐにバルコニー近くにいた給仕を呼びつけて中身の残ったグラスを返却した。
強い酒は、好む人は好む。
しかし相手が飲める人であるかどうかある程度知っていないと、勧めるべきものとはいえない。
特に今回は、ラウノアに対する悪意を持ってなされたもの。苛立ちを感じて仕方がない。
が、シャルベルはふっと息を吐いて冷静さを呼び戻す。感情に支配されるなどあってはならない。常に冷静にあらねば。
それに、悪意を持った相手へ苛立ちを募らせるよりも先にするべきことがある。
「ラウノア。見たところ平気そうだが、これだけ強い酒だ。酔いは?」
「大丈夫です。呂律も回りますし、足元もしっかりしています。もしや顔が赤いですか?」
「いや。いたって普段どおりだ。……強いな」
自分ならばこの酒を二十近く飲んで平気かどうか……。考えてしまったシャルベルにラウノアは微笑んだ。
「わたし、お酒は強いのです。もう三十飲んだところで酔わないと思います」
「飲まないでくれ」
思わず即答で返したシャルベルに驚いた顔を見せつつもすぐに喉を震わせるラウノアを見て、シャルベルは視線を逸らして頬を掻いた。
微笑ましくも、シャルベルにとってはよくも悪くもある空気に思わず本人が視線を逸らしたまま口早に問う。
「それならよかった。君は酒を好んでいないようだったからてっきり強くないのかと……」
「こういった場では飲みますが普段は飲みませんので、好くこともなくて」
「そうか……」
酒に対する強さはそれぞれ。普段よく飲むから強いということも、飲まないから弱いということもないらしい。
ラウノアを見て改めて感じつつも、内心で大きく息を吐いた。
「だが、強いと過信してあまり飲まないでくれ。俺がいるときならともかく、そうでないときに誰かにそんな姿を見られでもしたら俺は――……」
「はい。シャルベル様やギ―ヴァント公爵様のご迷惑になるような真似はいたしません」
一瞬、思考が切れた。
ラウノアの言葉は至極まっとうなものだ。貴族社会というものをよく理解している。そういうしっかりとしたところもよいところだ。
(――……ああ。そうだ。そうだな。俺もそういうことを言おうと……したはずだ)
きっとそうだ。そうに違いない。
ラウノアの言葉に違うなんて否定は思っていないし、意表を突かれてなんていないし、そういう話だったかなんて自分で首を捻ってもいない。きっとラウノアの言うとおりだから。
「……そうだな。ラウノア。もう少しここにいよう。今戻っても同じことになる」
「はい」
今はまだ、二人だけでいい。
傍にいる婚約者の存在を感じながら、今後の夜会への憂いが一つ消えたシャルベルはほっと息を吐いた。




