26.仲直りは初めましての一歩
足場がなくなって、放り出された。
身体が空を飛んで、落ちていくのに頭は冷静で。
すぐにアレクも身を投げ出したのが分かった。迷いのない行動に叱りたくなった。
けれど、それができるかどうかは分からない。
落ちていく中、ラウノアは青い空へ向けて手を伸ばす。
――重なって見える、もう一人の手。
(空から落ちるなんて――……)
空から落ちるときは、この上に黒い竜がいるのが見慣れた光景だ。
喧嘩をして。なかなか仲直りができなくて。そんなとき、がぶりと甘噛みされて空へ連れていかれる。そして、放り出される。
為す術なく落ちていくけれど、必ず、黒い友が助けてくれる。
空の上なら誰も聞いていないから。空はどこまでも広がって、自由で、心がいつもよりすっと解放されるような気がするのだ。
だから、仲直りはいつも「悪かったよ」と、空の上でする。
思い出して、少し、口許が綻んだ。
黒い友を説得したギルヴァは、その説得方法を後に教えてくれた。
とても仲がいいのにわざと相手を突き放すようにして。わざと喧嘩するように言ったギルヴァの優しさと願いを感じた。
――今を、生きてほしい。
古竜はもう、気づいている。
確かなことは知らなくても、ギルヴァも伝えていなくても、そこに繋がりがあると気づいている。
だからきっと求めている。もう一度、友と空を飛ぶことを。
ギルヴァはもう、区切りをつけている。
古竜自身が区切りをつけないかぎり、きっとギルヴァは今後会いにいくことはしない。
想うからこそ、うまくいかないことがある。
(ヴァフォルが来る。シャルベル様はすぐに動いてくださったんだ……)
心配させてしまっただろうか……。最後に見たのは背中で、どんな表情をさせてしまったのか見えていない。
(見えなくて、よかった……)
ときに喜んで、照れて、躊躇いがちで。そんな彼を見て知ることはとても嬉しい。けれど、悲しそうだったり辛そうだったりとする顔は見たくない。
そんな顔を、してほしくないから。
(ヴァフォルが間に合うかはぎりぎり……。わたしは魔法を使えないけれど、魔力を放出させればどうにかなるかもしれない。アレクも助けないと)
この手段は使いたくない。結果無事に終わったとしても、魔力の加減が分からないラウノアでは何かしらの問題が残るだろうから。
だけど今は選択肢も時間もない。
覚悟を決めるしかない。
そう思って拳をつくったとき、急速に近づく気配と音に視線が向いた。
(来るっ……!)
解ったそのときにはもう、その姿はすぐ傍にあった。
目が合ったと、どうしてか時間がゆっくりと流れるように感じる中で思う。その黒い目はまっすぐ自分を見つめる。
そう思ったとき、ラウノアの身は古竜の背に、アレクは古竜の手に捕まれていた。
古竜は地上ぎりぎりから空へと上昇し、眼下にシャルベルたちを望む高さまで飛んだ。
その動きを古竜の背に乗ったまま感じる。
急速に動く周囲。見回せば青と白ばかり。頬を打つ風はけれど穏やかで、地上にいる状態と同じままに在れる。呼吸も温度も同じ、背に乗る者だけが知る『竜の加護』をラウノアも確かに感じる。
空を飛ぶ。幼い頃に憧れたこともあるそれが、叶えるつもりも叶えようと思ったこともなかったそれが今、実現した。
ゆっくりと身を起こす。手が触れる鱗の感触は固く、けれど生きているぬくもりが感じられる。
初めて見る竜の背からの景色。それに重なる――もうひとつの景色。
一瞬喉の奥が乾いて、ゆっくりと眼下へ視線を向ける。
古竜の前肢がアレクを掴んでいる。背に乗せるのは嫌だが仕方なくという様子は竜という生き物の性質上仕方がないが、ラウノアは落ちないよう身を乗り出しつつも声を張り上げた。
「アレク! 怪我はしていない!?」
「大丈夫」
しかとラウノアを見る目は生気を失っていない。ほっとしつつラウノアは周囲へ視線を向けた。
シャルベルたちが目を瞠ってラウノアを見つめている。シャルベルはすぐさまヴァフォルを呼び、ライネルの腕を引きながらカーランとゼオに何かを言っている。
「シャルベル様のもとへ戻ってくれますか?」
背に乗るラウノアの言葉を聞き、古竜は悠々とその高度を保って飛行を続けた。
その状況にラウノアは古竜を見る。
聞いてくれない。これは無視ということだろうか……?
しかし背に乗せたということは古竜なりの判断があるはず。それとも、ただ危なかったから咄嗟の行動だったのだろうか。
考えつつ、ラウノアは乗ったからこそ触れられる背の鱗をそっと撫でた。
触れれば相手の魔力を感じることができる。人間相手でも竜相手でもそれは同じ。だから、そっと古竜の魔力へ意識を向ける。
触れている箇所から感じるのは、人間では感じることのない膨大な魔力。荒々しくも厳かな気高い魔力の質。
感じて、少しだけ圧倒されて、手を離す。息を吐くだけなのに震えてしまう。
そんなラウノアの行動を、古竜は背を見るように少しだけ視線を向けて見ていた。
ついでその視線はシャルベルへと向く。ライネルをヴァフォルの背に乗せた彼はすぐにこちらへ飛んでくるだろう。
古竜のその視線に気づいたのはラウノアも同じで、ラウノアは視線を外すとそっと古竜へ言葉をかけた。
「……わたしはギルヴァ様ではありません。あの方を理由にわたしを選んではいけません。それはあの方も望まれないことです」
そっともう一度、ラウノアはその背に触れた。
自分の手に重なる大きな手。瞼が震えて、どうしようもなく悲しくなる。
「あなたが今、わたしを助けた理由があの方のためであるなら、ひとつ鳴いてください。あの方のためにも、区切りは必要です」
空を飛んで、仲直りをした。
それができたのは、彼の想いと心を長い時間を共にして知っていたから。
けれど今、古竜が対するのは全く何も知らないラウノア。知らないのは古竜からであって、ラウノアは一方的に多少なりと知っている。
その差をはっきりと突きつけられ古竜は視線を眼前へ戻した。
『俺はあいつを今のおまえに選ばせるつもりはない』
背に乗る娘も同じことを言う。――つまり、ギルヴァと想いは同じなのだろう。
会いたいと願った。あの頃のように話をしたかった。一緒に空を飛びたかった。
けれどもう、とうの昔に解っている。
その願いは、叶わぬものであるのだと。
諦めるしかなかった。過ごした時間を大切に胸にしまって、もう誰も乗せないと誓った。
――いや。乗せたくなどなかったのだ。剣を持つ騎士も、人間も、大嫌いだから。
もう、自分が誰かを乗せることなどない。これからの月日に乗せるに値する人物も、乗せたいと思える相手も出てこないだろうと解っていたから。
人間嫌いの自分が乗せたい誰かが現れるなど、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
――……そう、思っていた。
あの日、ラウノアに出会うまでは。
最初の繋がりに彼がいたことは間違いない。そこに引かれたことも間違いない。
けれど、今なら分かる。
その匂いを追ってきて、近づいてからは魔力を辿って、そうして見えたのは崖から落ちたラウノアの姿。それを見て感じたのは、焦燥だった。
乗り手だった彼が危なかったときにも感じた、それと同じ感情。
助けることができて、安堵して。背に触れる手に思い出したのは――自分と対峙する度のラウノア。
避けていた。望まなかった。それはなんのために。
そう思っているはずなのに騎士と一緒に竜舎に来たのはなぜ。言う必要などない言葉を自分に告げたのはなぜ。
――いつもいつも、拒絶と同じくらい、親愛の想いを感じるのはなぜ。
何か言えないことがあるのだと分かる。
そして、その中にあるのは――強く揺るがない意志と覚悟。いつだってその片鱗を彼女は見せていた。
それが分かったいま、理解した。
友は酷いことを言った。「俺を見るな」と突き放した。
だけど言った。「好きだ」と。翼を広げて今の空を飛べと言ったそれはまるで、それを見たいかのようで。
酷い言葉は喧嘩のもとだ。だから仲直りをしなくてはいけない。
だから友は喧嘩になる言葉を言ったのだ。いつものあの、不敵な笑みを浮かべて。
仲直りのきっかけはいつも自分がつくる。彼だってそれを知っている。
理解して、腑に落ちて。――心は自然と固まった。
だから古竜は、ラウノアの言葉に鳴かずを返した。




