7.相棒の不機嫌
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ラウノアたちがモルト領にて準備に勤しんでいた頃。
王都にある王城で、シャルベル・ギ―ヴァント公爵子息は己の相棒竜との飛行訓練を終え、相棒を竜舎に帰していた。
シャルベルの相棒であるヴァフォルは白い鱗が特徴的で、瞳は同色に近い灰色。建物の二階など簡単に覗き見ることができるほど大きく、その足は太く爪は鋭い。口元からは獰猛な牙がのぞき、額には後ろに向かって二本の角が生え、力強い翼から全力の風が撃ちだされれば耐えられるものはいない。
勇猛で、気高く、威風を感じさせるが、敷き詰めた藁を長い尾でぐしゃぐしゃにしてしまう様子はまだまだ子どものようでもある。
(最近、どうにも機嫌が悪いような……)
竜は基本、自由で気ままだ。それでも乗り手を選び、その乗り手だけを背に乗せる。
竜は気高く、乗り手以外を認めない。乗り手の指示には従っても、懐くとは限らない。その気高さに魅せられ、竜に乗りたいと望む者は多い。
ヴァフォルもその例に洩れない。
乗り手であるシャルベルの指示には忠実に従うが、それ以外はヴァフォルの意思が強い。
なので今、竜舎内の区切られたヴァフォルの空間で尾で藁を崩す様子に、シャルベルは思案した。
(訓練に問題はなかった。指示もよく聞いてくれた。それは普段どおりだが、こうなったのはいつからだ……)
己の相棒たる竜のことを把握するのも乗り手の務め。なので、シャルベルは考える。
シャルベルが世話をできない間ヴァフォルの世話をしてくれている世話人たちも、とくに問題は報告してきていない。最初に違和感を覚えたのは――
(ベルテイッド伯爵家に行った後からか……? あのときも突然庭に降りてきて……)
大人しく昼寝でもして待っているときもあるが、普段のヴァフォルなら、退屈で空を飛んだ、という可能性が高い。恐らくそれが正解だろう。
しかし、降り立つのは必ず飛び立った地点。事前に人には近づかないよう言っていたので、その指示に反したことさえ驚きなのだ。
森に降り立つ意味をヴァフォルが理解していないとは思わない。竜は人の指示を理解するほどには賢いのだから。
あの日以降行った訓練で、ヴァフォルが指示に反した行動をとったことはない。
となると、あのときの降下はヴァフォルの意思が反映された結果。
「あれ? 副団長、戻ってたんですか」
思考に割り込んだ声に、シャルベルは視線を向けた。
竜を驚かせないよう声量を抑えつつも、竜舎の入り口から声をかけてきた一人の青年。逆光だが、その声から誰なのかはすぐに分かる。
竜舎内には他にも竜がいて、乗り手や竜舎の世話人が動き回っている。竜の乗り手でない者が竜舎内に入っても問題はないが、警戒心の強い竜は威嚇することも少なくない。なので、用事があっても竜舎の外から声をかける者もいる。
この青年もその一人だ。シャルベルはヴァフォルの前から竜舎の外へ足を向けた。
外へ出れば太陽の光が眩しく感じられ、一瞬目が眩む。竜舎内にも窓はあるが、大きく高い構造のおかげで暗所になりがちだ。
「なんだ? ケイリス」
「団長が探してました。古竜をたまには飛行させたいらしいです」
「ああ、その件か……」
待ち受ける次の仕事に、意識せず重いため息が漏れた。思わず前髪を片手で掻き上げ、その仕事達成のための手段を思考する。
しかし良案は浮かばず、相棒の様子と合わさってどうしても肩が重くなる気がした。
「飛行させづらいのも問題だが、不機嫌も問題だな……」
「古竜、機嫌悪いんですか?」
「あれの機嫌が悪いのはいつものことだ。ヴァフォルが少しな」
「え。えーっと……俺は竜使いじゃないんで分かんないですけど、結構問題ですか?」
「いや。理由は分からないが、そのきっかけなら……」
言いかけ、シャルベルはふと言葉が途切れた。そんな上官の姿にケイリスは首を傾げる。さらに、その視線が自分に向くので、余計にケイリスは首を傾げた。
「俺の顔、何かついてます?」
「――いや、だが……」
「副団長ー?」
いきなり自分をじっと見られ、意味を把握できない独り言。
そんな上官に「おーい」と呼びかけるとやっと、シャルベルが納得なのか不可解なのか分からない表情でケイリスを見た。
「おまえ、妹ができたらしいな」
「ほえ? 妹?」
突拍子のない話題転換に、ケイリスが数度瞬く。しかし、思い当たることはすぐに浮かんだのか、ポンッと掌を打った。
「あ、親父が従妹を引き取った話ですか? よく知ってますね。さっすが公爵家って言いたいとこですけど、情報早すぎません? 披露目も公表もしてないのに」
「先日、所用でベルテイッド伯爵邸に行った。そのときに会った」
「なるほど。どんな子でした? 可愛い系? 清楚系? 美人系? それとも、結構派手系?」
興味津々で身を乗り出す部下を力づくで押し戻し、シャルベルは隠すことなく呆れのため息を吐いた。
ケイリス・ベルテイッド伯爵子息。ベルテイッド伯爵の次男。
騎士団で騎士をしている身で、その実力は程々だ。ケイリス自身は自分で言ったとおり、竜使い――つまり、シャルベルのように相棒である竜がいて、それに乗り、指示を与えるような騎士ではない。
騎士にも、竜に乗れる者とそうではない者がいる。竜使いは数少なく、竜自体も決して多いわけではない。
「従妹なら会ったことくらいあるだろう」
「そうなんですけど……あんまり顔を思い出せなくて。兄貴に聞いても「憶えてない」って言うし」
少し不満げに言うケイリスに、シャルベルはベルテイッド伯爵邸で見たラウノアを思い出す。
憶えていない。そう言っても仕方がないと思うほど、控えめで目立たない態度をとっていた。その声音も落ち着き払っていて、冷静。表に出す感情も最小限にしているようだった。
(しかし、よく女性に声をかけるケイリスが憶えていないとは……)
第一印象は笑顔が爽やかな好青年。社交界でも自ら女性にはよく声をかけ、女性の名を出せば人柄や立場までさらさらと口に出せる男。しかし、遊び人というわけではなく、女性たちからはよい友人のように思われているらしいと小耳にはさんだことがある。
「なんですか副団長。そんな顔で俺を見て」
部下からのじたりとした視線を受け、シャルベルはさらりと話を戻すことにした。
「控えめで慎ましい女性に見えた。……そういう印象だから憶えていないのかもしれない」
「そっかあ。――ん? なんでこの話してたんですっけ?」
「今度、夜会があるだろう。そこが披露目かと思ってな」
「そのつもりみたいですよ。早めにこっち来るって聞いてるんで」
そうか、と相槌を打ち、シャルベルは早々にケイリスの背を押して仕事へ向かわせた。
立ち去る背中を見て、シャルベルも上司たる騎士団長の元へ向かう。
(ヴァフォルの不機嫌はベルテイッド伯爵家に行ってから。そして、ヴァフォルが降り立ったのは前ベルテイッド伯爵とラウノア嬢がいた庭)
そこには侍女や護衛もいた。しかし、もう気づいている。
(ヴァフォルは、ラウノア嬢を見ていた。最初から最後まで)
ヴァフォルは乗り手にシャルベルを選んだ。乗り手が死亡しない限り、一度選んだ乗り手を変えた竜はいない。
だからヴァフォルは、乗り手としてラウノアを見ていたわけではない。
(だが、なぜ……。竜の気まぐれか? 明確な意思があるとしても、一人の人間を気にする竜など聞いたこともない)
竜は孤高だ。人間より遥かに強大で強力であるから、人間のことなど気にかけない。
乗り手も、竜を従えているのではない。あくまで乗せてもらっているだけ。
竜舎で働く世話人と接する機会が多い竜でも、世話人のことなど気にしない。目もくれない。だからヴァフォルの挙動は珍しいというよりも、戸惑いが大きい。
思案しつつ、シャルベルは騎士団長の元へ歩いていった。