8.君のためにできること
そんな昼食を終えた後に一息つくため二人は静かにベンチで寛ぐ。充実した時間を過ごし、ラウノアも落ち着いた時間に息を吐く。
今日は朝からとても楽しいことばかりだ。普段にないほどに心が浮足立っているだろうと自分でも思う程に。
会話はない。けれど、この静かな時間を満喫しているのは互いに同じ。
風が吹けば町の緑が揺れる。鳥が羽ばたき、子どもの笑う声も耳に届く。
「シャルベル様。このあとはどちらへ?」
「ああ。用事を済ませてから、王都のはずれにある丘に行こうと思う」
「そこに何かあるのですか?」
町中ではできない何か。済ませられない用事。想像するが思い浮かばず、ラウノアはシャルベルを見た。
と、微かに眉間に皺を刻む婚約者が見えた。そんな様子に怪訝と見るしかない。
(聞くべきではなかった……? 踏み入りすぎて不快にさせてしまった……?)
となると、これまでの楽しい空気が終わってしまう。それは嫌だ。
少し浮かれすぎていたのかもしれない。気を引き締め直してすっと背筋を伸ばした。
「申し訳ありません。立ち入ったことをお聞きしました」
「いや……。そうではないんだ。すまない」
違うとは一体どういうことか。怒らせてしまったわけではないとは分かったものの、ラウノアは首を傾げた。
隣のシャルベルはまだ少し眉根を寄せていて、その口が引き結ばれている。まるで言いたくないかのように。
(やっぱり、お聞きすべきではなかった……?)
となると、この話は変えたほうがいい。そう思い別の話題でもと探すラウノアの耳に「実は……」と、小さな声が聞こえた。
微かに聞こえた声が気のせいでなければ、そう思って隣を見ると項垂れてため息を吐くシャルベルがいる。そんな姿にラウノアは目を瞬いた。
「ヴァフォルが……君に会いたいようで」
「そうだったのですね……」
シャルベルの様子にも、躊躇わせていた理由を察するには充分な内容にも、驚いた。
シャルベルの様子はどうにも疲弊を感じさせるもので、その原因はここ最近のことではないようにも感じられ、ラウノアはまさか……とシャルベルに問う。
「……もしや、ヴァフォルはこれまでにもそういった行動をとっていたのですか?」
「いや。普段はなにも。君と会ったばかりの頃には近づいていたが、婚約発表くらいからそれも見せなくなったから、今回くらいだ」
「ヴァフォルはどういう性格でしょう?」
「指示をよく聞きすぐに応えてくれる。忠実で。だがどうにもまだ子どもっぽいところがある」
控えめな質問にも正直に答えるシャルベルを見ながら、その答えを聞きラウノアは納得を覚えた。
ヴァフォルは出会ったときから自分に近づいていた。シャルベルはそれを、懐いていると認識している。
それは間違ってはいない。だがヴァフォルは近づきたいという感情と同時に、近づいてはいけないと思っているのだろう。
(公爵邸の竜舎で初めて触れたとき、わたしの謝罪と近づけないという感情をヴァフォルは感じ取ったのね。でも、近づきたいときもあって)
竜は、人の感情を感じ取る。
だからヴァフォルはラウノアの心を大まかには感じ取っている。
近づくわけにはいかない微かな拒絶も。
大切に想っている親愛も。
まだ子どもらしく、時には近づきたくなることもあるようだけれど。
そう思うと微笑ましくて拒絶しきれないから。そんな自分に困ってしまうけれど。
「シャルベル様は、ヴァフォルがわたしに会いたがるということはお困りですか?」
困っていない様子の、普段と変わらないラウノアの調子に、シャルベルは視線をラウノアに向けた。
そこにはまっすぐと自分を見つめる、慈しみと、シャルベルの苦労を感じ取っているような、複雑な瞳があった。
思わず見つめて、そしてはたと考える。
(いや……。ヴァフォルはもとからラウノアには懐いていた。そこに問題はない。建国祭で忙しく連れ帰ることもなかったから、ヴァフォルが会いたいと思ってもおかしくは……ないだろう。俺は――……)
ヴァフォルの行動はこれまでにないことで、シャルベルにも分からないことがある。
だが、ヴァフォルが害意を持ってラウノアに近づきたがっているわけではないというのは感じるし、竜の危険性を理解しているラウノアも不用意に自分から近づくことはない。
竜が懐く何か、古竜でさえ気にする何かが、ラウノアにはある。
それは人が感じるものではなく、竜にしか分からない何か。
そう思い、昨日の相棒竜を思い出す。
騎士団から屋敷へ帰宅する前には、できるだけ竜舎に顔を出してヴァフォルの様子を見るようにしている。そして世話人に後を任せる。
昨日もそうだった。休前日の帰宅前には必ず顔を出し、明日は休日だと竜にも伝える。そうすれば竜も休日をゆっくり過ごせるだろうと思って。
明日はラウノアと出かけてくる。そうヴァフォルに何気なく伝えて、そうしたら、連れていけと言わんばかりに服の裾を噛まれた。
放せと言ってもやめろと言ってもうんともすんとも言わない相棒。懐いていることを思い出して聞いてしまったのが運の尽き。
『……おまえも、来るか?』
結果、ヴァフォルを屋敷へ連れ帰ることになり、大まかな時間は太陽の位置で指定して合流することになった。
あのときのヴァフォルの喜びようといったら……思い出して、ため息を吐いて項垂れる。
「いや……。驚くことはあるが、困っているわけではないんだ。ただ、君があまり望まないことはさせたくない。……嫌ではないだろうか?」
疑問をどれほど抱いても、それでも変わらない。
胸が少し苦しくて。けれど少し安堵する。
「シャルベル様がご一緒でしたら」
返された言葉とその表情に驚いて、思わずラウノアを見つめる。
不快も怒りも、困った様子もない。信頼してくれているような瞳と言葉が、胸を打つ。
「……そ、うか。それは……ありがとう」
「いえ」
ラウノアから視線を外してしまう。身の置き所がないこの胸中をどうにかしたい。
「では、もう少し付き合ってもらえるだろうか?」
「はい。もちろんです」
居ても立っても居られずすぐにベンチから立ち上がった。ゆっくりと立ち上がるラウノアの落ち着いた様子を横目に歩みを再開させる。
「ご用事とのことですが、どこへ行かれるのですか?」
歩きながら問うラウノアは隣を見上げる。
シャルベルは背が高く、少し見上げなければ目を合わせるのも難しい。
ラウノアの問いにシャルベルは少し口籠り、口許に手をあてながら答えた。
「……君に、何か贈り物をしたいと思ったんだ。飾り紐やハンカチと、俺が貰うばかりだろう」
「そんな……。お気持ちだけで充分です」
「いや。贈らせてくれ。……婚約者らしいことを、俺はできていない」
先程までのひどく気遣うような様子とは違い、今度は大きく一歩を踏み出し歩いている。
自身に言い聞かせるような、ラウノアに何かしたいと思う逸る気持ちのような。必ずするという意思を感じるラウノアは少し眉を下げた。
自分が贈ったものとて、ただのお礼の品と風習に倣った品だ。お返しなど必要のないもの。
婚約者としてという責任感など抱く必要もないのに。
「ラウノアは何か、欲しい物はないか?」
「……いえ」
「何か気に入った物があればなんでも言ってほしい」
そう言ったシャルベルとともに町の中をゆっくり歩いて回る。時には店に入ったりもするけれど、ラウノアが何かを手に取ることはなかった。
そんな様子をシャルベルも傍で見つめる。
(困らせて、しまっただろうか……? 以前、母上の提案で装身具を贈ったとき、ラウノアはその中でも小さく値の張らないものを選んでいた。宝飾品に欲はないんだろう)
ドレスを贈ることも考えた。けれどこれは、叶うなら、婚約関係がこれからも続くと決まってから贈りたい。
ドレスや宝飾品は貴族の婚約関係なら当然のように贈るもの。だが、それらを贈ってラウノアの負担にはなりたくない。
けれど、贈り物はしたい。
あいにくと、女性との付き合いなど少ないシャルベルにはこういうときに自分が選べばいい品というものが浮かばない。
(どうすれば、ラウノアは頷いてくれるだろうか……)
それならばとラウノアが思ってくれるものはなんだろうか……。ラウノアが困らない方法は……。
(ああ……。俺はまだまだ、ラウノアのことを知らない)
ラウノアの為人、性格ならば分かってきた。けれど好みや嗜好はまだ知らないところが多い。
婚約を結んでからは忙しく、建国祭が終わってもたまに会える日をつくれる程度。休日には毎回ラウノアに会ってもいいけれど、それをするときっとラウノアは自分を案じて休息を勧めるだろう。
数えられるような逢瀬では知れることなど本当に些細なもの。
(婚約というものは、こうもじれったいものだったのか……)
少しずつしかつくれていない時間の中で、焦燥にも似た感情が胸の内に沸き起こる。――こんなもの、いつ以来感じるものだろうか。
婚約者として、婚約者らしいことを、まだなにもできていない。
もとより、自分はさして口が上手くはない。自分のことを話すことさえ苦手だと感じているし、話題性にも富んでいない。
ケイリスやルインならばこういうとき迷うことなどないのだろうと思うと少し羨ましい。しかし、いない者のことを考えても仕方がない。
(俺が積極的に動かなければラウノアは固辞するばかりだ。何か、何か……)
数軒の店に入った二人は、改めて入った店内をくるりと見回す。
ラウノアはガラス瓶や小さな動物の置物などを見て回る。どれも可愛らしい。
置かれているものを見ていたラウノアは、ふと、棚の前で店主と話をしているシャルベルを見つけた。
(……わたしがあまりにも何も言わないから、お決めになられたのかしら?)
シャルベルはずっとラウノアが言い出すのを待っている。あまりにも待たせすぎて、さすがに呆れてしまっただろうか?
厚意は嬉しい。断り続けるのも申し訳ない。けれど――……。
「ラウノア」
「はい」
店主との話は終わったらしい。店主が去り一人になったシャルベルの呼びかけにラウノアは答え、ゆっくりと近づいた。
と、シャルベルは少しだけ視線を逸らし、店のカウンターへラウノアを誘う。
店の奥から戻ってきた店主がにこりと笑顔でカウンターにその品を置いた。
「これは……」
「文箱と便箋です。お連れさまから、お嬢さんが好みそうなものをとのことで」
置かれたのは数種類の箱。手紙や書類を入れるための両手で持てる箱は、手紙を運ぶものではなく保管する用途のもの。すべてデザインが異なりラウノアの好みを探ろうとしているのが分かる。便箋も同じ。
置かれた品と店主の言葉にラウノアは思わず隣を見上げた。視線にすぐに気づいたシャルベルは品に視線を落とし、少しの間を開けた。
「……お互いに、少しは落ち着ける時期に入っただろう? それで……手紙でもしないかと思って」
「……」
「君のことを、もっと知りたい」
呼吸が、苦しくなる。胸が詰まって。シャルベルを見ることができない。きゅっと握りしめた手が震えているような気がする。
心臓が、少し煩い。
「シャルベル様……」
少しだけ勇気が必要だ。だけど、きちんと言いたい。
これはシャルベルからの提案で、けれど、その想いはきっと、自分も同じ。
だから――……
「わたし、この文箱と便箋が……欲しいです」
照れくさそうに微笑んで。それが心からのものだと、はっきりと感じられて。
だから、自然と口許が綻んだ。
「ああ。ではそうしよう。好きなものを選んでくれ」
「はいっ!」
ラウノアが嬉しそうに、照れくさそうに、目の前の文箱を吟味している。
そんな様子をシャルベルは、目を細めて見つめていた。




