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6.不穏な書状

 ラウノアの言葉に、ベルテイッド伯爵は優しく微笑んだ。


「君のことが心配になったのは、義妹が儚くなり、以降、社交界で見るトルクの憔悴ぶりを見てからだった。望まれ、婿にいった弟が、義妹を愛していたのはよく知っている。……君を、とても大切にしていたことも」


「……何か、やり取りを?」


「義妹が存命の頃は、手紙くらいはね。けれど、それもなくなった。こちらが書いても返事がなかった。トルクはもともと、気の弱いところがあるから心配だったが、久方に見たときは驚いたよ」


 当時を思い出しているのか、ベルテイッド伯爵は悲し気に瞳を揺らした。それを見るラウノアもそっと口を閉ざす。


 記憶にある父はいつも優しく、穏やかな人だった。

 怖い話が苦手で、驚かせると飛んで驚くからやり甲斐があった。そんな父と娘を見る母はいつも微笑んで、父はよく母に助けを求めていた。そういう人だった。


「義妹の葬儀のおり、トルクが君を抱き締めていたのを見て、君がいるならトルクは大丈夫だと思った。気の弱さもきっと強さに変わると。……だが、間違っていたようだ。あのような者たちを屋敷に入れ、君への無礼を見逃している」


 眉間に皺を寄せるさまにラウノアも否定はできない。その後ろでは、イザナがしきりに頷いていた。


 ルフの死後、トルクが屋敷に入れたターニャたちは、トルクと婚約も婚姻も結んでいない、ただの居候。それは調べればすぐに分かることだ。当然、ベルテイッド伯爵も把握している。

 ターニャたちは貴族ではない。トルクが招き入れたから、屋敷で大きな顔をして、まるで主人一家のように振る舞っているだけ。それを咎めればターニャたちからトルクの耳に入る。だから使用人たちは何も言わないだけ。


(ターニャは、父様の愛人だとかって、言っていたメイドもいた気がする……。当主の夫は、再婚するなら屋敷を出ないといけない決まりだから、結ばないことで決まりをすり抜けたのね)


 だから自分は――

 母の面影と胸の痛みを抱くラウノアに、ベルテイッド伯爵は続けた。


「君が社交界に出て、元気にしていることには安心した。なんとか一度、ゆっくり話す機会を持てないかと考えていたとき、トルクから『ラウノアを養子として迎えてくれないか』と手紙が来た」


「父様が……」


「最初は私も唖然としたよ。なぜなのかと思った。だから、直接行って真意を探ろうと思った」


「それで、屋敷へ来られたのですね」


 トルクを案じ、ラウノアを案じ、突然の手紙でベルテイッド伯爵はカチェット伯爵家を訪れた。離れた領地では頻繁な行き来はできない。

 そして、ベルテイッド伯爵はターニャたちの存在を、ラウノアへの行為を知った。


 メルリはラウノアが持つドレスや宝石を欲しがり、トルクにもそれを強請る。マーキはラウノアの料理を横取ったり怪我をしかねない悪戯を仕掛ける。ターニャは心ない言葉で褒める。それらは全て、平民が伯爵令嬢にする行動としても、一家の中でも、問題あるものばかりだった。

 それらを知り、ベルテイッド伯爵は黙認するトルクに苛立ちと疑念を抱いた。


(トルクは本当に、あんな者たちを正式に屋敷へ入れるつもりか……? だから、邪魔になるラウノアを……)


 そう考え、弟の顔が浮かび、思いたくないと胸が痛む。

 幼い頃から怖がりで、痛いとすぐに泣いて、けれど、優しい弟だった。変わってしまったのなら悲しいとすら感じてしまう。


 弟が変わってしまったのなら、自分は兄として、伯爵として、毅然と向き合わなければいけない。

 そのために、ラウノアだけは守らなければ。


「君を引き取ろうと決めたのはそのときだ。申請を出したんだが当初はなかなか進まなくてね。埒が明かなくて、直接陛下に謁見を申し出てお話したんだ」


「陛下にですか……!?」


「ああ。陛下からはすんなりと許可が出たよ」


 軽やかに笑うベルテイッド伯爵だが内容はとんでもない。ラウノアも驚き、後ろではイザナも驚いて口が開き、アレクだけは、驚くことなのかと問いたげな平然とした顔をしている。

 目の前の驚き顔に、ベルテイッド伯爵は優しく微笑んだ。


「だからラウノア。これは私が決断して行ったことだから、なにも、迷惑なんてない」


 安心させるように、本心だと伝えるように、深く頷きながら伝えてくれる伯父に、ラウノアも少しほっとしたように頬を緩めた。


(よかった……)


 カチェット伯爵家を出て、胸が痛むのは当然だ。もう生家には戻れないのだから。

 一度カチェット伯爵家を出た者は、二度とカチェットの家名を名乗ってはいけない。家督は継げない。それが、カチェット伯爵家の決まり。


 ベルテイッド伯爵の想いも、夫人の喜びも、祖父の微笑みも。全て、自分を想ってくれるが故のもの。嬉しさを感じるばかりのもの。


(胸が痛むのは、母様たち当主が築いてきたものを、わたしが終わらせてしまうから。――もう、遺すことも、繋げることも、できないから)


 それが、なによりの痛みだった。


 家を継いで、伴侶を得て、そして次へ繋いでいく。そうあると思っていた未来は呆気なく崩れ、過去に遡って全てを終わらせる。

 何度も何度も謝った。跡取りは自分だけ。家を出てしまえばもう戻れない。


 絶望に落ちて、謝って。痛くて辛くて。

 けれど――


『永劫に変わらないものはない。形は変わり、失われるものが数多ある。いずれは来ると分かっていた未来が来ただけの話だ』


 今も続いている、大切な友人との手紙。その一文が、心の闇を晴らしてくれた。見せてくれた笑みが、全ての憂いを取り去ってくれた。

 だから今、少しの痛みで己を戒めながらも、心地よい日々を過ごせるのだ。


「はい。ありがとうございます。伯父様」


「こちらこそ。――そうそう。ラウノアには息子のことを話していなかったね。私の息子たちは――」


 王都で暮らす従兄でもあり、今は兄になる二人の存在のことを、ベルテイッド伯爵はラウノアに教えることにした。

 社交界で顔を見て少し挨拶を交わす。それだけだった従兄弟のもっと詳しい為人を語る伯父の言葉に、ラウノアはじっと耳を傾けた。






 ♦*♦*




 ラウノアがベルテイッド伯爵家で新しい生活を送っている頃、生家であるカチェット伯爵家では金切り声が上がっていた。


「どういうことよこれは!」


 その声に、椅子に座るトルクが肩を跳ねさせた。しかし、声の主であるターニャがそれに気づくことはない。


 その手に持っているのは一枚の書状。ターニャが強く握っているせいで皺ができている。

 ふるふると震える手。怒りに満ちた表情は赤く染まっている。


「どうしたの、お母様」


 母の声に異変を感じ、メルリとマーキが部屋に飛び込んできた。そんな我が子たちを見て、ターニャは持っていた書状を机に叩きつけた。


「王が私たちの継承権を認めないというの!」


「どういうこと?」


 マーキもすぐに母の傍に腰かけ、皺ができた書状を手に取った。


 国王からの、家督一切の相続及び爵位継承に関する否認状。

 それは、ターニャたちがカチェット伯爵家に入ったとしても、その権利は認めないというものだった。


 カチェット伯爵家は正式な跡取りであるラウノアを養子に出した。つまり、跡取りがいない。

 現在はトルクが当主代理であるが、当主ではない。ターニャたちは言わずもがな、ただの居候だ。


 故に、ラウノアを養子に出したあと、ターニャはトルクに、王家に家督に関する書状を出させた。

 カチェット伯爵家からラウノアが出ていったので、後の一切はトルクと自分たちが行うと。勿論、自分がトルクと婚姻するとほのめかして。


 王家からの返答は――権利を一切与えない、という、カチェット伯爵家を容赦なく潰す決定だった。


 その返書を読み、メルリとマーキもまた、母同様に眉を歪めた。


「王家はばかなの? 貴族の家をこうも簡単に潰すって」


「この家が下に見られてるんじゃない? どうせ地味な家なんだし」


 鼻で笑うメルリの言葉に、ターニャは席を立つと執務机を思い切り叩いた。その音にまた、トルクが肩を跳ねさせる。

 しかし、それに構うつもりなど一切なかった。顔を上げないトルクを見下ろし、ターニャは声音だけは優しく尋ねる。


「ねえトルクさん。当然、不服申し立てはするでしょう?」


「それは……できない。王家の決定は、覆らないだろうから」


「するでしょう?」


 同じ問いに、トルクは口を閉ざした。


 王家の決定はそう易々とは覆らない。簡単に変えては軽々しい決定とみられるだけだ。


 国王陛下に送った書状は確かに自分が書いたものだ。だが、その内容は全てターニャが目を通して決めた。だから、なにを書かされたのかも分かっている。

 それでも、王家は否認した。


(カチェット伯爵家は……)


 行く末など容易く想像できる。だから胸が痛み、同時に、長く顔を見ていないラウノアのことがよぎった。


 もう、戻ることはできない。

 だから、強く握った拳が痛い。


「すぐに不服申し立てをしてちょうだい。せっかく伯爵家に入れるチャンスなのだもの。私たち以外に適任者なんていないでしょう? このままでいいの? この家を、潰したくはないんでしょう?」


 不敵な声音にトルクは言葉を返さず、ただ視線を下げた。

 それを見て鼻を鳴らすターニャは、そのままメルリとマーキを連れて執務室を出た。


 かつかつと靴を鳴らして歩けば、なにも言わない従うだけの使用人が端に下がる。いつもなら気分のいいそれも、今は不快に感じられた。


「ねえお母様、どうするの?」


「王家が認めないのは大方、ラウノアがいるからよ」


 相続一切に関し、事前に契約書には明記されてある。それはターニャも目を通した。

 少々不快にも感じた言葉の羅列だったが、それでも十分、自分たちが権利を有すると証明できるものだった。


 だが、違った。

 だからこそ不愉快だ。


「この家から出したのにまだ邪魔してくんの? 伯父だかなんだかが出てきて、いい感じになってたのに」


「全くよね。トルクおじさんが珍しくいいことしてくれて、私たちがなにもしなくてもラウノアも出てってくれたし」


「あーあ。いっそ、いなくなってくれればいいのに」


 マーキのげんなりとした声音には全く同意だが、ターニャはふと足を止めて振り向いた。

 母の様子にメルリとマーキは首を傾げ、先程まで怒り心頭だった母が口角を上げたのを見て、怪訝と首を傾げた。






 ターニャたちが出ていき扉が閉まると、トルクは大きく息を吐き、静かに執務室を出た。


 今、この屋敷の主は一応はトルクだ。しかし、トルクよりもターニャたちが我が物顔で振る舞い、使用人たちも彼女たちの顔色をうかがっている。

 その現状をトルクは知っている。知っているが、止めはしない。


 ターニャたちが屋敷へ来た頃は、ガナフやマイヤが怒っていた。カチェット伯爵家の決まりに反すると。

 それでもトルクは強行した。普段の自分らしくなく振る舞っただろうと思う。


 そんな、かつては自分を怒ってくれた使用人たちは、もういない。

 仕事のサポートをしてくれたガナフも、メイドたちを上手くまとめていたマイヤも、元気で頑張り屋だったイザナも、寡黙だが忠実なアレクも。


 皆が、ばらばらになってしまった。


 あの頃は。ルフが生きていた頃は、皆が笑って、楽しく穏やかに過ごしていた。

 その日々はもう、どこにもない。


 トルクの当主代理用執務室は、生前のルフが使っていた執務室とは異なる。

 カチェット伯爵の執務室は、ルフが使っていた頃そのままの状態だ。そこだけは、使用人に掃除はさせず、トルク自身が掃除をしている。ターニャたちも立ち入らせない。


 その部屋の扉を開け、静かに入室した。背後で閉まる扉の音がいやに大きく耳に入れば、後に残るのは静寂だけ。

 人が使っていない部屋。棚の書物はそのままに、執務机に置かれたペンも羊皮紙もペーパーナイフも、インクさえ、あの日から変わっていない。


『あら、トルクさん。どうしたの?』


 そう言って、微笑む表情が今も鮮やかに思い出せる。

 本当なら、今もそう言って、その椅子に座って、微笑んでいたはずだった。


「ルフ……僕は――……」






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