後日談 ライネルの一日 前編
「殿下。なんか……顔色悪くありません?」
「気のせいだ……」
「いや絶対嘘。悪いですって。ちょっと休みましょう。体調管理も大事じゃないですか」
執務室。護衛騎士のゼオが傍に来て進言してくるのを聞きながら、ライネルは身体の内側から発生する気分の悪さに負け、書類を机に置いた。
途端にゼオが「ああほら!」と仕方なさそうにライネルの身体を持ち上げ、ソファに寝かせる。そしてすぐにもう一人の護衛に向かって「医官を呼んできてくれ」と指示を出した。
「熱……は、ないですね。どっか痛むとかないですか?」
「大丈夫だ。最近の仕事の多さだ。社交期に入ると面会希望の貴族も、申請諸々押し寄せる書類も多くて疲れる……」
「ああ、それはたしかに。でも、だからって詰めこめばいいってもんじゃないんですから。医官に診てもらって、しばらく休憩!」
これではどっちが主なのか。そう思って、けれど心配してくれていると分かるから、ライネルは「分かったよ」と頷いた。
ゼオが知るカーランが死亡して日が経った。あれからゼオは普段通りにしつつもよくライネルを見ている。それが分かるから、ライネルも大人しくその言葉に従うことにしている。
ゼオは、ゼオが知るカーランの最期を聞いても、唇を噛んで堪えるように、けれど決して涙を見せることはなかった。
ゼオにとってカーランは共に長くライネルの護衛を務めた同志であり、友人でもあった。
『馬鹿ですよ。なんで俺にすぐ言わねえんだ……。殿下の危機には一緒にって、それが……俺らじゃなかったのかよ』
そう、こぼされた言葉をライネルは聞いた。
本当のことを伝えたかった。けれど、それはできない。それに伴う内容をゼオにまで背負わせるわけにはいかない。
ゼオにとって、カーランは最後までカーランで。仲間だった。
それでいい。知ってしまえばきっと、カーランとの思い出もすべてが深く蓋をされてしまうだろうから。
だからライネルは、ゼオには本当のことは伝えない。これからもずっと。
心配してくれる護衛の変わらない態度を見て少し安心感を抱いていると、窓がコンコンッと鳴る。気づいたゼオがすぐに視線を向け、窓を開けた。
「殿下はちょっとおやすみ中だから、お邪魔はするなよ」
ばさりと聞こえる羽音。視線を向ければ、ソファの背もたれにその姿が見えた。
自然と口許が綻ぶ。手を伸ばすと頭を向けてくるから優しく撫でた。その目がどこか心配しているように見えるのはその魂のせいだろうか?
ふぅっと思いの外重い息がこぼれるライネルに、鳥はひどく動揺したように背もたれの上であわあわとしだした。
そんな様子を見ているゼオが「変な鳥だな」とぼそっとこぼすと、鳥の視線がぎろりと動く。
飛び立つとゼオ目掛けて飛び、驚くゼオなんて気にせずその頭に乗ると、げしげしと何かを伝えるように頭を踏んだ。
「ちょ、おいこら! 何回言わせる気だ! 人の頭に乗るな降りろ!」
怒るゼオなんて気にもせず、鳥はなにかを伝えるように片足だけ動かす。
人間と鳥の面白可笑しい光景にライネルは笑うが、「笑わんでくださいよ!」とゼオが頬を膨らませる。鳥はまだげしげし中。
それを見ていたライネルは鳥が動かす片足だけというのを見て、身体を起こした。
「ゼオ。ラーンはこっちだと言いたいのではないか?」
「えぇ……? こっちか?」
鳥の魂はカーランのものであると知り、しかしてカーランは死んだことになっている。鳥のことを知るのはあの場にいた者だけであり、ゼオには言っていない。
ライネルはゼオに「この鳥飼うことにした」と、これまでずっと飼い主を探していた結果からいないと判断し、己に懐く鳥を飼うと告げた。ゼオもそれには反対せず「んじゃ名前決めて、殿下が飼育してると分かる目印がいりますね」とあっさり頷いた。
なので、ライネルは鳥を「ラーン」と名付け、足の邪魔にならないよう、かつ目印としてさして価値もない銀輪をつけさせた。
ライネル自身が鳥がカーランの魂を持つのだと知ってから、鳥はライネルとゼオに対しての態度を少し変えた。
特にゼオには遠慮がなくなった。度々ゼオの頭に乗り、しゃんとしろとでも言いたげに軽く突くと思えば、服を噛んだりしてどこかへ連れていこうとしたり。「なんなんだよ!」と度々ゼオは困惑と怒りを滲ませている。見ているライネルにとっては、まるで真面目なカーランがゼオを叱っているようで少し面白い。
対して、ライネルにはこれまでどおりどこか丁寧に、けれど少しだけ距離が縮まった。腕を出せば止まるようになり、執務室にも私室にも出入りし、就寝中も部屋に用意させた専用の止まり木にとまって見守ってくれている。時々どこかへ出かけたと思えば花のお土産を持って帰ってくるので、ますますゼオには「変な鳥だな」と言われている。
今もまた鳥に促されてゼオが離れていく。遠くから「ああ、水な水。はいはい」と聞こえるから、鳥はどうやらライネルに水を渡せと言いたかったようだ。
配慮のできるよき鳥……いや、護衛である。
少しすれば鳥を頭に乗せたゼオが戻ってくる。「どうぞ」と渡してくれる水を飲んでほっと息を吐いた。
「ラーン、ゼオ。ありがとう」
「いえ。……おまえな、もうちょっと優しく誘導してくんない?」
頭の上に視線を向けようとするゼオに、鳥はふんっと鼻を鳴らす。「これくらい言われずともできなさい」と言っているようでライネルは笑った。
その後、護衛騎士が連れてきた医官に軽く診てもらい体に異状はないと診断してもらってから、仕事ペースを落として執務を再開させた。
夜。仕事も夕食も湯浴みも終わり、あとは寝るだけという時間。ライネルはソファに座って本を読んでいた。
同じように室内にはラーンがいる。うとうととして今にも寝てしまいそうな様子を時折見つめてくすりと笑う。
しかし、そんなラーンがぴくりと反応して翼を広げたかと思うと窓へ視線を向けた。
開け放っている窓のカーテンが揺れ、ライネルの視線も動く。
そこに、外套をまとったその人がいた。
バッとフードを取ると見えるのは、ラウノア・ベルテイッド伯爵令嬢。しかしてその身にまとう空気は全く違う。
「こんばんは。ギルヴァ殿」
「おう」
勝手知ったるなんとやら。ずかずかとやってきてまずはラーンをちらりと見遣る。
(変質している上に混ざっているとはいえ、魂と肉体と魔力がどうなるか今後も要観察だからな。……今は問題なさそうだ)
禁術がどう影響を出すのかは詳しくは分からない。そのための観察は今後も重要だ。
この鳥は、呪いを持つライネルの危機を誰よりも早く察知できる優秀な護衛でもあるのだから。ここであっさり処分するのはライネルの守り手を減らす悪手だとし、ギルヴァはラウノアの平穏のためにも使えるものは使うスタイルは変えない。
ライネルの隣に座ると、ギルヴァはその白銀の視線をライネルにじっと向けた。
「……まだ顔色悪いな。魔力も今はさして動いてない」
「特に午前はひどかったですよ。気分が悪くてもう……」
「仕方ない。体内でそれまで一切動いてもねえし動きも知らねえもんが動き出すんだ。かろうじてでもいいから、まずは一日中動くように錆びを取らねえとな」
「了解です……」
社交始まりの夜会から毎晩、こうしてギルヴァに魔力の動きを手助けしてもらっている。
これはただの下準備でしかない。そうギルヴァに聞いているから、長い長い道のりの大変さを思う。
――しかし、止めるわけにも根を上げるわけにもいかないのだ。
「さて……」
ギルヴァが差し出す手にライネルは自分の手を重ねた。手と手が重なり、ギルヴァが魔力を操作しライネルの魔力に干渉を始める。
「今日は臥せってたいほど気分が悪かったか?」
「いえ。仕事は手が止まりつつもなんとか……。間に挟む休憩がいつもより多かったことと、護衛に顔色が悪いと心配されて医官を呼ばれたくらいです」
「おお。成長したな。初回には五日もベッドの上だった奴とは思えん」
「やめてください思い出しても気分が……。というか、そんな状態でも平然と続けてくれたから五日も動けなかったのでは?」
「おいおい。俺の責任みたいに言うなよ」
「そこは休ませる選択肢なしですか!?」
この訓練は欠かすことなく毎日行っている。そして何度やっても慣れない。
初回のあの体の内側からせり上がる気分の悪さとめまいに加え、身体の内側がぐちゃぐちゃとかき混ぜられているような気持ち悪さ。薬でも一切どうにもならないし事情を知らない母のアリエッタが狼狽えていてとりあえず早くよくなれと祈るしかなかった。……父だけは「これは相当だな…」と先の長さをしみじみ感じていたけれど。
昔々の人々は、この気分の悪さを感じることもなく平然と行使していたのかと思うと感嘆すら抱いた。
そして今、目の前で同じことをしているのがギルヴァだ。誰にもできないことを、今、ただ一人できる。そしておそらくそれはラウノアも似ている。
(本当に、とんでもない人たちだな……)
けれど、その力のおかげで今こうして、知ることもなく感じることもなく、王家を絶えさせるかもしれない呪いになんとか対抗策を打つことができている。
そのすべてを消したのはこちらだ。だというのに、それに助けられる。
なんという皮肉かと、ライネルは内心で自嘲的な笑いをこぼした。




