30,最期の日、始まりの日
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城の一角。集まる民たちから見えるその場所に並ぶ人影。
獣の特徴を持ち、その白銀は太陽にも風にも愛されているように煌めく。
高い場所から見渡す景色。
近い場所にいるのはこれから滅ぶ国の上に興される国に暮らす、獣の特徴を持たない者たち。そして遠くに見える、なだれ込まないよう柵で足止めされているのは、もとよりこの国に居た獣の特徴を持つ者たち。
明確な境界線が存在する。それを見て、近くの景色を視界から外した。
優れた耳が聞き取る。涙にぬれた声。悲鳴。悲痛な叫び。どれもがこの心をうって仕方ない。
こうなることは分かっていた。どんな道を進んでもこういう結果は避けられなかった。
この国はさほど大きくはない。人間たちの台頭が目立ち、獣の特徴を持つ者たちは数を減らしている。
断頭台の刃が落ちる。血が噴き出して人々が叫ぶ。
――そしてそれは、自分にも降りかかる。
けれどどうにも、恐ろしさは感じない。
心に想うのは、泣かせて悪いなという目の前への申し訳なさと、逃げきれただろうかという遠くへの心配。
後ろ手に縛られた手首が少し痛い。引っ張られて歩かされる。
「最後に言い残すことがあれば聞いてやろう」
処刑人の声は感情を見せない。刑を執行した全員に同じことを言っていた。
今更自分がなにを言うか。考えて、顔を上げて――遠くにいる者たちに、いつものように笑ってみせた。
『俺はおまえたちを愛してる! ――この先に待ち受ける困難はとてつもなく厳しいものになるだろう。だが、怯えなくていい。隠れなくていい。隠さなくていい。おまえたちはおまえたちのままで在ればいい。誇れ。堂々と胸を張って生きろ。おまえたちは俺たちにとってなににも代えられない誇りだ。俺たちはここでおまえたちと別れることになる。だが魂は巡る。精霊は傍に在る。――果てしない未来で、また逢おう!』
これからを生きる者たちよ。精一杯に、胸を張って生きろ。
――そう言って笑ってみせた、それが最後の記憶。
「――っ!」
はっと目が覚めた。不自然に心臓が煩くなり、頭が真っ白でなにも浮かばない。
目の前に映る真っ白な布も気にならず、無意識に自分の首に手をそえた。
(ある……つながってる……。ってことは、さっきのは…)
夢だったのだろうか。だとするならばあまりにも生々しい不快な夢だった。
呼吸が震える。なんとかゆっくり意識して息を吐いて、気持ちを落ち着かせた。
(にしても、なんであんな夢……)
最近人間側の動きが活発だからと会議を重ねていたせいだろうか? ああなる未来は避けられないだろうなとも思っているとはいえ、夢にまで見るのは勘弁したい。
そう思ってもう一度息を吐いて、ふと、違和感を覚えた。
目の前にある手に触れている布。シーツだろうか、清潔なものだ。
しかし、起床すぐに視界に入るのはいつだって天井だ。シーツなど身を起こさなければ目に入らない。
そう思って身体を動かそうとして、さらに違和感を覚えた。
ベッドに横になっているわけではない。というか、ベッドに突っ伏している。……そんな寝方をしただろうかと記憶を辿るが、どうしてもあの夢の鮮明な光景が頭から離れない。
顔を上げて、ここが自室ではないことに気づいた。
元は古い建物なのだろう所々に補修した跡が見える。室内もさほど大きくはないが清潔で、必要な物だけを置いてある質素なものだ。室内にあるのはベッドと机、椅子、小さな引き出しくらい。花瓶があって野花らしい植物が飾られている。
「どこだ……?」
疑問を覚えつつ立ち上がり……かけて、よろけた。
思わずベッドに手をついて、驚いた。
見たことのない手だ。細くて柔らかい。皮膚は所々あかぎれてもいる。大きく無骨な自分の手ではない。
疑問を覚えてさらに気づいた。――体つきが明らかに、女性のそれだ。
「はあっ!?」
その場で思わずくるりと犬猫が自分の尻尾を追いかけるように回転してしまうが、やはり見間違いではない。
(ちょっと待て。ちょっと待て。どういうことだ。まさか体から魂が抜け……んなの禁術扱いだろうが。誰かがやったのか?)
立場上狙われることがないとは言い切れない。
声音も自分の知っている自分のものではない。おそらくこの身体の主の者だろう。
「待て。なにがどうなって――……」
とりあえず落ち着こうと息を吐いて――呼吸を忘れた。
ベッドに眠る女性がいた。
弱っているのかあまり健康的には見えない。手は細くて簡単に折れてしまいそうに見える。か細い呼吸だが胸元は微かに上下していて生きているのが分かるけれど、あまり長くはないかなと思わせるほどに弱々しい。
長い茶色の髪がシーツの上に揺蕩っている。それに艶はないが、毎日丁寧に梳いているのだろうと分かるくらいには滑らかに見える。弱っているせいか頬は痩せて、少し皺もある。
けれど、その顔を、間違えることはない。
ただ、状況が理解できないだけで。
「な……にが、どうなって……」
夢であるはずなのに。……あれほど生々しい感覚が残っていて、鮮明に憶えているのに?
だが自分は今ここにいる。……だとしたらなぜ、目の前のこの人は……。
「……ル……さ…ま」
「っ……」
息を呑んだ。足が震えて、けれど確かめなければと思うから、そっと近づく。
ベッドに腰掛けて、その人の顔を見つめた。
震える瞼がゆっくりと開かれる。その目がなにかに導かれるように動いたのが見えた。――見覚えのある綺麗な藤色の瞳。
(ああ……。間違いない。やっぱりこいつは……)
息を呑んで、唇を噛んで、弾かれるように彼女の顔の上に身を乗り出した。
まっすぐ見つめて、やっぱりそうだと確信する。けれど、肝心の口が震えてしまって、言葉は出てこない。
なのに彼女はその目を細めてふわりと微笑む。――変わらない、あの頃と同じ笑み。
「ギルヴァ、さま……? ふふっ。ゆめ、かしら……? 精霊たちが賑やかだわ……」
「……」
「ギルヴァ様……ギルヴァ様……。あなたに、どうしてもお伝えしたいことが、あるんです……。あのね…」
「うんっ……?」
その声はまるで夢うつつ。
その目に映っているのは彼女がギルヴァだと判断する人物ではないのに、彼女は確信を持っているかのように話し始める。
彼女を視界に入れるギルヴァの視界の端に移る、小さな光の球のような浮遊物。
(精霊の意を誰より受ける奴だからな。俺だってことも、精霊が伝えているのか……)
そう思うと、彼女はやはり彼女なのだなと思う。
思えて少し、震えが収まった。
震えた手を伸ばす。彼女の頬に手を添えると、その笑みが深まる。
「あのね――……娘が、産まれたんです。私と、あなたの」
「……は?」
言葉を失った。
自分にも彼女にも立場があった。想いをちゃんと固めてから両親に伝える、そのつもりでいた。……いや。一度だけの身に覚えならあるけれど。
両親に伝えて正式に公表するより先に全ての事が始まり、そして終わった。
彼女もまた狙われる立場だ。解っていたから逃がした。一人では無謀だと思って、彼女の兄と一緒に逃がした。
だから、目の前の人物が彼女であるなら、ちゃんと逃げきれたということだ。それが分かったことにひとまずは安堵できる。
だが。だが――今、なんと言った?
「……む、すめ……? 俺と、おまえの……」
「元気に、育っているんですよ……。とっても元気で……。あなたと同じ、愛される銀の色……」
自分を見て微笑むから、腑に落ちた。
(この身体は――……)
それでもまだ理解が追いつかない。けれど今、それはひとまず置いておく。
息を吐いて、彼女を見つめた。
「俺との子なんざ……狙われて、大変だっただろう……?」
「守るって、決めたの。あなたを失った私に、生きる希望をくれた子……」
感情が、荒れそうになる。だけど今は必死に堪える。
そうするしか、ない。
口許は必死に笑みをつくって、震えなんて気づかれないようにする。
「そ、うか……。そうか。会ってやれねえのが残念だ。ありがとう。ごめんな」
「ふふっ……。どうして、謝るの……?」
「おまえにばかり苦労をさせた」
「苦労なんて……なにも、ありませんでしたよ」
想像することしかできない。でも、その想像をやめない。――やめるわけにはいかないから。
その笑みに、ありがとうと笑ってみせる。
誰にも見つからないように逃げて、身を隠して。そんな中で子を産んで、育てて。
それは、どれほどの苦労だったのだろう。――彼女もその子も、誰かに見つかればただではすまなかったはずなのに。
「ギルヴァ様。ふふっ。……なんだか、らしくない」
「おまえだけがそうさせるんだ。……俺の女は、そういう女だ」
ふふっと笑うその音が耳にとても心地よい。
いつだってそうだった。揶揄ってくるときも、ラーファンと喧嘩して互いにそっぽを向いているときも、楽しそうに笑って草原を駆けるときも。
その笑みは無邪気で美しくて、心地よくて。
――その笑みの奥に、時に誰にも言えないことを背負っていると知っていた。最後のあのときも。
(分かってたんだろう? 視えてたんだろう?)
だから彼女は泣いていた。行かないでくれとその表情が如実に語っていた。どんな末路を辿るのかその表情は自分の予想を裏付けてくれた。
分かっていた。けれど――応えるわけにはいかなかった。
背負っているものがたくさんあった。
愛しているものがたくさんあった。
守りたいものがたくさんあった。
(辛い逃亡をさせた。子を隠し続けるのは大変だっただろう。身を隠しながら暮らすのは辛かっただろう。それでも、それでもおまえは、まだこうして笑うのか――)
苦しい。苦しくて仕方ない。
たくさん背負わせた。ただでさえよく視えることで時に苦しんでいるのに。
「っ…リ……」
「はい……どう、しましたか……?」
その頬に手を添える。こつんと額を合わせる。
「ユリフィ……」
「ギル、ヴァ……さ…」
「――約束する」
そっと額を離して、その目を見て、自分を映して、ちゃんと。
「今後は、俺が守る。これからずっと俺がこうしている限り。いつだって、おまえが残してくれたものを守る。おまえはずっと守ってくれたんだ。なら今度は、身軽になった俺が――守り抜く」
守ってきたものは失われた。心はそれを決して忘れない。後悔はない。
だから今度は、一人の男として、父親としてなにもしてやれなかった者として、できることをすべてやる。
「だからユリフィ。安心しろ。俺が必ず守ってみせる」
強くはっきり、揺るがぬ意志でそう告げる。
すると彼女は少しだけ目を瞠って――いつものように微笑んだ。
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ご挨拶申し上げます。拝読ありがとうございます。
作者の秋月です。
これにて第六部は終了です。
ラウノアがなぜこれまで秘密を自分だけの胸に秘めてきたのか。それを理解してもシャルベルの決意は揺るがず、これからも二人で進んでいくことでしょう。
同じように秘密を知ってもなによりも国のために秘すると決めた、今を背負う二人もまた重い決断を下すことになりましたが、これからはまたある意味では協力者になれるかもしれません。
さて。番外編を挟みまして第七部へ入ります。
予定ではこの第七部が最終部になる予定です。
それでは、これからも引き続きラウノアとシャルベルをよろしくお願いします。




