24,かつてそこにあったもの
「全体は理解した。ラウノア嬢。私が個人的に聞きたいことを聞いてもよいか?」
「はい。わたしにお答えできることでしたら」
「まず、この空間がどういう場所なのか。そなたに分かるか? これらの壁画は千年前の歴史ではないかと思っているのだが」
マクライ王の言葉にシャルベルも壁画へ視線を向けた。
ここに降りてすぐ目についた壁画。古いものであるが朽ちておらず、なにを描いているのか見てとれるほどのもの。
空間に入って左側に描かれているのは人々の絵。よくよく見るとただの人ではなく頭に耳が腰元に尻尾のようなものがあるように見える。
入ってきた通路の正面。左右とは違い三段ほど高い祭壇のようなものの上にある細長くて重そうな二つの石の箱。
その石の箱の背後にある壁面には耳や尻尾を持つ人が下方に描かれ、その周りには色の薄れた丸い靄のようなものもある。そんな二つの上に、赤、黄、白、青、緑、そして黒の、竜の絵。竜のまた上には、白い獣の絵。
入ってきた通路の右側の壁には、大きく、白い獣と黒い竜が描かれている。
ラウノアはまず、左側の壁画の前に立った。
「これは、かつての国で暮らした民の絵です。シャルベル様と殿下はギルヴァ様のお姿をご覧になられたのですよね?」
「ああ。白銀の髪に……耳と尻尾のある」
「はい。あれが、かの国の民、皆の姿です。……だから、蛮族と言われ、魔法を使うことと併せて脅威とされました」
驚いた、あの姿。
見目の異なる者を差別的に扱う。ウィンドル国にはないが、奴隷という身分も国によっては存在する。明確な階級社会。
ライネルが僅か顔を顰めるのを見てとり、ラウノアはまっすぐ歩いて右側の壁画の前に立った。
「これは、空の王と地の王の絵です。空を支配する竜の中でも、空の王は竜族で最も力ある黒い鱗を持ち、一族を束ね、空を統べる」
「……つまり、今の古竜が、空の王ということか?」
「はい。かつては険しい山や森に棲み人に干渉することもなかった竜ですが、今はそうはいきません。それでも竜たちにとって黒竜は王です」
人々が知る竜は、最初から人間に協力的だ。
ハーウェン英雄王のために天が遣わした神獣。――そんなものが幻想であり、真実は魔法による無力化と弱体化によって捕獲した、なんて誰も信じないし、捻じ曲げるほうが都合がよかったことも、解っている。
消された歴史はもう、表に出ることはない。
「地の王は、白銀の毛をもつ獣。地を統べる王。精霊たちに愛された初代王から始め、その傍で守り支えていた聖なる獣。やがて王家の血筋が絶える危機になると、その血に代わった存在です」
「……なるほど。となると、この正面の壁画は国そのものを表すものか。空と地の王、民、この丸いものは、そなたが言う精霊というものか?」
「はい。――ここは、初代王とその傍に常にあった聖獣を祀る廟、だと思います。詳細はギルヴァ様のほうがお詳しいと思いますが、おそらく、この棺がそれです」
微動だにしない石の箱。その正体に息を呑んだ全員の視線が向く。
僅かな沈黙。マクライ王はそっと瞼を落とすと棺の前へ移動し、すっと片膝を折った。安寧を祈る、その姿にライネルもシャルベルも倣う。
「静かに眠る場にあまりにも不躾に立ち入ってしまったこと、心より謝罪申し上げる」
そっとラウノアも瞼を落とした。
青年と獣。そんな光景は過去、何度か視ている。
ギルヴァの記憶も同じだ。過去は多く、どの年代か詳細は分からないけれど、視ることは珍しくはなかった。
過去が視え、現在が視え、時折変えることの難しい未来が視える。とはいえ、ラウノアは未来らしいものが視えたことはない。視えるのは過去ばかりだ。
(始祖の魂に宿った精霊が国中の光景を見せてくれる。始祖の意思を伝えようとしている。……謂れはいろいろあったけれど、聖なる力を持っていた巫女様にしかできなかったこと。母様のほうが力は強かったな…)
ガナフとマイヤに聞いている。自分にあるのはあくまでギルヴァの力だ。そっちは強くない。
精霊に愛されていた二人。精霊たちのために豊かな自然を屋敷の周りに維持し続けた当主たち。だから、失われた愛する存在を精霊たちは見守っていた。
「してラウノア嬢。ライネルより気になる話を聞いた。……王家が呪われているというのは本当か?」
マクライ王が少し険しそうに眉根を寄せる。それを見つめ、ラウノアはゆっくりと頷いた。
ラウノアがそれを知ったのは数日前のことだ。ギルヴァといつもの草原で今後について話をしている中で教えられた。
『前に王女を診たときにまさかと思ったんだが……。そもそも、俺が死ぬときに人間の魔法使いが何人かハーウェン側に寝返っていた。魔法が重宝されていたとするなら、それは今に続いて広まっていてもおかしくない。だが、そうじゃないどころか魔法使いはいないし歴史からも消えている。――つまり、ハーウェン側にとって魔法使いは脅威になっていったってことだ。それによって魔法使いを根絶やしたのなら、ハーウェンかその数代後か……どのみち、相当恨んでるだろう。王家の呪いはなかなか複雑だ。複数の怨嗟だな、ありゃ』
ギルヴァの言葉を伝えると、マクライ王もライネルも顔をしかめる。
国を興した英雄王。恨まれないなど無理な話。それが子々孫々までになり、未だに消えない。かなり深い怨念であるのは恐れ以外なにものでもない。
唯一、眉を寄せつつも冷静なシャルベルが顎に指を添えた。
「その呪いを解く方法が、竜に選ばれる相手を娶ること、なのか?」
「呪いとは、体内に他者の魔力が混入することです。丸薬の件とは少し異なりますが、偶然か策謀か、王家の血に魔法使いたちの血が混入され、それが呪いとなっているのだと思われます。魔力はより強い魔力が主導権を握る。ですので、呪いの魔力より強い相手を娶り、次代へ呪いを繋げないという手をとることで、呪いを打ち止めにするのです」
「なるほど。……強い魔力を探し当てるのが竜なんだな?」
「はい」
「待て待て待て」
ちょっと勘弁とでも言いたげにライネルが待ったをかける。
なにかと視線を向けるシャルベルの傍で、天井を仰いで顔を覆うライネルはすでになにやら参っている様子。本人を置いてけぼりにしてしまったかと反省するラウノアの耳に、ライネルの重い息が届いた。
「その……強い魔力というのは、そもそも稀ではなかったか?」
「はい。その……赤か黄色の竜が選ぶ相手がよいのですが……。この二色は、黒を頂点とする竜の序列の中で第二と第三。魔力の強い相手を選びます」
「シャルベルー。今その色の乗り手は?」
「……赤のルインですね」
「俺にそっちの趣味はないし次代もクソもねえ! グレイシアの相手にさせるにも絶対貴族共がうるせえ!」
「殿下。言葉遣いが悪いです」
……まあ、そうですよね。ラウノアも曖昧に乾いた笑みをこぼすしかない。
王家に関することなのでマクライ王も手を打ちたそうだが、出てくる条件にはさすがに困った顔をする。
「ラウノア嬢。急ぎ手を打ったほうがよいか?」
「呪いはおそらく、王家を嗤って絶望に落とすように突然にでも発動します。……これが王家を呪う怨嗟であるなら、呪った者たちにとって不幸は蜜であり、平穏と安堵を壊すようにくるでしょう」
「――……ラウノア嬢。もしやとは思うのだが、アルベル……第一王子は――」
「王族の死すべてが呪いのせいではありません。不幸なことも、同じ程度は起こり得ます」
無礼を承知で遮ったラウノアの強い声音にマクライ王も刹那目を瞠り、そっと瞼を落として手をあてた。
「そうだ……そうだな。すまぬ」
「いえ。ご無礼いたしました」
王族ともなれば不幸はある。策謀の果てもある。――呪いもある。
アルベル第一王子は不慮の事故だった。そこに呪いが関係したか否かはラウノアにもギルヴァにも証明はできない。
ライネルが産まれた日。初めての弟の誕生の知らせを受けて喜び勇んだアルベル王子が、早く母と弟のもとへ向かおうとして階段から足を滑らせた。
呪いであると断定はできない。誰が見ても、不運な事故だった。幸運と不運が一度にやってきた日になった。
「陛下とライネル殿下、グレイシア殿下の身の内に巣食う呪いは、残念ながら解呪はできません。陛下の呪いはすでに大半がライネル殿下に移っていますが、現王陛下である以上何事かがある可能性は否定できません。しかしすでにライネル殿下が成人なされているので、影響は小さくて済むかと。グレイシア殿下は継承権が低く女性であるという点から、ライネル殿下よりも呪いの力は弱いです」
「問題はライネルか。次代へ呪いを継がせぬためにも、伴侶は慎重に選ばねばならぬな」
「……どうやって? 令嬢全員に竜の前に立てと? 妃探しといってそれを受け入れる令嬢はいますかね?」
さすがのシャルベルも悩まし気な表情を見せている。マクライ王も思案顔だ。
同じように考えるラウノアは、数秒思案すると顔を上げた。
「陛下。殿下。ギルヴァ様に相談してみましょう」
「「ほお?」」
「ギルヴァ様とも解決策を話したのですが、ギルヴァ様が一度直接殿下の魔力を調べたほうがより詳しいことが分かると思います」
「一度お話してみたいと思っていたところだ。是非、頼もう」
国王の許可を得て、ラウノアはえさえさと石棺前の段差に腰を下ろした。そして目を閉じる。
(魔力でギルヴァ様に繋げる。……ギルヴァ様。ギルヴァ様。お知恵をお貸しください……)
意識の深くへ魔力を操作する。繋げる。
それによって普段の睡眠よりもギルヴァと繋がりやすいと、訓練で気づいた。
深くへ繋げば繋ぐほど、ラウノアの意識も深まっていった。




