17,今も変わらず愛している
息を呑んで、けれどどこか冷静な頭が思考を動かす。
目の前の光景を言葉を忘れて見つめるライネルの傍で、シャルベルがその横顔を見つめてそっと視線を逸らした。
ギルヴァが剣を抜けば血が噴き、その身体は地に倒れる。広がる血だまりを見つめ、ギルヴァはその生命活動が弱っていくのを感じて傍に膝を折った。
「……おまえが俺に、勝ったことがあったか?」
「……ふっ。そう、ですね」
もう解っているのだろう、敵意は感じない。
見ている顔は知らない者のものだけれど、別の顔が重なって見えるから、どうしても口端が上がる。
「ギルヴァ、さま……」
「ん?」
「僕はね……嬉し、かった…」
「……」
「理由なんて……なんでも、よかった。あなたがまた……いてくれた…。あのとき、だって……あなたに分かって…ほしかった……。だから…」
「分かってる。ちゃんと、分かってる」
それでも自分は別の道を選んだのだ。ほんの小さな希望と、僅かな可能性にかけて。
けれど結局、思うように動くとは限らない。己の未熟が不甲斐なくて、こんなことをさせてしまったことが悲しい。
「おまえは禁術を使った。生命に関り、人体に影響を及ぼす魔法は使ってはならない。それは自然に宿る精霊の力に反する。――俺は、禁を破ったから、おまえを処罰した。それだけだ」
「うん……」
「……そこまでして、俺に戻ってほしかったのか? 死者は蘇らない。どんな魔法を使っても」
「うん……」
「馬鹿野郎」
「うん……」
分かってる。ちゃんと分かってる。だって生きていた頃からこいつのことは知っているのだから。
自分を見つけて、顔を輝かせて駆け寄ってくる。そんなこいつを知っているから。
知っているから。意見の違いで衝突しても、真正面から食ってかかってくる威勢も。
悲しくても。寂しくても。やりきったと思える心は本当で。後悔なんてこの胸になくて。
けれどきっと、そうではない者が圧倒的に多いのだろうとも解っているから。
(俺はもう、戻ることはない。今の形も、ラウノアとともに終わる)
クロリスが望んだのは自分だ。今ではない、かつての自分。
もう誰も、知らない自分。――それを唯一、知っている者。
後悔を与えるな。行使した禁術のカスを残すな。
歪められた精霊は、歪めた術者の心をよく知っている。歪められた憎悪に引き込ませてはいけない。
だから――幻でしかできないけれど。
「「!」」
少し離れたそこから、息を呑む気配がした。
それを聞いて思わず口端が上がる。意識が朦朧としているクロリスが目を瞠るのが分かる。そして、クロリスの傍に漂う黒い靄も驚いたようにしているのが視えた。精霊本来の気を取り戻せばこれ以上術に呑まれることにはならないだろう。
クロリスの目に映っている、昔の自分。
「ぁ、ギルヴァ、さ……」
「クロリス」
耳に入るのは、ラウノアの声ではない。生きていた頃も死んでからも、ずっと耳に入る自分の声。
この状態での再現は難しいけれど、クロリスの反応を見るに上手くできているようだ。
――思い出す。たくさんのものを置いてけぼりにした、あのとき、あの瞬間。
「俺はおまえたちを愛してる。――この先に待ち受ける困難はとてつもなく厳しいものになるだろう。だが、怯えなくていい。隠れなくていい。隠さなくていい。おまえたちはおまえたちのままで在ればいい。誇れ。堂々と胸を張って生きろ。おまえたちは俺たちにとってなににも代えられない誇りだ。俺たちはここでおまえたちと別れることになる。だが魂は巡る。精霊は傍に在る。――果てしない未来で、また逢おう」
伸ばされた手を。頬を伝う涙を。
握り返すことも拭ってやることもできなかったけれど、心はいつだって、そこにある。
驚いて言葉を失うかつての臣下の頭をぐしゃぐしゃと撫でてやれば、その顔が歪んで、雫がこぼれる。
「っ、ひどいっ……」
「かもな」
「ずるいっ……」
「かもな」
泣かせるのがうまいと言われたのを思い出して、眉が下がってしまう。
自分はいつだってそんなことしかできない。すまないなと思うけれど、どうしてか心は晴れてしまうから、困る。
「ぼ、くも……ギル…が……だ…す……だか…」
「ああ。分かってる。知ってる。だから――もう休め。また逢おう」
一筋の雫を最後にしよう。
そしていつか、今度は、笑って、再会できる日を――。
ざくざくと土を踏んで近づいてくる足音に視線を向けた。
会話は聞こえてなかったとはいえ、認識阻害の壁はあくまでここを見つからないようにするもので彼らに見せないものではなかった。そういう微妙な加減は昔から得意でもある。
「若。怪我は?」
「ない。この身にも傷ひとつ負わせてねえよ」
そう言うとシャルベルがほっとする気配がして、内心で小さく笑ってしまった。
しかし、その目が未だ自分を見つめているのを感じる。
それもそうだろう。姿はまだ偽りのままだから。
ラウノアより高い背も。同じ銀色の髪の中にある獣の耳も、腰下を覆う大きな尻尾も。すべてそのまま見せて、ここにいる。
口許に笑みをつくるギルヴァを見つめ、シャルベルは心のどこかで悟った。
(これが、ギルヴァ・ディア・ルーチェンハインの姿か。だが、信じられないな)
その特徴は本物であるかのように動いている。かつてこんな存在は見たこともない。
(だから、ラウノアにとってこれは秘密だったのか……)
いつもはラウノアの身体に顕現するギルヴァだがこういうこともできるのなら、それはおそらく知られたくないことだろう。
戦っているときはラウノアの身であったから、なにか細工をしているだろうが、どういうものなのかシャルベルには分からない。
隣にはライネルがいる。
見られてしまった、知られてしまった。これは、ラウノアが望まない事態だ。
「でん――…」
「その鳥、寄越せ」
シャルベルが放つより先に、立ち上がったギルヴァがライネルを見た。
止めることもせずにまず鳥の話。ギルヴァの行動に、秘密に関するギルヴァの態度を見たようで少々むっとしつつもシャルベルは口を閉ざした。
「……どうするつもりだ」
「手を尽くす」
「なら城へ連れて帰る。生き物を診ることができる医者もいる」
「で? その医者になんて説明する」
「……っ」
きゅっとライネルが眉根を寄せた。
ギルヴァの言うとおり、医者に診せればなんらかの事情を話さざるを得ない。他の鳥に襲われたと言って、ではこの傷がそういった場合のものに当てはまる傷と見られるのか。争ったなら他にも傷はできるはずだと見られる可能性もある。
「下手な治療をされるとそいつは飛べなくなる」
「……できるのか?」
「おまえらとは、できることが違うんだ」
にやりと浮かべられた笑みにライネルは一瞬不審と不快を滲ませた。しかし、渋々といったように鳥を差し出す。
思いの外丁寧に鳥を受け取り、ギルヴァは手の中でみじろぐ鳥を見つめた。
「元気にさせておまえに返す。それでいいな?」
「ああ。……頼む」
「安心しろ」
「……。おまえ、何者だ?」
不安を消して問う、真剣で、逸らすことを許さぬ声音。
それを受けても平然と、ギルヴァは視線をライネルに向けた。しかしなにも言わず、視線を再び鳥へ戻す。
答える気がない。
瞬時にそれを察したシャルベルが一歩前へ出る。
「殿下。急ぎ王宮へお戻りになられたほうが」
「……ああ。だが…」
ライネルの視線が動く。それが見つめるものを見て、シャルベルもきゅっと眉を寄せた。
こうなった以上、ある程度はそれらしい話を作らなければいけなくなる。誤魔化すにも限界が生じる。
ライネルの視線がギルヴァに動くが、ギルヴァは鳥を手にしたままくわぁっと欠伸をする。そんなギルヴァにはさすがにシャルベルも呆れるように息を吐いた。




