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2.紙切れ

「ラウノア嬢。いや、ラウノア――君を養女として引き取る」


 静かな応接室で息を呑んだのは誰だったのか。

 ラウノアは目を瞠り、ゆっくりと視線を動かした。相も変わらず父とは目が合わない。居候の三人は愉快そうに口を歪めている。


 ぎゅっと、汗が滲む手を握りしめた。視界が暗くなり思考が固まってしまうのを、ラウノアは必死に押しとどめる。


「……ベルテイッド伯爵様。わたしは……カチェット伯爵家の、跡取りです。家を出るわけには……まいりません」


「分かってる。だが……以前この家に来てから、君の置かれた立場があまりよくないのではないかと思っている。確かに君は跡取りで、その点は私も悩んだ。それでも、君を迎え入れたい」


「養子縁組となると、陛下から許可が必要なはずです」


「それについても心配ない」


 そう言って、ベルテイッド伯爵はテーブルに置いてあった紙をラウノアに差し出した。それを受け取ったラウノアは必死に頭を動かして内容を読みとる。


 ウィンドル国において、貴族の家督の相続権は実子にある。しかし子に恵まれない家や、実子であっても跡取りとして相応しくないと判断を下す家もある。

 そこで用いられるのが、他家からの養子縁組だ。

 家督相続に繋がるため、国王の承認が必要となる事案であるが、認められれば、養子はその家の者として正式に扱われ家名もそちらを名乗ることになる。そして、元の家の遺産や相続に関しては誓約書に事前に明示しておいたりと、後々に争いとならぬようにしなければならない。


 ベルテイッド伯爵がラウノアに見せたのは、国王からの正式な許可書。

 すでにそこには、トルクの名と、ベルテイッド伯爵の名が記されている。


 ――家同士の決定を、すでに国王が承認している。


 その事実にラウノアは息を呑み、足元が抜け落ちる絶望に突き落とされた気がした。


(そ、んな……でも、でもわたしはっ……)


 頭が真っ白に、視界が真っ暗になる中、言葉の出ないラウノアに代わるように、控えるイザナが声を張り上げた。


「っ……んな、あんまりです! お嬢様は正式な跡取り! それはカチェット伯爵家の決まりです! なのにどうしてお嬢様を追い出すんですか!」


 その非難は当主代理であるトルクに向いていた。イザナの怒声にラウノアも、そっとトルクに視線を向ける。

 それでも、目が合わない。


「と……さま……わたしは…わたしはこの家を出るわけには――」


 母の微笑みがよぎる。母から受け継いだ大切な品がドレスの下で存在を主張する。


 もう決定がなされたとしても、取り消してほしい。

 そんなラウノアの想いとは裏腹に、トルクが絞り出すように発したのは逆の言葉。


「っ……出ていくんだ……!」


 トルクとてカチェット伯爵家の決まりは知っているはず。母から聞いているはずだから。

 これまで、後継についてトルクが口にすることはなかった。しかし、カチェット伯爵家の決まりと、他に相応しい跡取りがいないことから、ラウノア以外の名前を出すこともなかった。

 だから――ラウノアは必死に言葉を紡いだ。


「この家は、その血を継ぐ女性が継ぐのが決まりですっ。カチェット伯爵家を失くしてしまうのですかっ……!」


「あら。トルクさんは当主代理。ならば、その子が継ぐことになっても認められるのではないかしら?」


「認められない。それは決まりに反することですので」


「決まり決まり……意味のない決まりに従ってどうするのかしら?」


 小ばかにするように笑うターニャの声にラウノアは拳をつくった。


 代々の当主が守ってきた決まりなど、彼女たちには分からない。言っても理解できないのだから。

 だけど、その大切さを知るからこそ、ラウノアはトルクを見た。


「父様。考え直してください。これでは母様が大切にしてきたものが――」


「出ていってくれ!」


 厳しい怒鳴り声が応接室に響いた。その大きさに、思わずラウノアも口を閉ざす。


 目が合わない父。変えない決定。

 突きつけられた現実に唇を噛むしかなかった。


(ここで我を通せば父様だけじゃない、ターニャたちも割り込む騒ぎになる。そうなると伯父様にもご迷惑をかける。家督争いが起これば陛下の耳にも入り、カチェット伯爵家は貴族社会で目立ってしまうし、もし、陛下の介入があれば……。……だけど)


 俯くラウノアを、イザナもベルテイッド伯爵も、辛そうに見つめた。

 その中、執事であるガナフがトルクへ一瞥を向けた。


「旦那様。失礼ながら申し上げます。――本来ならばすでに当主の座はラウノアお嬢様が継ぎ、貴方様はその座を退かなければならない決まり。それに従わぬばかりか居候まで屋敷に入れ、使用人まで増やした。これら全てカチェット伯爵家の決まりに反する行為です。お嬢様にはそれを咎める権利がありますが、貴方様の失意を知るからこそ、お嬢様は咎めない。ささやかな願いすら叶わず、貴方様が別の道を取ってしまわれたこと、残念です」


 そっと瞼を伏せ、ガナフはラウノアを見た。そして苦悩を消して穏やかに微笑む。


「お嬢様。ベルテイッド伯爵様のご厚意、きっと、お受けしても大丈夫ですよ」


「だけど……」


「カチェット伯爵家を想う御心、私どももよく存じ上げております。ですが……存在するものはいずれ形を変えることもあり、それは決して、望むものにはならない。そういうものなのです」


 その言葉に、ラウノアは小さく息を呑んだ。そして、脳裏に浮かぶ、不敵で寂し気な微笑み。


(あの人も、きっと同じことを言う……)


 ラウノアはそれでも視線を下げた。そんなラウノアに、マイヤがそっと手を添える。ぬくもりを受けマイヤを見れば、戸惑いなどない、ガナフと同じように落ち着いた表情をして頷いた。

 最も長く、母にも仕えてくれていた二人の落ち着いた表情に、ラウノアは瞼を閉じ、拳を握り、唇を噛んだ。


 ここで自分が足掻いても、決定事項は覆されることはない。


(わたしが頷けば、それで場は収まる。でも、カチェット伯爵家は……。母様。皆。ごめんなさい……)


 ベルテイッド伯爵がただ自分を案じてくれているのも理解する。父と争いたくはない。ターニャたちと争い家をかき乱されるのも嫌だ。


 自分が、一歩身を引けば、それで収まる。

 それが――これまでのすべてを失う行為だからこそ。それが一番問題にならない行動だとしても。胸が痛い。


(目立たないことが最優先事項。家と引き換えに……。それでいいの? わたしがこの家を出ればカチェット伯爵家は――)


 トルクが決定を覆す様子はない。そして、すでに決定は下されている。

 ならば、ここで自分が言葉にして決断しなければならない。


 ゆっくりと顔を上げ、ラウノアは書面を手にベルテイッド伯爵を見た。


「ベルテイッド伯爵様。……よろしくお願いいたします」


「――分かった。辛い決断をさせてすまない。今後は娘として、全力で私もサポートする」


「はい。ありがとうございます」


 騒ぎ立てることもなく、拒んでも、それでも受け入れる。

 そんな苦悩を深く下げられた頭から感じ取り、ベルテイッド伯爵は、少しだけ苦しそうな表情を見せた。

 解っている。これが、ラウノアが望まないことだというのは。


 これで、ラウノアのベルテイッド伯爵家への養子縁組が決定した。

 紙切れ一枚。それによって、家の終焉と新たな人生が、戻らない結末となった。


 そんな紙切れから、ラウノアは視線を逸らした。

 さまざまな想いが入り混じる胸の内はぐちゃぐちゃで、気持ちが悪くなりそうだった。






 突然訪れた変化に、ラウノアは早々に家を出ることを決めた。

 帰宅するベルテイッド伯爵とともに、彼が治めるモルト領へ向かう。なので急いで荷支度を始めた。


 多くを持っているわけではないドレスや宝飾品だが、新たな家に持ち込む品は厳選する。自分の本やお気に入りの品々。それらを鞄に詰めながら重い息を吐き、ラウノアはそっと首から下げる大切な品を取り出した。


 透明というより銀色に近い色の石がついたその指輪は、カチェット伯爵家当主の証。亡き母から受け継いだ、大切な品だ。

 ターニャやメルリに目をつけられないよう、こうして首から下げて隠すようにしていた。


 その指輪を大切に持ち、ラウノアは祈るように瞼を伏せた。






 ♦*♦*




 ラウノアが荷支度のために部屋に戻ったころ、ラウノアの側付きである四人が集まっていた。

 その中でも一番若いイザナは怒りに顔を染めて、拳を震わせた。


「ありえない……。お嬢様に出ていけだなんて……。これじゃ一人で背負ってるお嬢様が報われないっ!」


「ええ……。ルフ様が亡くなられ、若すぎる御身で全て……」


 怒りを見せるイザナの傍で、マイヤはそっと目尻を拭った。


 生まれた時からラウノアのことを見てきたマイヤにとっても、ラウノアは娘のような存在だ。主従の関係をしかと保ちつつも、絶対の味方である意志はそんな想いからも生まれている。

 そんなマイヤと同じようにラウノアをずっと見てきたガナフは、感情を露にする二人を見つめた。


「イザナ。マイヤ。落ち着きなさい」


「だけど父様……!」


「どれほど辛く、断れないとしても、お嬢様が決断したんだ。それに従うのは私たちの務め。違うかい?」


 落ち着いているがどこか揺るがぬ意志を持つ声音に、イザナとマイヤも口を閉ざす。

 そんな二人を見て、口数少ないアレクを見て、ガナフは執事として問う。


「おまえたちはどうする?」


 何を、とは言わない。言わずとも三人は理解する。

 ガナフの言葉に、三人は迷うことなく同じ答えを返した。


「行くわ。お嬢様を独りになんてさせられない」


「もちろん、参ります。お傍にいることがお嬢様のためになるのなら」


「俺は……姫様を守る。絶対に」


 返ってきた答えに頷き、ガナフは三人を見る。


「私たちはカチェット伯爵家ではなく、カチェット伯爵に仕える身。――主が決断したならば従い、共にするのが、私たちの役目だ」


 ガナフが一歩足を踏み出す。それに続く三人にも、迷いはない。

 四人はラウノアを待つベルテイッド伯爵の元へ向かった。やって来た四人に怪訝な表情を見せるベルテイッド伯爵に、代表してガナフがその意思を表明した。






 ラウノアが支度をしていた途中からイザナが作業に加わり、荷造りは終了した。荷造りが終わると、イザナは「所用があるので」と早々に退室してしまった。

 少し寂しい想いをしながらも、ラウノアはこれまで過ごした自室を最後に見回し、そっと部屋を後にする。


 エントランスに向かい歩くラウノアの周りを行き交う使用人は、そのほとんどがターニャたちが屋敷へ来てから雇い入れた者たちだ。

 ラウノアに声をかけることもなく、目を合わせられないのか、視線を下げて足早に去っていく。


 信頼のおける使用人を最低限とし、雇いすぎない。

 そんなカチェット伯爵家の決まりを無視した行動に、ガナフが怒っていたのを少し懐かしく思いつつ、ラウノアはエントランスへ向かった。


 待っていたのはベルテイッド伯爵と、ガナフ、アレク、マイヤ、イザナだけだ。

 ターニャたちが来るなどと思っていないが、トルクがいないことに少しだけ胸が痛む。


(いつの間にか、父様には随分と嫌われてしまったみたい)


 内心自嘲的な思考に陥るが、すぐに切り替えた。


「お待たせして申し訳ありません。準備は終わりました」


「ああ。出発しよう。……その前に」


 言いながら、ベルテイッド伯爵はガナフたちへ視線を向けた。それに釣られてラウノアも視線を向ける。

 と、ガナフが一歩前に出た。


「お嬢様。僭越ながら、私たちもご一緒させてくださいませ」


「ガナフ……皆……」


 思わぬ申し出に胸が苦しくなる。

 母が死に、父との関係が悪くなっても、この四人はいつだって傍にいてくれた。離れずに、ずっと。


 だから、その申し出はとてもありがたい。


「……だめよ。あなたたちはこの家の――」


「お嬢様。私たちはカチェット伯爵家ではなく、カチェット伯爵にお仕えする身。他の使用人とは違うのです。私たちの主人はずーっとラウノアお嬢様です」


 イザナの笑みはいつだってラウノアを元気にしてくれる。今も。その言葉は嬉しくて。

 けれど、ラウノアは首を横に振った。


「だけど、ベルテイッド伯爵家にご迷惑をおかけするから――」


「それなら大丈夫だ。いきなり君を家から引き離すことになってしまった謝罪だと思ってくれ」


 ベルテイッド伯爵は安心させるように微笑み、ラウノアの背中を押す。そして少しだけ眉を下げた。


「それに、彼らはもうトルクに辞表を叩きつけていたから、ラウノアが頷いてあげないと宿なしだ」


 ぎょっとする言葉にラウノアは目の前の四人を見るが、表情の乏しいアレク以外は笑顔だ。ベルテイッド伯爵も頬を引き攣らせているのが見て分かる。

 拒否権を奪った四人に怒るより、ラウノアは困ったような、嬉しいような想いが溢れた。


 だから、主人として、ベルテイッド伯爵に頭を下げた。


「ベルテイッド伯爵様。わたしからもお願いします。どうか、彼らの同行をお許しいただきたく思います」


「もちろんだ。だけどラウノア。そんなふうにかしこまらなくていい。今はそう思えないかもしれないが、これでも、私は君の父のつもりだ」


 そっと、少し躊躇うような手がラウノアの頭に乗せられる。

 その、少しのぎこちなさと溢れる心遣いから、申し訳なさや、父としての想いを感じるようで、胸が詰まった。


(誰かにこうしてもらうなんて、母様が生きていた頃以来)


 少し懐かしくて。気恥ずかしくて。けれど、決して嫌じゃない。


「はいっ。ありがとうございます」






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