過去話 二人の副団長は分からない
♢*♢*
流れる汗を拭った。今日の屋外鍛錬は体力が奪われる。集中力が切れたときが一番厄介だ。
それでもふっと息を吐いた、訓練中だと気を引き締めて周りを見る。
まだ数名が打ち合い稽古を行っている。一足早くに終わったシャルベルは流れ続ける汗をタオルで拭った。
「やめ! 各自休憩に入れ」
教師の言葉で皆が木陰に入る。
太陽の下よりは過ごしやすい場所に入れば、誰もがはあっと大きく息を吐く。
「シャルベルはやっぱりすげえな。おまえに一度も勝てねえや」
「いや……」
「なんかこう、コツとかある? 教えてくんね?」
「そうだな……」
風に揺られて樹の枝が揺れる。それに合わせて影が揺れ動き、木漏れ日が反射する。その下でシャルベルは同級生たちとの会話に興じた。
王立騎士学校。アカデミーを卒業した生徒のうち騎士を志す者たちがそのための訓練をうけ、騎士団や近衛隊の騎士を目指す学校。平民や貴族の次男三男が入学することが多い中、貴族、しかも公爵家の跡取り息子が入学するのは珍しく、シャルベルは入学当初から注目を集めていた。
アカデミーからの知り合いもいたために、アカデミーで身分がばれたときほど遠巻きにされることはない。少し気心知れた仲というのもありがたいものだ。
「おい。シャルベル・ギ―ヴァント」
シャルベルが友人たちと話をしていたとき、不意にかけられた声にシャルベルは視線を向けた。
同級生たちの全員といい関係というわけではないし、シャルベルにあまりいい顔をしない者も少なくはない。理由は身分か実力か、あまりシャルベルは気にしていない。
(またか……。あまり父上と母上に心配はかけたくないんだが…)
自分の願いで進ませてもらっている道だ。心配をかけるのは本意ではないし、あれから母はぐっと堪えつつ気にしてくれているのを感じている。
だからこそ、こういう厄介みはあまり相手にしてこなかった。
「ちょっと訓練でもつけてくれよ。学年一の実力者なんだし」
そう言って木剣を投げてよこされる。反射的に受け取ってしまい、シャルベルは内心でため息を吐いた。
「ちょっと待てよ。学生同士の私闘なんて認められてない」
「んなもんじゃねえし。休憩中にちょっとコツを教えてもらうんだよ。なんか問題あるか?」
「おまえっ――」
「いい。べつに」
「シャルベル!」
ここで拒否をしたところで、こういった相手は諦めないだろう。すでに何度と経験していることだ。大体読める。
しかし、ここで素直に応じて後で教師に咎められれば、それは両親に心配をかけることになってしまう。そこは非常によろしくないので、シャルベルは離れて生徒と何か話している教師の方へ足を向けた。
「先生」
「ん。どうした、シャルベル」
「カリバー殿から試合を申し込まれましたので、立ち合っていただけませんか?」
「またか……。おまえも苦労するな。……はあ。分かった」
すでに何度か立ち合わせている担当教師はため息を隠さない。気持ちは分かるので申し訳ない。
シャルベルが教師を連れて戻れば試合を申し込んだ学生カリバーはあからさまに不快に顔を歪める。しかし教師を前に文句を言うつもりはないのか、木陰を出て訓練場に出た。
それに続き、シャルベルも太陽の下に出て木剣を構える。両者の間に教師が立った。
「一撃を与えたほうが勝利。いいな?」
「「はい」」
「――はじめ!」
ダッとカリバーが地面を蹴った。その動きをシャルベルはじっと見つめた。
授業を終えて騎士学校の静かな場所で過ごす。
結果、授業中の試合はあっさりとシャルベルの勝利で終わった。とくになにを思うでもないのだが、教師立ち合いのもとで行われたものなのでいちゃもんも不正もできない。カリバーは不服そうだったが、シャルベルからすれば当然のことをして挑んだだけである。
「おい」
「……」
やはり来た。教師を立ち合わせて行った試合では満足できなかったのだろう。いつだってああいう試合のあとは自分が一人のところを狙ってくる。
見遣るとそこにカリバーと取り巻きが十名ほどいるのが分かった。今日はまた人数が多い。
……展開が読めてしまった。無駄は省きたいがしかし、こちらから手を出すようなことは相手の思うつぼ。
「なにか用か」
「なんで勝手に教師の立ち合いつけたんだよ。俺はそんなつもりなかった」
「生徒の私闘は認められてない。そう見られたら大事になる」
「見つからねえようにすればいいだろうがっ……!」
ビュッと風を切る音。カリバーが後ろ手に持っていた木剣が横殴りでシャルベルに襲いかかる。
しかしシャルベルは、冷静にそれを避ける。途端に舌打ちが聞こえて取り巻きたちまで木剣を取り出すと一斉に襲いかかってきた。
(弱い所から潰す)
木剣の構え方。呼吸。距離のつめ方。無駄な動き。見て取りながらシャルベルは動いた。
まずは相手の手首を打って木剣を奪う。そのまま相手の木剣を弾き返して腕を打つ。軽く脇腹を打って、足払いをかける。相手の木剣を受けとめ、かかってくる別の相手が振り下ろす木剣を身体をずらして避けると、その腹に蹴りを沈ませた。
ばたりばたりと一人ずつ倒れていく。それを見ていたカリバーが奥歯を噛んでシャルベルに剣を振り上げた。
かんかんっと音をたてて弾き返し、カリバーの剣を弾き飛ばしたシャルベルはその切っ先をカリバーに向けた。
「もういいか? こういうことは両親に心配をかけるから、もうやめてくれると助かる」
「お、おまっ……おかしいだろ! なんでそんなことできてんだよ!」
なんで、と言われても。そんなもの答えに困ってしまう。
眉根を寄せるシャルベルを睨むカリバーは、どこか困ったようなシャルベルが口を開くのを見た。
「……剣は、屋敷の騎士たちに教わった。ここでの鍛錬も忘れないよう毎日復習してる。体力づくりも毎日欠かさない。相手の動きを見て、まずは見様見真似でもやってみる。そうすれば打ち合い訓練で実践できるし、改善点も分かる。……相手は自分の先生になる、そう思っている」
「な、んだよ……それ…」
がくりと力を失ったカリバーは、次には呼吸が詰まったように呻いて地面に倒れた。
少々驚いたシャルベルは、カリバーの後ろにいた人物に視線を向けた。
白金色の髪は長く、瞳は翡翠の輝き。騎士学校の制服はネクタイの色で学年が分かるようになっており、その人物の色はシャルベルの下を表す色だった。
騎士学校にいる女性たちは誰もが男性たちに負けないくらい気が強かったり、意識してそうしていたりする。が、目の前のその人はまったく違う空気を持っている。
「こんにちは。シャルベル様」
「……クロンベリア侯爵の」
「はい。レリエラといいます」
アカデミーを卒業してからデビューした社交界。その中で先日見た覚えがある。
いろいろと有名なクロンベリア侯爵家。たしかその三女が騎士学校に入学したと聞いていたが、学校で会うのは初めてだ。
なぜここに、と思っていると、レリエラがにこりとした笑顔で後ろを振り返った。
「先生。終わりました」
「はいはい……ってなあおい。ちょっと見物しましょうってものじゃないからな」
やってくる教師が一名。ため息をついて頭を掻いている様子にシャルベルは思わずレリエラを見た。しかし返ってくるのはにこりとした笑顔だけ。
「あーあーもう。シャルベル。事情はだいたいレリエラから聞いてるから心配するな。ちょっとこいつら医務室突っ込んでから話だけ聞かせてくれ」
「はい」
「レリエラ。誰でもいいから先生をもう二人くらい連れてきて」
「はーい」
ててっとレリエラが教員棟へ走っていく。それを見送ってからシャルベルと教師は倒れている生徒たちを医務室へ連れていくことにした。
シャルベルが同級生約十名を一人で叩き潰したらしい。
という話はすぐさま学校内に広がった。教師から事情を聞かれるシャルベルと医務室にいきなり十名ほどの怪我人という状況が話の広がりになったと思われ、広がったものは止めるのも難しい。
とはいえ、教師たちも尾ひれだけは徹底的に消していった。問題行動を起こしたのがどちらであるかははっきりさせておかなければ、後々の悪い影響となりかねない。カリバーたちは厳重に注意され、しばらくは謹慎となった。
それからのシャルベルの日々はとくに変わりはない。同級生たちと過ごしたり、一つ上の先輩たちから指導という名の私闘に付き合わされて打ち負かしたり。実践を含めて有意義に過ごしている。
が、当然悩みもある。
『シャルベル。おまえの努力を父と母は誇りに思い、ちょっと頭を抱えています。手放しで喜んでやってやれと言っているのは我が家の騎士たちくらいです』
と、なんとも言えない手紙が送られてきてしまった。申し訳ないと謝罪文を返しておいた。
(父上と母上が認めてくれたんだ。あまり心配かけないようにしないと……)
そう思ってもなかなかうまくはいかないものである。
ある日の授業。今日は学年混同での試合形式の授業である。
一人に対して複数がかかっていく、より実戦に近い試合。広い視野と無駄のない動きが必要なその授業。
事前に五つほどの大きな班に分かれ、さらにそこから試合の組に分かれる。組の中で人員を変えつつ数度試合をする。
すでに他の班では試合が始まっている。もちろん、教師の指示どおりで。
シャルベルのいる班は、二つの塊で分かれていた。
片や、どうしてか輝く目をしていたり、真面目に険しい顔をしている数十人の集まり。
片や、たった二人の男女。
「……レリエラ殿もこういったことがよくあるのか?」
「試合はなるべく応じて経験にしています。でも今回はちょっと違うかしら? なんだか皆楽しみって顔をしてるし」
そう見えるから非常にやりづらいと思ってしまうのだが、レリエラはそんなことはないのかにこにこしているままだ。
目の前にいる相手がカリバーのようなぎらぎらとした嫌悪や敵意に満ちているならやりようはあるしやりやすい。しかし、先の一件以降そういう手合いは少し減っている。
ほっとしつつも、今度は眩しく見つめられることやそそそっと足を引かれることが増えた気がして、これはこれで過ごしづらいところもある。困ったものだ。
「……おまえら、本当にそれでやる気か?」
さすがの教師も呆れている。「いや、自由に組めって言ったのは俺だけどさ」と反省を滲ませているが、どうにも生徒たちが動く様子はない。諦めるしかないようだ。
「シャルベル。レリエラ。相手がやりすぎって思ったらすぐ言えよ。俺も止めるときは止めるからな」
「はい」
「大丈夫です、先生。何事も経験ですから」
「うん、これはちょっと違うかな」
ぐっと拳をつくるレリエラに教師は「憧れが強すぎ…」とぼそりとこぼすと、諦めたように片手を上げた。
「それじゃあ――はじめ!」
他の班よりも遥かに大きな雄叫び、そして戦闘音が訓練場に響いたのは言うまでもない。
思わず訓練の手が止まった他班の生徒や教師たちも、そこで行われている光景に頬を引き攣らせた。
「うっわー……。マジかあれ」
「え……。あれ、レリエラ様笑ってね?」
「女神の微笑みが今だけは恐いっ……!」
「シャルベルも大変だな…。ああほら、もう眼光が冷たい。冷静過ぎて冷たい」
「あの二人とんでもねえバケモンだな…。なんかもう……敵意向けるだけ馬鹿馬鹿しい」
「「全くだ」」
騎士学校創立史上初めての様相を呈した複数の相手に対する訓練は、参加者から後輩へ、さらに後輩へと語り継がれる逸話となり、そのとんでもない訓練をした二人の日々の波乱万丈までも追加されるように語られていくようになった。
♢*♢*
「そろそろ新入りたちが来る時期ね」
「ああ」
騎士団副団長仕事部屋。書類を捌いていた二人は春の気配漂う空気が開けている窓から入るのを感じていた。
シャルベルの瞳は書類を睨み、レリエラの瞳は青い空へ向かう。
「ふふっ。なんだか懐かしいわね。まだ少し前のことなのに」
「レリエラ殿は入団から怒涛の出世だろう。早く感じるのも無理はない」
「あら。それはシャルベル様だって同じでしょう?」
そう言ってレリエラが喉を震わすのを耳に入れた。
そもそもにこれだけの若さで副団長になれたのは、ロベルトのおかげと、竜使いになれたことが大きな要因だ。でなければ難しい。
「でもね、毎年少し気になることがあるの」
「気になること?」
「ええ。だってほら、入団式で私たちが挨拶するとどうしてか皆とても緊張するでしょう? 緊張を和らげてあげようって思ってるのにどうしてかしら?」
「期待と不安が混じっているんだろう。学生とは訳が違う」
「そうねえ。今年も緊張しなくていいのよって、ちゃんと言ってあげないと」
やるべきことをやっているだけにすぎない。周囲にどう思われるかなど気にするべきとき以外にさして気にしたことがない。
寄り道を許してくれた両親に応え、自身がやりたいと思えたことをやりきるために。自分で選んだ好きな道を好きに全うするために。
だから二人は、新入りたちの緊張の理由が分からない。