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46,いつか花開くことを…

 ♦*♦*




 重く静まった室内。おそろしく居心地が悪く視線は意味なくその人を避けるしかない。

 部屋を出ていった微笑みが頭をよぎる。まさかこんなことをするとは少々予想外だった。


(いや……。罰でもあるが、そうでもないんだろう。ラウノアは厳しさも優しさも持っている)


 ならば、このまま無為に時間を過ごすわけにはいかない。たとえ心が望まなくても、避けたいと思っても、この時間に意味をくれたのが彼女だから。


「……カティーリナ殿。とりあえず、座ってくれ」


「え、ええ……」


 ラウノアたちが部屋を出てから座り直すこともなく落ち着きなくしていたカティーリナだが、シャルベルの言葉にすっとソファに腰を下ろした。けれど視線はやはりこちらを見ることはない。

 嫌われているだろう。恨まれているだろう。侍女でさえそうだったのだから本人の想いはそれ以上のはずだ。


(だが結局、俺はあの頃のことをこれまで話すことをしなかった。向き合うこともしなかった。だから……ラウノアにも言えなかった)


 言いたくないと思った心には、そんな自分を知られたくなかった気持ちも。後ろめたい気持ちにあった。

 ラウノアはそれを知っても、今も変わらず……いや。強引にこういう手段に出られてしまったわけだが……。


 微笑みを思い出して、それをそっと胸にしまった。


「カティーリナ殿。今更に遅いということは重々承知しているが、謝らせてほしい。――あの頃、あなたが行動してくれたことを私はひどくぞんざいに扱っていた。申し訳なかった」


 今度は自分が席を立ち、頭を下げて謝る番だ。

 ふっと息を呑む音が聞こえた気がした。けれど視線は向けない。どれほど長くてもシャルベルは動かず頭を下げ続けた。


 握った拳に力が入るのが自分でも分かった。目の前の下げられた頭とその言葉に今更に胸の傷が疼くようで、辛いような怒りを覚えるような、泣きたくなるような、自分でも分からない感情が巡る。


「……次期公爵ともあろう御方が、そう軽々しく頭を下げるものではありませんわ。早く上げて座ってくださいませ」


 つんとした咎める声。けれどどこか震えているような声。それを受けてシャルベルは頭を上げた。

 目の前のカティーリナは自分を見ていないけれど、それでもいい。


 心に思うのは少しの懐かしさだ。

 ――そう。彼女はこういう人だった。貴族令嬢として誇り高くも己の非を謝れる人だった。


 シャルベルが座り直したとき、カティーリナは膝の上に拳をつくり、視線を下げて大きく息を吐くとゆっくりと顔を上げた。シャルベルをまっすぐと見て。


「あの頃、あなたがそうしてくれたおかげで、夢はやはり夢でしかないのだと痛感しました。だから今はもう夢は見ないことにしています」


「……」


「確かにあなたは剣ばかり勉強ばかりで愛想はないし楽しそうでもないし、相性をどう見ろというのかと腹も立ちました」


「すまない……」


「……ですけれど、あなたがそれほど騎士になるために必死だったこと、話題性のないことも不慣れだからではないかとも、思い至らなかった私にも非はあります。今更気づくなんて遅いでしょうが、遅くに気づくことなんて山ほどあるものです」


 こうしてちゃんと話をしたことはこれまでにもあっただろうかと考える。どう考えても出てくる答えは否定ばかりだ。恋人だったときも、テーブルを挟んでした会話はなんだっただろうと思い出して、やっぱりなにも出てこない。


「振り返るのはもうやめましょう。あなたを見ているとどうしても思い出してしまうけれど、あなたも同じだったようですし、ラウノアさんがくれたいい機会です。……お互いに結局は別の人がパートナーですから」


「……ああ」


「無愛想なあなたでも一目惚れくらいはできるようになったようですし、私を踏み台に少しはラウノアさんとよい関係を築いているのでしょうね?」


「……」


「ちょっと。黙らないでくださるかしら?」


 恐ろしく答えづらい質問をしないでほしい。

 目の前で少々不満げなカティーリナから視線を逸らしつつも、「もうっ」と不満げなその様子からこれまで出くわしたときのような棘がなくなっているのを感じて、シャルベルはラウノアには一生頭が上がらない気がしていた。


「努力はしている。だが……ただ好きだという気持ちだけではうまくいかないこともあるだろう? 相手を知り、信頼を得るというのは難しいものだと痛感している」


「……部下じゃないのよ?」


「もちろんだ」


 思わず出てしまった言葉にカティーリナは額に手をあてた。

 この男は本当に分かっているのかいないのか……。傍目に見ていれば悪くない関係に見えるのに、中身はどうやら違う様子に出せる助言などない。


「カティーリナ殿はどうなんだ?」


「……。あなたのように一目惚れで相手を選べるなんて、他ではありえないものです」


「……そうだな。だが――……関係性というものは、一目で決まるものではないだろう?」


「……」


 どこか鋭さを増したカティーリナの瞳がシャルベルを射抜く。

 婚約したばかりの頃のこと。何気ないもので距離を縮めたこと。秘密に触れたこと。その度の迷いや決意が胸をよぎる。

 そして今、それは決して揺るがないものになったから。


「相手に変われというのは……無理だろう。相手を変えようと思うなら思っている自分が行動を起こさなければなにも変わらないと、そう思う。……ラウノアとの縮めた距離をまた開かせるようなことも、何度もしてしまった」


「……実るものだと思っていますか?」


「俺は幸い実っているが、すべてそうではないだろう。俺とあなたもそうだった。花を咲かせるか枯れさせるかも自分だけではどうにもならない。ひどく……もどかしい」


 きゅっとカティーリナが唇を引き結んだ。どこか痛みを孕むような表情をシャルベルはそっと見つめた。


 カティーリナとセドリクは社交の場でも見かける。特別に親しそうでなく、かといって不仲の話も出ない。夫婦の実態というものは貴族ならば外には出さないものだ。

 自分が思っていたものとは違うのかもしれないと感じつつも、シャルベルは口は出さない。


 僅か眉根を寄せていたカティーリナはふっと息を吐くと立ち上がった。


「どうかしたか?」


「もう戻りましょう。お二人も待っておられるでしょうから」


「……そうだな」


 シャルベルも立ち上がり扉へ向かった。その背を見つめたカティーリナはきゅっと眉根を寄せていた。






 ラウノアとシャルベルに礼をして、セドリクとカティーリナは公爵邸を後にした。

 帰りの馬車の中に二人で座る。けれどその席は斜め同士で互いの視線が合うことはない。


 いつもならこのまま沈黙が屋敷まで続く。けれど今日は少し違った。


「シャルベル殿と有意義な話はできたか?」


「え。ええ……」


「そうか。次期公爵の婚約者相手にしたこと、シャルベル殿が私情に走るとは思っていなかったとはいえ相応の罰を覚悟していたが……。話し合いに参加できなかった親同士のほうが困惑するだろうな」


 過ちを犯したのはこちら側だというのに、セドリクはどうしてか口端を上げている。それを見てカティーリナはそっと視線を逸らした。

 セドリクには、過去にシャルベルと恋人だったことはなにも話していなかった。スティラが残した手紙で知ったはずだが、貴族の婚姻においてそれは重要ではないからさして気にはしていないのだろう。そういう関心がないのは知っている。


 この人はそういう人だ。普段からカティーリナにさして関心もないし、息子のことも跡取りとしてしか見ていないから子育てもカティーリナが担っている。

 当然だ。自分たちの婚姻だって親同士が決めたもの。一緒に町へ出かけるようなことはないし、ティータイムを楽しむこともない。

 貴族らしい夫婦だ。多く広くそうあるだろう夫婦の内の一組だ。


 シャルベルはラウノアとの関係をよくしようと動けたようだ。けれどそれはきっと、一目惚れの相手だったから。そうでなければできない。


「シャルベル殿のこと、社交の場でたまに見てただろう?」


「!? そ、そうでしたか?」


「女たちがあの人に騒いでいるのは知っている。だからおまえがそうしている理由も大体は察していた」


「……それは、なにか誤解なさっておられたのではありませんか?」


「そうらしい。スティラの遺書を読んで驚いた」


 珍しく夫が自分に向かってよく喋る。驚きと困惑を抱きつつ、カティーリナはそっとセドリクへ視線を向けた。そして驚いた。


 見たことがないほど、機嫌がよさそうに感じた。

 口にした内容はむしろ不快を抱いていたのだろうと思わせるのに、その表情は全く違う。曇り空が離れたような、疑問が晴れたような。

 自分がいつも見る夫は、いつだって淡々としてどこか冷たい人だ。日常に会話がないことも珍しくはない。あってもそれは報告しておくべきことを伝えるような、そんなものだった。


 だから、諦めがついた。夢から覚めた。


「――……なぜ、そのようなお顔をなさるのです」


「どんな顔をしている?」


「楽しそう……。なにか晴れたようなお顔です」


 自覚がないのだろうか。内心で首を傾げていると、セドリクは「…かもしれないな」とぼそりと呟いた。

 そして足を組み替え、カティーリナをまっすぐ見つめた。その眼差しにカティーリナは視線を逸らす。


「ラウノア嬢に罰をもらった」


「……私に与えただけでなく?」


「俺ももらって当然だろう。それもご丁寧に種を撒いた上でな。そうされては拒むことはできない。――種を撒かれた以上、花を咲かせて花束を作るために奮闘する。それが俺への罰だ」


「? どういう意味ですか?」


 毒を盛るなどという罪に対して下るにはあまりにも軽い罰だ。けれど決して、優しくはない。

 やり直さなければいけないことは多い。花開くかも分からない。――それでもやれと、彼女は言った。罰を望んだ自分たちと、望まぬ結婚をした一組の夫婦のために。


(自身の婚約者の元恋人だからか。それとも同情か……。いや。そういう甘さのある人には見えなかったが……)


 社交の場で目立たぬ控えめな令嬢。記憶に憶えてなんていなかった存在感。

 なのに、つい先ほどはそれを忘れるほどに存在感を放ち、毅然と他者に罰を下した。己の婚約者にまでそれを下す姿は驚かされたものだ。


(存外に肝が据わっている上、贔屓もしない。……周りをよく見る目も持っているんだろうな)


 それに気づいたのだろうか。誰よりも先に。あの公爵子息は。

 彼女はいずれは公爵夫人となる。そうなったとき、彼女のあの姿は表に出るだろうか。


(出ない、ようにも思うな。……だが、敵にすれば、おそらく毅然と今度は相応しい罰を下すだろう)


 そういうところは間違えない。そういう人に見えた。


「……カティーリナ」


「は、はい……?」


「ラウノア嬢と仲良く……は無理でも、敵にはなるな」


「敵など……なるつもりはありません。もともとそんなことをする理由もありませんし、今回のことでラウノアさんには恩ができましたから」


 言い訳をつくって避けていた。彼女は互いのそれを感じて場をくれた。でなければずっとあのままだっただろう。


 姿を見て、思い出して、胸の内が乱れて苦しかった。ずっとこうなのかと思うこともあった。

 二人でちゃんと話し合おう、なんて絶対になかっただろう。――彼女がいなければ。


 上手くいかないものだ。なんとかしたいともがいても、結局絡まって解けない。

 ――そういうものの、なんと多いことか。


 王都にあるバークバロウ侯爵邸に着いて馬車を降りる。子息夫妻の帰宅に使用人たちも案じるように駆けてくる。その中に幼い子どもがいて、カティーリナへ向けて駆け出した。


「お母様。…お。お父様。おかえりなさい」


「ああ」


「ただいま。いい子で待っていた?」


「うんっ!」


 満面の笑みで母に頷く息子。対して膝を折って自然と微笑む妻。二人のそんな姿を見つめていると、無意識に自分の身体が強張っているのが分かった。

 息子が生まれてからの子育てはカティーリナが担っている。仕事に忙しく構う時間もなく、カティーリナとの距離もあって息子と時間をとることもない。


 だから知っている。息子は自分に対して緊張していることも。自分も息子にどう接していいのか分からないことも。


『二輪、三輪、数が増えて一つの花束になれば、それは周りを笑顔にできるものに変わるでしょう。そして花束は花が咲く度作ることができます。遅くはありません。種を撒き手をかければ、たとえどれほど時間が経っても、花は咲くのです』


 ――たとえそれが、どんな花でも。


 一つの種は撒かれた。咲かせたいならもっと種を撒かねばならない。

 撒いた中でさてさてどれだけの種が芽を出すだろう。どれだけが葉を伸ばすだろう。どれだけが花を咲かせるだろう。


 分からない。非常に厄介で面倒で、頭を悩ませるものになるのだろう。けれど――……


「……近く休みをとる。三人で出掛けるぞ」


「「え……」」


「……揃って妙なものを見るような目を俺に向けるな」


 セドリクの表情がなんとも言えない様子で歪んでいる。カティーリナは息子と揃ってセドリクを見てしまったが、同時に、息子の身体が少し強張ったのも感じ取った。

 場に沈黙が落ちてしまってセドリクが居心地悪そうに視線を逸らす。驚いた様子でそれを見るのは使用人たちも同じだった。


「異論があるなら聞く。返答は?」


「い、いえ……。少し驚いて……」


 ちょっと思考が上手く回らないのが困るところだ。目の前で息子も戸惑っている。

 これまで外出に誘われたことなどないから。どうしてだろうという疑問ばかりが浮かんでくる。


『花を咲かせるか枯れさせるかも自分だけではどうにもならない。ひどく……もどかしい』


 自分で咲かせようとした。結局咲くことはなかったけれど。だからもう――夢は見ない、のに。

 それでも分かってる。


「…き……いきますっ……」


 些細なことでも。この一度だけでも。――叶わぬ夢のひと時でも。

 ――諦めたと思っても、しぶとく諦めきれないのが人間というものだから。







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