45,花束をつくる方法
セドリクの言葉にシャルベルはラウノアを一瞥した。
回答を譲るような目にラウノアは一度瞼を落とし、セドリクをまっすぐ見つめる。
「――事実です。シャルベル様とこちらでお茶をしていたとき、わたしは毒を盛られて倒れました。ですが、幸い口にした量は少なかったようでそれほど大事には至りませんでした」
セドリクが表情を険しくさせ、カティーリナがぎゅっと音が聞こえるほど強く拳をつくる。二人の間にはどこか張りつめた緊張も、気まずそうな空気も漂う。
「公爵邸でも調査し外部犯だと確証は得たが、それ以上は追っていなかった。私も立場上狙われてもおかしくなく……ラウノアもないとは言い切れなかった」
「ただの逆恨み……いや。事実そうだったわけか……」
毒についてラウノアもシャルベルもこれ以上に事を大きくするつもりはなかった。しかし思わぬところから出てきた犯人の自白。
周りの目を誤魔化すためだろうと考えながらも、かといって目の前の二人を責める気にはなれずラウノアはシャルベルへ視線を向けた。
こうなった以上、いえなにも気にせず、とはいかない。家同士の関係性に関わる大事になってしまった。
「セドリク殿。この内容、他に知る者は?」
「私の両親だけです。使用人一切には見せていませんので」
「それ以上広げないようお願いする。こちらとしてもあまり大事にはしたくない」
「分かりました」
貴族社会に知られればバークバロウ侯爵家の立場が悪くなる。そうなれば、どうしても求める責任も大きくなってしまう。
シャルベルはすでに両親であるギ―ヴァント公爵夫妻、そしてベルテイッド伯爵夫妻には事に関して連絡してある。しかし屋敷の使用人一切には口外を禁じ、クラウもまたベルテイッド伯爵邸内では「ラウノアは体調不良」だったということで通している。
(ギ―ヴァント公爵家、バークバロウ侯爵家、ベルテイッド伯爵家。三家の関係を悪化させたくはないけれど……)
悪化すればそれは今後に影響し、さらには社交界などでもいらぬ噂になりかねない。そうなると勘ぐられ、また目立つことになる。
さてどうしようかと考えるラウノアの前でカティーリナが席を立った。戸惑いと怪訝を向けるセドリクとシャルベルの視線など気にせず、カティーリナはソファの傍に立つと、深々と頭を下げた。
「シャルベル様。ラウノアさん。此度のこと、私の侍女が行ったこととはいえ責任は主たる私にあります。誠に申し訳ございません。いかなるお叱りも罰も受ける所存です」
潔く、躊躇いなく、下げられた頭にラウノアは驚き、シャルベルもまた意表を突かれたようにカティーリナを見た。
妻の姿を見たセドリクも席を立ち、同じように頭を下げる。
「私からも謝罪します。屋敷の者が行ったことはそれを監督する側の責任でもある。できうる限りのことはしますし、裁判にかけてくれても構いません」
夫妻の行動にシャルベルは参ったなといいたげに瞼を震わせ、そっと目を閉じた。
(そうだ。昔から、彼女はこういう人だった……)
そしてその視線はラウノアを見る。ラウノアもまたシャルベルを見て眉を下げていた。
今回の件に絡むすべてが例えばなかったとしても。怒りと恨みで連鎖的に処罰を与えてやろうなんて、しない人だから。
シャルベルはラウノアにそっと頷いた。
「セドリク殿。カティーリナ殿。私はお二人に責任を問うつもりはない」
「いや、しかし……」
「この件に関しては父からも私が一任されている。今後の三家の関係を悪化させたくはないし、すでに犯人が自白死亡した以上、それまでだ。あなた方に責任を問うとバークバロウ侯爵やスティラの親にまで責任をとってもらわなければならなくなる。そうなると事が大きくなるだろう」
理解はするが納得はしたくない。そんな表情にシャルベルは無理もないと思い、視線をラウノアに向けた。
「というのが私の答えだ。――ラウノア。被害に遭ったのは君だ。君が責任を求めるならそうすればいい」
「では、一つだけよろしいですか?」
背筋を伸ばしたラウノアから放たれた言葉に、セドリクとカティーリナは怯むことなくラウノアを見つめた。
何を言われても反論の権利は持っていない。貴族として人として。逸らすことなくまっすぐな目にラウノアは責任を求めた。
「カティーリナ様。シャルベル様ときちんとお話をなさってください」
「え……」
「今回の事の原因はお二人の過去からの関係性です。シャルベル様がなさったことで、スティラと同じようにシャルベル様を快く思っていない侍女の方は他にもいるのではないでしょうか? 反対に、シャルベル様の周囲にもいるかもしれません。その見方を変えるのはお二人の態度です。これまでのように気まずさや怒りではこれからも同じことが起こるやもしれません。それはお互いによくないことですから」
カティーリナだけでなくシャルベルまで唖然としてラウノアを見つめた。室内でただ一人ラウノアだけが優雅に微笑み、場を支配する。
「ですから、シャルベル様。気まずさや申し訳なさはきちんとお伝えしてくださいね」
「あ、いや、待ってくれ。ラウノア――」
「セドリク様。私たちは少し席を外しましょう」
「……そうだな」
「えっ。あ、旦那様……!」
事態を呑み込めないのは残される二人である。ラウノアとセドリクは早々に扉を開けて部屋を後にした。
扉の向こうにはアレクがいてくれたので、ラウノアはアレクも連れて歩き出す。ラウノアの隣にはセドリクがいて、アレクは知らぬ相手に少々警戒中だ。
公爵邸の廊下を歩き、執事のキリクに「シャルベルとカティーリナは有意義な話し合い中」と伝えおいて、ラウノアはセドリクとともに外に出た。
冬の寒さはすっかり流れ、春のぬくもりが漂う。もうすぐ社交時期が始まる気配が感じられる。
庭を望めるその場所にラウノアはセドリクと腰を据えた。互いに二人きりというのはよろしくないのでアレクと公爵家のメイドが控えてくれている。
「……少し意外だった」
「何がでしょう?」
「ああいうことをするというか……強引なところがあるんだな、と」
さすがに失礼かと躊躇っているのか、セドリクの声音にラウノアは笑った。これまで目立たない大人しい令嬢だった。強引さなど欠片も感じられない令嬢だっただろう。
「ああでもしなければ、お二人はずっとあのままだと思いましたので」
「ラウノア嬢は、妻がシャルベル殿の恋人だったとご存知だったのか」
「はい。以前シャルベル様が教えてくださいました」
「そうか……」
下がった視線。紅茶に映るセドリクの表情。それを見てラウノアはカップを傾けた。
貴族の婚姻に感情は関係ない。多くは政治や家同士の関係からなる政略的なものだ。おそらくセドリクとカティーリナもそれに洩れないのだろう。
恋人関係なんて行う貴族がそもそもに少ない。恋人のまま婚約に進むこともあれば、至らないこともある。そういう程度のものでしかない。
(ガナフが調べてくれたことで分かったことがもう一つ。カティーリナ様のご両親は不仲で、奥方は別邸で暮らしていて別居状態が長いそう。だからカティーリナ様は……)
幼い頃から両親が不仲だったからこそ、幸せな家族に憧れがあった。いつか自分はそういう家族を持ちたいと。
シャルベルとの恋人関係はその始まりになれた……はずだった。
『だからなのでしょう。カティーリナ様の侍女たちの中には怒りを覚える者も多かったようです。現在の御夫君との婚姻は父君が決定し、男児に恵まれたとはいえカティーリナ様の思い描いた家族とは違うものになってしまったようです』
夢は夢のまま終わる。それは決して珍しいことではない。
夢を現実にするために頑張っても、手の届かないこともある。カティーリナももう分かっているのだろう。
(どうであっても、わたしがとやかく言えることじゃない)
夫婦の問題も親子の問題も、どの家にもありふれている。ラウノアだって例外ではない。
だからそっと目を閉じた。
「セドリク様。先日町でカティーリナ様とご子息にお会いしました。ご子息は町の散策を楽しんでおられたようです」
「ああ。知っている。……迷子になったところを助けていただいたそうだな。感謝する」
「当然のことですから。セドリク様もご一緒されることなどあるのですか?」
セドリクがカップをソーサーに戻した。
春の風がその髪を揺らし、どこか情の読めない目が庭へ向けられる。
「……いや。息子のことは妻に任せてある」
その答えにラウノアはなるほどと納得を覚えた。
カティーリナにとってセドリクとの婚姻は親が決めたもの。今のセドリクとの関係も含め、カティーリナにとって、思い描いた幸せは息子とのものだけになってしまったのだろう。
それを失えば、カティーリナは自分の中で何かが崩れてしまうと恐れているのかもしれない。
(夢を見た……。だけど先程、カティーリナ様はわたしに頭を下げた。そしてセドリク様も、カティーリナ様とスティラに罰を与えればそれで済ませることもできたのに、そうしなかった。……きっとお二人とも真面目な方なのね)
怒りを持っていても、カティーリナはシャルベルを平然と罵ったりしなかった。息子の前でも理性的に振る舞った。
セドリクは自分がよく想われていないと分かっているから、自然と両者の距離も開いていく。
カティーリナの幸せはきっと、手に入らない。
――気づいている者が教えなければ。
「……貴族の娘は自分で選ぶことができません。親に与えられたものが全てであり、それを享受して生きていくことしかできません。自分が持っているのは自由に心に思い描ける夢だけです」
「……」
「幸せな家庭を築きたい……。そんな夢ですらうまくはいかないもので、得たものは思っていたものとは違うなんてありふれたことでしょう。……それでも諦めきれないこともあるはずです」
セドリクの視線を感じるけれど、それに返すものはない。
公爵邸の庭はすぐそこの春を待ちわびている。ぬくもりが続けばすぐにでもあちこちでその蕾が開くだろう。一斉に咲けばきっと美しい。
「一輪だけの花は綺麗ですが、どこか寂しさもあるものです。二輪、三輪、数が増えて一つの花束になれば、それは周りを笑顔にできるものに変わるでしょう。そして花束は花が咲く度作ることができます。遅くはありません。種を撒き手をかければ、たとえどれほど時間が経っても、花は咲くのです。――っと、失礼しました。独り言ですので、お気になさらず」
「……撒いた種の一つは、今のあの二人というわけか」
「なんのことでしょう?」
「いや。シャルベル殿はそういうあなただから選んだのかなと思っただけだ」
……それはちょっと意味が分からないのだが。
微笑みに困惑を混ぜるとなぜかセドリクに笑われる。怪訝とするしかないが、なんとなくセドリクの空気から力が抜けたように感じられて、まあいいかとラウノアは茶を一口いただいた。
「……そうだな。結局は私のせいでもあるんだろうな」
静かにこぼれた声だけは、聞こえないふりをしておいた。