44,これで調査は終いだろう?
それが分かってもなんとか説得を続けようとむっと表情を歪めて考えるラウノアを見て、ガナフはそっとラウノアに近づいた。
「お嬢様。その件はまたじっくりとお話すると致しましょう」
「ガナフまで……」
「もう一つ、大事なお話が」
ラウノアもはっと思い出したような顔をして切り替える。その様子を見てシャルベルも思考を切り替えラウノアを見た。
「まだ何か?」
「はい。シャルベル様は、ガナフにバークバロウ侯爵家について調べてもらっていたのをご存知ですよね?」
「……たしか、例の人物がそう言っていたな。調べがついたのか…?」
シャルベルの視線にガナフは「はい」と頷いて答えた。ラウノアもまたガナフを見て静かに頷く。
ガナフはラウノアの執事だ。日頃のことから今はベルテイッド伯爵家の執事と協力して仕事をすることもある。
そして、そういった執事としての仕事以外でもその能力は発揮される。諜報じみた仕事が必要ならばアレクを動かし、相手によってはイザナやマイヤを動かし、情報収集に関して使用人から町人商人に至るまでその伝手と人柄で得たい情報を得て、ラウノアを助ける。
ラウノアの隣に立ったガナフは穏やかさを消して表情を引き締めた。
「お二人を狙い、フードの人物と接触していた依頼人と思われる人物は、バークバロウ侯爵子息夫人であるカティーリナ様の侍女スティラかと思われます」
「その名前……。確か、アンがメリエルの箱について話したと言っていた相手だな」
「はい。カティーリナ様のお傍に仕えて長く、信頼していた侍女のようです。主のことを我が事のように喜び怒り、ギ―ヴァント公爵子息様とのことがあった折にはひどく怒っていたと当時の同僚から話が聞けました」
「なるほど……。主に対して無礼であれば怒っても当然だ」
どこか沈む声音をラウノアは黙って聞いた。
スティラはどこかイザナに似ている。ラウノアのことになると喜び怒る。特に生家であるカチェット伯爵家では実父が引き入れたターニャたちにひどく怒っていた。けれど決して暴走はしないと知っている。
「スティラさんはカティーリナ様を本当に大切に、侍女として誇りを持ってお仕えしていたのでしょう」
「主をいだく者とはそういうものです。しかしそうである以上、己を律することもまた重要なこと。感情のままの行動は主の非となり責となる。そうさせてはならぬものです。主のため尽くすことも、主を想いお諫めすることも、仕える者の務めでございます」
仕える者にも、仕えられる者にも、その言葉が重く響く。
本当に優秀で有能な臣下とはどういった存在なのか。主のためなすべきことをするとはどういうことなのか。仕える者も、仕えられる者も、きっと考えなければいけない大事なこと。
主の立場にいる二人にガナフがそっと瞼を落とし、さらに続けた。
「そのスティラですが、お嬢様のもとにフードの人物が現れた翌日に亡くなったそうです」
「なんだと?」
そのタイミングと失われた手がかりにシャルベルは驚愕を見せ、額に手をあてた。
事前に聞いていたのかラウノアは驚いた様子はなく、どこか痛まし気な顔を見せる。
「スティラさんはしてはならないことをしましたが、侍女のしたこととなるとカティーリナ様は……」
「そのことなんだが、ラウノア。俺のもとにバークバロウ侯爵子息から手紙が届いた」
思わぬ言葉にラウノアは驚いた。
シャルベルが取り出した一通の封筒。一度開封されたそれを開けて、中の便箋を机に置く。シャルベルの指が示す内容にラウノアの視線が向いた。
「時間のあるときに話がしたいと。詳しい内容は一切書かれていないんだが、君の同席を望んでいる」
「わたしもですか? ……スティラさんのことでしょうか?」
「まだ分からない。だが、このタイミングでとなるとそう思う。……どうする?」
「同席いたします」
迷いない頷きにシャルベルも「分かった」と了承を返した。
それを最後にラウノアがふっと息を吐き、場の空気が少し和らぐ。張りつめる会話はこれで終わりだというようで、シャルベルも少し気を緩めた。
それを感じとったマイヤがそっと二人の紅茶を注ぎ直す。すっかり冷めてしまったことにラウノアはすまなさそうに眉を下げた。
空気が和らいでもシャルベルはまだどこか思考中の様子。それを見て、無理もないとラウノアは瞼を伏せた。
まだ言えていないことがある。だからそこを言わずに、フードの人物についてのみ話した。合点がいかないところがあって当然だ。
それでも、全てを伝えることはできない。
「……ラウノア。答えたくないなら答えなくていいんだが、一つ聞いてもいいか?」
「なんでしょう?」
「古竜の炎は森を焼かなかった。あれは……どういう原理なんだ?」
問われ、ぱちりと瞬いた。しかしすぐに理解した。
騎士団において竜の炎は全てを焼くと思われているのだ。竜の炎は普段の訓練や護衛任務などではよほどでない限り使用されないし、今の竜は乗り手の指示に従う。
竜が戦場に出るようなときなら尚更、竜の炎を操作することはないのだろう。
「竜の炎は全てを焼き尽くす……そう思われるのも致し方ないことだと思いますが、竜が乗り手の指示に従うことが一番の理由でしょう」
「従うことが……?」
「はい。試しにヴァフォルに好きにさせてみてください。原理の説明は難しいですが……竜は温厚な生き物ですから」
「……分かった」
答えになっていないだろうにシャルベルは頷いた。そしてすぐにまっすぐラウノアを見つめ、僅か瞳を揺らす。
「ラウノア。ありがとう。言いづらいだろうことも話してくれて、ありがとう」
「いいえ。わたしが巻き込んだものですから。それに――……」
「いいんだ。言えることだけでいい。君がそれを気に病む必要はない。それに……敵が城内にいるのなら、俺がしたことがフードの人物の有利に働いただろう。すまない」
「いいえ。だとしてもわたしは行きました。まだ助けられるかもしれない、その状況に黙ったままではいられませんでした。だから、シャルベル様がしてくださったことは助けられた大きな功績です。誇ってください」
「誇るのは君だろう」
そう言って眉を下げて笑みを浮かべるシャルベルにラウノアは笑みを返した。
一度瞼を閉じて、開く。そのシャルベルの目にはもう迷いも後悔もなかった。だからラウノアも背筋を伸ばして向かい合う。
「ラウノア。俺は今後も君を守る。これからもずっと。だから、あまり一人で抱え込まないでくれ」
「……ありがとうございます。シャルベル様」
「……俺にも言ってほしい。君は一人で抱え込みやすいから。それに存外に頑固だ」
「! それはシャルベル様もだと思います……!」
途端に僅か顔を赤くさせたラウノアが反撃に出る。けれど結局はシャルベルに勝てなくて。
そんな二人を側付きたちは笑って見つめていた。
♦*♦*
後日。シャルベルがバークバロウ侯爵子息に返書を書き、会うための日程が組まれた。
場所はギ―ヴァント公爵邸。屋敷にはシャルベル、ラウノア、そしてバークバロウ侯爵子息夫妻が揃った。
ギ―ヴァント公爵邸の使用人たちは過去のシャルベルとカティーリナとのことを知っている面々も多い。まさかの再会に少々緊張を覚えていた。
しかもそこにはシャルベルの現婚約者であるラウノアまで同席している。なんの話かとさすがに空気が張りつめる。それでも無駄な動きはなくてきぱきと動いた。
公爵邸の客間。隣り合って座るシャルベルとラウノア、テーブルを挟んで座る侯爵子息夫妻。
茶が用意され、ラウノアもあまり言葉を交わしたことのない侯爵子息がシャルベルを見た。
「シャルベル殿。わざわざこうした場を設けていただいたのにたいへん不躾で申し訳ないが、四人だけで話がしたい」
その申し出にシャルベルは控えるメイドや執事に視線を向け、ラウノアもアレクに視線を向けた。主の視線に使用人たちも部屋を出てアレクもそれに続く。
ぱたんと扉が閉じられれば途端に重苦しい四人だけの空気。居心地の悪さといい展開ではなさそうな気配にラウノアはすっと気を引き締めた。
「ラウノア嬢も同席くださり感謝する」
「セドリク殿。それで何用か?」
面識の薄い者同士の挨拶が終わればシャルベルがその視線を鋭くセドリクに問うた。それを受けたセドリクも怯む様子はなく、隣のカティーリナを一瞥してから本題に入った。
「先日、妻の侍女が一人死亡した」
「……」
「死因は自死とのことだ。遺書も見つかった」
「遺書……?」
シャルベルが怪訝と片眉を上げる。ラウノアも表情を変えずセドリクを見つめた。
セドリクの隣ではカティーリナがぐっと奥歯を噛んで、拳を強く握っている。そんな様子をちらりと見遣りシャルベルは「それで」と続きを促した。
それを受け、セドリクは上着のポケットから一通の封筒を取り出す。
「その遺書がこれだ。……読んでほしい」
差し出された封筒を見て、シャルベルはラウノアへ視線を向ける。どうするかと問われているように感じてラウノアは頷いた。
読まないわけにはいかない。なにか少しでも手がかりがあるかもしれないなら。
(フードの人物がわたしのもとへ来た翌日の死亡……。無理やり身体に意識を定着させたのならそのせいで亡くなったのだろうけど、遺書を用意していたなんて)
不審を与えないためか。計画していたことなのか。どのみち、その遺書を他家の者に見せる大きな理由がある。
シャルベルもどこか険しい表情ですでに開いている遺書の封を開け、便箋を取り出した。ラウノアにも見えるよう向けながら二人で目を通す。
『私は、ギ―ヴァント公爵邸でラウノア・ベルテイッド伯爵令嬢に毒を盛りました。シャルベル・ギ―ヴァント公爵子息はカティーリナ様と元は恋人関係であり、当時のカティーリナ様はその関係を良好なものにしようと頑張っておられました。傍で見ていたその姿は健気で、幸せをわたしも願っておりました。……なのに、そんなカティーリナ様の精一杯の努力を、あの方は無にした。剣と学業を理由にカティーリナ様を遠ざけ、そのくせ今になって別の婚約者には一目惚れで大切にしている。腹立たしくて仕方がなかった。お嬢様はあんなにも頑張っていたのに。全部無視したくせに今更自分だけ幸せですなんて、許せなかった。だから婚約者を奪ってやろうと思いました』
自白から始まった文章を読み、便箋を持つシャルベルの手の力加減が変わったのをラウノアは見逃さなかった。
けれどなにも口にはせずそのまま文書を読み進める。あとにはカティーリナへの謝罪とすべて自分の独断であるからカティーリナに責任はないと記されていた。
「そこに書いてある内容からラウノア嬢にも同席をお願いした。……事実ならば、こちらとしても相応の責任をとる」
セドリクの声音にはそれに相応しい覚悟がある。そのまっすぐな瞳をシャルベルとラウノアは見つめた。