43,狙いのあるところ
その言葉に、笑みに、シャルベルは目を瞠った。
思わず口許を覆って視線を逸らす。けれどその頬や耳が少し赤いのが見えて、ラウノアも途端に気恥ずかしくなって視線を下げた。
「あ、あの、その……」
「……嬉しい。嬉しいなこれは……。その…これからも頼ってほしいんだが……いいだろうか?」
「! はいっ……! わたしこそこれからご迷惑をおけしますが……」
「気にしない。ともに背負いたいし守りたい。それが俺の心だから」
言葉が出てこない。恥ずかしくてたまらない。
互いに言葉が出ずに気まずくなってしまう。恥ずかしくて何を言えばいいのかも頭から消え去ってしまったラウノアの耳に「ふふっ」と笑みが聞こえた。
「お嬢様がそう言えるお相手に出会えたことも、そのようなお顔をなさることができるのも、我々も非常に嬉しいことです。これも見守ってきたからこその感慨ですかな」
「ガナフ……まるで父親のようなことを言うのね」
「ほっほっ。心境は似たものやもしれませんぞ」
ガナフの隣では心境は母なのだろうマイヤが笑みを浮かべて何度も頷いている。それを見てラウノアも眉を下げた。
母を喪い父とも距離ができ、そんな自分の傍にいて代わりとなってくれた二人だ。まさにそうなのだろうし、そう想ってもらえていることは幸せだ。
胸の中にぬくもりを感じながらも、ラウノアはすぐに顔を上げてシャルベルをまっすぐ見つめた。
「話を戻します。依頼人はさらに次の手を考えました。しかし、香が効かなかったと思っていたからフードの人物には頼らず、自身若しくは別の人物と協力し、毒を入手した」
「おそらくはイレイズだな。奴は手伝いを命じられ君に接触していた。イレイズと襲撃者の上にいるのがフードの人物だとしても、毒だけはフードの人物は関与していなかった」
「毒を盛ってもわたしは無事だと分かっていたのです。むしろ、毒を盛られたとなればフードの人物が狙う御方が心配して来るかもしれない……そういう狙いもあったのでしょう」
「君の回復を知らせたのはフードの人物だろう。そして、依頼人の狙いである俺、自身の狙いである殿下に加え君と繋がる人物。これを狙って視察先へ襲撃者を送った」
重々しいシャルベルの言葉にラウノアは頷いた。それを受けてシャルベルは小さく息を吐く。
(まだ分からない部分もあるが、腑に落ちたところもある。……丸薬や香にあった何か。おそらく異なると思われる外見。見えない姿。会話にあった意識の移動、それに……魔力とは、なんなのか)
けれどそこをラウノアは言わない。だからシャルベルも聞かない。
頭の中を整理するために一度間を開け、切り替えたシャルベルはもう一度ラウノアを見つめた。まっすぐ、けれどシャルベルがなにを思っているか分かっているような目をしている。
けれどその口が開かれることはない。だからシャルベルもそれに従う。
「フードの人物は今後も君を狙うだろう。それに殿下まで狙いの対象であるならますます対処が難しい。……正直に言って、フードの人物とまともに戦って勝てるとは思えない。顔が分かれば秘密裏に探せるんだが…」
「――……シャルベル様。以前キャンドルの欠片をヴァフォルにお願いしたのを覚えておられますか?」
「もちろんだ」
「あのときヴァフォルに追ってもらったのは、丸薬や香、キャンドルに共通していた、病の原因になったモノです」
それがなんなのかシャルベルには思い当たるものがある。けれどラウノアが口にしない以上は問わない。
ラウノアだけが知っていた。ラウノアではない誰かも知っていて、そしてフードの人物も知っいてた。その三人が知る共通のもの。
「あのとき、ヴァフォルはそれが感じられた場所に降りました。だからヴァフォルはシャルベル様が再度同じことを指示しても「その答えはここだ」と飛ばなかったのです」
あのときのヴァフォルは落ち着きなく翼を広げていた。自分には拒絶か不満かという程度にしか分からなかったものもラウノアは読み取っている。
似たようなことができる人物を同じ見目で知っているから、二人の特別な何かを意識してしまう。
「……嫉妬してしまう」
「? なにかおっしゃいましたか?」
「いや。なんでもない。――つまり、竜の区域にはその原因があったということか?」
「わたしも当初はそう考えました。ですが古竜もまたヒントをくれました。――ヴァフォルが区域へ降りたのは、そこにしか降りられなかったからです」
「降りられなかった……?」
どういう意味かと怪訝とするシャルベルに頷いて、ラウノアはシャルベルを強く見つめた。
そしてどこか、迷うような目がシャルベルを見る。この先を伝えるべきか、やめておくか。そんな瞳をシャルベルはまっすぐ見つめた。
「ラウノア。俺も背負う。君と一緒に、君を守る」
「!」
本当にこの人は変わらない。どこまでも。なにを言っても。
いつか来るかもしれない日が恐ろしいのに。それでも――傍にいてほしいと願ってしまう。
「言ってしまうと……あの相手に狙われ、命が危険です」
「それは君も同じだ」
「もし、すべての秘密が明るみになったとき、わたしはあの言葉を言ってしまうかもしれません」
「それから君を守ると、俺は誓った」
「どうして折れてくれないのですか……!」
「君が愛おしいから。では、だめだろうか?」
ああもう、困った人だ。――自分だって、困った人間だ。
「……引き下がりませんか?」
「残念ながら」
シャルベルがまっすぐ見つめてくれるのを見て、ラウノアは心を決めて泣きそうに笑った。
「では、お伝えします」
「ああ」
一瞬の静寂。
そんな音が耳に入って、ラウノアはゆっくりと目を閉じ、開いてから、告げた。
「病の原因になったモノは個人が元より持つものであり、新しい薬草や調薬法、副作用などではありません。持っているモノを竜は感知し、それはときに個人を特定します」
「……例えば、においのような?」
「はい。それを感知したヴァフォルでも降り立つことを拒む場所、加えて、シャルベル様もまた降り立たせない場所があります」
「それは……」
妙に嫌な予感する。聞きたいような、聞きたくないような。けれど聞かないわけにはいかない。
僅か眉根を寄せてシャルベルはラウノアを見つめた。
「――王城です」
ふっとその音が耳をとおる。音が消えて、心臓が強く脈打った。
静かな温室にはっきりと断言して放たれた言葉。その内容にシャルベルは目を瞠る。そして思わず口許に手をあてた。
動揺と困惑が表れて、ラウノアも伏せがちの瞼の下で見つめる。
「待て。少し待ってくれ。……つまり……フードの人物はすでに城内に入り込んでいる、と?」
「はい」
その相手はライネルの命を狙っている。入り込んでいるなどとなるといつライネルに何があるか分からない。さすがの事態にシャルベルは愕然とする。
「だが……これを殿下にお伝えするわけにはいかないだろう。どいつがそうであるか分かるのか?」
「……まだ確証はありません」
間を開けて告げられた言葉にシャルベルは出しかけた言葉を必死に押しとどめた。
(落ち着け。城の中ではさすがにラウノアでも手出しができない。仮に判明しても理由のない拘束は認められない。あの相手がそう易々と認めるとも思えない)
額に手をあて項垂れるシャルベルにラウノアも瞼を震わせた。
さすがに驚かせただろう。だが古竜の感知力が示した確かな証拠だ。――残念なことにこれを理由に行動を起こせるほど、今の人々は魔力を知らない。
頭が冷えたのか顔を上げたシャルベルは、それでもやはり眉根を寄せていた。
「だが、そうなると逆にいつでも殿下を狙えているはずだ。これまで怪しげなことは起こっていないはず……」
「殿下の無事を確保する方法はあります」
「……嫌な予感がするんだが」
フードの人物と対してしまった以上あちらの動きも変わるだろう。あちらの目的はライネルを殺すことであり、もしかするとそれ以上であることがもう一つ。
ライネルの無事を確保することは重要事項だ。しかし、今二人で共有していることは誰にも言えない秘密であり、動くならば二人だけで秘密裏に動くことになる。そうなればラウノアがどう動くかはなんとなく予想できてしまって。
すでに渋面顔であるシャルベルに、ラウノアは内心困りつつも正直に告げる。
「あの方が出て、フードの人物と直接対して決着をつけることです」
想像通りなのかシャルベルの渋面が増す。それを見てラウノアは眉を下げた。シャルベルの表情と視線、それと同じものを後ろからも感じるのだから困ってしまう。
「それは君自身も危険な策だ。囮など認められない」
「殿下の無事を確保し、丸薬のようなことを今後において防げる手です」
「だとしても、だ」
「……以前はこの作戦に納得してくださったではありませんか」
「では当然俺も行くことは了承してくれるんだな?」
「相手の危険性はシャルベル様も肌で感じたはずです。どれほど危険かお分かりでしょう」
「それは君も同じだ。君が行くなら俺も行く。そこは譲れない。それにその策も最終手段としてほしいのが正直なところだ。今回は人目につかなかったからよかったものの次人目に触れたらどうする」
目を逸らさず言い合っていた二人だが、ラウノアが「うっ」と言葉を詰まらせて視線を外した。
これまたラウノアに分が悪い。それを見て取りつつもシャルベルと意見が一致しているところもある側付きたちはうんうんと頷く。それを見てラウノアは頬を膨らませた。
「あ、あの方なら上手く誘い出すことができるはずです。それならば人目には触れません」
「……まさかと思うが、俺が戦ったときのような戦闘をするのか? 夜間でも昼間でもあんなものを応酬すれば騎士が駆けつけることになるぞ」
またラウノアが呻いた。形勢が悪い。
しかし引くわけにはいかない。じっとシャルベルを睨むと、同じようにじっと見つめてくる目と合って、負けられないと逸らせなくなった。