41,怒って、拗ねて
視えない波が視えるようで、ラウノアはけれど、肌を刺す刺激から直感的に悟った。
「丸薬を作って町へ広め、加えてわたしにキャンドルを送ったのはあなたですね」
「うん、そう」
「それがなにを引き起こすか解っていたのでしょう!?」
思わず声に怒りが混ざった。ぎゅと拳をつくって相手を睨むラウノアに、後ろではシャルベルが目を瞠る。
けれど、目の前の人物だけはにやりと口角を上げていた。
「やっぱり、君は魔力について詳しいね」
「っ……!」
「ギルヴァ様に教わったの? 独学なわけがないよね。――古竜が君を乗せたのだって、魔力の『質』がギルヴァ様と同じだからでしょう? 古竜はギルヴァ様の居場所を知っているのかな?」
「どれほどの魔力を持っていても竜には勝てませんよ」
「そうだね。空の王と戦えるのは地の王だけだ。僕だって無駄な魔力消費はしたくないさ」
傍の古竜がその魔力に怒りを乗せる。はっきりと明確なその刺激にはフードの人物も「おやおや」と僅か足を引いた。
「はははっ。空の王の怒りを買っちゃ面倒だ。僕はこれにて失礼するよ」
「逃がしません」
「今回は収穫があって嬉しいよ。――またね。今度からは面倒な手は踏まずに直接いくよ」
フードの人物が後ろ向きに地を蹴る。同時、古竜がその口から炎を吐いた。肌を刺す魔力は熱に変わり森の中を赤く染める。
その威力と衝撃にシャルベルも恐怖を覚えて冷や汗が流れた。
古竜が戦闘に出た記録はない。だから古竜でこれを見るのは初めてだ。他竜との圧倒的な威力の差と押しつぶしにくるような圧力は、もはや膝をつきたくなる本能的恐怖を覚える。
ただ一人、ラウノアだけはその傍で平然とフードの人物が逃げた先を睨んでいた。
古竜の炎はしかし、森の樹々を焼くことはなかった。
圧倒的な威力で撃ちだされた炎であったからこそ、フードの人物が消えたあとに残った周囲の光景にシャルベルは唖然とさせられた。
(どういうことだ……まさか、幻…? いや。そんなはずは…)
竜の炎はすべてを焼き尽くす。それは竜使い誰もが知っている。
傍にいるヴァフォルが「大丈夫か」と問うように視線を向けてくる。なんとか「大丈夫」だと返しシャルベルは視線を上げた。
危機は去ったのだろう。離れて立つラウノアが自分に振り向いていた。
――泣きそうに微笑んで。悲し気に瞳を揺らして。
だから。そんな顔を見てすぐに駆け出した。下がることなくシャルベルを待ったラウノアは、けれど無意識にきゅっと両の手を握り合わせる。
(なにを言われても、問われても……応えることはできないけれど……わたしは――……)
覚悟を決めた。それは絶対に揺らがせない。
静寂の中で青い瞳が自分を見つめる。決意しても心臓が煩いラウノアは、そっと頬に触れたぬくもりに目を瞠った。
「怪我は、ないか?」
優しくて心配に揺れる目に咄嗟の返事が出てこない。
喉の奥が絡まって、痛くて、それでもちゃんと伝えたくて頬に触れる手に自分の手を重ねた。
「っ、ぁ……いっ……はいっ…」
「そうか。よかった……。驚いたが、ありがとう。ラウノア」
「いえっ……もとはといえばわたしがっ……」
自分の傍にいたからシャルベルは狙われた。分かっていたのに胸が苦しい。痛くて、辛い。
泣きたくないのに視界が滲む。泣くなんて自分には許されないのに。
目の前で、自分の手に手を重ね必死に堪えるようにきゅっと唇を噛んでいるラウノアを見て、その心痛と孤独を想う。
自分には分からないやりとりをしていた両者。それがきっと、ラウノアが抱えるなにかに繋がるもので。
言葉を尽くそうと思っても、出てくるだろう言葉はきっとこれまでと同じだろうから、シャルベルはそっとラウノアを引き寄せた。
「!」
涙は見ない。きっと見られたくないだろうから。
「助けてくれてありがとう。俺が守ると言ったのに、情けないところを見せてしまったな」
「そんなことはありませんっ。あれは……あれは、相手が悪かったのです。わたしこそ、もっと早く行動するべきでした。だからこんなことに……」
「待て。早く行動するということは病み上がりの君に認められないし、俺も傍にいられない。それはだめだ」
自分が今とても危険に遭ったのに、なぜかシャルベルはそれがとても重要なことであるかのように真剣に言う。
そんな様子にきょとんとして、少し怒ってしまう。だから思わずシャルベルから身を離して視線を鋭く見上げた。
「ご自分の危険を考えてください」
「君の危険のほうが許せない」
「シャルベル様が傷つくほうがわたしはいやです」
「俺は君が傷つくほうがいやだ」
「っ、わたしが対処するときはギルヴァ様がっ――」
「ならなぜ今ここに君しかいないんだ」
むきになって言いあって、シャルベルのどこか不服気な声音に「うっ」とラウノアは声を詰まらせた。
もともと今回の事態に対処するつもりだったのはギルヴァだった。しかし想定外によって実際に動いたのはラウノア。ギルヴァはいない。
声に詰まったラウノアの視線がそーっと逸らされる。それを見逃すつもりはなくシャルベルはじっと見つめた。
「それは、その……相手の狙いが分かったので……お願いしてはいけないと……」
「思い通りにさせない対処は理解する。だが……君の危険を承知はできない」
少し弱った声音にラウノアはシャルベルを見ることができない。
まだどこか不満そうな顔をして、どこか拗ねているようにも見える。そんなラウノアにシャルベルは怒っていたのを忘れてしまった。
(こんなにも感情や表情を豊かに見せてくれることは珍しいな……)
怒ることも笑うことも、これまでにだって見てきた。けれどそれとはまたどこか違う気がする。
そんな様子が少しの変化にも感じられて、なぜだか胸があたたかい。
「シャルベル様……なぜ笑っておられるのですか。わたしは怒っているのです」
「そうだな。すまない。君が愛おしいなと、そう思っていた」
「!? そっ、そんなことを言っても許しませんからね!」
頬を染めて怒っているラウノアは全くの迫力がなくて笑みが深まってしまう。そうするとラウノアはまた拗ねてしまった。
そんな両者を見ていた古竜は、青い空の下の草原で見た友と、友が大切に想っていた人が思い出された。瞬きをしてしまうと目の前の光景は今の乗り手とその大切な人に戻ってしまう。
――ああ。そうか。ラウノアは番に出会うことができたのか。
そう思って喜びを感じて、ゆらりと尻尾が揺れる。
ラウノアとちょっとした喧嘩をして、シャルベルは感じた気配にすぐに視線を動かした。
「ラウノア。このままここにいれば見つかる。すぐに去ったほうがいい」
「はい」
外套のフードを被り直すラウノアにシャルベルは懸念を確認する。
「戻れるか……? 竜は目立つ分見つかる可能性がある。それに、竜の区域へ戻れば……」
「大丈夫です。その点は対策をとってありますので」
「ならいいんだが……。古竜、ヴァフォル。ラウノアを頼む」
当然であるという鳴き声が返ってくる。それを聞いてラウノアはすぐに古竜の補助を借りて背に乗った。
ラウノアの騎乗道具はまだ完成していない。なので鞍もなく乗っている状態なので心配にはなるが、だからといって共にいけないのでシャルベルはヴァフォルを見た。
「頼む」
二度目の指示にヴァフォルはふんっと鼻を鳴らした。分かってるわと言いたげな返事をしたと思うとすぐに飛び立つ。
それを見て古竜もまた飛び立つ。シャルベルが心配そうに見つめているのを古竜の背から見て、ラウノアは安心させるように頷いた。
古竜とヴァフォルの姿が空へ消える。それを見送ったシャルベルの耳に足音が聞こえた。
「シャルベル様!」
「いたっ! どうされ――、うっわ、なんだこれ」
ライネルの護衛官であるカーランとゼオ、その後ろには部下が続いている。
シャルベルの周囲の現状に驚きと事態の深刻さを表情に出しつつ、すぐに騎士たちが動き出す。
「殿下は?」
「ご無事です。襲撃者はすべて片付けました」
「分かった。来てくれて感謝する。処理はこちらでしておくから、すぐに殿下のもとへ戻ってくれ」
「「了解です」」
護衛官をこちらへ寄越してくれたライネルに感謝しつつ、シャルベルはすぐに事後処理に動き出す。
氷の刃が刺さった地面には、もう、なにも残ってはいなかった。