30,調査開始
「はい。なんでしょう?」
「その……バークバロウ侯爵子息夫人であるカティーリナ殿とは……昔、恋人関係だったんだ」
口籠りながらも告げた言葉。ラウノアから視線を逸らしては不誠実だと、ラウノアを見て告げればその目が僅か瞠られたのが分かった。
何を思わせるだろうと、少しだけ心臓が煩くなる。
「俺が騎士学校に入学したころで、正直に言って……公爵家の跡取りという立場で騎士になるという決断をした俺は、認めてくれた両親のためにも半端はできないと、必死だった。知識も剣術も身につけた騎士になって、しかと己の血肉にしなければ、と……。とはいえ、立場上婚約者を求められることは理解していた。だがら両親は俺のために、あまり使われない恋人関係から始めてはどうかと勧めてくれたんだ」
「それで、カティーリナ様と……」
「ああ。両家の承諾でそこから始まった。だが……当時から剣の鍛錬ばかりであり騎士学校で学んでいた俺は、彼女からのいろいろな誘いを学業や鍛錬を理由に断ることも少なくなかった。そんな俺は……よくない相手だったんだろう。彼女からはすぐに関係を解消したいと言われ、応じた。彼女はすぐにバークバロウ侯爵子息と婚約したが、俺は今でも恨まれているだろう。彼女からの怒りは今でも感じる。俺も……不誠実なことをしたと、解っている」
「そうだったのですね……」
包んでいるラウノアの手を離したくないと思ってしまう。けれど、放されても仕方ないと思ってしまう。
昔の彼女が言った「剣ばかりでつまらない男」とは、その頃の彼女にとってまさにそうだったのだろう。今の自分なら分かる。
そして、それを理解するのが遅かった。
「――……すまない。こんな話をして」
「いいえ。合点がいきました。お二人のご様子はそれが理由だったのですね」
少しだけ胸の内が晴れる。けれどそれはシャルベルやカティーリナにはどこか後ろめたくて、言えない。
だからラウノアは包んでくれる大きな手に己の手を重ねた。
「! ラウノア……」
「バークバロウ侯爵家の夜会はそれが理由だと仮定しましょう。であれば、今回の毒の問題です」
「ああ。だがラウノア、無理はしていないか? もう少し休んだほうが……」
「ありがとうございます。ですが、これが外部犯であるという確証がなければ、今疑われているメリエルはそのままなのですよね?」
シャルベルの眉根が寄る。だからラウノアは微笑んだ。
疑いは黒。それだけで周りの目も、今後にも影響する。確実に白に戻すためにはそれだけの確証が必要だ。
「メリエルには誰かにその箱について話したかという確認をとる。箱の中身は薬師と確認し直す。外部からの侵入は……」
「よほどの手練れでない限り痕跡が残っているはずです。……違和感がありますので、相手は手慣れていない者の可能性が高いと思われます。そして――箱です。その箱を誰がそこに置いたのか。侵入せずとも外で会った人間、という可能性もあります」
「外……。そうか。製作者自身の入れ知恵か」
もともと、町で不審な人物がいないかというのは調べていた。今のところ該当者はいないが、秘密裏に動いているとすれば、ラウノアが狙いだとすれば、婚約者であるシャルベルやギ―ヴァント公爵邸について調べていても不思議はない。
(そうなると、よほどに用意周到な相手だ。そこまでしてラウノアを狙うとは……。俺も今以上に用心しなければ)
ラウノアの頷きにシャルベルはすぐに立ち上がった。
「すぐに調べる。君は休んでくれ。食事も運ばせる」
「ありがとうございます」
言い終えてシャルベルが部屋を出る。それを見送ったラウノアはそっと額に手をあてた。
シャルベルを前には見せなかった明らかな疲労の顔。そんな主の様子に側付きたちが心配そうに視線を送る。
「お嬢様。あまりご無理は……」
「大丈夫。……この毒、たぶん強力なもの。魔力の動きが忙しなくてちょっと疲れちゃうからこれからまだ症状が出ると思うけど、解毒しているから心配しないで」
「お嬢様。それは無理なお話です」
「……そうね。心配させてから元気になるからね」
笑顔で断言するガナフに小さく笑って、ラウノアはベッドに横になった。
途端に洩れる重い吐息。そして少し眉根を寄せるラウノアを側付きたちは心配そうに見つめた。
ラウノアの部屋を出たシャルベルは使用人たちを集めた。集められた面々はその表情に緊張を宿し、同じようにこの場に姿を見せている疑惑のメイドであるメリエルにはちらちらと視線が向いている。
そんな一同の前でシャルベルは毅然と述べる。
「この一件、この屋敷を預かる身として調べを行う。だが、疑惑というだけで処罰するつもりはない。気になることがあればすぐに言え」
「!」
開口一番に告げられた言葉に誰もが目を瞠る。それでもざわめきが生まれることはなく、続くシャルベルの言葉に耳を傾ける。
驚きに満ちるメイドの顔を見て、シャルベルは続けた。
「ラウノアの容態は落ち着いている。現状心配はない。――改めて、現在分かっていることはいくつかあるがどれも確証がない。厨房に置かれていた箱についてだが、明日、城の薬学室で話を聞いてくる。推測を無闇に口走らないように」
シャルベルの注意にメリエルがはっと目を瞠る。
「それから、その箱だが、誰が厨房に置いたのか心当たりのある者はいるか?」
鋭く詰問の声が飛ぶ。ある者は俯き、ある者は視線を動かす。
音はなく場には緊張が張りつめ、その中で手を挙げる者はいない。
全員の前では手を挙げにくいということは充分に考えられる。しかし公爵邸の使用人は人数も多く、一人一人を聴取するとなると時間がかかりすぎる。
シャルベルは考えつつ、もう一度、はっきり告げた。
「俺は、疑惑と発言だけで誰も処罰するつもりはない。――ラウノアがそう望んでいる」
はっとした様子で使用人たちがシャルベルを見る。青い瞳は強くもどこかあたたかく一同を見つめている。
普段から見る。屋敷で過ごす穏やかなシャルベルそのままの空気。そこに怒りは微塵もない。
「ラウノアは、おまえたちが自分を好意的に迎えてくれていることを知っている。そんなおまえたちを疑ってもいない。俺もレオンも……おまえたちがよく仕えてくれていることを知っている。結果がどうあろうとも、俺のその想いは変わらない」
使用人たちの目がシャルベルを見つめる。そのすべてをシャルベルは受け止めた。
「あの箱について知っている者は少なからずいることは分かっている。それを踏まえて、誰が置いたのかを知りたい。もしくは……箱のことを外部に話した者はいるか?」
静かに、けれど鋭く問いかける。
わずかな沈黙と迷いの先で、おずおずと一人のメイドが手を挙げた。それを認めたシャルベルの視線がすぐに動き、使用人たちの目も順にそちらへ向く。
手を挙げたメイドを見て、シャルベルは使用人名簿を頭の中で捲る。
「アン。置いたのか?」
「いえ。……実は先日、町で知り合いに会ったとき、薬草や調合に詳しい同僚がいるという話をして、そのときに箱のことを話してしまいました」
「相手は誰だ?」
「それは……」
刹那の迷いがうまれた。
言えばその知り合いになにかあるかもしれないと思いつつも、仕える主人一家とその子息の婚約者、その信頼が胸を締め付ける。それでも、顔を上げた。
「スティラという友人です。今はバークバロウ侯爵家のカティーリナ様の侍女をしています」
「!」
ふっと小さく息を呑む。けれど、それは顔には出さない。
使用人の中でもシャルベルとカティーリナのことを知る者たちは顔を見合わせたり顰めたりと反応を見せる。
夜会の香と今回の毒。自分を狙ったその両方に共通点が見えた。その瞳が光を持ち、シャルベルの脳裏にカティーリナの姿がよぎる。
(まさか、彼女の命令……? 俺はそこまで恨まれていたのか……)
怒るつもりはない。言い返す言葉はない。
けれど、だからといってラウノアを狙われるのはたまったものではない。
「他に、同じように誰かに話した者はいるか?」
「……私は家族に話したことがあります。薬に詳しい同僚がいると」
「俺もです」
「私は箱のことを少し……」
それからも出てくる話。その全てに耳を傾け手掛かりになりそうなものを探すが、どれも決め手に欠けると思われる。出てきた報告に耳を傾け、シャルベルは使用人への聴取を終えた。
次は庭に出る。屋敷の騎士たちを集めて侵入者の可能性を調べることにする。
屋敷の外に出たシャルベルの行動から騎士たちはすぐに外部犯を調べるつもりだろうと察し、シャルベルの指示を待つ。
シャルベルは屋敷の前から敷地への入り口につながる石畳の道を見て、思案の様子を見せる。
「外部犯だとした場合、警備の目を掻い潜ることは難しいはずだ」
「はい。門は騎士がおりますし、敷地は塀で囲まれていますから」
塀をよじ登ることは不可能ではない。しかし手慣れていないと時間もかかり、見回る騎士たちに見つかる可能性も高い。
その方法でないとすると正面突破だが、これこそ難しい。入り口には騎士が立っており不審人物は見逃さない。そんな人物がいればシャルベルに報告が入る。
(とはいえ、易々と掻い潜っている人物が一人いるからな……)
その方法を聞きたいくらいだが答えないだろうとも予想できる。そういえば――……
『走って壁を飛び越えて』
と、侵入方法を話していた。思い出してシャルベルは眉根を寄せる。
どうやってもそれでは無理だろう。飛び越えられる高さではないし、まさかラウノアの身体でよじ登ったのだろうか? ……今度追及したくなってきた。