28,心がここにあるのなら
騎士団を出たケイリスはそのまま城を出て帰宅する。いつもの慣れた道を歩いて城門も見えなくなった頃、一台の馬車がケイリスの行く手を塞ぐように停まった。
悠々と足早の馬を慣れたように止め、皺ひとつない服に身を包んだ御者が台を降りる。そしてケイリスの前で礼をした。
「ケイリス・ベルテイッド様ですね」
「……どちらさま?」
「一緒に来ていただきたく」
不審な誘い。ケイリスは警戒を顔に出して御者を睨むが御者も怯むことはなく、けれど丁寧にケイリスを見る。
その目にケイリスは首を捻った。
(俺を誘拐しても意味ないし。身代金とか兄貴が鼻で笑って蹴とばすし。……あれ。なんか俺可哀想な弟じゃない? って違う違う。この人なんかそういうんじゃなくて、どっかのいい貴族の家の使用人とか……うーん…)
ケイリスも動かず御者も動かない。誘拐にしてはおかしな状況の中でケイリスの耳が別の音を拾った。
それは、馬車の窓が開く音。
「怪しくはないですよ」
穏やかで誘拐なんて縁のなさそうな声。思わずその声の方を見ると、窓からこちらを見る人物がいてケイリスは目を瞠った。
「あれ……。レオン様……?」
「はい。ケイリス殿。ちょっと来てほしいんですが、いいですか?」
「あ、はい」
上司の弟である。まさかの誘拐犯にケイリスは今度は素直に頷いた。
その承諾を受けて、御者が馬車の扉を開ける。ケイリスが乗りこむのを確認して扉を閉じ、馬車は再び出発した。
♦*♦*
夕方のギ―ヴァント公爵邸。レオン帰宅の馬車に同乗していたケイリスは、公爵邸であるのも忘れてどたばたとシャルベルに詰め寄った。
「副団長どういうことですかラウノアが倒れたって!」
「落ち着け」
ケイリスをシャルベルから引き離すのは、一足早く連絡を受けて駆け付けたクラウ。兄に首根っこを掴まれて引き下げられ、ケイリスはけれどじっとシャルベルを見た。
一切の抵抗なくケイリスの焦燥を受け取ったシャルベルはレオンからの目配せに小さく頷く。
「茶をしていたときに倒れた。すぐに医師を呼んで診せたところ、毒物によるものだろうと」
「毒って……」
驚きと戸惑い。一足早く聞いていたクラウはそれでも眉根を寄せる。レオンもまた普段の柔らかな表情を険しいものに変えていた。
帰宅しようとしていたところで急いでやってきた公爵家の騎士から簡単に話を聞き、そのままケイリスを迎えにいったので詳細を聞くのはこれが初めて。
四人の間に流れる不穏な空気。誰もなにも言えないのは同じ推測があるから。
しかし、それを口にしないわけにはいかない。ラウノアの婚約者であり、ギ―ヴァント公爵家の嫡子としてシャルベルが口を開こうとしたとき――
「皆さま。ラウノアお嬢様がお目覚めになられました」
「ガナフ! 来てくれてたんだ」
「もちろんです。ケイリス坊ちゃま。我々はラウノアお嬢様にお仕えする者。お嬢様の御身に一大事とあれば馳せ参じるは当然のこと」
「まったく頼もしい側付きだ」
クラウが公爵邸から連絡を受け出発しようとしたとき、当然のように「我々も参ります」と同行した側付きたちだ。その忠心にクラウも肩を竦める。
四人は顔を合わせ、ラウノアが休む部屋へと足を進めることにした。
「それで兄上。現在の屋敷はどのように」
「皆にはひとまず外出はさせていない。毒だと分かってからは騎士たちとともにラウノアが口にした茶や菓子を調べた。厨房も見てみたが、不審な箱が一つ置かれていた」
「箱?」
「中身は植物の種や乾かした葉。持ち主のメイドは判明したが、箱は常時部屋においてあり厨房には置いていないと」
クラウとケイリスも聞きながら足を進める。
ラウノアを医師に診せている間に調べたことで分かったことは少ない。念のため箱は回収したが、まだ確証がない。
「怪しいのはそのメイドだな……」
「ああ。聴取はこれからだが、毒になる植物を持っていた可能性もある」
「兄上も共にお茶をしたのですよね? ラウノアさんだけが倒れたということは毒は何に?」
「おそらくはちみつだ。ラウノアはそれを口にして倒れている」
使用人たちの心遣い。それがこんな結果になってしまった。ひどく胸が苦しいが、その心遣いを疑わなくてはいけない。
屋敷で見る穏やかな空気などなく、ぴりりとした空気と鋭い眼光。そんな様にレオンも同じような気持ちを抱いた。
ラウノアが休む部屋に着けばガナフが部屋をノックする。マイヤが顔を見せ、シャルベルたちを見て中へと誘った。
公爵邸の中ではそれほど大きくはない客間の一つ。そのベッドにラウノアは横になり、傍にはイザナとアレクが控えていた。
「ラウノア!」
心配でケイリスが駆け寄る。イザナとマイヤはそっと下がり、アレクは変わらずラウノアの傍で四人を見つめる。
「ケイリス様……。ご心配をおかけしてしまって……」
「いいよそんなこと。それより身体は大丈夫? しんどくない?」
「はい……。大丈夫です」
そう言ってもまだ顔色は悪い。安心させようと微笑むラウノアを見つめ、ケイリスは眉を下げて「そっか」と頷いた。
「こういうときくらい、無理だしんどい、とでも言ったらどうだ? おまえというやつは」
「クラウ様……」
「もうしばらくは休め。さすがに今のおまえを屋敷へ連れ帰るのは難しい。ガナフたちもいるんだ。しばらくは大人しくしていることだ」
「はい……。ありがとうございます」
態度はまったく違っても心は同じ。そんな兄たちを見てラウノアは微笑んだ。そしてその視線をゆっくりと動かす。
「シャルベル様。レオン様。……ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません…」
「謝罪するのはむしろこちらだ。ラウノア、クラウ殿、ケイリス。この度は誠に申し訳ない」
「我が家において起こった事態、謝罪いたします」
公爵家の子息二人に頭を下げられ、クラウはちらりとラウノアを見る。一瞬揺れた瞳はすぐにクラウを見つめ返した。
なにを想っているのか。ラウノアを見てきたクラウは小さく息を吐いて背筋を伸ばす。
「シャルベル様。レオン様。頭を上げてください。ラウノアがそう望んでいます」
シャルベルの目がラウノアを見る。こんな目に遭っても怒りも恐れもなく、普段と変わらずシャルベルを見つめている。だから解ってしまった。
(死の覚悟を求めるラウノアは、自分が常にそうなることすら覚悟の上、というわけか……)
だから彼女は、時折遠くにいる。
それでもその距離を埋めたいから、自分は拒まれても手を伸ばした。
――死の覚悟を持ち、求める彼女を、守るために。
「早急に犯人を探し出し、処罰する」
「お願いします。……ラウノア。おまえはどうする。うちへ戻るか? 屋敷の者には、おまえが体調不良で倒れたらしいとだけ言ってあるんだが」
クラウの問いにラウノアは即答はできなかった。少しだけ考える。
(身体から毒が抜けきっているわけじゃない。少し熱っぽいし、だるさもあって気持ち悪い。ベルテイッド伯爵邸で養生するのも選択肢、だけど……)
ゆっくりと視線をシャルベルに向けた。シャルベルはすぐに気づいてくれる。
「シャルベル様、あの……」
「ここでしばらく休めるならいくらでも提供する。無論、君がそれで休まるなら、だが……」
倒れた原因がある。それが分かっているから決してシャルベルは勧めはしない。
分かるから。その表情と瞳が教えてくれるから。ラウノアは自然と笑みが浮かんだ。
「では、お医者様のお許しが出るまで、よろしいですか……?」
「分かった。君の周りのことは側付きたちに任せよう。皆にも言っておく」
「ありがとうございます。……レオン様。しばらく、ご厄介になりますが……」
「私は構いません。今後はこのようなことがないよう、我が家の騎士たちにも目を光らせるよう言っておきます。義姉上の身辺には細心の注意を払いましょう」
普段からグレイシアの身辺を守っている護衛騎士がその能力を発揮してくれるのはなんとも心強い。
レオンの安心させるような柔らかな笑みにラウノアも微笑みを浮かべた。クラウとケイリスもラウノアの決断に頷き賛同を示す。
「おまえがそうするなら俺たちから言うことはない。しばらくは様子を見にくるが、大人しくしていろよ」
「俺も仕事終わりに来るから。ちゃんと身体を大事にね?」
「はい。ありがとうございます」
ごめんなさいは、言わない。そんなラウノアにクラウも僅かに表情を緩めた。しかしすぐにその表情を真剣なものにしてガナフたちを見る。
「ラウノアのこと、頼んだぞ」
「承知いたしました」
「シャルベル様。では、お願いします」
「ああ」
危険だから連れ帰ると、そう言われても当然だと思っていた。なのにこの兄弟からそんな言葉は出てこない。
少し不思議で、安堵して、身が引き締まる。
一度帰宅するというクラウとケイリスを見送るためエントランスへ降りたシャルベルは、思い切ってその疑問を二人に問うことにした。
「クラウ殿、ケイリス。……ラウノアを、連れ帰ろうとは思わないのか?」
シャルベルから出た問いに二人の視線がシャルベルに向く。一人はさして色を変えず、一人はきょとんとした顔をして。
危険に遭わせた身がなにを言っているのか、シャルベルは落ち着かない心地になりつつも二人を見つめた。
そんな僅かな動きを見せる目にクラウがやれやれと息を吐く。
「シャルベル様がやったわけではないでしょう。ラウノアがいいと言いましたし、一度は婚約を解消しようと思っていたあいつがそれをしなかった。あいつの心がどこにあるかくらい分かっているつもりです」
「ですね。俺もそりゃあ心配ですけど。でも、副団長ならラウノアを守ってくれるだろうって信頼してますから。あ、でももし次があったらそのときは連れ帰ります!」
「そんなことはさせない」
はっきりと紡ぐ言葉にケイリスも満足そうに笑みを浮かべ、クラウとともに帰っていった。