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17.取り戻せない過去

 そこに見えた光景には全員が言葉を忘れ、息を呑んだ。

 室内にあるテーブルとソファ。その上や周囲に、四人の人物が意識のない状態で倒れている。


 状況の理解が追いつかずにいる中、誰よりも先に声を出したのはトルクだ。


「ラウノアっ……!」


 混乱と不安、それでいて寂し気にも見える眼差しはただ娘に向けられ、すぐに駆け寄る。

 そんな光景を見つつ、シャルベルはすぐに室内をぐるりと確認した。


 テーブルの傍に倒れているのは一人の少年。その傍には片手で持てる程度の大きさの彫刻が無造作に転がっている。それには血がついており、ひと騒動あった証拠と見受けられる。ソファの近くに倒れているのは一人の若い女性。ソファに投げ出されるように座り込んでいる女性もいる。

 そして、そんなソファに向かい合うソファにはラウノアがだらりと横になって倒れている。その頭には傷があるようで、まだ乾いていない血があるのが見て分かった。


「ラウノアっ大丈夫か!?」


「ラウノア!」


 トルクと同じように、クラウとケイリスもすぐにラウノアに駆け寄る。しかし、声をかけても一向にラウノアは目を覚まさない。

 クラウはすぐにトルクの傍に腰を下ろし、ラウノアの脈を確認した。


「大丈夫。気を失っているだけだろう」


「よかった……。でもこれって…」


 一体、何があったのか。そう思うのはシャルベルも同じ。


 状況を見ていたシャルベルはテーブルに置かれた紙を見つけ、それを手に取った。

 紙は二枚。その内容にシャルベルは眉を寄せた。


「カチェット伯爵代理殿。これに心当たりがあるのでは?」


 そう言いシャルベルが差し出した紙に見えた文字に、トルクは顔色を変え、クラウとケイリスも見えた文言に口を噤んだ。

 これならば、ラウノアがここに呼び出された理由が分かる。倒れている男女も関わりがあるのだろう。


 しかし、トルクから言葉が出ることはない。ぎゅっと握られた拳が震えて、白くなっている。

 そんなトルクを見つめ、シャルベルは一度瞼を伏せた。しかし、すぐに鋭い視線を取り戻し、まとう空気を変える。


「この騒ぎ、陛下にご報告しないわけにはいきません。カチェット伯爵代理にも同席していただきます」


 それは、ただのいち公爵子息としてではなく、騎士団副団長としての言葉。この騒ぎに心当たりがあるトルクにこの召喚を拒む権利はない。

 渋々なのか観念なのか、判断できない頷きを受け、シャルベルは部下へ視線を向けた。それに対し、ケイリスも騎士として背筋を伸ばす。


「ラウノア嬢を医務室に。すぐに警備騎士を呼んで調べさせろ」


「了解です」


「クラウ殿。会場にいらっしゃるベルテイッド伯爵に話を」


「分かりました」


 すぐさま二人が動きだす。それを見て、シャルベルは礼装の襟を緩めた。






 ♢*♢*




 あたたかな陽射しが射しこむ窓辺。室内を優しく照らすその光は柔らかく、その部屋にいる二人の姿を照らしていた。

 窓辺に置いた椅子に座る女性は柔らかな空気をまとい、その眼差しを自分の膝に向ける。ぬくもりに包まれ、小さな少女が母の膝に顔を突っ伏していた。


 母はいつも忙しい。何をしているのかまだ少女は知らないが、忙しいから用事なく部屋に行ってはいけないと、父にそう言われている。

 それでも母は、日に数度こうして二人の時間をつくってくれる。そんな時間が大好きだ。


 けれど、今日はあまり楽しくない。


 目で見て分かる娘の落ち込みに、ルフはその頭を優しく撫でた。


「どうしたの、ラウノア」


 きゅっと小さな手が、母の服に皺をつくる。

 いつもなら笑顔の花を咲かせる天真爛漫な少女に、控えるマイヤやガナフも心配そうな眼差しを向けた。小さな少女は、数少ないこの屋敷の使用人たちにとっても、可愛い大切な子どもだからこそ、皆が心配している。


 ルフの手は、柔らかくて優しい。そのぬくもりを感じながら、突っ伏したラウノアはくぐもった声を発した。

 母のぬくもりは、なんでも話したくなってしまうから。


「……わたしのかみ、へんなの?」


「綺麗な銀色の髪がどうして変なの?」


「だって……」


 言いたくないというように途切れた言葉。小さな手はなお、母の服を掴んだままだ。

 それを感じつつ、ルフは顔を見せないラウノアを見つめ、銀色の髪を撫でた。


「だって……まちのみんなが、とうさまとかあさまのかみともちがうねって。……ちがうのは、へんなの?」


 ルフの髪は茶色で、トルクの髪はそれよりも濃い色だ。どちらもラウノアとは似ても似つかない色をしている。


 今日、トルクと手を繋いで町へ出かけたラウノアは、町の者たちにそう言われた。トルクもそれは否定できない言葉だ。ラウノアが生まれたときには、その髪色に驚いた。一瞬、根拠もない考えが脳裏をよぎってしまったほどに。

 そんなトルクの様子を見て、ルフは否定した。この子は間違いなく、自分と夫の子だと。


 だから今も、ルフは、かつての夫のように悩む娘に、不安を除く言葉を贈る。


「変じゃないわ。ラウノア。その色はね、特別な色なの」


「とくべつ……?」


「そう。太陽の光を受けると、とても綺麗に、そして上品に、まるで太陽にも大地にも愛されているように輝く。ラウノアだけの、特別な色」


 母の言葉は時折難しい。

 けれどラウノアは、特別と言った母の顔を、やっと顔を上げて見つめた。娘の銀色の瞳に母の微笑みが映る。


「ラウノア。その綺麗な銀色はね、ある人と同じ色なのよ」


「だあれ?」


「ラウノアの、手紙のお友だち」


 毎朝毎朝、ラウノアが楽しみにしている手紙。そのやり取りが始まって少し経つが、今も数日おきにラウノアには手紙が届いている。ラウノアの朝の楽しみ。その喜びと落胆を、ルフは毎日見つめている。

 けれど、手紙はあっても、肝心のその友を見たことはない。会いたいと書いても、また今度とはぐらかされてしまうから、少しだけ寂しいところだった。


 母の言葉に、ラウノアは目を瞠って母を見つめた。


「そうなの? おともだちもおなじ? どんなひとなの?」


「ふふっ。とっても恥ずかしがり屋さんだから、ラウノアの前に顔を出せないんですって」


 えー、とラウノアは拗ねたように頬を膨らませる。そんな様子を見てルフは笑った。

 これをあの人が聞けば眉を吊り上げて否定するだろうな、と、そう思うから、ラウノアに伝えた言葉は秘密だ。


「ラウノア。少しお母様とお話しましょう。ラウノアにだけ聞かせてあげる、秘密のお話」


「うんっ!」


 ルフの膝に乗せられ、ラウノアはすっかり笑顔になった。それを認め、マイヤとガナフはそっと部屋を出る。

 二人の秘密の話ならば、自分たちは聞いてはいけない。せめて部屋の前で人が来ないよう見ていよう。


 二人きりになった部屋で、ルフは、優しく穏やかに、けれどどこか悲しそうに、秘密の話を語り始めた。






 ♢*♢*


 ♦*♦*




 ふっと意識が浮上する。心地よい眠りから覚めるように自然と瞼が開き、視界には見慣れないようで見慣れた天蓋が映った。

 それを見つめたまま、ふぅっと深く息を吐く。


(体が、少し重い……)


 けれど、動けないほどではない。少しずつベッドの上で身体を動かしつつ、ラウノアは記憶を辿った。


 昨夜は王城での夜会に出席したはずだ。目立たぬようにと心がけつつも、今回ばかりは仕方ないと、余計なことは喋らず伯父の傍に立っていた。

 少し疲れて。トルクを見かけて。バルコニーでシャルベルと話をして。


(ターニャたちに呼び出されて……)


 カチェット伯爵家に関する話をされ、そこから記憶はない。それを認識し、ラウノアは身を起こした。


 窓の外は明るい。すでに日は昇っているが、その陽光に少しだけ違和感を覚える。

 しかし、朝の決まった時間であるはずだ。マイヤやイザナが起こしにきていない。起床が遅いことがあるラウノアを時には起こすのも、侍女である二人の仕事なのだから。


(だけどやっぱり、もう朝も遅いみたい……。もしかして、寝かせてくれたのかしら)


 考えつつ、ベッドから起きようとシーツの上を動いていたラウノアは、突如として、ばんばんっと部屋の扉がノック……というには乱暴な打撃音を発したことで、肩が跳ねた。


「お嬢様起きましたか!? 入ってよろしいですか!」


 イザナだ。それもかなり声が大きい。

 ラウノアの起床に気づき、とても心配しつつも侍女としての理性は残っているようだ。


(イザナ。部屋の前にずっといてくれたのね)


 目で見なくても分かる様子に苦笑いしつつも、ラウノアは扉の向こうに入室許可を出した。

 途端、扉が開かれイザナが姿を見せた。


「ラウノアお嬢様!」


 言うや否や、イザナはベッドの傍に駆け寄ってくる。その表情は安心に満ちているものの、少しだけ隈ができていて心配させたのが分かる。そんな姿に眉が下がってしまう。


「よかった。大丈夫ですか? 体調は? 頭は痛みませんか? 何かあればすぐに医師を――」


「イザナ。落ち着いて。大丈夫だから」


 ベッドに腰かけたラウノアがしかとイザナの目を見て言えば、イザナも、瞳を揺らしつつもラウノアの様子を確認し、小さく息を吐いた。


「ラウノアお嬢様。失礼いたします」


「マイヤ」


 きちんと礼をして入室するマイヤにイザナとの違いを感じてしまうが、マイヤも少し顔色が悪い。それを認めてラウノアは眉を下げた。

 マイヤも、イザナと同様にラウノアの前へ来ると、ラウノアを見て安堵したような表情を見せる。


「大丈夫。なんともないわ」


「はい。ようございました。お嬢様がお怪我をされたとお帰りになられたときは、本当に驚きましたが……」


 マイヤもイザナも、ガナフも驚かせ、アレクには心配をかけただろう。いつも味方でいてくれる側付きたちの想いに胸が痛む。


「マイヤ。イザナ。心配させてごめんなさい」


「いいえ。事態のおおよそは、旦那様より伺っております。しかし、何があったのか詳細はお嬢様からお聞きしたいと、お目覚めを待っておられますが、いかがいたしましょう?」


「分かった。お待たせできないから、すぐにお話するわ。だけどその前に、わたしが戻ってからのことを聞かせてちょうだい」


 その目と表情が変わり、マイヤとイザナはすぐに頷いた。






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