27,もやもやして、浮かぶ笑み
そう言って今後を話し合ってからずっと、ラウノアの身辺には注意を払っている。だから異変はないと聞いて安堵すると同時に油断はならないと気を引き締めるのだ。
「絶対に一人にはならないでくれ。アレクほどの腕があれば安心だろうが、何かあればすぐに言ってほしい」
「……はい。ありがとうございます」
どこかその微笑みは遠慮がちで。だから思わず、シャルベルはまっすぐラウノアを見つめて告げた。
「俺は、君が大事だから心配している。俺に遠慮はしないでくれ」
その言葉にラウノアが目を瞠る。少し揺れて、けれど嬉しそうに、その微笑みは空気を変える。
「――…はい」
だから少しだけ嬉しくて。少しだけ、気恥ずかしくなってしまう。
紅茶を飲んで、菓子を手に取る。互いに少し気恥ずかしくて少しだけ言葉が出てこない。
美味しい焼き菓子を食べて、ラウノアは少し気になっていることを思い切ってシャルベルにぶつけることにした。
「あの、シャルベル様……」
「なんだ?」
「その……バークバロウ侯爵家の夜会で香を嗅いだと。その前後に似たようなことはありませんでしたか?」
問われ、シャルベルは少し考えた。
古竜の独断飛行の目撃調査のためもあって何度か参加した社交の場。けれど気になったことも呼び出されるようなこともなかった。
「……ない、と思う。個人がまとう香水となると分からないが……。だが、ヴァフォルの機嫌が悪くなったのはバークバロウ侯爵家の夜会の後で間違いない。竜の不機嫌の前後は原因を探るために思い出すことも多いし、あったことは記録につけるようにもしているから。――いや、待て。だがそうなると……」
思わず口許に手をあてる。そして気づいてしまった。
シャルベルの目がゆっくりと瞠られ、ラウノアを見つめる。
「なぜ、俺に? 相手の狙いは君なんだろう……?」
出てしまった問いにはラウノアも真剣な目をして頷いた。
「相手はわたしたちを襲撃した彼らであり、以前は殿下を襲撃しました」
「あのときから奴らの狙いは君であり、君が狙いなのに俺まで狙ったと……? 殿下を狙ったと思わせる目くらまし、というのは理解できるが、ならば君が一人でいるときのほうが確実性があるはず……」
バークバロウ侯爵家の夜会だけがどこか違う。気づいたシャルベルは眉根を寄せるが、ラウノアは口を開きかけて閉じる。
そんな二人を見つめ、ラウノアを見つめ、見守っていたアレクが口を開いた。
「バークバロウの女と仲がいいから」
「アレク……!?」
「は……?」
思案する思考に入ったあまり聞かない声。驚きと端的すぎる言葉に思考が追いつかず、けれど、解っているようにどうしてか狼狽えているラウノアを見つけてシャルベルは目を瞠った。
「……いや。待て。それは――…」
「姫様、だからもやもやしてる」
「アレクもういいからっ……!」
慌てて己の護衛官の口を塞ぐラウノアに今度こそシャルベルは唖然とした。見えるのはラウノアの彷徨う視線と少し赤いように見える頬。
(もやもや……? ラウノアが? なぜ――……)
考えて、浮かんでしまったのは先日の竜の区域での会話。だから思わず口許を手で隠した。
「アレク、いいの。そういうことは言うべきではないから。ね?」
「……分かった」
「……だめよ? そういうことは口にするべきではないから」
どこかアレクは不満そうな顔をしているように見える。ラウノアに言いたいことがたくさんあるようなそんな顔を見て、シャルベルもラウノアの言葉の意味を察する。
「……ラウノア」
「はい」
もう、ラウノアは普段どおりの顔をする。そうやって消して隠すのが彼女は上手い。些細な変化も気のせいだと思わせて、目立たず振る舞ってしまうから。
でも自分は、そうではない彼女を知っている。本当は感情豊かで、作らない彼女を。
それがこの心を、たまらない気持ちにさせるのだ。
口許から手を離しても笑みは消えそうになくて、そんなシャルベルを見つめてラウノアは視線を外した。
「わ、わたし、紅茶のおかわりをいただきますね。シャルベル様はいかがですか?」
「まだ大丈夫だ」
「失礼しました。……この小さなカップは、はちみつですか?」
「ああ。俺が忙しいから、ここ最近は一緒に用意してくれている。よかったら使ってくれ」
「ではお言葉に甘えて」
トレイにまとめて用意されているそれは使用人たちの心遣い。主人一家を想う心を感じながら、ラウノアも少しはちみつをいだたくことにした。
紅茶に混ぜて一口飲む。心遣いが沁みるように自然と口許が緩む。
そんなラウノアを見つめてシャルベルは少しだけ迷っていた。
(彼女のことを話すべきだろうか……。調べていることにもなにか関係があるなら伝えるほうがいい。だが、あまり聞かせたくはない)
ラウノアであってラウノアではない誰かは、その判断をシャルベルに任せるつもりだ。だからラウノアにも話しておらず、ラウノアも聞いているようには見えない。
だからなのだろうか、ラウノアがもやもやしてしまうらしいのは。
(嬉しいと、思う。だがラウノアにとっては、隠してばかりの自分が問うべきではないという心の表れ。俺が伝えない限り、ラウノアは……)
迷ってしまう。聞かせたくないと思ってしまう。
悩んで、考えて、シャルベルはきゅっと拳をつくった。
(いや。もしこの件になにかしらの関係があるなら。俺が彼女からよく思われていないが故にラウノアになにかあったら……。そのほうが、俺には辛い。関係がなかったらそれでいいことだ。ラウノアが引け目を感じて俺になにも言えない、それではだめだ。そんなふうに在りたくはない)
だから、思い切ってラウノアを見つめ――僅か首を傾げた。
「ラウノア……?」
楽し気に茶と菓子を口にしていたラウノアが俯き加減で、よく見れば口許に手をあてている。
身を小さくさせるような、震えているような、そんな様子にシャルベルは思わず席を立つとラウノアの隣へ座った。
「ラウノア。どうし――……」
「っ、ぁ……」
――すっと心臓が冷えた。
その表情が苦し気なものであり、よくない事態だと分かってしまうから。
ラウノアの身体が傾く。それを受け止めてすぐシャルベルは声を張り上げた。
「誰か来い! すぐに医者の手配を!」
アレクが部屋を飛び出す。同時に普段にない突然のシャルベルの怒声に使用人たちが慌てたように駆け込み、ギ―ヴァント公爵邸は悲鳴と騒めきに包まれた。
♦*♦*
騎士団にてケイリスは大きく伸びをした。空はもう夕焼けに染まる時間。冬の日暮れは早くとも勤務時間は変わらないので、屋敷へ帰るときには暗い空、なんて冬には当然のこと。
騎士はそれに困ることはないけれど、世話人たちは竜が竜舎に戻る時間が早まることもあるので午後から夕方は忙しいということもあるらしい。というのもルインから聞いた話だ。
(ラウノアは今日は休み。一緒に帰るの楽しいんだけどな……って、あれはラウノアの安全のためっと)
シャルベルとの外出から襲われてしばらく。ケイリスが同行しているときに襲われたことはない。とはいえ油断はできないのでケイリスは意識を改める。
(えっと、今日は確か副団長の屋敷でお茶するって話だから。そろそろ帰ってるかな)
であれば、「今日の副団長話」はラウノアから聞くのが面白い。普段はしている側であるケイリスも聞くのは嫌いじゃない。
なにせ、騎士団とは全く違うシャルベルの顔が見えるのだから。
「なに笑ってるんです?」
「へ? あ、イレイズさん」
顔に出てしまっていたらしい。小さく笑いながら問われてケイリスはその人を見た。
「いや。ちょっと面白いこと思い出してまして」
「なんです、それ? 気になります」
「いえいえ。あんまり喋ると怒られるんで」
私的なことは慎めともう何度と言われ身体も痛みを覚えているケイリスは勘弁というように手を出す。それを見てイレイズはこれまたおかしそうに笑った。
「いい笑い話でもあるなら教えてほしいです。今度ラウノアさんにできそうなものならいいのに」
「?……ラウノアに?」
「はい」
さらりと平然と頷かれ、ケイリスは少し視線を逸らす。
イレイズはシャルベルとはまた違う女性の視線を惹きやすいだろう男性だ。ルインと一緒に「羨ましいよなあ」と軽口叩くことに珍しくはない。
ラウノアとイレイズはすでに面識を持っているのだろう。が、ラウノアがシャルベルの婚約者であることは騎士団でも周知の事実。
「えーっと、ラウノアには副団長いるんで……」
「ふふっ。分かってますって。そんな無粋なものじゃなく、ただ友人になれればなと思って」
「ならいいけど……。なんでラウノアと友人になりたいんです?」
イレイズが口端を上げる。それを見てケイリスは怪訝と首を捻った。
「俺の仲いい女性方、ラウノアさんとお話したい人が多いんですよ。ほら。古竜の乗り手ですし、竜に興味あるし乗ってみたいって女性、結構いるんですよ?」
「……もてる男からのイヤな話じゃないですか」
「あっはは。そこは女性竜使いが増えるかもって期待持ってくださいよ」
「ラウノアにじゃなくて俺に紹介してくださいよお」
「また今度」
むすっと拗ねるケイリスにイレイズは声をあげて笑う。
イレイズがモテることはケイリスもよく知っているので、最早敵のような認定が下る日も遠くはないだろう。
「ラウノアへの面白い話は俺がするんで、イレイズさんにはさせません!」
「これは難敵だ。受けて立ちますよ」
軽口叩いて別れる。帰宅のため騎士団を出ていくケイリスの背を見送り、イレイズは小さく息をついた。
「……もう死んでるかな」