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25,互いに焼く

 ぶわりと風が身体を包み、離陸の感覚が一瞬の不安定と不安となってやってくる。けれどそれは一瞬のことで、思わず閉じた目をそっと開けた。


「――……あ…」


 目を開けたそこは竜の区域を見下ろす空の上。邪魔なものが一切ない静かで広い場所。


 ゆわりとした風が肌を撫でる。温度に左右されない心地良さは『竜の加護』がある証。

 雲が近くて、空の王の飛行に鳥たちが近づいてくる。それを見て思わず片手をそっと伸ばして。同じことをする友を思い出して自然と口許が笑みになった。


 眼下ではきっとシャルベルたちが慌てているだろう。今は命綱も着けていないからとても心配させているかもしれない。それはとても申し訳なくて、けれど、この飛行を嬉しく思っているのは結局自分も同じだったのだと、今の気持ちが分かって笑みが崩れない。


「ラーファン。わたし、手綱の使い方も知らないのですよ?」


 どうするのか、と思わず言ってしまうと、古竜はちらりと背後に視線を向けてこてんと首を傾げた。不思議そうにする表情にラウノアも困ってしまう。


 けれどやはり、空の上は快適だ。人間が持たない翼を持つ竜は、空ではとても自由だから。

 そう思って、ふと思い出した。


『竜は強いけれど、閉じ込められている生き物でもあるから……』


 母はそれを知っていた。だから今こうして竜が飛行していても、それは自由ではないと感じるだろう。


(わたしも、そう思う。……だって、もう視てしまったから)


 人間が背に乗ることなんて稀で。道具なんて必要なくて。乗る者の指示に従うことなんてなくて。


 古竜はきっと、ラウノアがそうできると知っている。けれど今それができないと、どこまで解っているのだろう。

 少しだけ悲し気な笑みが浮かんで――気づいた。


「ラーファン。戻りましょう。あなたが道具を少し受け入れ、思う存分飛べるかもしれない方法を思いつきました」


 ラウノアの言葉に古竜は降下する。持ったままの手綱を引くこともないラウノアを背に、古竜は飛び立ったその場所に降り立った。


「ラウノア!」


 安全域を保つライネルたちと、すぐに駆け寄ってきてくれるシャルベルとアレク。やはり心配させてしまったと感じて二人に大丈夫だと伝えてから、ラウノアはすぐに騎乗道具一式を外して製作室の二人のもとへ駆け寄った。


「驚いたな、ラウノア嬢。大丈夫だったか?」


「はい。殿下方にご心配をおかけし申し訳ございません」


「いいのよ。古竜の飛行なんて式典以外で初めて見ることができたわ! 私こそお礼を言わないと!」


 飛行でそれほどに喜んでくれるのは嬉しい。グレイシアはいつも寛大に許してくれるがやはりなにか謝罪とお礼をしなければと考えてしまいつつ、ラウノアは製作室の二人に向き合った。


「お願いしたい改良点があるのですが、よろしいでしょうか?」


「はい。もちろん」


「古竜に着けるのは、鞍だけにしたいのです」


 ラウノアの申し出に二人も、それに戻ってきたシャルベルたちも驚いた顔を見せた。

 騎乗装具は乗り手が竜に乗るために必要な道具。欠けては騎乗と飛行時の制御に支障がでる。だからこそ製作室の二人は驚きよりも困惑を顔に出した。


「それは……」


「古竜は道具をあまり着けたくないのだと思います。だからこそそれを最少にしたいのです」


「それは我々も解りました。ですが……古竜はとかく体が大きく、鐙を着けないとなると踏み台でもない限り騎乗するのは難しいかと……」


「――…いや。それはおそらく問題ない」


 ラウノアの傍で思案顔をしていたシャルベルは口を挟む。静かだがどこか確証があるような声音に一同の視線が向く。

 怪訝そうな顔をする製作室の二人の傍で、イレイズが首を傾げた。


「どういうことですか? 副団長」


「古竜自身がラウノアの騎乗を補助できる」


「確かに。さきほども尻尾を使っていたな」


 思い出したライネルの隣でグレイシアも頷く。ラウノアが鐙に足をかければすぐに古竜が動いた。乗りたいと伝えて最初から補助することも可能だろうとシャルベルは考える。


(それに、古竜はラウノアに懐いている。自分で乗せようとする行動は今回だけのものにはならない)


 乗ってくれないと落ち込んでいた古竜をシャルベルも何度か見ている。


 竜は、乗り手が飛行訓練中に背に乗らなかったとしても落ち込むことはない。戦闘を想定して訓練することもあるのでともに飛行するのがほとんどであるが、飛行の様子を見たいからと一頭で飛ばせても、落ち込む竜などまずいない。いるとすればそれは、懐いている竜ならではだろう。

 そう考えてシャルベルはちらりとルインを見る。その視線に気づいたルインも、でしょうねと言いたげに肩を竦めた。


「だがラウノア。手綱は必要だ。万が一のときに竜を制御する必要がある」


「いえ。わたしが乗り手としてどれほど経験を積もうとも、千年を生き空を飛んでいるラーファンのほうが空における判断力は優れています」


「それは、そうかもしれないが……」


 渋る様子を見せるシャルベルの傍で、グレイシアは納得したような顔をしてシャルベルへ視線を向けた。


「シャルベル様。ラウノアさんは騎士たちとは違って、飛行に戦闘を重ねることはないでしょう?」


「もちろん」


「騎士ならば制御は必要だわ。だけどラウノアさんは自由に飛ばせることができる。古竜の判断力とラウノアさんだけの立場なら、しかと命綱をつけていれば問題はないのではないかしら?」


 その言い分にシャルベルも思案を見せた。

 ラウノアはただの貴族令嬢だ。騎士とは違う。求められるものも違う。


(指示は口頭。制することは必要ない、か……。古竜を自由に飛ばせたいのだろうな)


 普段ならば竜使いでもそういうことはできる。だが、乗る以上は危険を想定して制御する。それが当然の在り方だった。


(どこまでも竜の意思のままに。それがラウノアの意思ならば……)


 考えて、自然と胸の内は凪いで微かに口端が上がった。しかしすぐにそれを引っ込め、製作室の二人を見る。


「一度やってみよう」


「……分かりました」


 戸惑いつつも意思強く次へ進む二人を頼もしく思いながら、ラウノアはシャルベルをちらりと見上げた。

 その目は視線に気づいて向けられ、問うように少し傾く。けれどそれを見つめ返すことはできなかった。


(だめだわ。これじゃあまた見つめられることに弱いなんて言われちゃう)


 ちょっとむっとしてしまうラウノアを怪訝と見つつ、シャルベルは製作室の二人ともう少し言葉を交わしていた。


 製作室との今後のやりとりも決まり、すぐに試作にとりかかるという二人が区域を出ていくのを見つめ、ラウノアはほっと息を吐く。その隣でイレイズがにこりと微笑んだ。


「すごいですね。ラウノアさん。飛行は竜に任せるだなんて他の誰も思いつかないことでしょう?」


「わたしは騎士の皆さまのようにはできませんので……」


「ご謙遜を。さきほどの飛行姿、とても凛然としててお美しかったです。思わず見入ってしまいました」


「ありがとうございます」


 飛行最初は自分でも驚いたのであまりそう言ってもらえる姿であったとは思えないが、ラウノアは表に出さず素直に受け取った。

 そんなラウノアの側でグレイシアはため息を吐く。


「イレイズ。あなたそうやって侍女やメイドたちも口説いているでしょう?」


「おや。私は思ったことを言っているだけなのですが……」


「あなたねえ。ラウノアさんはシャルベル様の婚約者よ。誤解させるようなことはやめなさい」


「失礼いたしました。殿下」


 グレイシアのお叱りにイレイズは微笑みを消さない。そんな様子をラウノアも見つめていたがふとシャルベルの視線に気づいて、返したときにはそれが逸らされたことに少しだけ首を捻った。


(わたし、失礼なことをした……?)


 イレイズに軽口を叩かれるのはこれまでにもあった。誰が傍にいようと、特別な感情などないと淡々と応じてきたつもりだ。

 だから、誤解されるようなことはないと思っていた。けれど、シャルベルにとってはそうではなかったのだろうか――……。


 もやっとして。落ち着かなくて。ラウノアはそっとシャルベルに近づく。


「シャルベル様。わたし、何か失礼を……?」


「いや……違うんだ。イレイズが言ったことはそのとおりで、ただその……誰かに言われると妙にこう……腹立たしいというか……もやりとするというか……。なんだろうな」


 思わず瞬いてシャルベルを見た。口許に手をあてて視線を逸らしつつ喋っているシャルベルが、目の前にいる。


(――……ああ。どうしよう。だめ)


 頬が緩んでしまう。心が喜んでしまって、どうしようもない。


「ふふっ」


「? なぜ笑う?」


「いえっ」


「おまえ……それはあれだろ。焼いてるんだろ?」


 呆れたようなライネルの声音が聞こえ、シャルベルが少し驚いた顔をした。

 ライネルは表情に隠すことなく声音通りにそれを出しながらじたりとシャルベルを見つめ、その後ろでは護衛騎士であるカーランとゼオが小さく笑っていた。


「焼いて……?」


「自分の婚約者を誰かが褒めるともやりとするとか。二人で話をしているのを見るとなにを話していたのか気になったり。楽しそうだと余計に自分も割ってやりたくなったり」


「……ありますが…」


「それだそれ」


 愕然とした様子がおかしいのか面白いのか、聞こえているグレイシアも口許に手をあてて肩を震わせ、ルインは遠慮なく腹を抱えて笑い出す。

 笑われているのに怒る様子などなく自分が一番驚いているという様子のシャルベルを見て、ラウノアも思わず小さく笑ってしまった。


「……そうか。これが嫉妬」


「だな。シャルベルにもあるんだなあ。そういう感情はちゃんと。うんうん」


「ねえねえラウノアさん。ラウノアさんはどう? ほら。シャルベル様って女性に人気なところがあるでしょう? やっぱり焼いちゃったりする?」


 流れ弾だ。笑みが引っ込んで驚愕の表情を向けてしまう。


 気になって仕方がないのだろうグレイシアが興味津々な様子で傍へ来て、どうなのかとその笑みが問うてくる。

 そんなことをされてしまうと皆の視線まで、シャルベルの視線まで感じてしまって、しどろもどろになってしまう。


「え、えっと、それは……」


「正直に答えるのよ! シャルベル様はラウノアさんが他の男性に褒められちゃうと焼いちゃうって分かったのだから、ここはラウノアさんも正直に言ったって罰は当たらないわ。今後はラウノアさんを焼かせないようにってシャルベル様だって気をつけるかもしれないし!」


「殿下……」


 シャルベルがなんとも言えない顔でグレイシアを見つめるが、グレイシアは気にせずラウノアを追い詰める。

 傍にいるライネルは窘める気はないようで、むしろ面白そうに笑いをこらえている。


 正直に告げるまで逃げられそうにない。観念すべきか、誤魔化すべきか――……。

 けれどやはり、いいなと思ってしまうのだ。グレイシアのそのまっすぐなところはとても眩しいから。好きを共有しようと言ってくれたことは嬉しくて、好きを好きと言えることに恐れがなくて、少しの勇気をくれた人。友になれればきっと、陽だまりのようなぬくもりと勇気をくれるのだろう。


 さすがにシャルベルが止めようとしたとき、ラウノアがぼそりと小さく言葉を紡いだ。


「あ……あります。ですがその……シャルベル様が視線を集めてしまうことはどうしようもありませんしわたしがどうと言うことではありません。ただの婚約者ですし……それに騎士の皆さまのなかには女性だっていらっしゃるのですからそんなことを感じてしまうのは己の不甲斐なさといいますかご友人や親しい女性だっていらしてもおかしくないわけですからそういったことにもやもやしてしまう己の感情を制御するべきであって――」


「とりあえず落ち着けラウノア嬢。竜を前にしたグレイシアのようだぞ」


「! も、申し訳ありませんっ……!」


 慌てて頭を下げて謝罪するラウノアは、隣にいるシャルベルの表情を見えないでいた。だから、どんな顔をしていたかなんて知らない。

 ただ、ライネルがにやりと意地悪そうな笑みを浮かべていて、ゼオもカーランも珍しいものを見たような顔をしていて、レオンでさえ驚いたような物珍しい顔をしていて。……だから、見ることなんてできなかった。


 俯くしかできないラウノアに、ぐっとグレイシアが距離を縮めた。きらりとした目に自分が映り込むほどの距離にラウノアも思わず背を反らす。


「ラウノアさん! 今からお茶しましょう!」


「え。あ、い、今からですか……?」


「じっくり聞かせてちょうだい!」


 問答無用で手を引かれ竜の区域を連れ出されるラウノアをシャルベルとライネルも呆然と見送るしかなく、護衛騎士たちが慌てて後を追いかける。人間たちとともにそれを見ていた古竜は、ラウノアの困ったようなけれどどこか楽しそうな横顔を見てからくるりと身を翻して広場へと戻っていった。






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