21,その幸せのために
(わたしのことも、秘密も、わたしが想う大切すら、あなたは……)
それが約束だ。そうギルヴァが決めた。
それは昔から理解している。それがギルヴァがここにいる理由なのだと。
でも。それでも――……
「っ、どうしてっ……どうしてもっとご自分のことを願われないのですかっ……! 誰にも告げず守り通せばっ。あなたの命なのにっ!」
頭からぬくもりが離れる。
呆れられるか、怒られるか。考えてもそれが現実になることはないと心のどこかは知っている。
だからほら。優しい眼差しが目の前にある。
「ラウノア。これが俺の願いだ。おまえが幸せを感じ、想う相手ともっと未来まで笑っていられること。それ以外、ない」
「っ……」
「そのためなら、俺はそいつにも背負わせる」
シャルベルならばたとえ秘密を知っても黙っている。ギルヴァはそう見ているのだろう。それはラウノアにも否定はできない。
だけど秘密を背負わせることはその人にとっても危険なこと。だから頷けない。
だからひどく胸が痛い。その想いを、否定などできないから。
「ラウノア。おまえにとってこれは俺の勝手だ。だから……おまえがやめろと言うのなら、俺は今この瞬間からおまえの婚約者には一切を伝えず、丸薬製作者を見つけるまでの期間でこの見極めを終わらせ、俺の胸にしまう。おまえが婚約者と婚姻を結んだのちは、一切おまえの身に顕現はしないと誓う。それで秘密が知られる可能性は潰す」
自分とラウノアは一心同体。すでにその片鱗をシャルベルは知っている。けれど、遮断するには遅くはない。
まだ、シャルベルはなにも知らないから。
(ギルヴァ様が、出てこないということは……)
幸せを。笑顔を。願ってくれているのは知っている。ずっと感じている。
そのために当然のように自分を犠牲にして。それが約束なのだと笑っている。それが自分がしたいことなのだと、昔からずっと変わらない。
顕現せずとも、それに不満を出すことなどないのだろう。そんな姿が容易く想像できる。自分がいろいろな話をして、それに喜びを宿す瞳をして聞いているのだろう。
それはきっとこれまでの姿であって。ただ自分の場合が例外的となり、婚約時にギルヴァはシャルベルのことを知り、会った。
過去と未来。想像して唇を噛んだ。
「わたしだってっ……ギルヴァ様にそうあってほしいと願っています。いつだって、そう思っています!」
切なくて。必死で。そんなラウノアの声音にギルヴァは小さく笑った。
「知ってるよ。あいつらだってそうだった。気にしなくていいのに、死ぬそのときはわざわざここへ来て、笑って、「寿命まで一緒に生きましたね」ってな」
どこかから誰かの笑う声が聞こえる。ギルヴァの耳が反応を見せて、その目が和らぐ。
「全員が守りとおしてきた。次へつなげるために。知らなくてもいいことのために。――ラウノア。それはおまえで終わるんだ」
「!」
「俺も、ここで終わる。だからやるんだよ。すべての終わりに俺がいることになにか理由があるのなら、俺はそれを、最後のおまえに与えられるかもしれない、これまでの全員の想いすべてをねじ込んだ幸せのためだと解釈する。俺の命もおまえの命も使って、俺は、これからなにが起ころうとも、おまえの人生を掴み取る」
命も秘密も、すべてを使って選び取るもの。
その意思は、その覚悟とそれができる力がなければ示せない。
それができるのがギルヴァだ。ラウノアと運命を共にし、誰よりも願い、想い、誰にもできないことができる。
その原点は、ただ一つ。
ギルヴァは、自分が幸せを考えシャルベルと結んだ婚約を喜んでくれた。秘密など関係なく、ただ、そのことを。
知っている。視ている。――だってそれは。
(ギルヴァ様が、できなかったこと)
手を伸ばした。伸ばした手を掴みとってくれた。
けれどそれは、あっけなく消え去った。
「ラウノア。一人で背負いすぎるなよ。俺がいる。ガナフたちもいる。――信用できるなら、おまえの婚約者もそこに加えていい。増えすぎればそれは確かに危険だ。だからその見極めをするのは俺とおまえだ。決定権を持つのは、おまえだ」
「わ、たしは……」
「迷っていい。悩んでいい。おまえはちゃんと考えてる」
頑張ってるなと褒めるようにその手が頭にのせられる。今度は優しいぬくもりをもって。
(ああ……。泣いてしまう……)
知っている。この人は、泣かせるのが上手い人なのだと。
たくさんの人を泣かせて。悲しませて。それでも本人だけは、笑うのだ。
「……わたしだけでは、不安です。だから……ギルヴァ様も、きちんとご自身のことも大事にして、見極めてください」
「分かった」
そっと目尻の滲みを拭う。そうして見上げればギルヴァは優しい顔をしたまま、尻尾を頬にすり寄せてくれる。
遠慮なくそれに触れて自然と笑顔になるラウノアを、ギルヴァは目を細めて見つめていた。
「その見極めのために必要な情報もいるが、その前に昼間の件だな。今日は何があった?」
「はい。今日は――」
シャルベルと出かけたこと。バークバロウ侯爵子息夫人であるカティーリナに会ったこと。そして襲撃のこと。起こったことを全てラウノアはギルヴァに伝えた。
黙ってそれを聞いていたギルヴァは聞き終えて「分かった」とだけ答えると、手を後ろについて空を見上げた。
「ってことは、町に製作者らしい不審な奴はいなかったんだな?」
「……あ」
「あ?」
こぼれた音にギルヴァは思わず視線を向ける。と、そこには驚いたような丸い目がある。
それを見て、もしや…と思って肘をつく。
「忘れてたな?」
図星だったようだ。あわわっ…と顔を隠して俯いてしまう様子にギルヴァは声を上げて笑った。
今すぐにでもラウノアが羞恥で悶えそうである。
「秘密に関わることでおまえが忘れるとは珍しいな。なんだ。婚約者はなにも言わなかったのか?」
「! だからシャルベル様は町を見ておきたいとおっしゃったのですか!?」
顔を上げられずにいたラウノアが驚きで顔を上げた。そんなラウノアに「だろうな」と言うとまた俯いた。
シャルベルに外出を提案したのはギルヴァなので驚かないが、まさかラウノアがこうなっていたとは……。呆れよりもどこか嬉しさがある。
「楽しめたならいいだろ」
「よくありませんっ」
「だが婚約者はそれでいいと思ったわけだ。想われてるな、ラウノア」
「っ……」
顔が赤い。それもまた好ましい反応だ。
しかしこれ以上揶揄ってしまうとラウノアがそっぽを向いてしまいそうなので、ギルヴァは「さて」と話を戻すことにした。
「町のほうは病直後で微妙な線だ。しばらく調べは必要だろうが、隠れてるだろ。バークバロウ侯爵家がおまえの婚約者に呪いをかけたとして、その入手経路を知りたいところだな」
「はい。……シャルベル様は、カティーリナ様と何かご関係があるようでした。そういったことで呪いを――ですが、そういう物だと知っていたのでしょうか? お二人はなにやら過去にあったのだと思うのですが……」
「聞けばいいだろ」
「わたしは黙ってばかりなのにシャルベル様のことはずけずけと尋ねるなんて……できません」
ぷいっと顔を逸らしてどこか不満げにも聞こえるラウノアの声音。それを聞き、ギルヴァはにやりと口許を歪めた。
ラウノアの顔を覗いてやろうとしても逸らされるばかり。揶揄うのはやめようと思ったところだがこんな反応をされると悪戯心というものが疼いてしまう。
「なんだよ。気になるなら聞けばいいだろうし、あいつも答えてくれるんじゃねえか? それとも聞きたくない?」
「違います」
「なるほどなあ。想う相手が別の女と何かあったかも、なんて聞けねえわな。ラウノアもそういうところを気にするようになったのか。成長成長」
「違います!」
「じゃあなんだ。妬いたか?」
「ギルヴァ様!」
とうとう怒ったラウノアがギルヴァに顔を戻して柳眉を吊り上げる。そんな様子にもギルヴァは遠慮なく笑い転げた。
気安い関係ではあるが、これまでこういったことで揶揄われたことがない。居心地も悪いがさすがに失礼なので怒ってしまう。
「別にいいのですっ。シャルベル様にもいろいろあるでしょうから。それより、バークバロウ侯爵家の方々に魔力はありませんので、そういった品があったことのほうが問題です」
「そうだな。――侯爵家内に製作者と関わりを持つ奴がいるって可能性が高いな」
その推測にはラウノアも頷いた。そしてその目を真剣にギルヴァを見つめる。
「ギルヴァ様。それで、魔力はどうでしたか?」
「おまえがにらんだとおり。一つは本人のだろうが、もう一つは丸薬及びキャンドル製作者のものだ。――間違いない」
繋がった。ギルヴァの答えにラウノアは一瞬心臓が音をたてたのを感じた。
そんなラウノアの傍でギルヴァはゆるりと尻尾を動かす。
「アレクも魔力の動きを感じとっている。おそらく、奴らの傍に何かしらの魔力を置き、任務失敗となればすぐに殺せるようにしてあったんだろう。一人はおまえが入り込んですぐに捕食したおかげで助かったようだが」
「……申し訳ありません。わたしはまだ常時感知を働かせているわけではなくて」
「アレクのあれは戦場で開花したことによるせいだ。おまえとは違う」
戦闘時などにおいてアレクは勘が働く。ライネル暗殺未遂のときに感じた違和感もおそらく同じものだったのだろうが、そのときはこれまでに感じたことがないもので靄がかっていた様子。
今後はできるだけ常時感知できるようにしようと決意しつつ、ラウノアは別の思考を動かす。
「では、相手は魔力についても……」
「ああ。使い方を知っているってことは俺の懸念まで当たってくれた」
そこに喜びの色はない。喜びの表情はない。
どこかにいる敵を睨む、獲物を睨む瞳だ。
「ラウノア」
「はい」
「敵の狙いはおまえだ」
告げられ、けれど驚くことはなかった。ただ静かに聞き、受け入れ、頷く。
重苦しい空気が漂っても、この場所の空気だけは軽やかで、風が吹き抜けた。