20,孤独な友
自室へ戻ったラウノアは、着替えを終えたあとすぐさまベッドに倒れ込んだ。
「お嬢様。ご気分が優れないのですか?」
「大丈夫。ガナフを呼んで、それからアレクに話を聞いてくれれば分かるから。わたしは先にあの方に話をしてくる」
「承知いたしました」
本当なら自分の口で話したい。が、それよりも先にやらなければならないことがある。
だからラウノアは、すぐに会いたいと願って目を閉じた。
そんなラウノアの傍ではマイヤがガナフを呼びにいく。少しすればガナフと、扉の前に控えていたアレクを連れて入室。
そんなときにはラウノアがゆっくりとベッドから身を起こしていた。
「お嬢様」
「マイヤさん。……若様です」
イザナがどこか真剣に表情を引き締めてそっと告げると、マイヤははっとしたようにラウノアに駆け寄りかけた足を止めた。
そんな部屋の中の動きを感じとりつつ、ラウノアの身に顕現したギルヴァは身の内の魔力に意識を向けた。
(魔力を視てくれってことは、なにか取り入れたか……)
まだ日が沈むまでは少し時間がある。そんな時間は自分にとって、ラウノアからすれば夜明けのようなもうすぐ覚醒するぞという時間。
だから草原で寝転んで寝ていた。なのに中途覚醒させられて、「ラウノアが昼寝でもしたのか?」と眠気の残る頭で考えていればそのラウノアがやってきて頼みごとをしてきた。
(ああ、これか。……これは)
感じて、眉根が寄るのが自分でも分かった。同時に、ラウノアがこれほど急いで自分を叩き起こした理由も。
理解して、ベッドに腰を据えた。
「――おまえら、状況を理解しているか?」
「俺」
「ではアレク。説明しろ」
ギルヴァの指示にアレクは頷いて説明を始めた。
「姫様と婚約者の帰り道、敵の襲撃を受けた。相手は前に王子を襲撃してた奴らと同じ。一人は生きてる。でも、生きてた奴はもっといた。近くに魔力の何かがあった。それが殺した」
アレクの簡潔端的な報告にガナフたちは息を呑む。ただギルヴァだけは足を組んで膝に肘をつく。
「なるほど。不自然に犯人が死んだのはそういう理由か……」
「若様。魔力となると――」
「まあ落ち着け。おかげでだいぶ分かってきた」
そう言って、不敵に口端が上がる。それを見たイザナも口を閉ざした。
「王太子暗殺と今回の襲撃、裏は同じだ。そして厄介なことに魔力を使っている。さらに面倒なのが――魔力の使い方をよく知っている」
「若。もしや例の丸薬と同じ……」
「これで分かった。あの丸薬はやはり故意だ」
ガナフのもしやをギルヴァはあっさりと肯定した。それを受けて側付きたちも背筋が伸びる。
(王太子殿下の暗殺、丸薬の広がり、そしてお嬢様への襲撃。これらがすべて繋がっているとなると……)
顎に指をそえ思案していたガナフは、もう一つをギルヴァに確認する。
「若。そうなりますとキャンドルの贈り物も、お嬢様を狙った意図的なものであると」
「だろうな。返事は来たか?」
「ちょうど今朝。予想通りの否定でございました」
「――こっちに探りまで入れてきてるな」
相手はすべてを熟知している。ラウノアは知っていても目立たずを信条に派手には動かない。
相手はそれを知っているのか、構いもせずに大手をふって、知られないのをいいことに魔力を多用する。
(ここまでのことができるとなるとやはり相手は……。いや。まさかな)
思案していた目を側付きたちへ向けたギルヴァはその笑みを和らげた。視線の先には、普段通りのアレクと背筋を伸ばすガナフ、眉根を寄せたイザナ、落ち着こうとしているマイヤがいる。
「マイヤ。大丈夫か?」
「は、はい。なんとか……。私はガナフさんたちとは違い、魔力がという話はルフ様にお聞きしたくらいで感じたことがありませんので」
「それが今の普通だ。イザナでも感知ができるわけじゃない、アレクは勘で感じてる。おまえはガナフと同じで他の者よりはよく知ってるし、ルフも信頼していた。じゃなきゃ教えたりもしねえよ」
「光栄でございます。若様」
参っているだろうに綺麗に下げられる頭にギルヴァは笑みをこぼした。そしてすぐ、側付きたちを見る。
「ラウノアに今夜来るように伝えおけ。――すべての解決はただ一人の身柄を押さえることだ。全員、ラウノアへの助力を続けろ」
「「承知いたしました」」
指示を出し、ギルヴァは後ろに倒れた。ふうっと長い息を吐き呼吸が落ち着いた頃、その瞼が開かれる。
それを見て、マイヤとイザナが近寄った。
「お嬢様」
「マイヤ、イザナ。……あの方は…」
「はい。今夜改めて来るように、と」
「うん。分かった」
すぐに夕食になるだろう。そう思ってラウノアは身を起こした。
♦*♦*
ギルヴァに会うときは、会いたいと願って眠りにつく。その意思がギルヴァのもとへ連れていってくれる。
が、いつでもというわけではない。
時には願ってもうまくいかないこともある。ギルヴァに会うようになった頃はそれも多く、慣れと経験からその頻度は少しずつ下がっている。
ギルヴァに会えない状況はもう一つ。ギルヴァのもとへ行けても、ギルヴァが姿を見せてくれない場合だ。
シャルベルと会ったという報告を受けた当初がそうだった。そういうことは報告内容の制限同様これまでにないことで、ラウノアも意図的に会わないという意思をすぐに察した。
ギルヴァはいつも草原にいる。その場所がどういう場所であるのか、ラウノアはよく知っている。
「ギルヴァ様」
今夜もその場所へ来て、座るギルヴァにそっと呼びかける。
自分が近づいていた時点で耳がぴくりと反応していたから、来ていることは分かっていただろう。呼びかけに対し、ギルヴァは閉じていた目をゆっくり開いた。
「……ああ、ラウノアか」
「誰か、いましたか?」
「たまにな、俺じゃねえと分ってるのにどうしても視線が向くことがある。寝惚けてるせいか、手を伸ばしかけるときがある」
「……はい。それは致し方ないかと」
「……そうだな。触れたところで意味はない」
自分の手を見下ろして、どこか寂し気な目が揺れる。それを見つめ、ラウノアはその手にそっと自分の手を重ねた。
ギルヴァの大きな手はラウノアの手を容易く包み込んでしまう。
「おまえたちが大切な相手に出会う度、どうかと願う。守り通すのが約定だ。だから俺はここにいる」
「……昔の夢でも見ましたか?」
「おまえが婚約者のことをはっきり決めないせいかもな?」
気遣っていたのに途端に意地悪な表情が返ってくる。それに目を瞠って、ラウノアはむっとギルヴァを睨みつけた。しかし笑われるばかり。
瞬時に霧散した空気にラウノアはため息を吐いた。
(ギルヴァ様は、とても強くて頼もしくて、いつだって不敵で堂々として)
いつだって助けてくれる頼もしい絶対の味方。知らないことをたくさん教えてくれて。守るという言葉のとおり、これまでずっと守り続けてきてくれた。
だから、瞳を揺らすことを。沈んだ切なげな声音を。遠くを見つめる寂し気な眼差しを。ギルヴァではないかのように感じたこともあった。
(でも、そうじゃない。それだけじゃない。ギルヴァ様は見せなかった。見せる相手を絞っていた。それだけ)
その必要がなくなって。今は傍にいるのが自分だけになった。
だからギルヴァはそれを隠さなくなった。――ラウノアは全部、知っているから。
(痛くて重たいそれさえも背負って後悔しない。強くて、まっすぐで、揺らがなくて、でも――……でも、孤独な人)
ギルヴァは独りだ。ラウノアがこうして会いにこない限り、たった独り。だからラウノアが手を煩わせてくれることを「退屈しなくていい」と言って笑うのだ。
今も過去のことに追いかけられて、それを受け止めて。たった独りでそれを繰り返す。
(この人が味方でいてくれることを、わたしは知ってる。だからわたしも、この方の味方で在り続ける)
幼かった自分の頭を撫でて、尻尾に触らせてくれた人。全てを知った自分に「ごめんな」と優しく謝ってくれた人。
ずっと一緒に背負っていく。自分がいる限り。
「――……ギルヴァ様」
「ん?」
「ギルヴァ様は、シャルベル様に秘密を打ち明けて共に背負うべきだと、そう考えて、わたしになにもおっしゃってくれなかったのですか?」
二人の間に沈黙が落ちた。青い空を飛ぶ鳥が見えるその場所はいつも静かで、けれど時折竜が風をまとって空を飛ぶ。自然を満たす風が吹いて、けれどそれは、この肌に感触を残さない。
ギルヴァから答えはない。けれど、ふっと上がった口角を見て、理解するには充分だった。
だから思わず口をついてしまう。
「そんなこと……できません。もし、もしも万が一に知られてしまったら、そのときはシャルベル様まで……」
「そうだな。そうなるだろう」
「なら……!」
必死になるラウノアの目に映るのは、それでも口角を上げた、揺るがない強さと想いに満ちたギルヴァの表情。
見たことがある。見ている。その表情から紡ぎ出される言葉を知っている。
「――俺が、守ってやる。おまえも、おまえの大事な奴も」
そう言って、宥めるように頭に置かれる手。そのぬくもりは確かに伝わってくる。
優しくて。あたたかくて。――深く、悲しい温度。
だから無性に、胸が痛くて苦しくて、涙が溢れてしまった。