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18,君との距離

 その女性は身なりを抑えているが、バークバロウ侯爵子息夫人その人だ。

 思わぬ相手にシャルベルは言葉を失くし驚いた様子のまま相手を見つめるが、対するカティーリナは、ラウノアの姿も認めると表情を固めて睨むようにシャルベルを見た。


 両者の間に言い知れぬ緊張が走る。それを感じとった子どもはそっと母親を見上げた。


「お母様……?」


「……なんでもないわ。帰りましょう?」


「うん……?」


 子どもの手をとってすぐに身を翻す。後ろを見れば護衛や侍女らしい姿もあり、身分を隠しつつも自ら町で買い物をしていた様子にラウノアは少し驚いた。

 侯爵家ならば屋敷に商人を招くことが多いだろうに。息子に町を見せるためもあったのかもしれないと思いつつ、そっとシャルベルの傍まで下がってちらりと隣を見上げた。


 少し眉根を寄せたなんとも言えない表情が、カティーリナを見つめている。そして――その口を開いた。


「夫人。……最近、近くで気になることなどはないだろうか?」


「なんですか、いきなり。そのようなことは一切ありません。今更気を遣うようなこと結構です」


「……すまない。いきなり」


 シャルベルに一瞥を向け、カティーリナはすぐに顔を逸らして去っていった。手を引かれた子どもがラウノアたちを振り返って手を振るので、ラウノアもそっと振り返す。

 その姿が馬車に消えたところで、ラウノアはシャルベルを見上げた。


「シャルベル様。お付き合いくださりありがとうございました。参りましょう」


「……ああ。そうだな」


 何かを言いかけて、けれど口を閉ざす。そんなシャルベルにラウノアも微笑みを浮かべた。

 そしてそのまま、食事を摂ろうと歩き出す。「今日はレストランにでも――…」と話すシャルベルの言葉が耳をすり抜けていく。


(嫌だわ。この気持ち……)


 だから必死に振り払う。こんなもの、今はまだ、認めてはいけないものだから。






 それから食事を摂り、公園で休息をとることにした。

 暖かな時間帯だからか、散歩を楽しむ人々の姿もある。ゆったりとした空気が周囲を覆い、太陽のぬくもりが感じられる。


「疲れていないか?」


「はい。大丈夫です」


 ラウノアはどこまでも普段どおりだ。食事を摂ったときも変わらず、カティーリナのことが話題になることもなかった。

 それに安堵しているのか。寂しさを感じるのか。まだ自分でも分からない。


 互いに言えないことがある。過去がある以上それは当然のことで、無理に聞くものでもない。

 だからラウノアもそれを話題にしないのだろう。――誰よりも、踏み込まれたくない部分を持っているから。


 そう考えてはっとした。


「ラウノア。その……」


「無理にお話くださらなくて大丈夫です。わたしも――……」


「そうではないんだ」


 思わず遮れば、ラウノアは首を傾げる。そんな仕草を見て悟った。


(気にしてくれていたのか……)


 嬉しいと思う。言いたくないと思っていることが後ろめたくて。言いたいけれど、何を思わせてしまうだろうと考えてしまう。

 だから――理解できてしまった。


(ラウノアも、そうなのか……)


 腑に落ちて、思わず項垂れる。そんなシャルベルにラウノアはどこか心配そうに眼差しを向けた。思わず「シャルベル様……?」と声をかけるが、返ってくる答えはない。


 踏み込まれたくない部分があるから、ラウノアは決して踏み込まない。過去も。未来も。

 その微笑みは慎ましくも、決定打を見極めて避ける守り。それでも待ち受ける壁を避けることができないから、全てを自分の胸に秘めている。

 誰にも触れさせず。見せず。


(それでも、いつかちゃんと、伝えたいと思うんだ。それは……君も同じだと、思ってもいいのだろうか?)


 婚約関係を続けると決断してくれたラウノア。出かけようという誘いを受けてくれたラウノア。

 自分はいつまでも待つつもりだ。待つことができる。――手を固くつなげると、信じていいだろうか?


 ゆっくりと顔を上げたシャルベルを、ラウノアはうかがうように見つめた。

 どこか調子を悪くしたのかと思うが、その目は強い光を持っているように見受けられる。


「シャルベル様……」


「……大丈夫だ。少しだけ、君のことが分かった気がして、俺の我儘な未来に近づきたいと思っただけだ」


「それは……」


 青い瞳に見つめられる。その目は穏やかで優しくて、けれど強い。

 なんだか見つめることができなくて、思わず逸らしてしまった。と、隣から「ふっ」と小さく笑う息が聞こえる。


「君はやはり、見つめられることに弱いな」


「! シャルベル様がそのような目をなさるから……!」


「どんな?」


 それを言えというのか。視線を下げてどこか渋面顔なラウノアにシャルベルはまた小さく笑った。

 このままではいけない。そう直感したラウノアは「それより」と話の軌道を修正する。


「そうではない、とはなんのことですか?」


「ああ。……ここでしていい話かどうか…」


 口籠るシャルベルにラウノアもその内容を察する。そしてさりげなく周囲へ視線を向けた。

 散歩をする人の姿がまばらだがある。外はどこに人目があるかも分からない。


「では、帰りの馬車の中でもよろしいですか?」


「分かった。そうしよう」


 決めてまたシャルベルは立ち上がった。その動きをラウノアも目で追う。立ち上がったシャルベルはそのままラウノアを見つめて、手を差し出す。


「では行こう。帰るまで、もう少し町を見ておきたい」


「何か見ておきたいものがあるのですか?」


 そう問うと、シャルベルはなぜか僅か目を瞠った。どこかきょとんとしたような顔にラウノアも首を傾げる。

 短い沈黙が流れ、シャルベルは不意に口許に手をあてると、うかがうようにラウノアを見つめた。


「……いや。いいんだ。それなら」


「?」


 どういう意味だろうか。さらに首を捻るラウノアを見つめて眼差しを和らげ、シャルベルはそっとその手を掴んだ。

 引かれるまま歩き出す。隣を歩くシャルベルを見つめて、けれどなにを問えばいいのか少し迷って、ラウノアはシャルベルとともに歩き出した。






 散策を終えればそろそろ日が落ちる時間になる。冬場のそれは少し早くて、シャルベルは空を見て「そろそろ帰ろう」とラウノアを促した。

 ラウノアもそれに応じて馬車に戻る。そうして馬車は貴族街へ向けて進みだした。


 馬のゆっくりとした足取りで馬車が進む中、ラウノアはその視線をまっすぐ前へと向けた。その眼差しにシャルベルも次の言葉を悟る。


「それで、何を懸念されていたのでしょう?」


 真剣なラウノアの眼差しにシャルベルも同じものを返し、ちらりと窓の外へ視線を向けた。護衛騎士たちの姿は馬車を覗けるような場所にないことを確認し、少しだけ声を潜める。


「例の人物から、バークバロウ侯爵家のことは聞いているだろうか?」


「……いえ」


「実は……以前、バークバロウ侯爵家の夜会に出席した後にヴァフォルの機嫌がよくないことがあった。納涼会の少し前だ。そのときに個室に呼ばれたんだが、そこで焚かれていた香が丸薬と同じだと、その人が言っていた」


 シャルベルの言葉に息を呑んだ。同時に、ギルヴァに対してまた頭痛を覚えてしまう。


(また手紙にないことを……。落ち着いて。シャルベル様がおっしゃっているのは、納涼会の前に感じた呪いのこと。あれはわたしもギルヴァ様に相談して、だから魔力操作を身につけようと訓練したからよく憶えてる。その呪いの原因が香で、バークバロウ侯爵家の夜会だった……)


 なにがあったのかは知らないがギルヴァがそれに気づいたのだろう。そして、それが丸薬と同じであると告げた。しかし今のシャルベルの様子から見て詳しいことは聞かされていないはずだ。

 それは、ギルヴァ自身の秘密に関わる。


「だからシャルベル様は、バークバロウ侯爵家に何かあると思われたのですね」


「ああ。だが、他の貴族が関わり、その詳細を知らない俺には続きが調べられない」


 もどかしそうなシャルベルを見つめ、ラウノアはそっと瞼を震わせた。

 納涼会で見た二人が頭に思い出されて仕方ない。けれど、それを振り払う。


(にしても、ギルヴァ様はどうして手紙に書いてくださらなかったんだろう。……直接聞くようにということ?)


 ここ最近、ギルヴァは意図的に手紙の内容を制限している。その考えは自分には分からない。

 こういったことは過去にない。あったのは、シャルベルに会ったというときが初めて。協力体制をとってからはこれが増えている。


(シャルベル様がおっしゃるとおり、バークバロウ侯爵家がなにか関わっているとしても調べるのは難しい。それに……シャルベル様とカティーリナ様にはなにか関係があるようだし……。言えないことばかりのわたしが踏み込むなんて勝手だわ。ギルヴァ様はなにか知ってたり……するかも)


 わざと伝えてないことがここ最近多い人だ。可能性はある。

 本当に、どうしてここ最近はこんなに困らせてくれるのだろうか、あの友は。


(だけど、おそらくバークバロウ侯爵家に関わりはない。あれだけの丸薬を作れるなら社交の場で魔力を感じとれたはず)


 本格的な魔力訓練をギルヴァから受けるようになってからであるが、「実践することも重要だ」とのギルヴァの指導で社交の場で意識して感知力を働かせてみたこともある。

 結果は想像通り。そもそもに魔力を持たない人が圧倒的に多かった。


(納涼会ではバークバロウ侯爵家の方々から魔力は感知できなかった。となると、侯爵家は関係ない。あるとすれば物をどこかから入手したということ)


 とはいえ、侯爵家ともなると商会の出入りも多いだろう。紛れていたものを入手した可能性も、幅広い交友関係から得たものである可能性もある。

 そう考えて先程の夫人の姿が思い出された。


「シャルベル様。そちらはわたしが調べてみます」


「……分かった。だが、俺の手が助けになるならいつでも言ってほしい」


「ありがとうございます」


 その表情が。その眼差しが。胸を衝いて、けれど染み渡る。

 不思議な心地にラウノアは仄かに笑みが浮かんだ。そんな眼差しにシャルベルは僅か目を瞠る。


「ラウノア――……」


 手が伸びて、その手がラウノアに触れる――寸前、馬車が急停止した。


 がたんと音をたてて停車した馬車にシャルベルは座面に手をつき、ラウノアは突然のことに驚いた。「怪我は?」「大丈夫です」とすぐにラウノアの様子を確認したシャルベルは窓の外を窺う。

 そして、その目が鋭く光った。


「ラウノア。ここにいろ」


 言うや否やシャルベルは窓を垂れ布で隠すと、座席の下に隠し置いていた剣を手に外へ飛びだした。

 そんな姿を「はい」としかと頷いて見送ったラウノアは、窓に垂らされた布を少しだけ手で除けて外を見た。






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