15,正反対な騎士
それからも少しお茶と会話を楽しみ、ラウノアはグレイシアの前を辞去した。楚々と王宮内を歩きながら胸中でほっと息を吐く。
(思った以上に殿下とのお話はいい時間になった。わたしったら、なんて悩みを打ち明けてしまったんだろう……)
私的な時間であったからこそできたものだ。でなければできないし、目立たずを旨とするラウノアの意思にも反する。
それでも、グレイシアを思い出して瞼を伏せた。
(殿下にだからこそできたのかもしれない。同性で、ああいう方でなければ。……殿下は強い人)
自分とは全く違う人だ。友人たちもどちらかというと自分に似て大人しい人たちで、目立つ人はいないから。
グレイシアはどうしても目立つ人だ。その立場を自分がよく理解し、先を見ている。それでも素直で恐れない。
竜のことが好きなグレイシアだ。今後もお茶に誘われるかもしれない。そう思うと少しの緊張を覚え、けれど少しだけ足取りが軽くなる。そんなラウノアの些細な変化をアレクは見た。
「姫様。楽しい?」
「そうね。……だめね。わたしったら」
本当はいけないことなのに。関わらずにいるべきなのに。
もうすでにたくさんの決まりを破って。それでもなおさらに破ろうとしている酷い自分に内心で笑った。
(わたしに、できるのかな……)
カチェット伯爵家がなくなり、ここまでの変化に見舞われたのは自分だけ。自分で全てをなんとかしていかなくてはいけない。
そう思って瞼が震えた。
浮かんでしまう。あの背中と伸ばされる手。願って。自制して。分からなくなる。その繰り返し。
思わず小さく重い息を吐いたとき、賑やかな声が耳に飛び込んできた。
「ほんっとうに、鍛錬なさるお姿も素敵でした。普段とは違うきりりとした眼差しがもうっ……!」
「ええ、とっても! また是非見にいってもよろしいですか?」
「もちろん。皆さんに見にきてもらえるなんて俺も気合が入るよ」
王宮の廊下を歩いているラウノアは声のした方に視線を向けた。
空の下に集まっているのは王宮のメイドたちだろう。皺ひとつないお仕着せを着た大勢が集まり、よく見れば中心には異なる服装の男性がいる様子。
太陽の下に輝く金色。身にまとうのは騎士の制服。
おや…と思ったとき、その相手の視線が自分を捉えた。
(あれは、イレイズ様……?)
騎士団に学生や転属者が入ったとき、見知らぬ相手と言って止められたことがある。そのとき、ラウノアが古竜の乗り手だろうと言って通してくれたのがイレイズだった。
しかし、騎士団のイレイズがなぜ王宮にいるのか。ラウノアが怪訝としていると、視線の先でイレイズが微笑んだ。
「皆、そろそろ俺は失礼するよ。もう戻らないと」
「ええ……。もう少しくらい」
「そうしたいけど、鍛錬に戻らないと団長に怒られちゃうから」
にこりと微笑んだイレイズがメイドたちの輪から外れる。名残惜しそうにしていたメイドたちだったが、イレイズの向かう先にいるラウノアを見て「あら…」と顔を合わせた。
気づいているのかいないのか、イレイズは微笑みを浮かべたままラウノアの前へとやってくる。
それに対して、アレクがラウノアの前に立った。
「あれ。もしかして俺警戒されてます? 無害無害、なにもしませんって」
普段からラウノアによく接する相手であってもアレクは警戒を忘れない。アレクが警戒を他よりも緩めるのはベルテイッド伯爵家の面々と婚約者であるシャルベルにだけ。
だからラウノアもアレクの行動に驚くこともなく、慣れたようにその背中からイレイズを見つめた。
「アレク。大丈夫」
僅か、アレクから不服そうな反応が返ってくる。それでもラウノアはゆっくり頷いた。
それを見つめ、アレクは僅か身を下げる。遮るものがなくなった視界でラウノアはイレイズを見上げた。
改めて見ても、先程のようにメイドたちを集めてしまうのだろう端正な容貌だ。おそらくそれをイレイズは解っているのだろう。
(でも、ギルヴァ様なら「俺のほうがモテる」っておっしゃいそうだわ……)
平然と言ってのけることが想像できる。「嫌味じゃねえよ事実だ」とまで言ってしまうだろうから、そう思って内心で笑ってしまった。
そういう人だから、ラウノアは男性の容貌に惹かれることがなくなったのだけれど。
「お久しぶりです。ラウノアさん」
「お久しぶりです。イレイズ様。どうしてこちらに?」
「騎士団の鍛錬って王宮メイドや侍女が見にくることがあるんです。で、そこでちょっとお近づきになった子たちが呼んでくれまして」
「……そういった用件でしたら、あまり堂々と宮内を歩くのもどうかと」
鍛錬を侍女やメイドたちが見にいくことがあるとは知っている。そういう場は一種の出会いの場であり、メイドと騎士が恋仲というのはさして珍しいことでもない。
が、鍛錬の最中に女性との時間をつくっているらしい目の前の騎士にラウノアは少々苦言を呈した。返ってきたのは軽い笑い声。
「あははっ。手厳しい。宮内の皆も忙しいんで、俺がいるって分かるほうがすぐ会えていいんですけどね。ラウノアさんも俺とお話でもどうですか?」
「せっかくのお誘いですがご遠慮させていただきます。グレイシア殿下とお茶を楽しんだばかりですので」
「へえ……。殿下とは仲がいいんですか」
感心しているのか、驚いているのか、イレイズの目がラウノアを見つめる。その目はすぐに甘い微笑みに変わった。
「そうそう。シャルベル副団長もかなり女性方に人気でしたよ。きゃあきゃあ言いながら手を振られてまんざらでもなさそうにしてました」
「そうですか」
「あれ? それだけ?」
「シャルベル様が誰に何をしようと、それに意見できる立場にはありませんので」
気の抜けた音を漏らしながらイレイズはラウノアを見つめた。笑みが消えてきょとんとしたような表情が浮かんでいる。
ラウノアは一切の揺らぎをみせずに静かにイレイズを見返した。その眼差しにイレイズはすっと瞼を伏せる。
「無礼なことを言いました。申し訳ありません」
「いえ」
「ラウノアさんはもうお帰りですか?」
「はい」
「では外までお送りしましょう。声をかけてくれる女性方が多いのは嬉しいですが、俺もそろそろ鍛錬に戻らないといけないので」
微笑みがラウノアを見つめる。そっとそれを見てから、ラウノアは「ではお願いします」とその申し出を受けた。アレクがどこか不満そうにラウノアを見つめたが、その決定に否は言わずラウノアの後ろに下がった。
三つになった足音が廊下に鳴る。時折メイドたちとすれ違えば、彼女たちはイレイズを見て頬を染め、イレイズもまたそんな彼女たちに笑みを向けて手を振る。そんな流れを後ろからラウノアは見ていた。
「わたしがシャルベル様の婚約者であると騎士の皆さまにお聞きに?」
「はい。それから、ラウノアさんがケイリスの妹だってことも聞きました。ケイリスとはこっちへ来てすぐ話をするようになったんですが、それまで一言も言ってくれなかったんですよ。なんでって聞くと得意げに「騎士だから」って」
「ふふっ」
ふふんっと胸を張るケイリスの姿が想像できてしまった。
仕事面においては当然に、私的な面でも口を軽くさせるなとシャルベルから厳しく注意されているケイリスだ。問われても簡単には口を割らず、相手が知っているのかどうかはよく見ているのだろう。
思わず笑ってしまったラウノアにイレイズも頬を緩めた。
「ラウノアさんって副団長と婚約してまだ一年になってないとか?」
「はい」
「俺もこっち来てから聞いたんですけど、副団長って地位も実力もあってあの容姿だから、なんで今までそういう相手がいなかったのかって皆不思議がってましたよ。つくらざるを得ないと思うんですけどね」
心底不思議というように話す様子をラウノアも後ろで聞いていた。
自分と婚約するまで相手がいなかったというシャルベルは、よいと思えた相手もいないと言っていた。
しかしイレイズが言うように、立場上求められたはずだ。なのに、公爵子息が相手を決めるには遅いと言われる年齢まで彼にその話はなかった。カチェット伯爵家にいた頃に出ていた社交会でさえそんな話は聞かなかった。
(婚約していたけれど早々に話が立ち消えた、というような場合なら表に出ていないことも……)
考えて、浮かぶ一人の女性。
無意識に視線が下がった。
「副団長って必要以上を喋らないって感じですけど、一目惚れだって聞いたときには驚きました。まあ、ラウノアさんにこうして会ってお話して、一目惚れする理由も納得です」
「そうですか……?」
「ええ。淑やかで慎ましく、でも自分で古竜の世話をしようとする責任感もある。とても素敵な女性ですから」
「大袈裟です。選ばれた以上、なさねばならないことと思っているだけですので」
「そういうところもまた素敵です」
にこりと浮かぶ笑顔にラウノアは眉を下げた。さらりとこういうことを言われるのは社交界でも世辞としてよくあることだけれど、日常会話のうちで言われるのはあまり慣れない。
滑らかに口を動かすイレイズの言葉を聞いていて、どうしてか浮かんでしまうのはシャルベルだ。
イレイズとは真逆で、躊躇いや迷いを持ってなんと言おうかと考えながら言葉を口にする。騎士として毅然と堂々とした姿からはあまり想像できない、なんだか胸があたたかくなる微笑ましい姿。
(いつの間に、シャルベル様ならって考えるようになったんだろう……)
自分の気持ちとは、分かってしまうと厄介なものになるようだ。だからラウノアは内心で首を振り、切り替えた。
「イレイズ様は砦からの転属だそうですが、本部への転属ということは相当な実力をお持ちなのではありませんか?」
「そう思ってもらえているなら嬉しいですね。上官たちはなにか理由があってなのでしょうが、俺にはさっぱり。上の命令に従うのが下の役目ですから」
「では、なにか光る理由があってなのでしょう。イレイズ様は相手と親しくなるのがとてもお上手だとお見受けしました」
「おや、それは嬉しい。俺と仲良くしてもらえます?」
「適度なお付き合いであれば」
「光栄です」
言って互いに笑ってしまった。
騎士たちの中では当初、あまりいい歓迎はされなかった。それは無理もないことだが、こうして好意的に迎えてくれた者も少なからずいる。
病の流行とそのときの噂を聞き知っただろう王都の外にいた騎士たちの中でもそういう者がいるのは嬉しいことだ。
軽い世間話をしていれば王宮の外へ着いた。太陽の下でイレイズが伸びをする。
そして、ラウノアに向き直って笑みを浮かべた。
「では俺はこれで。束の間の楽しい時間をありがとうございました。俺がなにか手助けになれることがあればいつでもお呼びください」
「ありがとうございます」
胸に手をあて恭しく礼をするさまはどこか芝居がかっていて、けれどその笑みは女性を虜にする品のいい紳士のようでもある。
何度でもひらりとかわすラウノアにイレイズは困ったように眉を下げて、ラウノアの手を取った。
「では、お美しいラウノア様。また今度お目にかかりましょう。――あなたと俺は、そういう運命ですから」
「それはどういう……」
「おっと、ではでは」
答えが返ってくることはなく、イレイズはひらりと足取り軽く立ち去っていく。その背を見送るしかない。
そっと後ろのアレクを振り返ると、その目はイレイズが去った方を睨んでいた。