13,王女とお茶会
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失礼のない服装に身を包み、ベルテイッド伯爵邸を馬車で出発した。今日はとてもイザナに心配されてしまったが、それもどこか嬉しさを感じるもので、ラウノアは王城へと向かう間に笑みが浮かんだ。
今日の従者はいつもどおりアレクだけで、まるで竜の区域へ行くときのようだと少し思う。
かたかたと馬車が道を進み、そのまま王城へと入る。騎士団へ行く道とは別の道を進むなかその景色を窓から見つめた。
当然ながら王城は広大だ。政治の中心となる場所と、武の場所となる場所。王族の私的な空間。いくつにも分かれて壁に覆われ守られている。
広がる庭園は美しく、冬だが物寂しさは感じさせない。生き物の姿があまり見えないことだけが少し寂しい。
見つめながら進んだ先で馬車が止まり、ラウノアは馬車を降りた。出迎えてくれた侍従の案内を受けてグレイシアのもとへ向かう。
王城の中でも最も守られた場所。王族の住まい。
王宮の中へ足を踏み入れるのは初めてで少し緊張を覚える。それでも心は自然と落ち着いていた。
(ここは、何度も来たい場所じゃない……)
自分の心と痛む胸中にラウノアは静かに瞼を伏せた。
廊下は広く間隔をあけて衛兵が警備をしている。荘厳で繊細な内装は思わず視線が向いてしまうものだが、ラウノアはただ前だけを見て歩く。
案内を受けるまま進んで少し、王宮内の一室へとおされた。
侍従が来訪を告げればすぐに扉が開く。その奥に広がる広めの室内。並ぶメイドや護衛騎士たち。そして
「待ってたわ、ラウノアさん。さあ座って」
輝くほどの満面の笑みがラウノアを迎えた。
案内されたのは一階にある客室のようだった。冬の寒さを考慮してか、お茶の席は陽射しがあたる窓辺につくられた席。
窓を開けてしまえばそのまま庭へと降りられるようになっており、透明な硝子戸の向こうには豊かな緑が見えている。
グレイシアとのお茶の席に同席しているのは、グレイシアの侍女だろう数名と王宮のメイドが数名。それにグレイシア付きの近衛騎士が数名。その中には昨日同様にレオンの姿もあった。
グレイシアに迎えられ、ラウノアは示された席に座る。すぐにメイドたちが給仕をしてくれた。
近衛騎士たちは少し離れて茶会の邪魔にならないように控え、メイドたちも準備を終えるとすぐに下がる。その手際のよさにラウノアも内心感心を抱いた。
「あらためて、今日は来てくださってありがとう、ラウノアさん」
「殿下に御招きいただき身に余る光栄にございます」
「今日は個人的なお茶会だから、あまり堅苦しいのはなしね?」
「はい」
軽く挨拶を済ませて紅茶を一口。思わずほっと息を吐いた。
「美味しいです。これはジンジャーの香りですか?」
「ええ。お口に合ってよかったわ。今はこれが人気なのですって」
軽い世間話をして微笑み合う。穏やかな時間が流れることにラウノアも少し力が抜けた。
焼き菓子をひとつ手に取って、グレイシアはラウノアに微笑む。
「ラウノアさんが古竜に選ばれたときからずっと話をしてみたいと思っていたの」
「恐縮です」
「だけどね。兄様もお母様もいいって言ってくれなかったの。私が無理を言って古竜に乗せてもらおうとするんじゃないかって」
思い出して少し憤っているらしいグレイシアにラウノアは曖昧に微笑んだ。
それはものすごく困っただろう。止めてくれたことには感謝を抱くのが本音だ。
「ラウノアさんは古竜に乗ってみた?」
「いえ。まだなのです。今は乗るための道具を製作してもらっているところで、人手不足のため予定よりも進みが滞ってしまっているのです」
「無理もないわね……」
沈痛の眼差しでそっと瞼を伏せた。そんな様子をラウノアもそっと見つめる。
(病から生還されたからこそ、病に罹った患者への想いはひとしおのはず……)
そっと視線を外して紅茶を飲んだ。そして、空気を払うようにグレイシアを見て微笑む。
「古竜に乗るといっても、竜使いの皆さまが相棒竜に乗るように鍛錬が必要ですので、わたしでも簡単ではないかと」
「ふふっ。そうね。竜使いたちが竜をのりこなす様はいつ見ても感嘆するものだわ。騎乗は誰かに教えてもらうの?」
「はい。シャルベル様が教えてくださると」
「あら。それなら安心ね。それでそれで? 古竜は普段どんな様子なの?」
聞きたくてうずうずしていたのだろう。グレイシアの目が輝きだしてラウノアを見つめる。
前のめりになりそうなグレイシアに侍女たちも「グレイシア様っ」と思わず止めに入ろうとし、グレイシアははっとなって座り直す。そしてにこりと笑みを向けられ、ラウノアは笑みを浮かべて自分ができるだけの竜のことを語った。
「古竜は普段から他の竜をよく見ています。喧嘩を仲裁することもあって、他の竜におかしなことがあればすぐに教えてもくれます」
「古竜は竜たちを統率しているのね。それを読み取れるラウノアさんもすごいわ」
「お褒めにあずかり光栄です。古竜も他の竜と同様に普段は竜の広場でのんびりと過ごしています。竜たちにも人間と同じように様々な性格があります。好奇心旺盛な個体や独りを好む個体、遊ぶことが好きな個体とそれを見守る個体。遊ぶことが好きな子は若い子が多くて、はしゃぎすぎて大人竜に怒られてもいます。それが喧嘩になって古竜が出ることもあるのですが……」
「ふふっ。なんだか人間みたい」
「はい。ですが竜の喧嘩というのは決して牙や爪を出すことはありません。吼えて窘める、というようなもので、同胞を傷つけないという彼らの温厚さの表れかと思っております」
「雄大で威圧的で、威嚇する様子をよく見ているから、温厚という言葉は思いつかないわ」
ラウノアから出る話をグレイシアは興味深く聞く。古竜の世話をしているからこそ知る竜の姿には近衛騎士たちも驚きを抱いて耳を向けていた。
傍で見ているからこそ、そういう話を聞けるグレイシアは夢中で話に耳を傾ける。そんな様子を見ているラウノアも、グレイシアがいかに竜が好きなのかを感じ取ることができた。
「殿下は本当に竜がお好きなのですね」
「ええ!」
輝くほどに。眩しいほどに。
返ってきた肯定にラウノアは目を細めた。
(素敵だな……)
グレイシアはその笑みを崩さずラウノアを見つめた。
「ラウノアさんも竜が好きなのではなくて?」
「……そうですね。好き、なのだと思います」
「あら? どうして、思う、なの?」
思わず考えてしまって返した返事にグレイシアは首を傾ける。それを見たラウノアはそっと視線を下げた。
なぜ。竜が好きかと問われてそうだと言えないのか。
嫌いではない。それは断言できる。竜を想って浮かぶのは、その姿が自由に空を飛ぶ姿だ。けれど今、竜の区域にその姿はない。それは当然だ。
竜と言われて浮かぶのはいつも古竜だ。それはずっと馴染みがある個体で。
いつだって親愛を抱いている。友愛を感じている。
「……好きであるかということを考えたことがありませんでした。世話をする中でおそらく、親愛のようなものを抱いていたのだと思います」
この胸にあるのは言い表せないものばかりだ。だから、それらしい言葉を選んで伝えてみる。
言えないことばかりが胸にある。そう痛感して内心でそれを噛みしめた。
ラウノアの静かで、けれど想い溢れる声音に、グレイシアもそっと瞼を伏せて微かに笑みを浮かべた。
「親愛……。そうね。それは好きとは別のものだわ。乗り手だからこそかもしれない。ならきっと、古竜もラウノアさんには同じように親愛を抱いているのかもしれないわね」
「そうだと嬉しいです」
ふふっと笑って、そしてすぐにグレイシアは「あっ」となにかに気づいたように満面の笑みでラウノアを見た。
「そうよねそうよね。ラウノアさんの好きはシャルベル様へのものだものね」
「!?」
「もうっ私ったらいくら古竜の乗り手であるっていっても一目惚れされるほどに愛されてるのに好きはそっちに決まってるじゃない」
緩む頬を押さえながらグレイシアは「ふふふっ」と笑みを浮かべている。ラウノアもなんとも言えずにいた。
シャルベル一目惚れ説。婚約した直後はそういう噂も流れ、今やそれはそうであるという認識として周知されている。
シャルベルが好意を持ってくれているのは知っているし、意味は違えど一目見て忘れられず婚約を願ったというのも知っているので、否定はできない。
けれど、グレイシアの表情を見ていると、つきりと胸が痛んだ。
(好意をもたれていても、わたしは――……)
私的なときには素直で、躊躇いのないグレイシアが羨ましい。
「ねえねえラウノアさん。シャルベル様が好き? まさかシャルベル様の一方通行ではないのでしょう? お互いに貴族だからそういうこともあるとは思うけれど、これまで女性の話なんて聞かなかったあの方のたっての希望で実現した婚約と聞いているし。断れずやむなく、なんてことではないわよね?」
心なしか、そうであってくれと願われているように感じる。……グレイシアからだけでなく、メイドたちからの視線も期待に満ちているのを見てしまった。
問われ答えに迷う。というよりも、答えづらい理由がすぐそこにあるラウノアはなんとか曖昧に微笑んだ。
けれどそれで納得するグレイシアではなく。すぐにその視線を控える護衛たちに向けた。
「レオン。今から聞く話はシャルベル様には他言無用よ」
「はい。私は殿下の騎士ですので」
理由が排除された。さすがは王族である殿下だ。迷う理由を瞬時に見抜いた。
感心と少しの焦燥を抱いている間にグレイシアの笑顔が目の前に戻ってくる。
これは逃げが通用しない。早々に悟ったラウノアは正直に答えるしか道がない。
「えっと……。そうですね。シャルベル様を嫌うということはありません。いつも優しく誠実であらせられる方ですので」
「それでそれで? シャルベル様のどこが好き?」
これまた答えづらい質問である。グレイシアは竜も好きだがこの手の話も好きな様子。
その様は、社交の場で自分の周りを囲む令嬢たちのようで、ラウノアは微笑みが引き攣らないよう必死に保ち続けた。