12,それぞれの愛
「それがどうした」
問われ、口にしていいのかと少しだけ迷う。そんな迷いを見て取ったかのように、ギルヴァは「許す、言え」と続きを促した。
本人に許可をもらったもののなんだか釈然としない思いもあるが、シャルベルはそれを払って問いかけた。
問わずにいればこの落ち着かない胸中がそのままだ。ならば問うて、今後の憂いをなくしたい。
それに、答え次第でこの人物との関係も変わると、なんとなくそう思えて。
「おまえは以前……ラウノアを愛していると言った。ラウノアの婚約者である俺に別の女性の陰など快く思えないはずだ。ラウノアの心を得るならそれはむしろ……喜べることだろう」
少し棘があったかもしれない。言い終えてからそんなことを思っている間、室内に沈黙が落ちていた。
迷いつつも意を決してぶつけたシャルベルは、目の前のぽかんとしたラウノアの表情に怪訝とさせられた。
(いや……。愛するラウノアを守るとこいつは言っていた。それはつまり、俺と同じ――……)
悶々とするシャルベルの耳に、息を吹く音が聞こえ――……
「ふっ、ふふっ、あっははははっ!」
それはすぐに抑えの利かない、部屋中に響く哄笑に変わった。
遠慮のない笑い声。驚くシャルベルの前ではラウノアの姿である誰かが腹を抱えて、目尻に涙を浮かべて笑っている。そんなラウノアの姿にさすがに意表を突かれてしまう。
「あっははは! そっ、ふはは! そうかそれっ……! 腹がっ……!」
「おいっ、少し堪えろ。誰かに聞かれでもしたら……!」
「ないない。それはない!」
なにがないのかさっぱり分からずシャルベルは止めに入るが、笑い声は全く収まらない。
ここまで遠慮なく爆笑していれば庭や廊下を見回る者たちに聞かれる可能性が高い。瞬時に焦燥と警戒を抱くシャルベルだが、幸いそんな事態になることはなくラウノアの笑い声は次第に収まっていった。
「あー……。笑った。久方にこんなにも笑った。あーもうおかしい、ふっ、また笑いがっ……!」
「いい加減にしろ」
それなりにもやもやしながらした問いだ。笑われては怒りが湧いてくる。
怒りが声音に出るシャルベルにギルヴァは視線を向けて小さく笑うにとどめ、長く息を吐いた。ぎろりと睨んでくるシャルベルの様子に、ギルヴァは背もたれに身を預けて口許に笑みをつくった。
「ラウノアは俺にとって、まごうことなく愛する者だ」
「……」
「だが、俺の愛とおまえの愛は違う。安心しろ」
はっきりと否定され、シャルベルはギルヴァをじっと見つめた。その視線をギルヴァもまた逸らすことなく受け取る。
そうした見つめ合いか睨み合いの末、シャルベルは「そうか…」と呟いて視線を外した。
(鋭い観察眼。それでいて貴族やラウノアの周囲にも詳しい情報量。ラウノアとはなにかしらの繋がりがあり、ラウノアを大切にしている。……それも、違う愛の形か)
それがどういうものなのかは分からない。しかし、それが愛だというのならシャルベルにも共感できるところはある。
考え、それを振り払ってシャルベルはギルヴァの問いに答えることにした。
「話を戻すが、香りの元はおそらくバークバロウ侯爵家の夜会だ。古竜がベルテイッド伯爵邸に独断で飛行をしたあと、その姿を見られていないかと確認するためもあって参加した。そこで子息に話があると呼ばれた。子息は別件で来なかったが、おまえが言うのはその部屋に焚かれていたアロマだろう」
「来なかった?」
「ああ。納涼会でもそれとなく声はかけたが特に用件らしい話はなかった。済んだことかと気にはしていなかったんだが……」
「だが、おまえには何か無駄足踏まされる心当たりがあったわけだな」
言われ、無意識に眉間に皺が寄る。
今度はそれに対する笑い声もなく、シャルベルは静かな室内で続けた。
「バークバロウ侯爵子息夫人、カティーリナ殿は……過去に恋人関係にあった女性だ」
「恋人……。ああ。婚約を結ぶ前の相性確認だったか。表には出ず瑕疵にもならない、家同士の結びつきが強い貴族の婚姻においては希少な当人同士のためのものだったな」
「そうだ。俺の両親が提案し、あちらにも一手間踏んでもらった。俺の不出来が理由で彼女から解消を求められ、応じた」
「で、自分が捨てた男が今度は一目惚れ説まで出るほど女に夢中になっている、と知って腹が立った可能性があると」
「……」
その女の身体でなにを言い出すのか。思わずギルヴァを睨むが、ギルヴァは堪えたふうもなく軽く笑う。
「なんだ? 俺に夢中か?」
「怒りが何度も湧いてくるほどには」
一切偽りなく言ってしまえばまた面白そうに笑う。全くこいつがどういう奴なのか分からん。
正直なシャルベルに笑ってギルヴァは頬杖をつく。
「で。おまえがその女とどういう時間を過ごしたのかは知らないが、恨まれるほどの心当たりはあるということでいいか?」
「……否定はしない」
「ふうん。ラウノアから聞くおまえとはまた違うな。それとも……だからラウノアには意識しているのか? 同じ轍は踏まないと」
「今の俺の気持ちに嘘はない」
「あれば蹴とばしている」
そう言って、軽く蹴るような真似をするギルヴァを思わず睨む。普段から慎ましいラウノアならばしない真似だ。
しかし、睨んでも一切怯むことはなく、むしろ不敵な笑みが返ってくる。
「バークバロウ侯爵家に丸薬と同じものがあったとするなら、侯爵家の誰かがそれを製作しているとみていいのか?」
「どうだろうな。侯爵家の誰かがそのアロマを誰かから入手した可能性のほうが高いかもな」
「とはいえ、それを調べるのが困難だ。そっちのキャンドルは? ……そもそも、そのキャンドルはどう入手した?」
「ジェラ領の店からラウノア宛てに贈られてきた」
ぎょっとする発言に思わずギルヴァを見る。
なぜ。誰から。浮かぶ問いを口にするより前に、ギルヴァに手を挙げてそれを制された。
それを見て、無意識に口を閉ざす。思考するラウノアの目を見てシャルベルも息を吐いた。
(落ち着け。ラウノアを想い、鋭い観察眼と情報を持つこいつならそれに関して調べさせるはずだ。俺にしろと言わないということは、こいつ独自の手段で調べているはず)
問いかけることは認められない。それが最初に取り交わした約束だ。
だからシャルベルは、思考する目の前の相手を見つめながら自分なりに考えるしかない。
(こいつは、丸薬のようなものは形を変えると言った。そして、俺に持たせたキャンドルは次の形。共通点は見えないが何か繋がりがあるこの二つ。……そもそも、この二つの何をヴァフォルが追ったのか分からないが、竜には分かる何か……。今そこに見えているのはバークバロウ侯爵家の陰と、製作者の姿。だがヴァフォルは区域に降り立った。区域は騎士が巡回する。不審な物の報告はこれまでにない)
肝心要は口にしない。それが目の前の人物とラウノアだ。おそらく二人はその何かを知っていて、それで言わない。
(丸薬は、それを摂取した竜使いが相棒竜に怪訝とされることがあった。そして口にした者は誰もが病を発症した。竜にはその要が分かるということか……)
しかし、人間にはただの丸薬、ただのキャンドルにしか見えない。その判別のために竜を町で動かすわけにはいかない。もっと確実な判別法を探すか、元を絶つか。
「ラウノアの婚約者」
「なんだ」
思案の結論が出たのか、ギルヴァの視線がシャルベルに向く。
「次については追って伝える。しばらくはラウノアと情報を共有しつつ、調べることを調べろ。人の動きを調べるのは面倒だが、ラウノアとデートのついでにでも見て回れ」
「……あまり気が休まるものにはならなさそうだな」
「だがラウノアとの時間は必要だろう? 頑張って信頼を得ることだ」
揶揄われているのか。それとも背を押されているのか。
分からないが前者な気がする。親切心で背は押さないという目の前の人物が口端を上げているのがその証拠だ。
それを見て取りシャルベルはため息を吐いた。
「分かった」
「では俺は戻る」
言うとすぐに立ち上がるギルヴァを見て、シャルベルも立ち上がった。当然のように入ってきたバルコニーの扉に向かう足に続きながら、来訪時から浮かぶ疑問を再認識させられた。
(公爵邸の警備を易々と抜けここまで来ることができる離れ業。ベルテイッド伯爵邸でも同様だろうもの。道中も言わずもがな。……一体どういう手を使っているのか)
フードを被ればもうその顔は見えない。見守っていたシャルベルはふと思って声をかけた。
「一つ聞いてもいいか?」
「なんだ」
「おまえはラウノアの秘密そのものだと言った。だが、ならなぜ俺の前に出てきた? 誰の前にも出ないことがラウノアのためであるはずだ。ただ俺の背を押すお節介でなくおまえのためだとしても、それはラウノアの意思に反しただろう?」
ラウノアの秘密そのもの。その秘密が今、こうして堂々と動いている。
本来ならばそれもラウノアは望まないはずではないか。誰にも見つからない確証があるのか。それ以上の何か理由があるのか。
考えても答えの出ないシャルベルはその眼差しを真剣にまっすぐギルヴァに向けた。
フードを被った頭がシャルベルに向く。その下に見える白銀の目は不敵な色を宿していた。
「――ラウノアのためだ。それ以外に俺が動く理由があるならそれは俺の問題だ。だが俺の問題はつまりラウノアの問題でもある。だから動く。それだけだ」
そう言うとギルヴァはバルコニーの戸をそっと開けた。シャルベルが瞬きをする間にその姿は消え、部屋からその気配が忽然と消える。
静けさと入ってくる冷たい風。感じながらシャルベルは息を吐いた。
途端に寒さを感じて戸を閉める。その際には外を警備する屋敷の騎士たちの姿を確認したが幸い周囲にはおらず、侵入者を告げる声も聞こえない。
無事にベルテイッド伯爵邸に戻ったようだと感じながら、シャルベルはベッドに座り込んだ。
「ラウノアのため、か……」
丸薬の製作者を見つけ出すことがどうラウノアのために繋がるのかは分からない。だがラウノアは誰も知らない病の原因を知り、治療法を知っていた。
(誰も知らず、ラウノアとあの男だけが知っている何かがラウノアの秘密だとするなら、それが今後の国や民に悪影響であるから排除しようとしているのか……。ラウノアがそう願ってもあの男がそれで動くとは……いや。ラウノアが望めば動くのか)
考えて重く息を吐いた。脳裏をよぎるのはラウノアの姿でありながらラウノアではない誰か。
(ラウノアへの愛は俺とは違うと言っていたが、ラウノアにとっては俺よりも遥かに信頼できる人物なのだろうな……)
そう思って少しもやっとしてしまって。自覚して驚いた。
あれは一体誰なのか。なぜラウノアの身体に別人格が存在しているのか。そういう病なら聞き知っているが、それにしてははっきりとしているし互いに情報共有までなされている様子。いつからラウノアと一緒なのか。なにを共有してきたのか。
気になることは山ほどある。あの男と会話をすればするほど気になって、けれど聞くつもりは一切なくて。
思考にきりがなくて、シャルベルはそのままベッドに倒れ込んだ。
眠れなくなりそうだ。明日も仕事なのにこれではよくない。
「……外出に誘ってみるか」
そうしよう。それがいい。
どうやって誘おうかと考えながら眠るために目を閉じた。