10,友の懸念は我が事
日が落ちるより少し早くベルテイッド伯爵邸に帰宅したラウノアは、早速明日のことを側付きたちへ報告した。
イザナはあんぐりと口を開け、マイヤも驚いた顔をみせる。冷静なのはガナフと、話を一緒に聞いていたアレクだけ。
「お、おお王女殿下からのご招待ですかっ……!? しかも明日! どうしましょう!?」
「落ち着いて、イザナ」
「そうですけれど王家との接触だなんて……!」
イザナが慌てふためくのも無理はない。理解しているラウノアは曖昧に微笑んだ。
断れない誘いだ。公爵子息であるシャルベルと縁ができれば学友であるライネル王子とも縁ができ、古竜の乗り手となれば竜好きのグレイシアと縁ができる。カチェット伯爵家にいた頃には想像もしていなかった縁の連続だ。
「マイヤ。持っている衣装から殿下との私的な茶会に着ていけるものを用意してくれる?」
「承知いたしました」
驚いていたマイヤだがすぐに仕事の顔をする。それを見たイザナもはっとした様子で背筋を伸ばした。
「それじゃあ、私はドレスに合う装身具を選びます!」
侍女としての顔をするイザナに「お願い」とラウノアも頷きを返す。そして、全員を見てするべき報告をもう一つ口にした。
「もう一つ。あの方がシャルベル様に協力を要請したこと、わたしも同意して製作者を突き止めることにするわ。今後はあの方もシャルベル様を訪ねることが増えると思うけれど、皆もどうか充分に注意を」
「「承知しました」」
秘密を守るのはラウノアだけではない。ギルヴァも同じであり、側付きたちもまた同じ。だからこそ情報を共有する。
三人だけの調査となれば行き詰まることもあるだろう。時間もかかるだろう。
それでもギルヴァが動くと決めた。それに協力するとシャルベルも決めた。ラウノアもまた、覚悟した。
(製作者に疑問を抱いているのはわたしも同じ。ギルヴァ様もきっと……)
頼もしい友の背が脳裏をよぎる。
気にしているはずだ。気になっているはずだ。それを晴らすための協力は惜しまない。
それから夕食の席ではクラウとケイリスにも明日のことを報告した。
ケイリスが唖然として食事の手を止め、クラウも僅か目を瞠る。いきなりすぎるお誘いだからこそラウノアもなんとも言えない顔をみせた。
「殿下とお茶……しかも竜の話って、えー……」
「意外か?」
「いや……。グレイシア殿下が竜好きなのは騎士の中でも知ってる奴多いし、よく竜の区域にも来てるからさ。でも、まあ、うーん。そうだよなあ。ラウノアに興味持ってもおかしくないよな」
「そのようだな。いきなりすぎて驚いたが、それを聞く限りじゃむしろ遅かったくらいなんじゃないか?」
グレイシアの様子からラウノアもクラウの言葉に同感を抱いた。ちらりとケイリスを見れば「たしかに」と賛同している。
古竜の乗り手が決まった頃はどこも騒がしく、病の流行でも動きが制限された。
グレイシア自身も感染していたが、それを知らないケイリスやクラウは病の流行が理由だとみている。ラウノアも口にすることはないので視線だけを動かした。
うんうんと唸っているケイリスを横目に、クラウはすぐに視線をラウノアに向けた。
「殿下のご要望なら応えないわけにはいかない。明日はしかと務めてこい」
「はい」
「俺も気になるけど、殿下と二人でお茶なんて機会ないだろうから楽しんできて」
「殿下の御前にそんな気楽に出られる奴がいるか。おまえという奴は……」
「兄貴は真面目ばって型どおりになりそうだよな。ほらもっと肩の力抜いて」
「おまえが抜きすぎてるんだろうが」
呆れと怒りと混ぜるようなクラウと軽く笑うケイリス。仲のいい兄弟の様子にラウノアも思わず笑みがこぼれた。
♦*♦*
明日のグレイシアとのお茶会に備えて休む、その前に――ラウノアは草原へと来ていた。
見慣れた緑の中。初めてここへ来てから何度足を運んでいるだろう。
空はいつでも晴れ渡り、風の音が耳を通り抜ける。身体は軽く、心が少し苦しい。
懐かしくて、落ち着く。不思議な場所。
一度だけ目を閉じて深く呼吸する。そしてゆっくり目を開いた。
「よお、ラウノア」
いつものように、いつの間にか現れたその人は草原の中に座っていた。
直接地面に座り込んで、自身の大きくてふわふわな尻尾を背もたれにするように丸めて優雅に寛いでいる。首だけ軽く振り返って、ラウノアを見てその金色の目が細められる。
病に罹ったグレイシアの治療を頼んでから、シャルベルと会ってから、こうして会うことを拒んでいた友が今はすんなりそこにいる。
ゆっくりと近づいて、ラウノアはこれまでどおりにその傍に座った。
「ギルヴァ様」
「言いたいことは分かってるが、聞かね」
隣のギルヴァが耳をぺたんと塞いでしまう。少しむっとしてしまうが当人がその気なら無駄だと分かっているので、ラウノアは小さくため息を吐いた。
諦めの表情にギルヴァは軽く喉を鳴らす。聞かれても答えないつもりはまだ変わらない。
見上げればどこまでも青い空。どこからか賑やかな声が聞こえてくるような気がして、ギルヴァは一度だけ瞼を伏せた。
しかしすぐ、その目は強く前を見据える。
「さて、ラウノア」
「はい。考えることはいくつかありますが、まず、わたしに贈られたあのキャンドルは、製作者自身からでしょうか?」
「どうだろうな。そうだとすれば突き止めればいいだけだが、そうでないとすれば、その仲介をした奴が持つ好悪の感情と場合によって手間が増える」
「……やはり、病流行時の噂、でしょうか?」
「頭のある奴ならバレねえようにする分探すのも面倒だ。今の状況で止まってるなら放っておけ。ガナフたちならその程度は見つけられる」
その指示を下すのはおまえ次第だ。そう伝えるような視線を受けてラウノアは頷いた。
表立ってのその行動は、目立たずを信条とする身に反することがある。手を出すか出さないかは見極めの上でなさねばならない。
「ギルヴァ様は……あの丸薬は故意であったと思われますか……?」
丸薬が広まった頃、この疑問はまだなかった。それがよいと評判で人々も助けられているならよいだろうと思っていた。
けれどそうではなかった。実際に手にしてそれがなんであるか解って、しかも、建国祭以降は突然販売がなくなった。
「丸薬が病の原因であったと王家も正式に公表しました。製作者ならば丸薬であっても他の何かでも製作を中止するかと思うのですが」
「まっとうな奴ならば名乗り出るってか? そうじゃねえってことさ」
口端を上げたその答えにラウノアも口を閉ざす。
ギルヴァは笑っているようで、そうではない。すぐに唇を真一文字に引き結び、その目は鋭く何かを睨んでいる。
「ギルヴァ様……」
「ラウノア。俺の懸念を話しておく」
そう言って、ギルヴァの口が音を紡ぎ出す。
重く。静かに。ゆっくりと。落ち着いた音が耳に入る。黙ったままそれを聞くラウノアは次第に目を瞠った。
隣のギルヴァを見つめる。その表情は静かで、けれど怒りに満ちているようで、泣きそうで、悲しそうで。
他の誰もいない、誰にも聞かれない話を、ギルヴァはラウノアに語って聞かせた。
「――……それが、俺の懸念だ。だから製作者は必ず突き止める。そのためにおまえの婚約者にも一役買ってもらうことにした」
なんと返せばいいのだろうと少し考える。けれど、ラウノアはすぐにゆっくりと頷いた。
「分かりました。ギルヴァ様の懸念はわたしにとっても他人事ではありません。わたしも製作者を突き止めることには力を尽くします」
「助かる。……悪いな。本来なら介入すべきじゃない俺の都合に付き合わせて」
「とんでもありません。ギルヴァ様の事は、わたしの事ですから」
力強くラウノアがそう言えば、ギルヴァはラウノアを見て口許を笑みに彩った。そんな表情にラウノアは首を傾げる。
「それ、婚約者にも言えるようになれ。ガナフたちになら言えるだろ?」
「……だから、シャルベル様にお会いになったのですか?」
「さあな。答えねえって言ったろ」
以前マイヤが言っていたことを思い出した。
側付きたちとシャルベルは違う。その違いを消すことはラウノアにとってはありえないこと。
ギルヴァの想いと自身の想いに、ラウノアは視線を下げる。すると、ぽんっと頭に優しいぬくもりが乗せられた。
「その意固地、秘密以外でも発揮できればいいんだがな」
「……ギルヴァ様も、こうと決めれば同じではないですか」
「おまえよりは柔軟なつもりだ」
納得できないという顔をするラウノアに笑って言って、ふわふわの尻尾をラウノアに擦り寄らせる。思わずもふもふと触れるラウノアにギルヴァは優しく目を細めた。
「それで、今日は何があった?」
「あっ。そうでした。実は――……」
♦*♦*
ぱちりと目が覚めてがばりと身を起こす。すれば近くに控える側付きたちも気づいたようにやってくる。
その気配を感じながら、ラウノアの身体に顕現したギルヴァはベッドを降りた。
「マイヤ。着替えだ」
「承知しました」
ギルヴァの指示にすぐさま服を持ったマイヤがやってくる。
天蓋の薄布は外からの視線の一切を遮る。その中で動きやすいよう寝間着から着替え直したギルヴァは薄布を越えた。
今夜、マイヤとともにギルヴァの傍に控えるのはガナフだ。扉の外には常と変わらずアレクの気配もある。
それを感じつつ、ギルヴァはマイヤの手から外套を受け取るとそれをまとった。
「出てくる」
「「いってらっしゃいませ」」
ギルヴァが出かけることは承知済みの二人は、恭しく頭を下げてギルヴァを見送る。
自室を出る前に魔力をまとって気配を消す。他者の目には条件付きでしか映らない徹底した対策を張ってからバルコニーへ出る扉から外に出た。
手すりに飛び乗って周囲に視線がないことを確認して、跳んだ。
屋敷の屋根に跳び、庭を駆けて、屋敷を囲む壁を飛び越える。
そしてギルヴァは一直線にギ―ヴァント公爵邸を目指した。