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15.対峙

 そのまま廊下を進んでいけば、すぐに人の声は聞こえなくなり、途端に周囲は静かになる。あれほどの喧騒が嘘のように静まり、他者がいないのだと強烈に意識させられる。


 気品あふれる建物内は、どこにでも価値の高い絵画や彫刻品などが置かれ、この建物を所有する王家の権威と品位を感じる。

 平均的で平凡な生家とも、贅沢を好まないベルテイッド伯爵家とも違う内装に、ラウノアは小さく息を吐いた。


(落ち着かない……)


 今夜の夜会で目立つことは想定済みだった。トルクと会うことも、心は重たいが分かっていたことだ。

 それでも、何事もなく穏便に済むはずだった。


(もうこれ以上、伯父様たちを巻き込めない)


 これは、自分が決着をつけなければいけないことだから。


 会場周囲は多くの騎士が警備をしている。ラウノアはできるだけ見つからないよう人目を避けて歩いた。


 メモを使い呼び出されたのは、会場から離れた、人の往来もなく、警備の騎士の姿は見えるが、控室よりも少し遠い部屋。秘密の話をするには都合がよく、逆に、呼び出されては自然と警戒してしまうような、そんな場所。


 完全に人の声が聞こえなくなり、靴音だけが耳に届くなか、ラウノアはその部屋に辿り着いた。

 部屋の扉を前にして出るのは、重いため息。


(一人。それでも、自分でなんとかしないと)


 いつもなら、ガナフたちがいてくれた。けれど今は違う。

 夜会への同行を申し出たイザナに、大丈夫だと告げて、留守番をさせた。ガナフもマイヤもなにも言わずベルテイッド伯爵邸で待っている。使用人を同行はさせられず、同行したのはアレクだけ。そんな彼も、今は従者の控えの間にいる。

 アレクを呼びにいくことはできる。だけど、それはしない。


(一人で、対処できるようにならないと)


 それは、ベルテイッド伯爵家に来てからずっと、思っていること。

 いつかは来る、側付きである彼らとの別離のために、しなければいけない準備。


 警戒しながらも、ラウノアは目の前の扉をノックした。「どうぞ」と中から聞こえた言葉を受け、扉を開ける。


「やっと来たわね。遅かったじゃない」


 そこは応接室のようだった。広すぎない室内にはテーブルとソファ。調度品が置かれ、華やかさには欠けるが、品があり静かな周囲によく合っている。

 そんな室内、ソファに腰掛けているのは、カチェット伯爵家の居候、ターニャ、メルリ、マーキの三人。三人とも、カチェット伯爵家にいた頃と変わらず、強い視線をラウノアに向け、尊大な態度でそこにいた。


 ターニャたちはあくまで居候であり、夜会に出られるような立場にはない。だからこれまでも、トルクが三人を伴い社交界に出たことはなかった。

 そんな彼女たちが今、ここにいる。


 頭が冷静になる反面、嫌な予感が胸をよぎるラウノアの後ろで、ゆっくりと扉が閉まった。


「何か用ですか」


「相変わらずつまんない女ね」


 席を立ったメルリは鼻を鳴らしながらラウノアに近づく。

 ずかずかと歩み寄ってくる足に、無意識に身を引こうとしても背後は扉。逃げ場はなく、ラウノアの前にメルリが立ち塞がった。


 化粧をした顔と着飾ったドレス姿。トルクにねだったのか、その身を飾る品々はどれもそれなりの値がするだろうと思われる物ばかり。

 そうした品々は、十七歳というメルリの年齢に、大人びた印象と艶やかさを加えている。


 しかし、今、ラウノアを見る目は欲に満ちた濁った目。


「あら、ラウノア? どこかの家の養女になったわりに、貧相な見た目は変わってないわねえ? まともなドレスの一着も買ってもらってないのかしら? 可哀想」


「ベルテイッド伯爵様にはよくしていただいているわ」


「そのわりになに、その地味なドレス。私はトルクおじさんにこんなにも素敵なドレスを買ってもらったのに」


 くるりとその場でドレスをなびかせる。可愛らしいレースやフリルが存在を主張し、淡い色合いは確かに可愛らしい印象を与える。ラウノアならば、まず選ばないドレスだ。似合う似合わないではなく、目立たぬという心情に不釣り合いであるが故に。

 しかし、それを着こなすメルリは確かに、そのドレスがよく似合っているし、それはラウノアも否定はしない。


 自慢に対しなんの反応も示さないラウノアに、メルリは不愉快を表情に浮かべた。その後ろでマーキが組んだ足の上に肘をついてラウノアを見た。


「姉さん。ラウノアは地味なドレスを着て、他の貴族にもきっと散々に言われてるんだよ。家を出ていった娘とか、親に捨てられたとか、伯父に連れて行かれたとか」


「伯父様はわたしを想って行動してくださっただけよ。侮辱は許さない」


 ラウノアが睨んでも、マーキは馬鹿にしたように笑うだけ。


 なにを言っても無駄だ。会場での噂話をターニャたちは知らない。

 目立っているのはラウノアだけではない。カチェット伯爵家も同じなのだ。


「……それで、わたしに何か用ですか?」


 話を切り替えたラウノアに対し、メルリは眉間に皺を寄せた。あからさまな不機嫌の表情を視界の端に収めつつも、ラウノアはソファに座るターニャを見る。

 その視線に不愉快を滲ませつつ、ターニャは視線で自分の前の席を見やる。意を察し、ラウノアは仕方なくその席に腰を下ろした。


 目の前にターニャ。その隣に座るメルリ。マーキは席を立つと、話には加わらないというようにラウノアの後ろの壁に背を預けた。

 室内に落ちるのは張りつめた空気。しかし、それを放つのはラウノアであり、ターニャたちは普段通りの調子を一切崩さない。


 一体、なんの話をするつもりなのか。この面々がいるということはいい話ではないだろう。

 だからこそ、ラウノアは早々に話を進めることにした。


「用件は?」


「愛想のない娘だこと。トルクさんはそんなことはないというのに、誰に似たのかしら」


 ため息交じりのターニャの言葉にも表情を動かさず、ラウノアは用件を待つ。

 変わらないラウノアの態度にターニャは不機嫌を顔に出し、メルリも不機嫌をさらに増長させた。


「警備してるって騎士も、あんたとそっくり。本当ムカつく。私たちはカチェット伯爵家の人間になるのに」


 苛立ちを隠そうともしない態度に、ラウノアは得心した。


 ターニャたちは、カチェット伯爵家の名を使い夜会に入ろうとしたのだろう。しかし、当主もおらず、招待状も持たない者を騎士は決して通さない。

 おそらく今も、トルクに確認をとっているはず。だから、ターニャたちは会場から離れたこの部屋に通され、待つしかない。


 そこで、ラウノアに対し接触を図ってきた。

 騎士の目をかいくぐり、会場に入る給仕にメモを渡すくらいのことはできたというわけだ。


(だけどそれも、父様に知られるまでの間だけ)


 知られれば、トルクと一緒に城を出されるだろう。それが貴族に知られれば、カチェット伯爵家の名に傷をつけ、本当に家の者となった時に悪評になりかねない。


(騎士が父様に確認をとるまでの間……。あのメモを私に運んだ手間からしても……たぶん、すぐに父様はここに来る)


 すでに向かっているかもしれない。もしそんなトルクに会い、それを貴族に見られてしまえば、家を捨てたと罵られている身としては、いらぬ噂を流すことになりかねない。

 となると、早々に退散する方がいい。


「用件は」


 再三の問いに、ターニャは鋭い視線でラウノアを睨んだ。その怒りの感情を確かに読み取り、ラウノアも無意識に体に力がはいる。

 僅かな睨み合い。やがて、ターニャは二枚の書状をテーブルに叩きつけた。


「あなたのせいで、私たちへの相続が認められないのよ!」


 相続もなにも、ターニャたちは居候でしかない。頭の中ではすでにカチェット伯爵家に入った後のことを考えているのか。

 怒りとも呆れともつかない感情を抱きながら、ラウノアは叩きつけられた書状を見た。


「あなたを追い出したまではよかったのに! トルクさんは、家督を『正統なる者に』と明記したわ! 王家が認めれば私たちに転がりこんでくると思っていたのに、あなたという実子がいるから王は認めないの!」


 一枚は、養子縁組に関する契約書。

 もう一枚は、王家からの家督一切の相続と爵位継承に関する否認状。


 契約書にはトルク・カチェットの名と、グランセ・ベルテイッドの名が書かれており、家同士の取り決めとして養子縁組に関するいくつかの要項が記されている。これは、養子縁組後の元家の相続に関する争いを回避するため、両家が事前に取り決める内容だ。


 ラウノアは、もう、カチェット伯爵家に戻ることはないし、相続一切は放棄しているつもりだ。

 だから、ターニャの言葉に怪訝としつつも、書類の文言を目で追った。


 ――『カチェット伯爵家に関する権利は、正統なる者に』


 確かに、そう記されている。その文字はトルクの筆跡だ。

 そして、もう一枚の王家の書状には、ご丁寧に、「相続一切の権利の譲渡は認めない」との文言が記されている。


(どういうこと……? どうして出ていったわたしに……? いえ。これは家に入った者へということ? だけど、そうなら父様とターニャが再婚すればそれはメルリかマーキになるはず。それでも、王家は認めていない……?)


 思わぬことにラウノアも混乱した。


 トルクが記したこの文言、果たしてどちらの意味なのか。

 そして、なぜ、マクライ王は家督をメルリかマーキへ継がせることを認めないのか。


 爵位及び家督の相続には国王の承認が必要だ。相応の理由がなければ否認されることはなく、多くの貴族は自分たちで後継を定め、多くの場合は問題なく国王にも認められている。

 だというのに、カチェット伯爵家が、その輪から外れた。


(陛下は、伯父様の直談判でわたしが養子になることを承認なさった。カチェット伯爵家の後継が不在となるのはご承知のはず。それなのにどうして……)


 それとも、養子縁組において両家が決めた『正統な者』としてカチェット伯爵家の血を引くラウノアがいるからなのか。権利がラウノアにあるということは、ターニャたちが家に入っても権利の一切はなく、今と変わらないということ。たとえトルクと婚姻しても、それは形だけとなる。

 しかしその場合、間違いなく、こうして元家との問題となったわけであり、それは養子縁組を決める上での決まりに反することになる。


「これは、カチェット伯爵家当主代理に直接お伺いしなければ真意は分かりません。すぐにでも――」


「あなたがいなければいいの」


 不意に、ターニャとメルリの口元が歪んだ。


 一瞬、その言葉の理解が追いつかずターニャたちを見つめるラウノアに、ターニャは三日月の口で続けた。


「正統な者がいなければ、王家だってトルクさんだって認めるしかないでしょう? トルクさんもいつまで経っても婚姻に頷いてくれないのだもの。……まあ、頷いてくれなくても、私だってただの伯爵家に収まるつもりもないけれど。まずは、足場が大事よねえ?」


 にやりと歪んだ口元に、悪寒が走ると同時に猛烈な怒りが湧いた。

 はじめて表情を変えたラウノアを見て、ターニャは嘲笑う。


 この娘は分かっていない。

 なぜ、自分が家を出ることになったのか。なぜ、トルクがあれほどの態度をとるのか。


 実に愉快だ。同時に不愉快だ。

 トルクは簡単に動いたのに。きちんと外堀は埋めたのに。不備はないのに。最後の最後に邪魔が入った。


 しかしそれも、排除するのは至極簡単。

 常にラウノアの傍に居る護衛は、今はいない。


「あなたはっ……!」


 拳を握りしめ、怒りが胸の内を占めるなか、ラウノアはターニャを睨んだ。

 しかし、目の前の笑みが崩れることはなく、がっと後頭部を襲った衝撃と痛みに、ラウノアの意識が奪われた。


「さようなら。愚かな娘――」






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