4,二人が一人へ向けるものの違い
「使いたいなら使えばいい。――それがラウノアを守るためなら、俺はいくらでも使われてやる」
静かな室内に、静かだが揺るがない意志が光る。
ギルヴァは表情を変えることなく、ただじっとシャルベルを見つめた。両者の視線は逸らされることなくぶつかり合い、やがて、ギルヴァのふっと漏れた吐息で打ち消された。
「それを示せ。ラウノアを納得させられるのはそれだけだ」
「……わざわざそんな発破をかけるために来たのか?」
「はっ。俺はそこまで暇じゃない」
そんなわけがあるかとでも言うようにひらりと手を振り、ギルヴァはすっと銀色の瞳を細めた。
「例の病の原因になった丸薬、その製作者について知っていることを全て教えろ」
それまでとは違う、遊びから本気に変わったような声音から出てきた言葉にシャルベルはギルヴァを見返した。
丸薬については王城の研究室で調査されたが、詳しいことは分からずじまい。それを作った製作者もまだ見つかっていない。売り手であったコルドは病によって亡くなり、手がかりがなくなった。
(病の原因になった丸薬、ではなく、その製作者について、か……)
理由など聞いても目の前の相手は答えないのだろう。分かっている。聞くつもりもない。
しかし、情報を他者に簡単に口にできないのも事実。
「おまえが誰でも、ラウノアでも、情報を明かすことはできない」
「騎士団の守秘義務か」
「そういうことだ」
騎士団において調査がされた事案だ。関係することは口外できないのが決まり。
それを知っているのか理解しているのか、目の前の人物はラウノアならまずしない舌打ちをした。
「俺ならそいつを見つけられるとしても?」
「それをすればおまえのことが表に出かねない。それはラウノアが望まないはずだ。させるわけにはいかない」
「このまま放置すれば、丸薬のようなことが次もまた起こらないとも限らない」
「王城の薬学室とも協力して研究が進められる。体制も規制も見直されるだろう」
ギルヴァの目が鋭く光ってシャルベルを睨む。その眼光に妙な威圧感を感じつつもシャルベルとて受けて立った。両者の間に沈黙が落ちる。緊張と火花を感じさせる睨み合いは長いようで短いような感覚で続いた。
ため息を吐いて睨み合いをやめたのはギルヴァだった。
「……そういう男らしかったな」
「? どういう意味だ」
「さあな。……まあいい。なら、今後は俺が今から言うことに注意して調べろ」
睨み合いの勢いが薄れた白銀の瞳がシャルベルを見つめる。
ラウノアと同じ、何かを知っているらしい人物からの忠告にシャルベルも無意識に背筋が伸びた。
「物にばかり気を取られるな。製作者自身が動く場合もある。そいつが使う物、使わせる物、どれもが呪いになりえる」
低く重く、警戒を促す声が刻み込むように放たれる。
病の原因は丸薬であった。それは動かしようのない事実だ。
(だが、ラウノアもこいつも、それ以上のなにかを知っている)
だから、誰にもなにも言わない。言えない。
少しだけでもそれを知っているから、目の前の人物の言葉が少しだけ解る。
「丸薬が直接的な理由ではない……そういうことか?」
「薬は一つの形にすぎない。どんな形にもなりえる」
「待て。そうなると――……」
出かけた言葉が、ギルヴァのその目を見て止められる。
それまで余裕を滲ませシャルベルを面白がっているような態度だった相手が、今は心底憤りを見せるように白銀の瞳を燃やしている。
その静かだが激しい熱が口を閉ざさせる。肌を刺す痛い程の刺激は、まるで怒る竜を前にしたときのようだ。
(こいつの言うとおりなら騎士団で調査をしても追いつかない。まして、丸薬のように一目見てそうだと分かるものでもない。同じことを繰り返す)
そうなると一刻も早く製作者を見つけ出さなければ。だが、それに繋がる情報がなにもない。何かを知っていそうなのは、目の前の人物だけ。
何を知っている。どれだけの情報を得ている。
そう、聞いてしまうのは簡単だ。だがシャルベルは唇を噛み、一度大きく呼吸した。
「俺とおまえとラウノア。三人で製作者を探し出す。それならどうだ」
すべきこと。できること。瞬時に考え導き出された提案にギルヴァは呆れの表情を向けた。
「阿呆か。おまえ、今度こそラウノアに婚約を解消されるぞ」
「そんなことをするつもりはない。それに――悪くはないはずだ」
真剣なシャルベルの言葉にギルヴァもふむ……と考える様子を見せる。引くつもりがないシャルベルもその熟考を見つめた。
長いような短いような沈黙が流れ、夜の静けさが一層に際立つ。呼吸の音さえ憚られるような空気の中、その存在は小さく息を吐いた。
「……まあいいか。ラウノアがそうすると決めたらそれはそれだ」
答えが出たギルヴァは身軽にベッドから立ち上がる。足音をたてずシャルベルに歩み寄ると、その真剣な眼差しでシャルベルを見上げた。
「調べ物はおまえが動くのが適任だ。報告は俺とラウノア、両方にしろ。俺とラウノアはおまえにはなにも教えない。それでいいなら協力関係を結んでやる」
「……いいだろう」
一方的な関係にシャルベルの眉が僅か動く。しかし反論はなく、その様子にギルヴァは小さく笑った。
シャルベルは頷くしかない。なぜならば、それがシャルベル自身が決めた誓い。
(俺もラウノアも、だからおまえを利用する。そうでなくなることがラウノアのためにはいいことだが……)
今のラウノアはまだどこまでを信じていいのか迷っている。ギルヴァはそれを解っている。そのうえでラウノアとは違う方法をとる。
もしもラウノアの心が定まったなら、そのときは、利用するのではなく協力という本当の形を築けるかもしれない。
「それで、まずは何を調べるつもりだ」
決まれば動きを決める。無駄を挟まないシャルベルにギルヴァはすぐに答えを出した。
「丸薬直後だからな、同じように流通してる物はまだないとは思うが……。その点を調べろ。それから、おまえの相棒に協力してもらう」
「ヴァフォルに? 何をさせるつもりだ」
「明日時間をつくって、これを持って飛べ」
差し出された手に自分の手を出せば、掌の上に小さな欠片が乗せられた。
感触からして蝋のようだ。その破片らしいそれにはとくに変わった点はない。
「これをどうしろと?」
「おまえの相棒に「追え」と命じればいい。それで竜は解る」
要点を得ない言葉に首を捻るしかない。しかし、それを詳細に問うても答えはないだろう。
目の前のラウノアの姿をした何かは、試すように自分を見上げている。
それを見て、ラウノアの覚悟の眼差しを思い出す。
思わずぎゅと蝋の破片を握りしめた。
「――分かった」
その答えに、目の前のラウノアは託すように微かな笑みを浮かべた。
♦*♦*
朝。マイヤに起こされたラウノアは急いで身支度を終えてから朝食を摂り、自室に戻ってギルヴァからの手紙を読んだ。
読んで――言葉を失った。
(どうしてそうなったのですかっ……!)
キャンドルに込められていた魔力の『質』と丸薬に込められていた魔力の『質』が同じだとギルヴァが感じ取ったことで、作った人物が同じだと分かった。そこまではいい。
どうにも昨夜、ギルヴァはそのままシャルベルのもとへ行ったらしい。そして製作者を突き止めるために協力関係を結んだと。
そこまで読んで、頭を抱えた。
(ギルヴァ様が動かれることはそもそもにわたしが見つかることになるリスクが高いとは分かりますが、なぜそこでシャルベル様にっ……! 騎士団での調査情報のため? アレクでも見つけるのは難しい状況だから解らないわけではないけれどっ!)
だとしても。秘密に足を踏み込んでいるとしても。
これでは本当に、いいように利用しているだけだ。
そう思って、どうしようもなく胸が痛む。
「お嬢様。大丈夫ですか?」
「イザナ……。あの方はどうしてこう最近、予想もできないことばかりなさるのかしら……。会ってもくださらないのよ? シャルベル様まで巻き込んでしまうなんて、もしものことがあったら……」
重いため息が出るラウノアを傍で見つめ、イザナは首を傾げた。
ラウノアの懸念はもっともなものだ。それは側付きたち全員が理解するもので、だからこそギルヴァの行動には驚きも抱いた。けれど――……
「うーん……。巻き込んででも協力しようってことでしょうか?」
「協力……? そんなの……」
当然のことを言いかけて、言葉が途切れた。
利用するばかりで。協力するとなるとそれは、利用するとはまた違う。
(そうなるとそれは、シャルベル様だってある程度を知っていることになる。今はまだ引き返せるからこそ、これ以上踏み込ませるなんて……)
そう思うのに、友はそうしてくれない。
友の顔が浮かんで。シャルベルのまっすぐな目が思い出される。
「私たちも、ギ―ヴァント公爵子息様をどこまで信じていいのか、正直なところ測りかねています。お嬢様のご心痛はお察ししますし、あの方の奔放さには信じようとさせられます。……あの方もきっと、知りたいのだと思います。あの方はいつだってお嬢様を大事に想われておられますから!」
ギルヴァはシャルベルを知らない。知っているのはラウノアが伝えたことだけ。
だけれど、ギルヴァは共に秘密を背負う人。ラウノアだけの判断に頼れない人。情報源が限りなく少ない人。それでも、想い、信じてくれる人。
「これまではわたしがお伝えしたことで納得してくださったけれど、やっぱり婚約者は違うということかしら……」
「かもしれません。私たちだってお嬢様の婚約者はきっちり見極めたいですからね!」
「ふふっ。皆の気持ちも解るわ」
きりっとした表情で拳をつくってやる気を見せるイザナに、ラウノアも思わず笑った。
不安なときも心配なときも、イザナはいつもこうして元気を引き出してくれる。それに何度救われたか知れない。
幼馴染である侍女と目を合わせ、互いに笑みがこぼれた。