3,二度目は笑みを携えて
夜の空に月が浮かぶ。冬の張りつめた空気を照らす月の明かりが窓から射しこみ、青白い光はキャンドルを美しく照らす。
細い指が持ち上げたキャンドルはくるりと自在に弄ばれ、指先が蝋をそっと撫でた。寝間着姿で椅子に座るラウノアはふわりと口角を上げる。
月明かりが照らす窓辺の机。その上にキャンドルを置き、傍に置いてある袋の中から丸薬を取り出す。小さな粒を指先で挟んで見遣った。
机に置いた二つを見つめ、ラウノアは読み終えた手紙に視線を戻す。
「イザナ。便箋」
「はい」
慣れた様子の命令を受けたイザナはすぐさまそれに応じる。
イザナが差し出した便箋を受け取り、ラウノアの身体に顕現したギルヴァはペンを手に取った。さらさらとその便箋に記すべきことを書き記していく。
その様子を見ながら、イザナは同じように控える父親をちらりと見た。ガナフもその視線に気づきながらゆっくりと首を横に振る。
それを受けたイザナは両手を握り合わせ、迷いのある視線でギルヴァをそっと見つめる。
「イザナ。許す。言ってみろ」
「! は、はいっ……! 若様、その、それは丸薬と同じものなのですか……?」
心配するイザナの視線に気づいていたギルヴァは、声を潜めながらも心配を隠さないイザナの様子に小さく笑った。
こうしてラウノアを想う者がいる。それがなによりもラウノアには必要なもの。
ペンを動かす手を止め、ギルヴァはイザナとガナフを振り返った。
今夜の控えはこの二人。親子としての様子を見る機会の少ないギルヴァは、この二人が揃っていることにささやかな微笑ましさを感じる。
「おまえたちの懸念どおりだ。これと丸薬の魔力の『質』は同じ。つまり、これを作った奴は丸薬製作者で間違いない」
「やっぱり……。えっと、魔力の『質』は人によって違うんですよね? それは触れないと分からなくて、相手の『質』を詳細に理解把握できていれば魔力を感知するときに『質』も感知できるけれど、それは難しいと」
「そうだ。『質』を触れずに感知できるのは、俺が知る中じゃ俺を除いて父上だけだ」
「若様の御父上……。さすがです!」
「当然だろ?」
イザナの純粋な賞賛に口角を上げて喉を震わせる。普段に見ることのないラウノアの姿だが、ガナフは冷静に「若の御前だ」とイザナを窘めた。
はたと側付きらしく控える態度に戻るイザナを微笑ましく思うギルヴァの前で、今度はガナフが問う。
「しかし若。そうなりますと……」
「嫌がらせにするつもりは毛頭なかったんだろう。ラウノアの手元に確実に届けば後は火をつけて終わり、ってな」
「やはり、それを送ってきた人物は――」
ちらりとギルヴァの視線が手紙に戻る。
(もう少し情報がほしいな……。とはいえ、丸薬製作者はアレクの鼻でも見つけられてないとなると俺が出るほうが早い。だが、その分ラウノアに夜間の疲労まで蓄積させる上、突き止めた後が厄介だ。ラウノアが堂々と調べ回るわけにはいかないとなると……)
つらつらと考えていたギルヴァが不意に立ち上がった。それを見てガナフとイザナの視線も動く。
「若様。どうされましたか?」
「ちょっと出てくる」
「えっ!? ど、どちらに?」
外に出るなど、ラウノアの頼みでもない限りは珍しいことだ。ほいほいと出ていって万が一見つかればという危険を理解しているのがギルヴァであるからこそ、予想できる外出目的がないイザナは慌ててガナフを見た。
「若。調べ物でしたら我々が……」
「いや。俺が行く。――イザナ」
「は、はい!」
すぐさま支度のため動きだすイザナを見ながら、ガナフは一歩ギルヴァに近づいた。
「若。くれぐれも……」
「分かってる。ガナフ。今後はしばらく俺も外出が増えるだろうが、その点はラウノアにも知らせておく。得られる情報も少しは増えるだろう」
「承知しました。して、どちらへ?」
イザナが音を忍ばせ着替えと外套を持ってくる。ベッドの天蓋の内側でイザナの手で着替えを済ませ、上着を羽織った上に外套をまとう。
フードを深くかぶって支度を整えたギルヴァはバルコニーの扉を開け、ガナフとイザナを見て不敵に笑った。
「行ってくる」
「「いってらっしゃいませ」」
♦*♦*
とんっと、他者には見えない影がバルコニーへ降り立つ。ふわりと外套の裾が揺れても、見回り中の騎士たちがそれに気づくことはない。
月明かりに照らされても気づかれることのないその影はバルコニーから室内に侵入しようとし、鍵がかかっているのを見て、鍵に触れるように枠に触れた。
すると、鍵がひとりでに動いて開く。
そしてその人物は堂々と室内に侵入した。
明かりの落とされた室内は広い。大きなベッドや壁沿いには多くの本が収まる書棚、テーブルやソファなど、必要な物のみが置かれた部屋は質の良い物に溢れている。
明かりがないので分かりづらいが、華やかさよりも落ち着きのある濃い色合いのようだと横目に見つつ、迷わずベッドに近づいた。
ベッドで眠っているのは男だ。過去一度だけこの目で見た顔に間違いない。
屋敷の場所を知るのは難しくない。王都にある貴族の邸宅はラウノア同様頭に入っているのだから。
ベッドで眠る男を見て、さてどうしてやろうかと考える。今はまだ気配を魔力で隠しているので、騎士という仕事をして気配に敏感だとしても気づいていないのだろう。
となると……と考えて、まとっている魔力を取り払ってみる。……まだ反応はない。自宅で眠っているとなると少々鈍いか。
そう考え、とんっとベッドに腰掛けてみる。柔らかなベッドはその重さを受けて僅か沈み、その些細な振動が眠り人にも伝わる。
と、その瞼が震えた。開いた瞼の下で青い瞳が動く。
その目が傍にいる誰かを映したとき――シャルベルは反射的にベッドから跳ね起きて距離を取った。
余計な言葉は紡がず、すぐに警戒体勢をとる。そんなシャルベルを見て侵入したギルヴァは喉を震わせた。
外套をまとってフードを被り喉を震わせている侵入者。おかしな相手に警戒しつつ、シャルベルはその眼光を鋭く睨んだ。
シャルベルからの警戒を痛い程肌に感じながら、ギルヴァはフードをとってシャルベルを見る。侵入者の正体にシャルベルも目を瞠った。
「警戒はそれくらいにしろ。ラウノアの婚約者」
「おまえは……」
見た目はラウノアだがその言葉も、まとう空気もなにもかもが違う。それが以前一度だけ会ったことがある何者かだと解ったシャルベルは少しだけ警戒を解いた。
しかし、近づくにはまだ相手を知らない。その場で立ったまま動かず、シャルベルはギルヴァを見た。
「何用だ」
「ラウノアとはなんとかうまく続いているようだな。発破をかけた甲斐があった」
ははっと楽しげに笑う相手にシャルベルは眉根を寄せる。
素直な反応というべきか。相手にする気がない余裕というべきか。どちらもラウノアには感じないものは、ラウノアの見目であることもあって違和感しかない。
ラウノアではないのに自分とラウノアのことをよく知っている何者か。分かるのは、この相手は敵ではないのだろうということ。
一度息を吐いたシャルベルはやっと動き出す。警戒を解いて、ベッドに腰掛けるラウノアの正面になる壁に凭れた。
「名は?」
「この身体の名はラウノアだ」
「どうやってここに来た?」
「走って壁を飛び越えて」
まともな話ができない気がした。シャルベルがぴくりと眉を動かすのを暗い室内でもはっきり認め、ギルヴァは喉を震わせる。
「今苛立ちを覚えただろう。騎士団ではそのたびに部下に鉄拳制裁をくだしているらしいな」
「よく知っているな」
「ははっ。気持ちは分かる」
分かるならやめてくれないだろうか。
楽しそうに笑う顔は最近のラウノアには見ない。それを見せるのはラウノアではない何者か。嬉しさとそうではない感情が胸をかけめぐる。
視線を逸らし、シャルベルは仕方なく問いを考えた。
思案の原因はベッドに腰掛けたまま悠々と欠伸をしている。一応大口を開けないのはラウノアの身体であるという意識があるからなのか、そんな関係のないことが頭をよぎり、ふと思い出した。
「礼を言っていなかったな。おまえのおかげで気づくべきことに気づくことができた。ラウノアとのことも、感謝する」
「誤解するな。俺はただのお節介でおまえを後押ししたわけじゃない。――俺も、おまえが使えるかと思ったからそうしただけだ。そうでなくなれば用はない」
足を組んで肘をついて、不敵な笑みがシャルベルを見る。その銀色の目をシャルベルも逸らすことなく見つめ返した。
ただの親切心。
ラウノアが抱える秘密がなにかあるのだと知って、それを知っているらしいこの相手がただそれだけで動くとは思えなかったのも事実。そしてそれは平然と肯定された。
使えそうだから使う。使えなくなれば、用はない。
(つまり――……踏み込む覚悟を持てるか、否か)
何度もぶつかってきた壁だ。だが、もうそれに対する答えは出ている。
だからシャルベルは目の前の存在をじっと見つめた。
その身体はラウノアだ。その声もラウノアだ。目の前の存在もそれを肯定した。身体はラウノアのものでも中身は違うのだと。
なぜ、そんなことが起こっているのか。ただの病で収まる話ではないはずだ。
(ならば、こいつは何者なのか……)
最大の疑問。それが今、目の前で余裕を醸し出してシャルベルの目を見返している。
(ラウノアは慎ましく、所作もしかとした人だ。目の前のこいつは言葉遣いも男のものでラウノアとはあまりにも違う。……だが、なんだ。この違和感は)
優雅に肘をついてこちらを不敵に笑って見つめてくる相手。笑っているように見えても目はそうではない。
こちらが探っているように、探られている。そう感じられてシャルベルは一度視線を逸らした。
(聞きたいことは山ほどある。だが……)
そっと瞼を伏せた。浮かぶのは、婚約を解消するべきだと泣いていた彼女。
この身に刻んだ誓いは、他の誰でもない、ラウノアのために――。
だから、シャルベルはゆっくりと瞼を開いてギルヴァへ視線を向けた。