36,関係をもう一度
ケイリスを通して要請を受けたラウノアは、翌日には早速、騎士団にある竜の広場へ向かった。馬車を降り、敷地内を歩き、竜の広場への門をくぐる。
そうして見える景色は、人間の事情などなにも知らない関係ないという、竜たちののんびりとした空間だ。
無意識に、大きく息を吐く。
そしてゆっくりと古竜の竜舎へ向かった。
「ラウノアさん」
「オルディオ様。お久しぶりです」
古竜の竜舎には世話人であるオルディオがそれまでと変わりなく仕事をこなしていた。そんな姿にほっとしつつ、ラウノアも駆け寄る。
手を止めたオルディオはラウノアを見つめ、思わずというように笑った。
「こうしてお会いするのも久しぶりですね」
「ふふっ。はい。ラーファンを飛行させた後、わたしも世話仕事を始めてよろしいですか?」
「ええ、もちろん。古竜はまだ広場の方にいると思います」
礼を言って、竜舎から広場へ足を踏み入れる。
奥まで行かなくていい。古竜はもう気づいているはず。
ふっと息を吐いて、広場を見回す。
ところどころで寛ぐ竜たち。冬の寒さにも強い竜たちだが日向を好んで戯れている。
見つめて、そっと瞼を閉じて集中する。
ギルヴァに訓練をつけてもらっている成果は、時折こうして実践してみる。
(うん。感じる……。数も変わりない)
集中を切って瞼を上げる。広がる光景を見つめて無意識に口許が緩んだとき、肌を刺す刺激と風を感じた。
強靭な翼が風を生み出し、黒い竜が降り立つ。
「ラーファン。遅くなってごめんなさい」
まずは謝罪を。それを受けた古竜は頭を下げてラウノアを見つめる。
「人間側の事情といいますか……本当なら、もっとわたしにできることがあったことに、うまく立ち向かえなくて……。それに、自分のことがよく解らなくて……」
少し気が緩んで、言葉が上手く紡げない。
そっと寄せる頬を撫でている間、古竜の目はラウノアを見つめていた。
古竜に人間側の事情など関係ないし、知らない。乗り手が来てくれないことだけが不満で、けれど事情があるのだということは理解している。それに、古竜の乗り手は人間たちにとっても少し複雑らしいと、古竜なりに理解はする。
しかし古竜からすれば、自分の乗り手が乗り手に選ばれることなど当然のことでしかない。かつてギルヴァを自分の背に乗せた、それと同じ。
今はここに古竜の意思がある。だから古竜はラウノアのことを考え、事情も思考には入れる。
だからなんとなく分かる。ラウノアが言葉にしづらそうにする内容は以前相談された件であろう。しかしそれは、なにも彼女のせいではない。
「ラウノアさーん。お久しぶりでーす」
「ルインさん」
少し離れて立っている騎士はその隣に赤い鱗の竜を連れている。古竜から見ても他の竜使いや騎士の中ではもっとも素質がある人間である。
そんなルインは古竜を意識して離れた距離を保ったままラウノアに声をかける。
「んじゃ、飛行訓練始めますか」
「はい。――ラーファン。今日は飛行をしましょう。……えっと、わたしはまだ乗れませんよ?」
古竜ががっかりしたような様子を見せたのでラウノアは頬を掻く。
飛行訓練と言うと毎回この反応だ。古竜の背に乗れるようになったほうがいいらしいと思いつつも、そんな練習をしようと約束を交わしたのを思い出して、胸が痛んだ。
古竜の飛行訓練はさほど難しいものではない。乗り手を乗せての戦闘訓練をしない古竜は区域上空をのんびり飛ぶ。
ルインの相棒竜とともに飛行速度を競ったり、じゃれながら飛んだりもするなど基本は自由行動だ。その最中で「右」「左」「旋回」「降下」「戻れ」などと指示を出して指示どおりに行動させる。
他の竜使いの指示には気まぐれに応じる古竜だが、ラウノアの指示には即座に応じる。
古竜が飛ぶと広場でのんびり過ごす竜も飛ぶことがあり、同時に飛行訓練ができるので、乗り手のいない竜の飛行訓練のためにも古竜の飛行訓練を要請されることも少なくない。
今日もそんな訓練を行い、終了した古竜は竜舎の前でのんびり昼寝を始めた。
そんな古竜を見つめつつオルディオと仕事をしていたラウノアは、やってきた来客たちに仕事の手を止めた。
親し気に手をあげながらやってくるのはレリエラだ。その後ろには数名の騎士がついている。数少ない竜使いたちとは少々面識と交流があるので竜使いでないことはすぐに分かったが、ならばなぜここにと疑問が浮かぶ。
「ラウノアさん。少しいい?」
「はい。どうされましたか?」
レリエラは普段どおりだ。ラウノアに微笑みを向けてから少し眉を下げ、後ろにいる騎士たちへ視線を向ける。
「彼らがね、ラウノアさんに言わなくちゃいけないことがあるの」
騎士からの話にあまりいい覚えはない。困惑を露にするラウノアの後ろでは、アレクが少しだけ眉を寄せた。
これまでも騎士たちからはいろいろと言われた覚えがあるラウノアと同じように、護衛に務めるアレクもそれらは聞いてきた。その度に剣を抜こうと思って、けれどラウノアに止められている。
「わたしに何かご用でしょうか?」
騎士たちに視線を向けるが言いだしの言葉はない。落ちる沈黙に焦燥を覚えるのは騎士たちのほうだった。
それでも待っていると、やがて一人の騎士が震える唇を開いた。
「…の……病気が広まり始めるちょっと前……仲間と酒場に飲みにいって……それで……」
「やけ酒だったんだ。竜使いの選定で選ばれなくて……。だから思わず……貴族令嬢が古竜の乗り手なんて絶対おかしいって……」
「だからその……俺たち……」
「……それが病の流行時期が重なり、今回の噂となったのですね」
根も葉もない噂。しかし意図的に誰かが言い触らしはしない限り、発生の元があるはずだとは思っていた。
それが騎士の不服であり、妬みであった。
(古竜が選んだ乗り手が貴族令嬢。騎士たちがよく思えないのは当然のこと)
彼らが最もしてはならなかったのは、個人が特定されるという形で外部で漏らしたこと。平民では特定されないとしても、してならないことに変わりはない。
理解して、重く息がこぼれた。けれど、目の前の彼らを責める言葉は浮かばない。
「申し訳なかったっ……! まさかこんなことになるなんて……!」
「謝ってもあんたが貴族の中で大変な立場になるのは変えられないし、俺たちはどうにもできないけどっ……でもっ…!」
「本当にすまない! 何か俺たちにできることはないだろうか!」
がばりと頭を下げられて、ラウノアはそんな彼らを見つめてそっと瞑目した。
種を蒔いてしまっても、それが芽吹くかどうかは蒔いた本人にも分からない。歩いた道に何かが芽吹いても、種を落としたことすら知らないこともある。
人の口は動いてから、その重さを知る。
「――……病の原因については王家から正式に発表がされましたので、噂もただの噂というだけです。天罰も呪いも、生きている人間が起こすもの。皆さまはロベルト様から下されているのでしょう? ならば、わたしから言うことはありません」
「いや……。でも……」
「それでもと仰るならば、古竜に謝ってください」
騎士たちが驚いて目を瞬く。ラウノアの言葉の意味が解らないのか、ラウノアの視線を追ってその目は竜舎の前で伏せている古竜を見た。
古竜を見たままラウノアは続ける。
「竜は己が認めた乗り手への侮辱を許しません。皆さまは以前、それによって古竜に怒られていますよね?」
「え? えっと……」
「いつだっけ……?」
「シャルベル副団長に聞いたわよ。選定途中で古竜が威嚇してきたって」
「「あっ!」」
ため息交じりのレリエラの言葉に思い当たることがあった騎士たちはぽんと手を打つ。
と、大人しく伏せていた古竜が尻尾をばんっと地面に打ち付けた。明確な敵意であり、その黒い眼光が騎士たちを不快そうに睨む。言葉のない威嚇に騎士たちも少し青ざめた。
怯んで足が引きそうになる騎士たちにラウノアは首を傾げて問う。
「どうされますか?」
「「あ……謝ります…」」
「はい。たいへんよろしいお返事」
ぱんっと軽やかに手を打つレリエラに背を押され、騎士たちはそろって古竜の傍へ。安全域を保ったうえで乗り手のラウノアが傍にいるといっても恐い。
肌を容赦なく刺すのは竜の怒り。とくに古竜のそれは他竜とは段違いだ。怯んで、恐れて、足を引きそうになるが必死に堪えて、騎士たちは古竜に近づいた。
威嚇すべき相手が近づいてくるのを見遣り、古竜は伏せていた体を起こした。相手を見下ろす大きな体はそれそのものが威嚇となる。
見上げる騎士たちがごくりと唾を飲む音が聞こえた。
距離は充分にとっているが、すでに突き刺すような刺激を肌が感じ取っている。肌を刺す刺激も目の前の存在感も、すべてが圧倒的な強者がまとうものであり、対峙すれば踏みにじられる蟻同然だと本能が理解する。
あと一歩でも近づけば間違いなく、その牙は自分たちに突き立てられる。
竜にはきちんと謝罪と感謝を伝えるべし。騎士学校で習う竜とのコミュニケーションの基本である。
なので騎士たちは内心恐怖でびくびくしつつも、そろって勢いよくがばりと頭を下げた。
「これまでラウノアさんに失礼な態度とっててすみませんでしたあっ!」
「貴族令嬢っていう立場で見下して古竜の乗り手にひどいこと言ってすみませんでしたああっ!」
「これまでも今回もほんっとすごい迷惑ばっかりでひどいことしてこれからはラウノアさんのために御力になれることはしていきますすみませんでしたああっ!」
謝罪の言葉は重なるごとに声量が大きくなる。他の竜たちが何事かと視線を向けてくる。
近くでそれを聞かされる古竜は少し鬱陶しそうな顔を見せ、ラウノアを見た。その視線にラウノアも苦笑う。
「ラーファン。彼らは反省しています。許してあげてくれますか?」
古竜の表情がとてもとても不満げだ。夢でたまに見る「俺一月ほど来ねえから」とあっさり言ったギルヴァに向けるような不満の顔だ。……ギルヴァには服を噛んで撤回要求をするのだが。
ラウノアと見つめ合った結果、古竜はふんっと息をもらした。
古竜の尻尾がゆらりと意図的に動かされ、一際強くばんっと尻尾で強く地面を打つ。突然の鞭打つ音に騎士たちが何事かと勢いよく顔を上げた。
その瞬間、古竜の怒りそのものである刺すような鋭い咆哮が広場中に響き渡った。
空気が震え、草木まで怯える。広場にいる竜たちも王の怒りに身を竦ませ、竜の区域にいた竜使いも世話人も突然の咆哮とそれに含まれる怒りの刺激に腰を抜かし、地面に座り込んだ。
完全に腰を抜かした騎士たちが座り込むのを見て鼻を鳴らした古竜は再び伏せた。さすがにレリエラも耳を塞いで膝を折っている。優れた竜使いとはいえ、古竜の容赦ない威嚇には冷や汗が流れている。
「これで許してくれるみたいです」
「こ、恐え……」
「え、あ……な、へ、平気……?」
「古竜は皆さまによく威嚇しますので、慣れました」
「「な……え? ……え!?」」
ただ一人立ったまま、怯むどころか涼しい微笑み。
格の違いを見せつけられた騎士たちは敗北と疲労から大きなため息を吐いて背中から倒れた。けれど心の中はとてもとてもすっきりしたもので、どうしてか笑い声が出てしまって。
「いやもうっ、ラウノアさんすげえや」
「ほんっと。なにばかなことやってたんだろ」
笑う彼らの声は清々しく空へと消えていった。
――この後、突然のとんでもない咆哮という事態に慌てふためいてやってきた世話人や竜使いには、ラウノアと騎士たちがそろって頭を下げることになった。