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35,優しい子

 思わず瞼を閉じたとき、扉をノックする音が聞こえ「どうぞ」とレリエラが許可を出した。そうして入ってくるのは見知った顔の二人。


「失礼します。――って、副団長。あれ? 今日は休みじゃありませんでしたっけ?」


「……」


 答える気はないので後はレリエラに任せることにする。

 態度でそれを感じたレリエラは、入室してきたルインとケイリスから報告書を受け取った。


「ありがとう。目を通しておくわね」


「お願いします。……で、シャルベル副団長どうかしたんですか?」


 本人に尋ねないルインにレリエラも喉を震わせる。

 二人のやりとりは耳に入っているものの目を閉じて横になったままでいたシャルベルだが、傍に感じた気配に瞼を開けた。


 そこに、なぜかむすっとしたような顔でケイリスが立っている。

 その表情の理由はなんとなく察しがつくのだが、今はそれに触れられたくないのでだんまりを決める。


 鍛錬でもないのになぜか空気がひりつく。そんな両者をルインは不思議そうに見つめ、レリエラも見守った。


「うち、来ないんですか? おふくろから聞きました。最近はラウノアに手紙もないって」


「……ベルテイッド伯爵にすでに聞いているんだろう」


「聞きました。ラウノア、副団長との婚約解消するつもりだって」


 シャルベルの悩みが判明。レリエラはしかし驚くことはなく、困ったように眉を下げた。そんな視線の先でケイリスはだんだんと眉を吊り上げる。


「どうするんですか」


「どうもこうもない」


「親父からは、まだ閣下と話もしてないって聞きましたけど。副団長だって全然なんにも言わないし。休みなら閣下とうち来て話つければいいじゃないですか!」


 シャルベルがわざわざ休日に制服で出勤してきた理由が読めたレリエラは、困りつつも笑みがこぼれた。

 その行動がなによりのシャルベルの心の表れだ。それがとても微笑ましくて、かわいらしい。


「こんなとこでうじうじしてもうっ! 副団長女々し――いだだだだっ!」


 寝転ぶ姿勢からすぐさまケイリスの腕を掴んで、立ち上がると同時に背後に回して足払い。そのままテーブルに倒して背中を押さえつける。一秒かからぬ迅速な行動であったがレリエラもルインも驚くことなく目の前の光景を受け入れる。


((うん。ちゃんと踏んだ))


 予想通りの光景である。

 見守る気しかないレリエラとルインの眼差しなど知らない冷ややかな青い瞳が部下を睨む。


「よく喋る口だ。しばらく悲鳴だけ出しておくか?」


「ふっ、副団長が悪いんですっ! 俺絶対降参しませんから!」


 怒っているのか拗ねているのか、そんな表情を見下ろすシャルベルは拘束を緩めた。

 怒りの空気など瞬時に霧散したシャルベルに驚きつつ、体勢を戻すケイリスは困惑気味にシャルベルを見上げる。


 目の前にあるのは渋い表情だ。そんな表情の理由が分からない。


「ケイリス」


「は、はい……?」


「おまえはなんだと思う。ラウノアが解消を願った理由は」


 ぱちりぱちりと瞬く。シャルベルの質問の意図が読めないが、つまりはシャルベルにも心当たりがないということか。

 そう予想してケイリスは考えた。


(ラウノアが副団長嫌ってる様子なんて今もないし……。副団長ずっと忙しい人だけど、それはラウノアも解ってて、その様子はずっと変わらないし)


 ラウノアが婚約解消を求めたと、そう聞いたときにはクラウと一緒になってすっとぼけた声が出たものだ。

 理由が浮かばなかった。二人は上手くいっているものだと、そう思っていたから。


「まあ単純に、今回出た噂のせいで閣下たちに迷惑をかけるから、とか? あとは、副団長にも迷惑かけたからとか?」


「……俺個人に嫌気が差したという点も否定はできないが……」


「そりゃないですよ。イザナ……ラウノアの侍女なんですけど、副団長と町に出かけるってときのラウノア、すっごく楽しそうに準備してたって言ってましたし。手紙だっていつも心待ちにして楽しそうに読んでたらしいし、それに……ラウノア、最近あんまり元気ないんですよね」


「ん? 副団長のこと好きみたいじゃん。なら解消しようなんて言わなくていいんじゃない?」


「ラウノアって優しい子だも~ん!」


 純粋に首を傾げるルインにはケイリスももどかしい様子だ。ケイリスにも容易に解消理由は予想できるものであり、それはベルテイッド伯爵たちにとっても同じ。


 しかし、シャルベルはその言葉に目を瞠った。

 自分だけ予想がついている本当の理由にばかり気を取られていた。なぜ気づかなかったのだろう。彼女のそいうところを自分は好ましく思っていたのに。自分だってこれまでそういうラウノアを見てきた。

 そうだ。ケイリスが言うとおり、ラウノアは優しいのだ。


(そうだ。それに……よく考えれば、これは妙な話だ)


 ぱっと目の前が開けた気がして、シャルベルはすっと思考に入った。


「ケイリス」


「はい」


「ラウノアに古竜の飛行訓練を頼んでくれ。最近の古竜は明らかにラウノアでないことに不満を募らせている」


「分かりました。で、そのときちゃんと――」


「話は以上だ。仕事に戻れ」


 むっと不満を顔に出す気配を感じつつも、シャルベルは忙しく思考を動かした。






 ♦*♦*




 シャルベルとの婚約解消については、ラウノアが屋敷へ戻ってから改めてベルテイッド伯爵に伝えた。

 夫妻は眉を下げて「閣下とシャルベル様を交えてきちんと話をしよう」と言い、その意向をギ―ヴァント公爵家にも伝えた。ギ―ヴァント公爵家からは「シャルベルの仕事が落ち着くまで少し待ってほしい」と返事が送られてきた。


 それからどれだけ日が経っても、一向にギ―ヴァント公爵もシャルベルも訪れる様子はない。

 シャルベルはまだ忙しい身だ。時間がとれなくても仕方がないが、それならギ―ヴァント公爵に先に話を通すことはできないかと考えることもある。


 シャルベルは否を言わない。そういう約束だ。

 そういう決まりで、結んだ婚約だ。


 だからあとは、言ってしまえば、ギ―ヴァント公爵とベルテイッド伯爵の承認で済む。


(といっても、今はまだ難しいわよね……)


 問題が解決しても残っている仕事は山積みだ。しばらくは城も忙しいだろう。

 仮に今婚約を解消したとしても、その発表は先になるだろう。冬は社交も終わりの時期。遅くなればそれ以降に発表となるかもしれない。


 今のラウノアには待つことしかできない。待つしかない。

 食事を家族でとって、あとは部屋にいる。なにをする気も起きずに窓の外を見つめるだけ。本を読んだり刺繍をしたり、できることはいろいろあるはずなのに身体が動かない。


 視線を動かして視界に入るのは、机の上に置いた子犬の置物。窓辺に置けば光が反射して綺麗で、もらってからはよく眺めていた。

 今はもう、胸を締めつけるものになってしまったけれど。それでも引き出しにしまってしまおうとも、捨ててしまおうとも思わない。


 同時に視界に入る机。その引き出しにしまってある手紙を思い出して、重いため息がこぼれた。


 屋敷へ戻って以降、家族の前では普段どおりに振る舞いつつも一人になれば元気を失い、ひどく思い悩むようにため息を吐く。見守る側付きたちもかける言葉に迷っていた。

 ラウノアの憂いを晴らす方法はある。しかしそれはギルヴァによって止められている。だからせめてとラウノアが過ごしやすいよう環境を整える。同時に起こったもう一つのラウノアの悩みは、側付きたちにもどうにもできない代わりに。


 アレクが扉の向こうに、マイヤとガナフは屋敷の仕事に、イザナは夕食の手伝いに厨房に向かい、ラウノアが一人で部屋にいると扉がノックされた。

 返事をすると外から開けられ、そこには兄のケイリスが立っていた。ちらりと見れば扉の傍にはアレクがいる。


「おかえりなさいませ、ケイリス様」


「ただいま、ラウノア。今いい?」


「はい」


 入室を促せば、ケイリスが扉を開けた外にアレクを待機させて入室した。クラウがいれば咎められていそうだなと思うと少し笑みがこぼれる。

 そんなラウノアを見てケイリスも表情を緩めた。


「最近元気ないけど、大丈夫?」


「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません。すぐに疲れもとれますので」


「そっか」


 ラウノアの微笑みにケイリスも素直に頷いた。

 女性が言いたくないことに踏み込むなどケイリスはしない。元気がないのが分かっていてもなるべく普段どおりに、そしていつでも力になると伝えるだけ。


 ラウノアはいたっていつもどおりだ。大人しくて慎ましい。

 けれど、不意に見せるその瞳が何を考えているのかは多少なりと察することができる。


(兄貴だったら「本当は嫌ならそう言え。噂に翻弄されるなどばかばかしい」とか言いそうだけど)


 自分はそんなことはしないのだ。


「実はラウノアにお願いがあってさ」


「はい。わたしにできることでしたら」


 素直に頷くラウノアにケイリスは続けた。指を立てて説明するように語る。


「そろそろ古竜の飛行をさせたくて。最近はラウノアも会いにいってないからか、他の竜使いが「飛行訓練だぞ」って言ってもそっぽ向かれちゃってるみたいでさ」


「……わたしが騎士病院にいたときは他の竜使いの方の指示を聞いたと伺ったのですが…」


「うん。だけど最近はそろそろそれも効かなくなってきて。ラウノアじゃなきゃいやだってさ」


 困ったように肩を竦めて、けれどその表情には笑みを乗せて。おどけたようなケイリスにラウノアも仄かに笑みを浮かべた。


 騎士病院に泊まり込むことになり気になったのは古竜のことだ。幸い古竜の世話人であるオルディオは無事だったので、毎日来てくれていたシャルベルを通して古竜の様子は聞いていた。その中にはそういった訓練に関する話もあったので、乗り手として耳を傾けていた。


(ラーファンにはしばらく会えてない。だけど今は……。いえ。皆さまにご迷惑をかけるわけにはいかない)


 古竜の乗り手は自分なのだから。そうある覚悟をとうにしている。


「分かりました。明日にでも古竜のもとへ向かいます」


「ありがとう。助かるよ」


 ほっとしたようなケイリスの表情に、少しだけ申し訳なく笑う。


 騎士団へ行けばシャルベルに会う可能性もある。けれどそれは、婚約を解消しても避けられないこと。

 古竜の乗り手として。ただ、それだけのこと。






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